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かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
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2014年07月31日

30日「果ての島の物語 玉置半右衛門と欲望の渡り島たち」について参考文献

昨日、沼津市の高嶋酒造にて「果ての島の物語 玉置半右衛門と欲望の渡り島たち」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「アホウドリと「帝国」日本の拡大/平岡 昭利」

 「地図から消えた島々: 幻の日本領と南洋探検家たち/長谷川 亮一」

 「アホウドリの保護/長谷川博 」
 
 「北大東村ホームページ/」

 

 
 ご参考にしてください。

※次回の高嶋酒造での講座は8月27日18時半から「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」と題し、幕末の動乱期を経済的な面や、諸外国の武器商人の動向についてお話しします。  


Posted by かるの at 08:02Comments(0)世間士として

2014年07月30日

本日講演 「果ての島の物語 玉置半右衛門と欲望の渡り鳥たち」 沼津市 高嶋酒造にて

 本日18時半より講演致します。
  内容は
果ての島の物語 玉置半右衛門と欲望の渡り鳥たち」
です。


(大東島の開拓記念碑)


 外国人の冒険商人たちに触発された玉置半右衛門は、絶海の孤島・鳥島に分け入り群れ飛ぶアホウドリを捕まえ巨万の富を得る事に成功する。彼に触発された山師めいた商人たちは、無人島を見つけては事業を展開して行く。
 日本の版図が拡がりゆく時代、玉置商会という会社を通じて、開拓の負の一面を語ります。


 「明治時代・無人島開拓・伊豆諸島、琉球地域・プランテーション・アホウドリ」に関心がある方にオススメ。

 参加費:700円。


 時間:18時30分から

 開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて


 ※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)

 ※申し込みは高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2014年07月29日

車旅、ふたたび ⑭翡翠の元へ



 道の駅親不知ピアパークにて

 この亀の像は一万年生きているという状態を想像して作られたとか。


 道の駅内の施設・翡翠ふるさと館の中の世界最大のヒスイ輝石岩

 重量は102トン。元は青海川の橋立翡翠峡に在ったが、盗難の恐れからここに移設された。天然記念物に指定されている。

 この他にも、世界各地の翡翠文化についてや、神話の中のヌナカワヒメについての解説がある。
 
 9:30 道の駅親不知ピアパークを発つ
 と、言う事でこの原石があった橋立ヒスイ峡に行ってみる。

 青海には電気化学工業の鉱山が。


 10分くらい上流部に遡っただけで、奥深い渓谷部に。

 所々にクマ出没注意の標識が。

 10:00 橋立翡翠峡

 パッと見では翡翠の原石がどれかは分からない。これも目利きの技術が必要なのであろう。

 これが翡翠原石?

 持ち帰りは禁止されているという事で、放しました。

 10:30 橋立翡翠峡を発つ


 山深い所から、一気に鉱山と工場が現れるのが興味深い。

 11:05 寺地遺跡

 国指定史跡。縄文時代の中期から晩期の遺跡で、ヒスイの玉造をしたとされる「硬玉工房跡」がある。
 ここも先程の翡翠ふるさと館で知った遺跡である。


 硬玉製玉類や蛇紋岩製石斧の生産を実施した工房である竪穴住居7基が検出されている。

 この水飲み場は、遺跡内で出土した土器を復元したものを模したもの。

 発掘があった時もこの場から水がしみ出していたという。

 日本海沿岸の祭祀の形態がうかがえる配石遺構や巨大な木柱がここでも検出されている。


続く…。

  


Posted by かるの at 08:18Comments(0)店主

2014年07月28日

8月16日講演 「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 後編」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

  8月16日15時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。

内容は「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 後編」です。


(シベリア出兵)


 ロシアは革命により世界初の社会主義国家ソビエトとなり、日本とは相入れない思想でありながら、昭和恐慌の中で新しい時代を模索する官僚によって不思議な親和性をみせる。
 大戦末期まで平穏な国境であった樺太・千島は怒涛の戦場へと巻き込まれ、8月15日を過ぎても現在に続く領土問題になる。
 ロシア内戦から現在に至るまでの日露関係史を追って行きます。


