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かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
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2016年09月29日

9月28日講演 「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 後編」参考文献

 9月28日、沼津市原の高嶋酒造にて「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 後編」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「北方四島・千島列島紀行/NHK取材班編」
 
 「日露領土紛争の根源/長瀬隆」

 「尼港事件の背景を探る/佐藤誠治」
 
 「8月17日、ソ連軍上陸す―最果ての要衝・占守島攻防記/大野芳 」

 


なお、占守島の戦いに関しては「終わらざる夏(浅田次郎著)」という小説が発刊されました。

 ご参考にして下さい。

※次回の高嶋酒造での講演は10月26日18時半から「甘い誘いは苦い道 砂糖の世界史」と題し、砂糖という食品が世界史に与えた影響についてです。  


Posted by かるの at 08:12Comments(0)世間士として

2016年09月28日

9月28日講演 「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 後編」 沼津市 高嶋酒造にて

 9月28日18時半より、高嶋酒造にて講演致します。

内容は「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 後編」です。



 ロシアは革命により世界初の社会主義国家ソビエトとなり、日本とは相入れない思想でありながら、昭和恐慌の中で新しい時代を模索する官僚によって不思議な親和性をみせる。
 大戦末期まで平穏な国境であった樺太・千島は怒涛の戦場へと巻き込まれ、8月15日を過ぎても現在に続く領土問題になる。
 ロシア内戦から現在に至るまでの日露関係史を追って行きます。


日露関係・領土問題・北方領土・尼港事件・ノモンハン事件・占守島の戦い・シベリア出兵に関心がある方におすすめ。」


 参加費:700円。

 時間:18時30分から

 開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて


 ※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)

 ※申し込みは高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:13Comments(0)世間士として

2016年09月27日

10月4日講演 「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 中編」 沼津市 Lot.nにて

 10月4日18時半から沼津市のLot.nにて行います。

 内容は「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 中編」です。


(千島列島の開拓に向かった千島報效義会)


 明治維新を経て近代化した日本と、凍らない港を求めて南下するロシア帝国の利害はやがて衝突し、戦火を交える事になる。
 千島・樺太の国境の狭間に生きる日本人と、革命の嵐に翻弄されたロシア人の運命は大きな渦に巻き込まれていく事になる。
 明治時代からロシア革命に至るまでの日露関係史を追って行きます。


 「ロシア・千島列島開拓・樺太・ロシア革命・大津事件・日露戦争・ポーツマス条約」に関心がある方にオススメです。

 会費:1000円(ドリンク付き)

 時間:18時半から

 開催場所はコチラ・沼津市上土町10 (それまでの店舗の道向かいです

)  

 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。

 申し込みはオーナーメール、もしくはLot.nさんへ直接来場ください。
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:13Comments(0)世間士として

2016年09月26日

カモメの詩が聞こえる街 増毛へ ①


 JR北海道が留萌本線の留萌(留萌市)−増毛(増毛町)間を廃止する事を決定したからです。最終運行日は12月4日ですが、その時期に北海道を訪れるのは寒さが厳しいであろうのと、時期も年末に近くなって忙しくなっているので難しいのもあり、夏に行く事にしました。

 深川駅

 16:09深川駅発。


 留萌本線は深川駅から留萌を経て終点の増毛までの総距離66.8キロ。良港としてニシン漁で栄えた留萌港への石炭や木材、留萌港で取れる豊富な海産物などの輸送のために建設された路線である。「本線」の路線名が示すように、かつて函館本線と一体になって機能していた名立たる幹線であった。
 1910年(明治43年)11月23日に深川駅~留萠(平成7年まではこの表記)駅間が、廃止となる留萌~増毛間16・7キロは、1921年(大正10年)11月5日に開業した。「本線」なのに路線距離66.8 キロは筑豊本線 (66.1 km) に次いで日本で二番目の短さである。

 現在は1日に上り7本、下り6本を運行されているが、同区間の1キロ当たりの1日平均利用者数は2014年度で約40人前後に止まっており、年間収入が700万円に対し、1億6千万円の赤字で、100円の営業収益を得るための経費は4554円に上るという日本一の赤字路線という事だ。

