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2014年07月17日
車旅、ふたたび ⑨七尾城へ
7:55 雨が止み始めたので再スタート。
輪島市から県道1号線にて穴水町へ抜けて、国道249号線で内浦沿いに走る。


8:28 室木家住宅跡

江戸から明治にかけての豪農、室木家の屋敷で当時の豪農の生活を知る貴重な遺産。明治にかけて廻船業、酒造業を営み財を成し、明治12年から10年かがりで造られた豪壮な合掌組入母屋造りの屋敷。


再び曇りが・・・

七尾市街地に

七尾駅前

9:20 七尾城跡
やや雨が強くなって来たので、城跡を散策する。

七尾城跡は七尾湾が一望できる、石動山系の北端の標高300mほどの尾根上(通称「城山」)にあり、その尾根から枝分かれする行く筋もの大小の尾根にも無数の砦を配置した大規模な山城。
「七尾」という名は「七つの尾根」(松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾)から由来されるという。

室町幕府三管領の一家である畠山氏の七尾畠山氏の初代当主で能登国守護の畠山満慶が正長年間(1428年~1429年)頃にこの地に築いたと思われる。以後約150年間にわたって領国支配の本拠となり、次第に拡張、増強され、五代当主である畠山慶致の頃には守護所も府中(七尾城山の麓)から七尾城へと移されたという。
その後、畠山義続・畠山義綱の頃に能登では戦乱が続いたために増築され、最大の縄張りとなったと言われる。山麓に城下町「千門万戸」が一里余りも連なり、山頂にそびえる七尾城の威容は「天宮」とまで称されたと記録に残っている。日本五大山城の一つに数えられるほど強固な城であった。

1577年(天正5年)に能登国に侵攻した上杉謙信に包囲されるが、一年に亘って持ちこたえた。
しかし重臣同士の対立の末に擁立されていた若年の当主畠山春王丸が長続連、遊佐続光、温井景隆らの対立を収めることができず、結果七尾城は孤立し最終的には遊佐続光の内応によって徹底抗戦を主張した長氏一族が殺害され、同年9月13日に開城された(七尾城の戦い)。この際、上杉謙信が詠んだ漢詩「九月十三夜陣中作」は非常に有名である。


次第に天候が回復してきた

続く…
Posted by かるの at 08:02│Comments(0)
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