日露関係・領土問題・北方領土・尼港事件・ノモンハン事件・占守島の戦い・シベリア出兵に関心がある方におすすめ。」

 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:15時から

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)世間士として

2014年07月27日

車旅、ふたたび ⑬親不知を抜けて

先回の続き…。

滑川から魚津に入る。

6:30 魚津駅

この駅のすぐ脇に湧水があり、その水を汲む。

「魚津の水は、日本一うまい!」と賞賛した、国文学者の故池田弥三郎教授の発案で、魚津市が市制30周年を記念して設置した水場である。

立山を望む





7:30 脇子八幡宮

この神社も知らなかったが、大きな看板が出ていたので立ち寄ってみる。

大宝二年(702)、高向朝臣大足(たかむくのあそんおおたり)が当国へ下向し、越中・越後の国境鎮護の神として鎮祭した古社。


源義仲が平家追討の祈願を行い、この宮には義仲が寄進したとされる太刀が、米正作の扇額4面・鏡1面とともに保管されている。その為か、社紋は笹竜胆である。

弁慶の足跡

源頼朝の追手から逃れていた義経一行の中の弁慶が、黒部山を一またぎにしてこの石を踏みつけた跡であるそうだ。


朱印を頂くと、遠くからお詣りで、という事で色々と話しつつ、お茶を頂いた。

8:05 脇子八幡宮を発つ。


脇子八幡宮が越中・越後の境と云う事で設けられた神社という事で、現在も県境である。新潟県に入る。


親不知を抜ける。

洞門を抜けるとポケットパークがあったので停車。

親不知海岸を望む。


8:30 道の駅 親不知ピアパーク

ここには翡翠についての展示があり、會館が9時という事なのでしばし待つことにする。

続く…。
  


Posted by かるの at 08:18Comments(0)店主

2014年07月26日

8月14日講演 「大洋を越える運命 音吉・ラナルド・栄之助」 三島 cucurucuにて

 8月14日19時より三島市のcucurucuにて講演致します。

  内容は「大洋を越える運命 音吉・ラナルド・栄之助」です。


(漂流後、通訳として来日した時の音吉)

 漂流して北米大陸に漂着した音吉。彼は日本に帰国する事が出来なかったが、上海に住む国際人として多くの日本人漂流者の帰国に尽力した。
 音吉と出会い、日本への好奇心を持ったアメリカ人・ラナルド=マクドナルドは日本へ密航して日本人に英語を伝え、アメリカへ日本を伝えた。
 マクドナルドに英語を学んだ森山栄之助は、諸外国との交渉時に日本の国益を守るためにその英語力を発揮する。
 日本の開国に少なからず関わる事になる三人の交錯する運命についてお話しします。

 「江戸時代末期・漂流事件・北アメリカ史・英語教育史」に関心がある方にオススメ。

 参加費:1000円(ワンドリンク付き)

 時間:19時から

 ※駐車場がありません。公共交通機関(JR三島駅徒歩5分)か近隣の駐車場をお使い下さい。

 開催場所はコチラ・cucurucu'


申し込みはオーナーメール、もしくはcucurucu'さんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)世間士として

2014年07月25日

車旅、ふたたび ⑫滑川にて



4:25 起床

4:45 スタート


曇りながら立山が見える。


5:06 滑川駅


滑川宿場回廊

走っていたらたまたま迷い込んだ所であったが、宿場の雰囲気があったのでじっくり走ってみる。
見掛けた案内板にはこうある。

桐沢本陣と大町
 大町は、滑川発祥の町で、文治2年(1186年)京都八坂神社の荘園である堀江荘にあった「滑河村」は、ここに成立した村落であったと考えられる。南北朝時代には「高月滑川の要害」と見え、また、「滑川城主府久呂兼久」という記録もあり、海辺に城が築かれていた戦国時代には狭町(現瀬羽町)も成立し、町並みもできていた。
 慶長20年(1615年)、加賀藩によって北国街道(北陸道)の宿場町として再編され、大町には御旅屋や問屋場が設置された。由緒町人の住む所で、また町の運営の中心地であった。
 御旅屋守は綿屋九郎兵衛(桐沢氏)で、加賀藩主の参勤交代などに際し、お宿をつとめた。