 深川駅で購入した紫蘇のジュース。自家用で作る人はいるけど、製品化されているものを初めて見た。
 

 廃止間近のローカル線とは思えない客の入り様、席は殆ど埋まっています。

 留萌~増毛線の廃止が報道されてから、数多くの鉄道ファンが訪れているとの事ですが、車両に乗っているのは殆どが鉄道ファンではないかと思われます。地図と時刻表を持って熱心にメモを取る人、車窓を延々と撮影している人、そして車窓にも遠方からのナンバーを着けた自動車から撮影している人(中には車の屋根に立って撮影している人も)など、普段生活している場では見慣れない姿を見掛けました。

 深川を出ると、しばらくは石狩平野北端の雄大な田園地帯を走ります。ただ、この辺りはうつらうつらとしていたので、風景はあまり覚えていない。

秩父別(ちっぷべつ)駅


 石狩沼田駅を過ぎると前方から山が迫ってきます。上り勾配を延々と上り、列車は短いトンネルを潜ると留萌市に入ります。

 大和田駅。JR北海道特有の客車の駅舎

 留萌駅では地元の人が降りたのか多少席に余裕が出来ましたが、ある意味、地元の人は居ないのではないか?これがこの先の廃線の明暗を分けたのだとも思いました。

 留萌駅を過ぎると日本海に沿って走る。車内の人は皆、黙って海を眺めている。ここに居る殆どの人が二度と乗ることの出来ない区間だという思いを秘めているのだろうか。



 留萌~増毛間の途中の7つの駅はいずれも1日平均の乗車人員は10人から30人ほど。どこも人が5人位しか入れないようなプレハブか客車を再利用した小さな無人駅で、瀬越(せごし) - 礼受(れうけ) - 阿分(あふん) - 信砂(のぶしゃ) - 舎熊(しゃぐま) - 朱文別(しゅもんべつ) - 箸別(はしべつ)と特徴的な駅名が続きます。

礼受駅


阿分駅



点々と人家があり、その人家の向こうに道路、そして海。この小さな集落に住む人々の祖先はどんなルーツがあってここに住まいと生業を構えたのだろうかという想いを巡らせます。



信砂駅




続く…
  


Posted by かるの at 08:00Comments(0)店主

2016年09月25日

9月24日ほとり講演 「氏綱氏康 その志、獅子の如く」について参考文献

9月24日、三島市のカフェ&スペースほとりにて「氏綱氏康 その志、獅子の如く」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「戦国 北条一族/黒田基樹」

 「北条氏康と東国の戦国世界/山口博 」
 
 「関東戦国史(全)/千野原靖方」
 
 「続中世東国の支配構造/佐藤博信 」

 「戦国の魁早雲と北条一族―北条五代百年の興亡の軌跡/ 新人物往来社編」

 「戦国関東の覇権戦争/黒田基樹 」
 


ご参考にして下さい。


※次回のカフェ&スペースほとりでの講座は10月19日18時半~、「氏政氏直 その志、海の如く」と題し、小田原北条氏4代目氏政と5代目氏直、その後の北条氏についてお話しします。  


Posted by かるの at 08:25Comments(0)世間士として

2016年09月24日

本日講演 「氏綱氏康 その志、獅子の如く」 三島市 カフェ&スペースほとりにて

三島市のカフェ&スペースほとりにて、三回に亘って「北条五代の志」と題した講座を行っております。

  第二回9月24日14時からの内容は「氏綱氏康 その志、獅子の如く」です。


(武田・北条両軍が激突した三増峠の戦い)


 関東の戦国の幕を開けた早雲の跡を継いだ二代目・氏綱。早雲以来の実力のみでの勢力拡大には限界が訪れ、父の方針を全面的に組み立て直す必要に迫られる。時代は戦国の様相となり、三代目・氏康は強大な周辺勢力と競い合う事になる。
 戦国大名としての小田原北条氏が確立された氏綱・氏康親子の戦略を追って行きます。

 「小田原北条氏・室町時代後期・戦国時代・合戦・伊豆、関東地方の歴史」に関心がある方にオススメです。


 会費:1000円(先行予約者にはお菓子付)

 時間:14時から16時半予定(一時間経過で途中休憩)

 開催場所はコチラ・カフェ&スペースほとり

(三島市日の出町4−2 ☎055-975-3670)

