メルマガ購読・解除
 
アクセスカウンタ
オーナーへメッセージ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 7人
プロフィール
かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
no">

スポンサーサイト


上記の広告は30日以上更新(記事投稿)のないブログに表示されています。  

Posted by スポンサーサイト at

2008年06月28日

小さな旅(横浜駅から旧東海道を中心に)

 所用にて横浜へ行って来ました。

 横浜で観光を、考えれば港の方へ向うのでありましょうが、港は帰る方向とは逆なので旧東海道を歩きます。雨が降っていれば博物館を見ようかとも思ってましたが、小雨なので歩くことにしました。
 横浜は「日本人と外国人との接触を避けるよう」に造られた港なので、東海道からはやや離れています。スタート地点として、横浜駅北側の浅間神社に向かう。
 
 浅間下の交差点からは小高い山。鳥居の前に立つと急な階段。まずは足慣らし。



 浅間神社ではこれからの街道筋からの安全を祈願。
 この浅間神社は創建は1080年とされるが、神社があるこの山には古墳群がある。きっと、古代からの信仰の地であったが、山の形状が富士山に似ているという事から浅間神社として奉祭されることになったのだろう。この古墳の横穴が、富士山に通じているという伝説がここにもあった。
 参拝し境内に神社の人がいるので朱印をお願いする。それが朱印帳ではなく、向こうが用意した紙に押された朱印であった。たぶん、予め用意された紙にその人が日付を入れたものだろう。神主さんが居ない時に朱印をお願いしても出来ない事が多々あるので、これはいいアイディアである。これを見ている神主さんが居たらこのアイディアを取り入れてもらいたい。
 その時に、境内にあった「誠愛剣法発祥地」とあった碑が気になったので聞いてみた所、古いものではないが地元の剣道家が道場を設立して建てた碑だそうだ。この神社では保育園を運営しているが、園児にも剣道を教えているそうだ。

 浅間神社を後にし、本格的に旧東海道を歩き始める。
 10分ほど歩くと、蔵が見えた。石造りでなくモルタルであるが、石造りの蔵に見せた様式である。この辺りは三島の看板建築にも似ている。
 写真を撮っていたら、歩いていた人に話し掛けられた。この蔵はこの家が大きな地主で質屋をやっていた名残だと教えてくれた。



 更に東進すると、商店街のアーチが見えてきた。この商店街のあたりから、保土ヶ谷宿があった所である。その手前に八王子道へと向かう道との追分である。



 商店街へ入ると和菓子屋さんを発見。残念ながら「ご当地銘菓」は無かったが、腹ごしらえにみたらし団子を購入。すると店のおばさんにやたらと話しかけられた。街歩きが好きだからと色々と話したが、静岡から来たと言ったらやたらと驚かれたが、そんなに遠いかな。
 食べ終わって出ようとすると、
「まあ、もう二度と来ることはないよね。」
と、なかなか手厳しい言葉であるが、最後にまた来るのを待ってる、と小声で言ってたような。

 この商店街はなかなか賑わっている。雨にも関わらず人々が買い物に歩いている。


 
 保土ヶ谷宿の中心にある橘樹(たちばな)神社に参拝し、朱印をお願いする。待っている間、神主さんの奥さんであろう人がお茶を淹れてくれた。昆布の塩気がさっきの団子の甘さをさっぱりさせてくれる。こういった心づかいがとても嬉しい。

 
一時、アザラシが現れた帷子川の手前に「伊豆庵」というお蕎麦屋さん。




 保土ヶ谷駅を少し過ぎると金沢横丁との交差点。金沢は今では横浜八景島シーパラダイスがある所としての方が有名であるが、鎌倉時代には鎌倉に隣接する港町としての機能があり、北条氏の一族が領有する要地であった。
 先ほどは八王子との接点があり、こう見ると保土ヶ谷宿は東海道の宿場という機能だけでなく、南北交通においても要衝だったと考えられる。

 暫く旧東海道を歩いていたが、現在の国道一号線に合流する。その交差点に保土ヶ谷宿の本陣跡があり、本陣を切り盛りしていた苅部家(現在は軽部に改姓)が今もこの地に家を構えている。
 周辺には脇本陣や旅籠の名残ある建物もわずかであるが残っている。国道一号線という交通量がハンパない道に風情ある建物が存在するという風景がミスマッチであるが。
 宿場が機能していた当時の旅籠の一つに「沼津屋」という屋号の宿があったという。先ほどの「伊豆庵」もそうだが、この北伊豆との地域的・人的な繋がりを考えてみたい。