横尾忠則的なY字路


中町会館

趣ある建物だが、特に解説が無い。色々と検索もしてみたが情報は得られなかった。

加積(かづみ)雪嶋(ゆきしま)神社



神社は海のすぐ側にあるのだが、この防波堤で海は見えず、狭い道路もあって圧迫感が強い。
それを和らげるためか、この神社の祭礼が描かれている。

境内の東側にある石碑。

案内板によると、「立山・大岩道しるべ」と呼ばれるもので北陸道から分岐して立山へ向かう修験者への道案内らしい。滑川市の文化財になっているとの事。
5:30 宿場回廊を発つ。

5:55 吉野家にて食事 6:27再スタート

続く…。
  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主

2014年07月24日

8月10日講演 「天駆ける山伏たち 山と里を結ぶ道」 沼津市 teshioにて

 8月10日14時より沼津市のカフェteshioにて講演致します。
 
 内容は「天駆ける山伏たち 山と里を結ぶ道」です。



(修験道の開祖・役小角像)


 山伏と言われた山岳修験者たち。歴史の表舞台に現れる事は少ないが、明治時代までの庶民たちに与えた影響は少なくない。
 余り馴染みが無い修験道の実態と、民衆に与えた文化的な影響についてお話します。

 「山岳信仰・神仏習合・庶民文化・民間信仰・修験道・山伏」に関心がある方にオススメ。


 会費:500円
 ※飲食店ですので1人1オーダーのご協力をお願い致します。

 時間:14時から(前回までと時間が異なります)

※お車でお越しの方は2人以上の相乗りで文化センターの駐車場をご利用頂くと、1時間無料になります。

 開催場所はコチラ・沼津市民文化センター内のカフェ・teshioにて


申し込みはオーナーメール、もしくは「info★cafe-teshio.com」(★を@に変更してメールを)で直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2014年07月23日

車旅、ふたたび ⑪宝達山を越えて



なぎさ浜から宝達山へ。

13:35 モーゼパーク



10年近く前にも来た事があるのだが、町によって整備されている。

この記帳所は昔から変わっていない。


モーゼが眠っているという塚。


宝達志水町のHPによると、
「モーゼは40年の歳月をかけ、ユダヤの民衆をイスラエルの地へ導いた後、シナイ山に登った。そこからモーゼは天浮船に乗り、能登宝達山に辿り着いたという。その後、583歳までの超人的な余生を宝達山で過ごし、三ッ子塚に埋葬された。
 モーゼパークは、そんな聖者モーゼが眠る伝説の森。ロマンの小路をぬけ、モーゼの墓を見渡すミステリーヤードにたたずめば、幾千年からの時空を超えた世界が見えてくるかもしれない」

との事。


何故にモーゼとはとなるが、青森のキリストの墓に並ぶ珍スポットと言えよう。
14:05 モーゼパークを発つ。
そのまま、宝達山を登って行く。

14:25 宝達山山頂

この先は富山県の景色。

手速比咩神社 上社

祭神は手速比咩命。またの名を沼河姫命と、出雲の大巳貴命の妻神である。
元明天皇の養老年間、白山を開山した泰澄大師の開基と伝えられ、一説には和銅年間開山とも伝えられる。

15:00 宝達山山頂を発つ



15:45 ガス欠にて停車。ロードサービスを頼む。16:50 再スタート。
17:00 給油

うっすらとだが立山連峰が。


富山城の御堀端にて。


やや雨が降り出したため、近くにあった食事処・糸庄にて食事。「名物」と書かれていたもつうどんを食す。鍋焼きで美味い。客の大半がもつうどんを頼んでいた。

19:40 富山市某所にて終了。 272キロ走行。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2014年07月22日

8月5日講演 「海賊たち 境界を越える人々」 沼津市 Lot.nにて 

8月5日18時半から沼津市のLot.nにて行います。


 内容は「海賊たち 境界を越える人々」です。


(モンゴル軍に斬り込む海賊・松浦党)


 洋の東西を問わず、様々な題材に取り上げられる海賊。
 見方によっては犯罪集団と思われがちであるが、歴史の転換点には海賊集団の活躍がある。
 今回は日本各地、東アジアの海賊の歴史と活躍を辿って行きます。

 「海洋文化・海上交易・気候変動・大航海時代に関心がある方におすすめ。」

 会費:1000円(ドリンク付き)

 時間:18時半から

 開催場所はコチラ・沼津市上土町60 岡田ビル1F(元Floyd沼津店 店舗)





