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かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
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2015年05月31日

本日、「この祭り、乱れ咲き」に出店します

 本日、三島市TMOホールにて行われる「この祭り、乱れ咲き」に出店します。



 三島市内外の若手商店主たちによるイベントです。
 飲食ブースには飲食店14店が参加。いつもとは一味違った特別メニューを用意も!

 私も出店する物販ブースでは既存の店舗以外にも、私の様に実店舗が無い人による試験的な出店者もあります。
 本日に合わせて、三島にちなんだデザイン「SOUN'S Dream」(早雲の夢)を作成しました。
 これは、戦国時代の小田原北条氏の祖・伊勢盛時(後の北条早雲)が、三嶋大社にて「関東の覇権を獲りたい」と祈願すると、夢の中で
 「大きな野原に二本の大きな杉の木が立っていた。そこに一匹のネズミが現れ、その大杉の根を齧り続けると、やがて二本の杉は倒れ、ネズミは虎に変わり、野原を駆け抜けた。」
という夢を見た。これは杉(上杉家)が倒れてネズミ(早雲)が虎(関東の支配者)になるという縁起が良いものとされ、早雲はその夢にちなんで、北条氏の印に虎の模様をつけた虎印を用いるようになったという故事にちなんだデザインです。

 買物すると貰えるスタンプを集めてスピードくじで豪華賞品も。
 特設ステージではチアダンス、バンド演奏やなどのパフォーマンスが繰り広げられます。
 ドラマ「ごめんね青春!」のセットで記念撮影も出来ます。
 10~16時はTMOホールに集合!お待ちしています。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)Historical Transmission design

2015年05月30日

★新会場 6月6日講演「日本の神話を旅する 神代編」 三島市 カフェうーるーにて

6月6日9時半から三島市のカフェうーるーにて行います。


 内容は「日本の神話を旅する 神代編」です。


(日本神話の代表、イザナギ・イザナミとアマテラス)


 神話というと荒唐無稽な話かと思いがちですが、神話には現在にも通じる古代の人々の様々な考え方が盛りこまれています。
 今回は日本の神話の代表的な話を辿ることで、私が尋ねた神話の舞台となった地も紹介します。
 何気なく過ぎてしまう年中行事。神社の神様がどんなルーツを持っているか辿ってみましょう。

 「日本神話・文学・古代史・神社・地方史・民俗学に関心がある方におすすめです。」

 会費:500円+ワンオーダー

 時間:9時から11時半

 開催場所はコチラ・カフェうーるー(三島市南本町13-30 ☎055-981-5539)

 参加の申し込み不要。
 問い合わせはオーナーメール、もしくはうーるーさんへお願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:02Comments(0)世間士として

2015年05月29日

蚕と人の力 富岡製糸場へ ⑤製糸場周辺



富岡製糸場を後にし、製糸場の周辺を散策する。
富岡出身の知人は、「製糸場の周辺は元々工場労働者のための盛り場で、怪しげな雰囲気があった。」と述べていたのであるからだ。
「二町通り」という一帯は元々遊郭が在った所で、群馬有数の夜の街でもあった。

食堂としては珍しい角建築

工場の人達も食べたのでしょうか。やきそば、気になります。

夜の街に出る前に身支度を整えたのでしょうか。




「パチンコ」としては入り口が非常に狭い。不思議。


「アルバイトサロン」!という響き。

ちなみに、「アルバイトサロン」で画像検索をすると、この店が頭に出てくる。

所々に崩れてしまった家屋も存在する。

世界遺産登録となった事で、製糸場周辺を「浄化」しようという動きが出てきたら多分、止められないだろう。
それを考えると、製糸場が動いていた時代の物が無くなりつつあるので、今しか名残は見られないのかもしれない。

この製糸場周辺の飲食店は国道254号線が境であるように思われる。以下は254号線より北側。

急行食堂

昭和8年に宇都宮で開業した食堂の主人が、戦時中に疎開した富岡で昭和23年にこの地に開業した。
工場の人が食べに来たのは勿論、工場へも出前をしていたという。

ナゾなフグのモニュメント。蕎麦屋なのだが。


焼き鳥ガーデン


喫茶パーラー・ろまん

停まっているVWビートルも良い味です。

須藤写真館

建築の色合いがファンシー(笑)。
製糸場で働く年若い工女たちが実家に自分の写真を送っていたのではないかと思わせる。


廃業したガソリンスタンド。多分、シェル系ではなかろうか。


夕暮れの上信電鉄の線路


これで富岡を後にする。
富岡製糸場だけではなく、製糸場周辺の商店にも製糸場と共に歩んだ歴史があり、それもストーリーとして提示して見せる所に面白みを感じた。
しかし、もう既に製糸場は稼動していない事は確かで、製糸場の歴史と共に歩んだ周辺の商店も、やがて観光客向けになっていくだろう。製糸場の形は残っているが、次第に周辺の環境は変わっていくのだろう。今はその過渡期なのかもしれない。  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主

2015年05月28日

5月27日 講演 「孤島のコスモポリタン ボニンアイランドから小笠原へ」 参考文献

5月27日、沼津市の高嶋酒造にて「孤島のコスモポリタン ボニンアイランドから小笠原へ」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 
 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「小笠原学ことはじめ/ダニエル・ロング 」

