史上最大の作戦 完全版 22日 ①野辺地にて

かるの

2013年09月11日 08:16

先日の続き・・・。


 4:30起床 屋根の在る所で寝たが、寝袋は夜露で濡れている。
 始発まで周辺を散策


 駅近くにあった常夜灯。野辺地町は常夜灯を町のシンボルにしているようだ。

 野辺地は盛岡藩の日本海航路への窓口として賑わい、野辺地湊へ夜間入港する船への目印として建てられたのだが、日本で最も古いようだ。

 昨夜に着いた時に駅前周辺を歩いた時は、暗いのもあって余り商店などを見掛けなかったが、そこそこ大規模な店舗がある。

 

 野辺地町役場
 
 昭和29年に建てられたが、当時としてコンクリート建築は珍しかった。往時の繁栄を偲ばせる建築だが、老朽化は否めない。

 役場のすぐ近くにある旧野村家住宅離れ
 
 野村家は廻船問屋を江戸時代から営み、六代目・野村治三郎の時に明治天皇の行幸がある時に天皇の宿泊する行在所として建てられた。現在でも様々な行事に使用されているという。

 色々とモニュメントがある愛宕公園に。まだ朝は早いが、散歩している人や運動している人でそこそこの人が居る。
 
 明治天皇が巡幸した際に調理用の水に使われたという湧き水の御膳水
 
 ちょうど飲み物が無くなったので、この水を汲む。

 愛宕公園の石段
 
 この敷き石はかつて街がアスファルト舗装される前に敷かれていた石で、北前船が上方から来る船には木綿や古着が積まれていたが、その積み荷だけでは軽いので瀬戸内海産の花崗岩をバラストとして運んだ。

 その石の関係で香川県土庄町との交流があるとの事である。
 
 
 公園内にある蒸気機関車
 

 そろそろ始発の時間になり、駅の方へ。

 野辺地駅の側には防雪林の碑が。

 明治24年に青森・盛岡間の鉄道が開通したが、豪雪地帯の野辺地は雪で運行に支障を来していた。そこで農林学者・本田静六が防雪林を整備する事を提唱し、日本初の防雪林となった。

 6:33 青森行に乗車
 

 車内には鉄道むすめ
 

 

 

 7:20 青森着
 

 
青森と言えばやはりねぶた。
 

 次発まで時間があるので駅周辺を散策
 

 
続く…。

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