 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。

 申し込みはオーナーメール、もしくはLot.nさんへ直接お願いします。
 携帯電話055-919-1060

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)世間士として

2014年07月21日

車旅、ふたたび ⑩羽咋へ



10:55 七尾城跡を発つ。

天気は急速に回復、青空になり気温も急上昇である。

11:20 天日陰比咩神社

この神社は知らず、来る予定も無かったが所々で案内標識を見たので立ち寄った。

延喜式内社で、創建は崇神天皇の頃という古社であった。
通称は「二宮神社」、周辺は二宮地区である。


鎮座石

案内板が読めないので由来が分からず・・・。

龍髭(りゅうしゅ)楓

樹齢600年余りの立派な楓の大木。竜の形をしていることから「龍髭楓」と言われている。

思わぬ立ち寄りであったが、居心地が良かったので30分ほど滞在。

11:52 天日陰比咩神社を発つ

12:00 みうらや

この旅では初めて和菓子屋を見掛けたので、ここで色々と購入。お茶も頂いてリラックスできた。
12:10 再スタート

12:30 気多大社

気多大社は能登国一宮。祭神はオオナムチ。古代出雲の影響力を考えると非常に重要な神社である。


気多神社は主に日本海側にあるが、沼津市内浦にあるのが珍しいので気になる。

気多大社の本殿裏は「入らずの森」と呼ばれる原生林。

この森に入ると出られない、UFOがここから飛来している、という噂話もあるそうだが、神主は入るようだし昭和天皇も植物学の調査として入った事がある。

この神社も10年ぶり位に訪れたが、前に来た時は比べ物にならない位に縁結び推しが強かった。

12:55 気多大社を発つ

13:20 千里浜なぎさドライブウェイ

キメの細かい砂により、走行が可能な砂浜。ここは一度来てみたかった。





天気も良く、海も美しい。

続く…。


  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2014年07月20日

7月19日ちゃらぽこ講演 「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 中編」参考文献

 7月19日、散歩かふぇ ちゃらぽこにて「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 中編」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 
 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「大津事件・ロシア皇太子大津遭難/尾佐竹猛・三谷太一郎」

 「日露領土紛争の根源/長瀬隆」
 
 「北洋の開拓者・郡司成忠大尉の挑戦/豊田穣」
 
 「日露戦争海戦写真史/平塚柾緒」

 



 ご参考にして下さい。

※次回のちゃらぽこでの講座は8月16日15時~「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 後編」をお送りします。  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)世間士として

2014年07月19日

本日講演 「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 中編」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

  本日15時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。

 内容は「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 中編」です。


日本海海戦に望む東郷提督


 明治維新を経て近代化した日本と、凍らない港を求めて南下するロシア帝国の利害はやがて衝突し、戦火を交える事になる。
 千島・樺太の国境の狭間に生きる日本人と、革命の嵐に翻弄されたロシア人の運命は大きな渦に巻き込まれていく事になる。
 明治時代からロシア革命に至るまでの日露関係史を追って行きます。


 「ロシア・千島列島開拓・樺太・ロシア革命・大津事件・日露戦争・ポーツマス条約」に関心がある方にオススメです。


 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:15時から

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:05Comments(0)世間士として

2014年07月18日

8月3日講演 「鳥島漂流 沖の太夫たち」 静岡市くればにて

 8月3日14時より静岡市のシニアライフ支援センター「くれば」にて講演致します。

 内容は「鳥島漂流 沖の太夫たち」です。



(鳥島空撮)



 江戸時代中期、藩の米を積み遠州新居の港を出航した勇ましい大鹿丸。
 彼らは予定通りの航海を経て帰港する途中、大風に吹かれ消息を絶った。
 50余日間の漂流の末、彼らが見たのは荒々しい火を噴く山と無数の巨鳥が飛び交う島だった。
 世界海難史上、最も長い20年に亘る過酷な原始生活を彼らはどう生き延び、どうやって島を脱出したのだろうか


