4月13日

かるの

2011年04月14日 08:54

7時起床。
昨日買った服のお陰か、外の気温は零度だが寒さを然程感じなかった。

朝食を摂り朝の受付へ。
今日の班は男性6人。この時にリーダー決めに手間取る事が多いが、自分の仕事が最後というのもあり、自らリーダーを志願した。

作業に向かったお宅は昨日作業した所の向かいで苗字も同じ。というか、周辺は皆さん同じ名前である。そこで最初の挨拶の後、静岡県に縁ある苗字であるのもあって伺ってみると、先祖は駿河の守護大名であった今川氏に仕えていたが、今川氏の滅亡後にこの地へ落ち延びて土着し、付近の地主として現在に至っているとの事である。
作業は水に浸かった納屋の中の物の搬出。始めは本や使わなくなった古い家電が多かったが、奥に進むに従って、かなりの年代物が姿を現した。
リーダーの役割として「棄てるのを躊躇う様な物」が出てきたら通報の役割があったので、市の文化財担当の人へ連絡する。他の作業や廃棄せずに納屋の側に留め置きをしていると、文化財担当の人が到着。昔の家財道具や古文書などが水濡れしているものの廃棄せずに市で保管という形になった。
中にはこの家での婚儀に使うであろう什器一式がはいった長持ちなど、家の歴史に深い関わりを持った物である。家の人は水に浸かった物は全て棄ててしまえと言うものの、分析次第ではその集落の歴史がまるごと詰まっているであろう資料を守れた事は嬉しかった。
午前の作業を終えて、作業服を片付けた。
明日の撤収の前に岩沼市の事を知っておきたいと市街地を歩く事にする。竹駒神社こそ行ったものの、街の概要は掴んでいなかったからだ。図書館も地震の影響で開館していないのも大きい。
竹駒神社の近くに「二木の松」なる案内板があり、それを見ると、芭蕉や西行なども陸奥に於いての枕詞とした松である。その案内板には「岩沼は奥州街道の宿場として…」とあったので、本陣跡を探す。そこで竹駒神社の正面の道を目安として、道を歩く。その道を一本脇の道に入ると、趣ある土蔵を持つ家を発見。近くに「本陣跡」「脇本陣跡」とある標識を発見。その周辺には商家であったろうと思われる趣ある家屋や蔵が点々としている。目立って多い訳ではないが、少しでも土地の歴史に係われた気がして嬉しかった。

テントに帰り、この場で出来る限りの片付けを行い、余った食品などは周囲のテントの人達に譲った。次第に夕焼けになり、この地で最後の景色を眺めた。この所、曇りが多く、夕焼けを見る機会は無かったのだ。
こうして私のボランティア活動は終わった。
受け入れ側の不備なども感じた点もあるが、やはり志を同じくする者が一処に集まった時の素晴らしい力。普段の生活では知り得ない知識。そして感じる縁。多くの人に感じて貰いたい。
震度6を体験したのもあるが、故郷で起こる事が予測される大地震に備えると共に、災害発生時に如何に復旧の力を呼び込むか、大いなるヒントにしたいと思う。

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