 参加の申し込みは不要ですが、先行予約の方には北条氏にちなんだお菓子付です。
 問い合わせはオーナーメール、もしくはほとりさんへお願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 09:00Comments(0)世間士として

2016年09月21日

10月1日講演 「国境最前線 東国三英傑の三国志」 三島市 カフェうーるーにて

10月1日9時から三島市のカフェうーるーにて行います。

 内容は「国境最前線 東国三英傑の三国志」です。


(三国同盟が締結された善得寺城跡公園の三国の石を使った庭)


 戦国時代、武田・今川・北条氏が覇権を巡った静岡県東部地方。
 目まぐるしく変わる国境線を中心に、それぞれの大名は何を考えていたのか。そして、大勢力に挟まれた地侍たちはどのように生き伸びたのか?
 合従連衡の末の静岡県の戦国の結末と、後世への影響があったかを語ります。


 「室町時代後期・合戦・城・静岡県の戦国時代に関心がある方におすすめ。」

 会費:500円+ワンドリンクオーダー

 時間:9時から11時半予定

 開催場所はコチラ・カフェうーるー(三島市南本町13-30 ☎055-981-5539)

 参加の申し込み不要。
 問い合わせはオーナーメール、もしくはうーるーさんへお願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:02Comments(0)世間士として

2016年09月20日

空を見上げて 浜松まつり ⑤



再び浜松市に戻って、今度は山車の練りを見物する。

昼に駅前には山車が飾られていたが、山車が代わって凧になっていた。













「御殿屋台引き回し」の時間帯、街中では横断歩道の信号が消える。








道路のアスファルトには、幾筋も山車の車輪の跡が刻まれ、祭りが終わっても、この跡は暫く残るのだという。   


Posted by かるの at 08:12Comments(0)店主

2016年09月19日

9月18日ちゃらぽこ講演 「二つの天を抱いて 太平は夢の如く」 参考文献一覧

 9月18日に散歩かふぇ ちゃらぽこにて「二つの天を抱いて 太平は夢の如く」についてお話させて頂きました。

 参加して下さった皆様、ありがとうございました。

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 後醍醐天皇 南北朝動乱を彩った覇王/森茂暁
 足利尊氏と直義 京の夢、鎌倉の夢/峰岸純夫
 楠木正成/ 網野善彦
 花将軍 北畠顕家/横山高治
 新田義貞/峰岸純夫
  


 ご参考にして下さい。

※次回は10月16日15時から、「日本再起動 室町ルネサンス」と題し、南北朝時代以後の室町時代の経緯と、今に繋がる日本文化への影響についてお話しします
  


Posted by かるの at 08:14Comments(0)世間士として

2016年09月18日

本日講演 「二つの天を抱いて 太平は夢の如く」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

 9月18日15時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。


内容は「二つの天を抱いて 太平は夢の如く」です。


(知略と勇猛、誠実な人柄から南北朝双方から称賛された楠木正成)


 鎌倉幕府末期、幕府は社会の変化に対応できないまま、各地で倒幕の火が燃え広がり幕府は倒された。
 幕府という共通の敵を倒した後、新たな世の中を目指して、新たな形を造ろうとする者、旧来の姿に戻そうと計る者、思惑は巡り朝廷・武家とも親兄弟で相争い、何を信じて良いか判らぬまま、新たな時代が模索された南北朝時代についてお話しします。

 「室町幕府・南北朝時代・武家政権・足利尊氏・婆娑羅に関心がある方におすすめ。」
 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:15時から

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:13Comments(0)世間士として

2016年09月17日

空を見上げて 浜松まつり ④



行興寺の西方歩いて5分ほどには、暴れ天竜と恐れられた天竜川の「池田の渡し」があった。


池田の渡し歴史風景館

千年前から続いていたとされる池田の渡船の歴史、徳川家康が池田の渡船衆に与えたとされる朱印状のレプリカなどが展示されているのだが、もう閉まっていた。残念。

池田の渡しは平安時代の西行法師の日記にも出ている。
池田宿の長者が抱えていた遊女と源義朝との間に生まれたのが源頼朝の弟・範頼と、ここでも関連する。

戦国時代になると渡船を生業とするものが現れ、各々渡船場が出来て権利を巡って争っていた。
徳川家康は、天正元年(1573)9月20日の武田氏との戦いに於いて、家康の危機を池田の里人が救った。そこで家康は「天竜池田渡船の朱印状」を出し「池田の渡方」に渡船の独占権を与えた。また天正3年(1575)には
「渡船利用者は、舟が思うように動かなくても船頭等を殴ったり危害をあたえてはいけない、死刑に処す」
という禁制も出された。この渡船独占権は明治になるまで続いた。