 「鳥島・漂流・海運・新居宿・アホウドリ・江戸時代に関心がある方におすすめです。」

 会費:500円(+ワンオーダーをお願いします)。


 開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル1F シニアライフ支援センター「くれば」
 


 申し込みはコチラから。054(252)8018
 もしくはオーナーメールで直接お願いします。


 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)世間士として

2014年07月17日

車旅、ふたたび ⑨七尾城へ



7:55 雨が止み始めたので再スタート。
輪島市から県道1号線にて穴水町へ抜けて、国道249号線で内浦沿いに走る。



8:28 室木家住宅跡

 江戸から明治にかけての豪農、室木家の屋敷で当時の豪農の生活を知る貴重な遺産。明治にかけて廻船業、酒造業を営み財を成し、明治12年から10年かがりで造られた豪壮な合掌組入母屋造りの屋敷。




再び曇りが・・・


七尾市街地に


七尾駅前


9:20 七尾城跡
やや雨が強くなって来たので、城跡を散策する。


 七尾城跡は七尾湾が一望できる、石動山系の北端の標高300mほどの尾根上(通称「城山」)にあり、その尾根から枝分かれする行く筋もの大小の尾根にも無数の砦を配置した大規模な山城。
 「七尾」という名は「七つの尾根」(松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾)から由来されるという。



 室町幕府三管領の一家である畠山氏の七尾畠山氏の初代当主で能登国守護の畠山満慶が正長年間(1428年~1429年)頃にこの地に築いたと思われる。以後約150年間にわたって領国支配の本拠となり、次第に拡張、増強され、五代当主である畠山慶致の頃には守護所も府中(七尾城山の麓)から七尾城へと移されたという。
 その後、畠山義続・畠山義綱の頃に能登では戦乱が続いたために増築され、最大の縄張りとなったと言われる。山麓に城下町「千門万戸」が一里余りも連なり、山頂にそびえる七尾城の威容は「天宮」とまで称されたと記録に残っている。日本五大山城の一つに数えられるほど強固な城であった。



 1577年(天正5年)に能登国に侵攻した上杉謙信に包囲されるが、一年に亘って持ちこたえた。
 しかし重臣同士の対立の末に擁立されていた若年の当主畠山春王丸が長続連、遊佐続光、温井景隆らの対立を収めることができず、結果七尾城は孤立し最終的には遊佐続光の内応によって徹底抗戦を主張した長氏一族が殺害され、同年9月13日に開城された(七尾城の戦い)。この際、上杉謙信が詠んだ漢詩「九月十三夜陣中作」は非常に有名である。





次第に天候が回復してきた


続く…


  


Posted by かるの at 08:02Comments(0)店主

2014年07月16日

7月30日講演 「果ての島の物語 玉置半右衛門と欲望の渡り鳥たち」 沼津市 高嶋酒造にて

 7月30日18時半より講演致します。
  内容は
果ての島の物語 玉置半右衛門と欲望の渡り鳥たち」
です。



(鳥島空撮)



 外国人の冒険商人たちに触発された玉置半右衛門は、絶海の孤島・鳥島に分け入り群れ飛ぶアホウドリを捕まえ巨万の富を得る事に成功する。彼に触発された山師めいた商人たちは、無人島を見つけては事業を展開して行く。
 日本の版図が拡がりゆく時代、玉置商会という会社を通じて、開拓の負の一面を語ります。


 「明治時代・無人島開拓・伊豆諸島、琉球地域・プランテーション・アホウドリ」に関心がある方にオススメ。

 参加費:700円。

 時間:18時30分から

 開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて


 ※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)

 ※申し込みは高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)世間士として

2014年07月15日

正栄堂・神奈川県小田原市

とある会合で和菓子が配られた。

 何気なしに眺めていたら、ローカルもローカルな名称と、絵柄に引き込まれた。

 まだまだ知られていない、ローカルなものがまだまだあるのではないか?
 これを見てから、和菓子屋巡りが始まったと言っていい。
 洋菓子と比べ、その土地の歴史や風土、産物と、和菓子にはローカルな情報が詰まっている。それでいて、現在の材料を使ったりと、常に革新している。

 私は街歩きをする際、和菓子屋をまず尋ねる。和菓子屋には老舗が多く、様々な歳時記に合わせた菓子を作るため、街の様子を見ている。そこには街の様々な情報が詰まっているからだ。