 この辺りから宿場であった地点から離れる。そして、箱根駅伝の難所としても有名な権太坂である。



 先ほどの本陣跡あたりから国道一号線を歩いてきたが、また旧東海道と分岐していたらしい。それに気付かず国道一号線を歩いていたが、「境木のお地蔵さん最中・信号左折」という看板を見かけ、旧東海道へと戻るように向かう。
 しかしこの坂がキツい。それもそのはず、権太坂は箱根につぐ難所で行き倒れも多く、二番坂を上りきった横に死人を投げ込む井戸があったという。それは伝説であったが、昭和36年に周辺の宅地開発の時に多数の人骨が発見され、伝説を裏付ける事となった。これに伴い、慰霊の碑が建てられた。

 反面、この坂があったからこそ歩きに難渋する人々を相手に沿道に茶店が並び賑わっていたというのも確かである。権太坂の次は焼餅坂というのだが、これも茶店が多かった名残である。交通というものはアクセスが容易になれば経済が発達すものと思いがちであるが、交通障害によっても発展する例がこれに見える。島田宿も同じ事が言える。

 坂を上がりきると、一気に景色が明るくなる。今まで、国道一号線の味気ない風景だったが、一気に商店街が現れるのである。何となく、高野山に行った時の感覚に近い。

 先ほどの「境木のお地蔵さん最中」があるのが菓匠 栗山である。ここはご当地銘菓がなかなか充実している。
 店の中には昔使っていた型と焼印のコテなどを店内に展示している。


 その境木のお地蔵さんであるが、この辺りが武蔵国と相模国の境である。

 江戸の人が西国に行く時は、ここで江戸の在る武蔵国を離れることに感慨もあったであろう。そして、旅路の安全を地蔵に願ったに違いない。

 境木から焼餅坂を下る。先に茶店が多いから焼餅坂という話を挙げたがもう一つ。美人は手を引いてもらえるが、貰えなかった人がやきもちを焼いたという説もある。しかしそれだけ人で賑わっていたという事であろう。



 下ったと思ったらまた上り。そして品濃一里塚である。ここが保土ヶ谷宿と戸塚宿の境である。



 
保土ヶ谷宿の街道図


続きはまた後日…。
  

Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2008年06月25日

拙作ですが…










雨上がり 若葉の産毛 ころころと 光集めて 珠となりける

  

Posted by かるの at 18:24Comments(3)店主

2008年06月22日

静岡ドールショー2008

 お付き合いのある太田宏明さんが出展しているとのことで、グランシップで行われている「静岡ドールショー」へ行って来ました。

入口入ってすぐに太田さんの作品。


私は知り合ってから木馬作家の人という捉え方をしていましたが、今回の作品はニューヨークでの911事件をテーマにしたそうです。
崩落したWTCに散らばるビーダマは亡くなられた人の魂をイメージしたとの事。

私が好きな角度での撮影


ご本人は一緒に居るととても楽しいお人柄を知っているだけに、この作品の説明を聞いた時には胸が痛くなりました。

そのお隣、最近は仏像に凝っているとのことでこの作品。


赤ん坊の顔をした千手観音(手の数は少ないですが・・・)には、アイスクリームやおもちゃが握られてますが、アイスクリームは自由の女神の松明を見立てているとか。
この写真は顔が上を向いていますが、下に向けると顔が怖くなります。


(太田さんの許可を取ってます)
能の表情の作り方みたいです。

この作品の後ろ側

ニューヨークは「ビッグアップル」と呼ばれているので林檎。それが911事件によって齧られたというイメージです。

ここの作品は太田さんの違う一面が見れました。
他にも色々な方の人形がありました。22日で終了ですが、興味を持たれた方はグランシップへ足をお運びください。
(太田さんの作品の近くにあるポストカードが貰えます。)
  

Posted by かるの at 07:16Comments(4)店主

2008年06月16日

小さな旅(清水駅~駿府城)

 14日は午後から静岡で用事。
 清水駅までの旧東海道は歩いていたので、清水駅から歩いてみる。

 11時スタート。
 駅から国道一号線に向かうと、交差点の角に「日本で6番目に短い国道149号線」とある。その距離は2.6キロ!
 前に神戸の友人を訪ねた時に、「ここが日本で一番短い国道」という所を紹介されたことがあったが、似たようなものがコチラにも。