 明治4年、新政府は渡船、架橋の許可を与える太政官布告を出した。
 この動きに対し、西岸の浅野茂平氏、鈴木謙一郎氏は私費で架橋し橋銭でまかなうという計画書を浜松県令(知事)に出し許可された。
 工事は空船を横に置き、板を並べ櫓で固定する舟橋、それに普通の板橋を組み合わせたもので、「昇龍社」が創設され、鈴木浦八、熊岡安平、村松七十郎、田中新十郎らの協力で明治16年(1883)「池田橋」が開業した。
 いづれも有料橋であったが、「暴れ天竜」の猛威でたびたび橋が壊れるなど経営は苦しく、更に明治22年、東海道線静岡~浜松が開通して更に客足が落ちた。
 それでも木橋の天竜橋、池田橋は、昭和8年6月30日の国道1号線・天竜川鉄橋が竣工するまで現役として利用され続けていた。

 写真を撮り損ねたが、池田の渡し前の常夜燈がわずかに往時を偲ばせています。

 昭和の名残か


 小間物屋というのも聞かなくなった


 この隅にあったタバコの自販機。

 造りが丁寧で、タバコが大人の嗜好品だったのを偲ばせる。


 洋品店


聳える火の見櫓


 マンホールも長藤。


 この池田の渡しを偲んで、池田渡船まつりが開催されている。

続く…。
  


Posted by かるの at 08:13Comments(0)店主

2016年09月16日

9月28日講演 「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 後編」 沼津市 高嶋酒造にて

 9月28日18時半より講演致します。

内容は「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 後編」です。


(シベリア出兵)


 ロシアは革命により世界初の社会主義国家ソビエトとなり、日本とは相入れない思想でありながら、昭和恐慌の中で新しい時代を模索する官僚によって不思議な親和性をみせる。
 大戦末期まで平穏な国境であった樺太・千島は怒涛の戦場へと巻き込まれ、8月15日を過ぎても現在に続く領土問題になる。
 ロシア内戦から現在に至るまでの日露関係史を追って行きます。


日露関係・領土問題・北方領土・尼港事件・ノモンハン事件・占守島の戦い・シベリア出兵に関心がある方におすすめ。」


 参加費:700円。

 時間:18時30分から

 開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて


 ※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)

 ※申し込みは高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:11Comments(0)世間士として

2016年09月15日

川越菓舗 道灌・埼玉県川越市

とある会合で和菓子が配られた。

 何気なしに眺めていたら、ローカルもローカルな名称と、絵柄に引き込まれた。

 まだまだ知られていない、ローカルなものがまだまだあるのではないか?
 これを見てから、和菓子屋巡りが始まったと言っていい。
 洋菓子と比べ、その土地の歴史や風土、産物と、和菓子にはローカルな情報が詰まっている。それでいて、現在の材料を使ったりと、常に革新している。

 私は街歩きをする際、和菓子屋をまず尋ねる。和菓子屋には老舗が多く、様々な歳時記に合わせた菓子を作るため、街の様子を見ている。そこには街の様々な情報が詰まっているからだ。



川越菓舗 道灌(埼玉県川越市郭町2丁目11−3)
大正10年の老舗。

「道灌最中」


「本丸御殿」



「道灌まんじゅう」



川越は甘藷が名産という事で。
「芋クリームどら焼き」

小豆あんの代わりに、甘藷のクリームを挟んだどら焼き

「甘藷納糖」


  


Posted by かるの at 08:12Comments(0)ご当地銘菓

2016年09月14日

「道の駅・静岡版」2016年秋号に寄稿しました

 静岡県と神奈川県各地の道の駅にて設置されているフリーマガジン「道の駅・静岡版」2016年秋号に寄稿した記事が掲載されました。



(クリックで寄稿した記事が読めます)


