静かな朝に思う

かるの

2009年08月30日 08:57

 連日続いた選挙カーの連呼も収まって、静かな朝となった。余り政治的な事は書くまいと思っていたが、ここで色々と思う事がある。


 もう、「できない理由」を探すのは止めよう。
 何か提案が挙がった時、それに対するデメリットばかりを考えるのをもう止めよう。大事なのはメリットとデメリットを天秤に掛けて判断することであり、どちらか一方のみを考えて思考停止になる事が多い。これによって多くの社会的損失を垂れ流しているような気がする。
 他を非難して自己の正当化を図るのではなく、必要なのは対案である。


 黄門さまは現れない。
 「政治が悪い、官僚が悪い」と言っていれば政治に関心があるのか。何かを悪いというのであれば、その理由を明確に上げるべきだ。それもあやふやなのに人を糾弾出来るのか。それは、本来糾弾しなくてはならない事にもその矛先を鈍らせる事になる。
 人は誰か清廉潔白な人物が突如現れて、この政治的不透明な局面を打破してくれるのを望んでいるようだが、50年の惰性を突如方向転換できる人物など居やしない。もしそんな人物が現れたとしたらきっと独裁者の仮面を隠しているだろう。
 民主主義とは多くの人間の総意で物事を決めていく。そのために時間もコストも掛かるものである。それを理解しなくてはいけない。実にイライラするが、我慢強く少しづつ改善の積み重ねを行っていくしかない。そして、民主主義は市民のレベル以上の政治は出来ないのである。


 「日本はものづくりの国」とも言うが、実際の所は海外投資やソフトコンテンツ産業が既に製造業を上回っている。本来持っている製造業の強みを活かす為にも、ソフトコンテンツ、資本の充実が必要である。
 その為にも、用意されたテストの点数が取れるロボット人間を生み出すのではなく、無から有を生み出せるような個性を尊重する教育、それを発揮、尊重できる土壌が必要だ。ノーベル賞を取った日本人は居るが、大半が海外の研究機関に居る事を憂慮すべきである。
 「個性の尊重が社会をダメにした」と言う人がいるが、真に個性を持った人は他を思いやる心を持っている。集団に属する事で安心感を得ようとする集団の一員である方が他を平気で傷つける事は今までの歴史が示しているだろう。


 低成長時代を運営していくには、戦争も高度成長もバブルも経験していない年代の発想で無くてはならない。その年代はそれ以前の年代に比べて、お金では買えない物の価値を感じていると思う。それは自然環境であったり、人との繋がりなどだ。
 それが為、その事を理解できない年代の人には経済的に測れない若者の行動を理解できないと思うのだが、これは口ではお金の事を口にするのは汚いと言っても実際の所は社会の隅々までが拝金主義一辺倒である現実への揺り戻しが起きている過渡期であると思う。


 星の王子さまも「大事なことは目に見えないもの」と言ったが、その通りである。


 色々と考えて一票を投じに行こう。

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