 国道一号線に沿って歩き始める。すると、こんもりとした緑を発見。鎮守の森の雰囲気を感じ、尋ねてみる。

 小芝八幡宮というお宮で、1200年以上の歴史を有する古社である。
 参拝を済ませると、鳥居のすぐ脇に小さな石のサッカーボール。ここには「日本少年サッカー発祥の地」とあるサッカーボール。なんでも、昭和30年代の清水は特にサッカーが盛んな土地というわけではなかったが、隣接する江尻小学校にサッカー好きの新任教師・堀田哲爾氏が赴任した。その日から堀田氏は子供たちにサッカーの楽しさを伝えたのが始まりという。当時は「ボールを足で蹴ってはならない」という校則があったものの、子ども達がサッカーの楽しさを憶えていく姿をみて校長も許可したという。
 今でこそ清水はサッカーの盛んな土地だが、それも古くからという訳ではなかった。それが一個人の力によって、大きな力となるのだから歴史は面白い。


 小芝八幡宮のあった所は、戦国時代は武田氏によって江尻城が築かれた。武田氏は駿河支配の拠点には甲斐との連絡に便利な江尻に置いていた。
 今、城を偲ばせるものはないが、交差点に「二の丸」という所がある。車で走っていた時は気付かなかったが、今回意味が分かった。


 この二の丸交差点の角に清林堂なる和菓子屋が。ご当地和菓子こそなかったものの、「駿河ポテト」を購入。ふんわりとしたスイートポテトが美味しい。

 この近辺は小さな和菓子屋さんが多いように思われる。

 
 歩き疲れたので、少し休憩。「はてなや」という本屋に入る。探しているゲームソフトこそ無かったが、貴重と思われる本がかなりあった。またゆっくり眺めに行きたい。


 途中から国1を外れて、南幹線の方へ向かう。

 南幹線は何度も車で走っているが、歩くのは初めて。歩いていると、旧東海道の一里塚跡がある。これで街道に入ったと再確認。

 街道を歩いていると、神社があるので見てみると、やぶきた茶をここから栽培したという。今や住宅街であるが、この地には茶園が広がっていたという。


 草薙駅周辺の商店を散策。

 草薙出身の知り合いが、
「伊豆ではイルカを食べる」
と言ったら驚いていたが、草薙駅近くの魚屋にイルカがありました。

 また和菓子屋さん(金生堂)に入ってご当地銘菓を探すと、地名こそ入ってないものの、「剣の里」という菓子を購入。

 肉屋がコロッケを扱ってないのが残念。

 
 ここからは時間が切羽詰まってましたので、少し早歩きで静岡までicon16
 静岡駅に来たからには、のっぽパンを!と思っていたが完売。残念。ブースが思ってたよりも小さい。

 ゴールの県庁別館に到着。用事がある15時10分前でした。


 用事とは、県が主催するまちづくりリーダー養成講座に参加しました。
 今まで、自分が研究した歴史や民俗を、そして身の回りに居るアートな人々をまちづくりに活かしたいと思っていました。NPOに関わったりしましたが、この講座で体系的に学びたいと思います。   

Posted by かるの at 08:20Comments(4)店主

2008年06月06日

未知の領域

 東レの総合研修センターを見学しました。ここでは東レの歴史と製品を知る事が出来ます。

 ナイロンはデュポン社が開発したが、東レ独自にナイロンの研究もしており、試験的には成功していたとか。しかし特許を取るのが間に合わなかったとか。 
 東レは今は医薬品も製造しているが、これのきっかけが戦後に原料が手に入らない時、大津の工場で琵琶湖のシジミを培養液に使ってペニシリンを製造していた、というのが面白い。怪我の功名ともいうべきか。
 東レ製品を一堂に集めたブースでは、生活の周りには東レの製品を見ないという事が無い位でした。
 これから使用が拡大される炭素繊維に関しては世界最大、これからの世界的な水不足に対応できる水処理技術、医療機器に医薬品と、旬な技術をたくさん持っている企業が身近にある事が心強い。
 それに、失われた10年と言われた時期にも、人員整理を行わなかった事も誇りに思いました。
 

 質問の時間の時に、三島駅から延びる引き込み線が使われているのかを聞くのを忘れていたのが残念でした。  

Posted by かるの at 17:17Comments(0)店主