 今回は大井川鉄道・井川線の歴史と旅についてです。

 静岡県および神奈川県内各地の道の駅に設置されているので、ご自由にお持ちください。  


Posted by かるの at 08:02Comments(0)メディア寄稿

2016年09月13日

9月24日講演 「氏綱氏康 その志、獅子の如く」 三島市 カフェ&スペースほとりにて

三島市のカフェ&スペースほとりにて、三回に亘って「北条五代の志」と題した講座を行っております。

  第二回9月24日14時からの内容は「氏綱氏康 その志、獅子の如く」です。


(戦国大名としての北条氏の基盤を確立させた二代目・氏綱)


 関東の戦国の幕を開けた早雲の跡を継いだ二代目・氏綱。早雲以来の実力のみでの勢力拡大には限界が訪れ、父の方針を全面的に組み立て直す必要に迫られる。時代は戦国の様相となり、三代目・氏康は強大な周辺勢力と競い合う事になる。
 戦国大名としての小田原北条氏が確立された氏綱・氏康親子の戦略を追って行きます。

 「小田原北条氏・室町時代後期・戦国時代・合戦・伊豆、関東地方の歴史」に関心がある方にオススメです。


 会費:1000円(先行予約者にはお菓子付)

 時間:14時から16時半予定(一時間経過で途中休憩)

 開催場所はコチラ・カフェ&スペースほとり

(三島市日の出町4−2 ☎055-975-3670)

 参加の申し込みは不要ですが、先行予約の方には北条氏にちなんだお菓子付です。
 問い合わせはオーナーメール、もしくはほとりさんへお願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)世間士として

2016年09月12日

空を見上げて 浜松まつり ③

先回の続き…

浜松まつりの会場から、一旦駅前へ戻る。


浜松駅近くの空間には夜に練りが行なわれる山車が。


浜松まつりと一緒に見たかった、磐田市の「熊野(ゆや)長藤まつり」に行きたかったので、豊田町へ移動。

豊田町駅前


駅前にも熊野長藤まつりアピール


その隣には熊野御前の像

 熊野御前とは、平安時代末期に、天竜川を渡る宿駅である池田の宿の庄司、藤原重徳の娘として生まれ育った。
 教養豊かな美しい女性で、和歌の道にも通じ、親孝行であったことから人々に 「女性の手本」 と称えられていたと言う。見付の遠江国府に赴任していた平宗盛に見初められた熊野は都へと上った。
 宗盛の元にいた熊野の元に母の病の報せが届き、母の元に帰りたいという熊野の願いを宗盛は熊野を愛するが故に放しがたく、聞き入れなかった。
 春、桜見物の酒宴が始まり、熊野は涙をおさえながら舞を披露します。舞の途中、
にわかの村雨に散る桜の花に母の命を重ね合せ、花びらを扇ですくって硯にあけ、
 「いかにせん、都の春も惜しけれど、なれしあずまの花やちるらん」
(都も離れがたいが、故郷で命を散らそうとしている母が心配です)
と詠み、心打たれた宗盛は熊野を放す決心する。
 母娘は再会を喜んだが、母の命は長くなかった。そして、平家滅亡と宗盛の死を聞いた熊野は、尼となって33歳の若さで生涯を閉じた。
 この平宗盛と侍従の逸話を題材にして脚色されたのが謡曲『熊野』である。
 熊野が母の冥福を祈るために建立した庵の跡の行興寺の庭には、熊野が母のために植えた藤の花が、毎年長い花房をつけている。

 この行興寺へ向かう。この時期は駅から行興寺近くまでシャトルバスが出ている。

 行興寺に着いたが・・・

 藤の花は完全に終了であった・・・。



国指定天然記念物の老木があり、他に5本の県指定天然記念物の長藤があり、熊野公園および行興寺境内を合わせた藤棚面積約1,600平方メートルを誇る藤の名所である。

本堂の傍には熊野と母、侍女朝顔の五輪塔が祀られている。

 この熊野の話には後日譚がある。
 平家滅亡の後、平重衡が鎌倉に護送される途次、池田宿の熊野の娘侍従の元に一夜の宿をとる。
 侍従は重衡を見ると、一首の歌を詠み重衡に渡した。
「旅の空 埴生の小屋の いぶせさに ふるさといかに 恋しかるらん」

