神の集まる島 神津島探訪 ④

かるの

2014年12月06日 08:01

先回の続き…


歩き始めて一時間ほど。ここには長浜キャンプ場があるが、誰もキャンプしている人は居ない。

静かなキャンプと海水浴に徹するなら良いが、市街地から離れているので、ある程度、食料などを準備しないとここでは大変だろう。

そしてここには阿波命神社がある。(が、始め気付かず通り過ぎてから気付く)



この神社は前日の物忌奈命神社に次ぐ式内社であるが、集落の側に在る物忌奈命神社に比べると、やや寂しい印象である。ただ、神社の社殿の様子などが、続日本後紀という文献の記述と一致している、古代神社の立地を今に伝える貴重な神社であるという。

阿波命は事代主の来島を祈り、この地で宴を開いて歓迎し、事代主が島を離れる時は、この地で水平線で見えなくなるまで別れを惜しんだという。
その事から、この長浜海岸には白砂と赤や黄色など色とりどりの玉石があり、別名「五色浜」とも言われるが、石を持ち去ると祟りがあるという。


定期船が


更に一時間ほど歩くと、海岸に人工の構造物が。近寄ってみると、レールが敷かれていた跡があった。

近くに案内板があるので、それを見ると、かつて採掘されていた抗火石という石材の運び出しを行っていた跡との事。

抗火石は新島の印象が強かったが、かつては神津島でも採掘されていたという。


抗火石は流紋岩の一種で、スポンジ状の構造から鋸や斧で容易に切断でき、その軽量性、耐火性、断熱性、耐酸性から多くの用途に使用されている。

その特性を利用し、過去には抗火石で作られた石の船も存在した。伊豆諸島以外ではイタリアのリーパリ島のみが採掘地である。

山側に崩落が著しい山があり神戸山というが、この山全体が抗火石であるという。


昭和17年に日産化学工業が採掘の為に施設を設けた。当時は道路が通じていなかったので、神戸山に支柱を設けて海まで索道を張り、山で採掘した石材をこの索道で運び、海側でトロッコに乗せ、運搬船に荷積みした。この湾には採石場で働く人々が多く住んでいた。
需要の減少により昭和30年にこの施設を用いた荷積みは行われなくなったが、島内で用いる住宅や道路の石垣などの石材として平成12年まで採石が行われていた。

続く・・・

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