 正栄堂


北条氏が五代に亘って公文書に使用した『虎の印判』を表した最中。印面には禄寿応穏の四字を配し、上部には虎が座った姿を記した、北条早雲の志が伺える印判。


小田原の伝統文化、小田原囃子は神社やお祭りに太鼓や上で奏でられる祭り囃子。


北条早雲が小田原城を奪取しようと出陣の時、用意した栗の実を半分食べ残し、鎧の中にしまって攻城。以来この勝ち栗は錦の袋に収め北条家守護の品として代々に伝えられたといわれる。


ケーキのモンブランをクリームを使わずに栗そぼろや味を和菓子で再現。


歴史を秘めた白梅がお濠の水に白い影を映し、銅門・常盤木門・天守閣へと続く散策路一帯は優雅な香りに包まれる様を表現。


小田原が生んだ偉人・二宮尊徳の遺徳を偲び創製。菓銘は翁の唱えた「天地人三才の徳」によるもの。


小田原に古くから伝わる伝統銘菓『甘露梅』。二代目伊東梅太郎の名を附す。


旧東海道筋には松並木の姿を今に残す老松から。
  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)ご当地銘菓

2014年07月14日

7月13日くれば講演 「巨大国策 捕鯨産業」 参考文献

7月13日、静岡市のくればにて「巨大国策 捕鯨産業」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 
 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「捕鯨Ⅰ・Ⅱ/山下渉登 」

 「南氷洋の捕鯨/山田致知」

 「鯨取り絵物語/中園成生 安永浩」
 
 「クジラは誰のものか/秋道智彌」

 「よくわかるクジラ論争/小松正之」
 

 
 ご参考にしてください。


※次回のくればでの講座は8月3日14時から、「鳥島漂流 沖の太夫たち」と題し、 江戸中期、冬の嵐に巻き込まれ、草木も生えぬ絶海の火山島・鳥島に漂着した遠州と伊豆の船乗りたちの、脱出に至るまでの苦闘や他に漂着した人々の様子、遭難事件の背景を語ります。
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2014年07月13日

本日講演 「巨大国策 捕鯨産業」 静岡市くればにて

 本日14時より静岡市のシニアライフ支援センター「くれば」にて講演致します。

  内容は「巨大国策 捕鯨産業 」です。


(鯨から採取された油の樽が並ぶ港)


 対立する捕鯨に関しての考え方。欧米各国が捕鯨を推進していた時代、鯨を巡って繰り広げられた欧米各国の思惑が世界史にも影響を与えた背景と、日本の古式捕鯨とは異なる視点についてお話しします。

 「捕鯨問題・環境問題・産業史・国際政治・世界史」に関心がある方にオススメ。

 会費:500円(+ワンオーダーをお願いします)。


 開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル1F シニアライフ支援センター「くれば」
 


 申し込みはコチラから。054(252)8018
 もしくはオーナーメールで直接お願いします。


 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)世間士として

2014年07月12日

車旅、ふたたび ⑧奥能登にて



4:25起床

「道の駅・すずなり」はかつて、のと鉄道能登線の珠洲駅だった所で、現在はバスターミナルになっているが、かつての駅のホームが残っている。


4:45スタート


5:05須須神社

須須神社は日本海側一帯の守護神とされる由緒ある神社。

神社の社叢は豊かな植生から国指定の天然記念物に指定されている。




須須神社の宝物殿には、国指定重要文化財の木造男神像や、数々の古文書、義経ゆかりの品々が収蔵されている。
中でも「蝉折の笛」は義経が海難を救われたお礼として奉納した宝物の一つである。



5:25再スタート






5:55 道の駅・すず塩田村

昔ながらの揚げ浜式の塩づくりを体験することができる。



展望台から撮影。次第に雲が多くなってきた。

6:30再スタート

6:38 曽々木海岸の窓岩


6:43 上時国家住宅

源平合戦で敗れた平家一門のうち、「平家にあらずんば人にあらず」と奢った言葉を述べた事で知られる平時忠が能登に流されることになり、その後時国家の祖、平時国が生まれたとされる。
時国は時国を姓として時国家を興し、この地を支配する豪農として長きにわたり繁栄した。
時国家の豪壮な邸宅は国指定重要文化財に指定されている。

7:00 千枚田

しかしここで雨が強くなり、雨宿り場所を求め、閉鎖されたドライブインの軒先にて一旦中断。

続く…。


  


Posted by かるの at 08:32Comments(0)店主