神奈川県大磯町・高来神社

かるの

2016年04月01日 08:16

 ある時は信仰の場であり、ある時には教育の場であり、ある時には経済の場である。
 神社にはその土地の歴史が詰まっている・・・。
 ここでは私が尋ねた神社を紹介します。




 高来神社は神奈川県中郡大磯町高麗2丁目9-47に坐する神社で、旧社格は郷社である。



 祭神は神皇産霊尊、天津彦穂邇々伎尊、応神天皇、神功皇后。



 例祭は春季大祭(山神輿・現在の高麗山の麓にある里宮から山頂の上宮へと神輿を以って神霊を遷す)が4月17日(上宮渡御)、4月19日(本社還御)。夏季大祭(西暦偶数年は「御船祭」を併催する)は7月18日に近い日曜日。




 高麗神社とも呼ばれる。社名は一説に朝鮮半島にあった高句麗からの渡来人に由来するといわれる。
 中世の戦乱等により書物が焼失したため起源は明らかでないが、神武天皇の時代の創建とする記録があるという。


 江戸時代まで高麗寺という寺が山中にあり、現在の高来神社も高麗神社として寺内にあった。高麗寺は高句麗から渡来した高麗若光を祀った古い寺院と言われるが、室町時代には関東の戦乱である永享の乱や、後北条氏が狼煙台としたり、後北条氏に対して戦争を仕掛けた上杉謙信によって陣が構えられたりするなど、数度の戦火に見舞われ、廃寺寸前にまで追い込まれる。


 しかし、江戸時代に徳川家が権現信仰のあるこの寺を上野寛永寺の末寺とし東照宮を置いたことから隆盛を取り戻した。


 しかし明治時代に入るとこのことが仇となり、徳川色を消し去りたい明治政府によってこの寺は廃寺とされ、廃仏毀釈で山内の堂塔は悉く破壊され、高麗神社だけが残った。
 高麗神社は明治時代に高来神社(たかくじんじゃ)と改名し現在に至っている。



神社には良く見られる力石











今までの訪ねた神社をマッピングしました。ご参考にして下さい。

より大きな地図で

関連記事