槌音よ、響け! ①(10月8日)
昨年11月、被災地支援の関係で大槌町へ行って来た際のまとめです。
0815スタート
0833沼津IC
0844大槌町でお茶を振舞うための水を汲む。
0954用賀ICよりやや渋滞
1113川口IC
1129蓮田にて運転交代、
1143再スタート
1200佐野SA給油
1235矢板北から渋帯
1320那須高原にて食事、白河ラーメンとレモン牛乳
1350再スタート
1445福島松川PAにて交代
1640平泉PAにて交代
1725東和IC下車
1730コメリと生協にて買い物、
大槌町には商店が無い、と聞かされたのでその手前で食品購入
1801再スタート
遠野市宮守町の橋梁
「銀河鉄道の夜」のモチーフとなった橋である。
1933大槌稲荷神社着、気温7℃
神主の十王館さんに色々と話を伺う。
この神社は被災者を受け入れた避難所となった。90畳の空間に80人ほどが寄り添って生活した。神社は海抜18mほどである。
大槌町は建物損壊率97%、死亡、行方不明者合わせて千人超、行政の中核になる人物の大半が津波で死亡し、各地の避難生活は当初から混乱したが、それでも十王館さんは古くから聞いていたという津波後の出来事についての口伝を念頭に置いた。
まず、ネズミの大発生を防ぐ。口伝では津波後にネズミが大発生し食物が無くなる。食物が無くなったネズミ人を攻撃するようになり、赤子がかじられていく。人がかじられると病の蔓延に繋がる。
そこで生ゴミは炭になるまで徹底的に焼いて処分。避難所となった空間には食物を置かない。そしてネズミは壁の周りを走るので、壁の周りに男を、中心部に女子どもを配置し、壁の側10センチは離れるようにした。見かけたネズミは徹底的に駆除した。
神社には祭りの時に使う大型の炊飯器や薪ストーブがある。炊き出しなどは問題無かったが、届く物資に偏りがあり米が大量に有るときもあれば、野菜ばかりが届く時もある。だが、調味料や乳製品が届く事が少ない。
ある時、別の避難所には余り気味になった物資があると聞き、それを貰いに行ったが全く譲ってくれなかった。それに憤慨し町の災害対策本部に怒鳴り込み、配分を見直してくれる事になった。
しかし町職員の中にも運営に悩み、自ら命を絶ってしまった人も居たのである。
道が通ったのが発災から10日後。その時に避難生活していた女性が「これでお風呂に行ける」と親戚の所へ行った。そこから避難生活の助け合いが崩れて行った。持てる者と持たざる者、力がある人、そうでない人…とに。
一ヶ月で電気が通じた。すると布団や服の汚れが目につく様になる。ますます弱い立場の人が追いやられる。津波の前まで気丈な性格のお年寄りも弱々しくなってしまった。
そんな折、盛岡などの内陸の旅館やホテルが避難者の受け入れが始まり、稲荷神社での避難者受け入れも終わった。
続く…。
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