 これに対して重衡は、
「ふるさとも 恋しくもなし 旅の空 都もついの すみかならねば」
 と返した。
 重衡は彼女の歌に感心して、護送役の梶原景時に尋ねると、景時は、重衡の兄である宗盛が遠江守だった時に
見そめて都に召した熊野という女性であると答えた。

続く…。

  


Posted by かるの at 08:13Comments(0)店主

2016年09月10日

9月18日講演 「二つの天を抱いて 太平は夢の如く」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

 9月18日15時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。


内容は「二つの天を抱いて 太平は夢の如く」です。


(討幕運動の中心にあった後醍醐天皇)


 鎌倉幕府末期、幕府は社会の変化に対応できないまま、各地で倒幕の火が燃え広がり幕府は倒された。
 幕府という共通の敵を倒した後、新たな世の中を目指して、新たな形を造ろうとする者、旧来の姿に戻そうと計る者、思惑は巡り朝廷・武家とも親兄弟で相争い、何を信じて良いか判らぬまま、新たな時代が模索された南北朝時代についてお話しします。

 「室町幕府・南北朝時代・武家政権・足利尊氏・婆娑羅に関心がある方におすすめ。」
 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:15時から

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)世間士として

2016年09月09日

空を見上げて 浜松まつり ②




空を舞う凧を無心で眺めていると、自身も空を飛んでいるようなフワフワした気分になってくる。これはくせになるかもしれない。

近頃、空を見上げること自体少ないですしね。


カメラだと中々撮れない…


かなり間近での凧墜落。ホントに当たるかと思った…。

凧の直撃も怖いが跳ね回った糸が飛んで来るのも怖い。

風が強くなって来て、砂丘は砂が飛び回るので凧揚げ会場へ移動する。歩いて15分ほど。


のんびりした砂丘と違って、凄い人出と歓声とラッパで賑やかである。




地区の法被着用でないと参加できないとあったが、法被に関わる製造や販売業者はまつりに掛ける熱意は凄いだろうな。


会場でも凧が間近に墜落してくる事があった。事故が起きたら即中止にとは思わないけど、観覧する空間や立ち入り制限など改善する必要があると思う。それはこの文化を絶やさない為にも。

コギャルは余り居ませんでしたが、バカウケでした。此処に凧が直撃する位に。


ここから浜松駅方面へ戻る。
続く…
  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)店主

2016年09月08日

9月6日Lot.n講演 「自由は死せず 言論と行動と」 参考文献

 9月6日に沼津市のLot.nにて「自由は死せず 言論と行動と」についてお話させて頂きました。

 参加して下さった皆様、ありがとうございました。

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 自由民権運動の系譜 近代日本の言論の力/稲田雅洋
 明治の文化/色川大吉
 近代日本精神史/坂本多加雄
 ナショナリズムと自由民権/田村安興
 明治国家の政策と思想/犬塚孝明

 内閣府ホームページ
  


 ご参考にして下さい。

※次回は10月4日18時半~「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 中編」と題し、明治時代における重要な対外関係としてのロシアと日本の関係についてお話しします。対馬占拠事件・樺太千島交換条約・大津事件・日露戦争など。  


Posted by かるの at 09:13Comments(0)世間士として

2016年09月06日

本日講演 「自由は死せず 言論と行動と」 沼津市 Lot.nにて 

 本日18時半から沼津市のLot.nにて行います。

  内容は「自由は死せず 言論と行動と」です。


(桂内閣打倒と称して群衆が議事堂を占拠した大正政変)


 明治維新を経て急速に近代国家へと突き進む日本であったが、新たな社会の歪みを生み出した。近代化から取り残された人々は、政治的な自由を求めて言論による戦いを繰り広げる。
 国の在り方を政治家のみならず、在野の人々も考えていた自由民権運動から大日本帝国憲法制定と議会開設などの明治期の政治思想を追って行きます。

 「自由民権運動・憲法論・国策・議会政治・近代史」に関心がある方にオススメです。

 会費:1000円

 時間:18時半から

 開催場所はコチラ・沼津市上土町10 (それまでの店舗の道向かいです

)  

 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。

 参加は自由です。Lot.nさんへ直接来場ください。
 変更や中止の問い合わせ、申し込みはオーナーメール、もしくはLot.nさんへお問い合わせください
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として