そば屋に入ってみるとあった北前船のミニチュア
中も良い雰囲気である。
店の人にカメラのバッテリー充電の為に電源を使ってよいか尋ねると、快く応じて頂けた。助かる。
そしてニシン蕎麦
正直な所、何で一匹まるごと入れるのか、意味不明!と思っていたのだが、身欠きニシンで骨も取り除かれており、やや甘めな味付けのニシンの身がほろほろと崩れ非常に美味しく頂けた。
私の祖父は漁師であったが、「ニシンなんてブタのエサだ!」と言っていたのを思い出す。
ニシンが大量に摂れていたいた時期は実際そうだったし、食用よりも畑の肥料だったりしたのだが、保存が利く身欠きニシンが内陸部への貴重なタンパク源になっていたのも食の歴史では見逃せない。
そして、畑の肥料としては菜種、藍、綿花などの栽培に欠かせない肥料として本州で販売され、農村への貨幣経済の浸透を促した。その点もニシンの文化史という物は大きい。
そして店を出て、更に散策。
江差追分会館
火薬店とは・・・狩猟につかう銃砲の火薬でしょうか。
姥神大神宮
北海道の神社の中でも最古を誇る神社。建保4年創建は鎌倉時代である。
北海道の歴史は明治頃から、少し遡って幕末頃からであったりするが、鎌倉時代の頃の動きも欠かせない。やはりこの時期の温暖化が影響しているのだろうか。
アネロイド気圧計
昭和3)年に設置された気圧計。当時、気圧計を持っていたのは浜の親方だけだったので、漁師たちが出漁前に針をのぞいて天気予報に役立てた。
直径30㎝の盤面で、長針がしけ、雨、ぐずつく、晴れ、カラカラなどをしめす英語を指針する仕組みとなっている。
海岸部にある景観保護の地区から再び商店街がある高台にあがる。その途中にある壁画。
開陽丸を望む
幕府海軍の中でも最新鋭の軍艦であったが、箱館戦争の前に暴風雨で江差沖にて沈没。この軍艦があったら勝敗はどうであったか。
開陽丸は昔の旅の時に入った事がある。
商店街の和菓子などを購入していると、昔の写真が色々と飾ってある所が。
この様に江差駅の開業の写真がどうも廃線を物悲しく訴える。
江差駅へ戻る。
駅スタンプ
16:15江差駅発
非常に見応えある街並みと、歴史ある文化を持つ街でありながら、廃線になってしまったのは何故だろう。それに奥尻島への航路も響くだろう。
こういった街へ鉄道で行けない、というのが後々に響かなければ良いが・・・と思い、江差を後にする。
続く…。