 「幕末の小笠原: 欧米の捕鯨船で栄えた緑の島/田中弘之 」

 「近代日本と小笠原諸島: 移動民の島々と帝国/石原俊」
 
 「硫黄島と小笠原をめぐる日米関係/ロバート・D・エルドリッヂ」
 

 ご参考にしてください。

※次回のくればでの講座は2月15日14時からです。
  


Posted by かるの at 08:02Comments(0)世間士として

2015年05月27日

本日講演 「孤島のコスモポリタン ボニンアイランドから小笠原へ」 沼津市 高嶋酒造にて

 本日18時半より講演致します。

 内容は「孤島のコスモポリタン ボニンアイランドから小笠原へ」です。


(小笠原開拓の中心に居たセーボリー一家)


 日本の領土でありながら、日本人では無い人々によって拓かれた島・小笠原。
 無人島(むにんしま)と呼ばれ、漂流民が漂着する日本の果てであった島が、太平洋の最後のフロンティアとして欧米各国の注目を集めた。その状態で日本は領土として主張するために如何に動いたのか。
 20を超える国と地域から集まった欧米系島民たちによって育まれた小笠原諸島の歴史と文化についてお話します。
 
 「明治時代・太平洋航路・近代史・領土問題・クレオール文化」に関心がある方にオススメ。

 参加費:700円。

 時間:18時30分から

 開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて


 ※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)

 ※申し込みは高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 07:50Comments(0)世間士として

2015年05月26日

6月2日講演 「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 前編」 沼津市 Lot.nにて

 6月2日18時半から沼津市のLot.nにて行います。

 内容は「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 前編」です。


(江戸時代に北方を探検した間宮林蔵・近藤重蔵・最上徳内)


 日本の隣国としてのヨーロッパ世界・ロシア。鎖国体制下の江戸時代においても、漂流者や探検家を通じてその存在は知られていた。
 漂流者を助けるなど人道的な一面もありながら、日本人を襲う野蛮な面も覗かせる愛憎渦巻く日魯関係をロシア建国から江戸時代末期まで辿ります。

 「日露関係・ロシア・毛皮貿易・漂流民・大黒屋光太夫・蝦夷地探険・高田屋嘉兵衛・ヘダ号建造」に関心がある方にオススメです。

 会費:1000円(ドリンク付き)

 時間:18時半から

 開催場所はコチラ・沼津市上土町10 (それまでの店舗の道向かいです

)  

 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。

 申し込みはオーナーメール、もしくはLot.nさんへ直接来場ください。
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:18Comments(0)世間士として

2015年05月25日

蚕と人の力 富岡製糸場へ ④ブリュナ館



※場内の位置関係についてはコチラを参照ください。(PDF)

診療所

現在の建物は昭和15年に建てられたものだが、設立時から診療所が設置されていた。
官営時代は治療費・薬代は工場側が負担していた。

ブリュナ館

招聘した技術指導者・ポール=ブリュナの家族の為の専用住宅。320坪。技師には当時の政府大臣に相当する給与が支払われ、地下にはワイン倉庫が用意されるなど好遇であった。

後に工女の為の夜学校の校舎となり、片倉時代には片倉富岡高等学校の校舎として使用された。

奥には女工の為の寄宿舎も設置され、浅間寮と妙義寮の二棟である。
ワイン倉庫は戦時中には防空壕となっていた。

ここで来た道を戻って、東繭倉庫を抜けて西繭倉庫へ向かう。

乾燥場跡

繭を乾燥させるための施設。平成26年の大雪で倒壊してしまったため、再建が検討されている。


何の施設かは分からず



樋で集めた水が防火水槽となっている。


 東西の繭倉庫をはじめとする主要な建物は、木で柱と梁を組み、壁にレンガを積み入れて造る 「木骨レンガ造」という工法で建てられている。
 建物の設計は 横須賀製鉄所(後の造船所)の建設に携わったフランス人のオーギュスト・バスティアンが担当した。
 明治にレンガ造りが取り入れられたものの、大半の建物は地震に耐えられず現在に残る物は殆ど無いと言っていいのであるが、煉瓦という西洋の新しい材料を取り入れながら、10万個使用されている煉瓦の接着は漆喰を用い、木の柱と梁で重量を支え、屋根は伝統的な瓦で葺くなど、日本と西洋の建築技術を見事に融合して建てられる事で、地震の多い日本の風土にも対応できたのである。
 煉瓦はフランス積みと呼ばれる工法で積まれ、鉄枠のガラス窓や観音開きのドアの蝶番などはフランスから運び込まれたものであった。
 当時、煉瓦職人が殆ど居なかったため、建造に当たっては似た技術を持つ瓦職人が集められた。繭倉庫煉瓦の表面には瓦職人の屋号が刻み込まれている。

西繭倉庫

この先はまだ一般公開されていない。

社宅

三井時代に建てられた社宅。これは工場長宅


原合名会社時代の社宅

片倉時代の社宅




 富岡製糸場はその後、経営は民間に移り、三井、原合名会社、片倉工業へと変遷するが、創業当時の特色ある建造物群は、ほぼ明治時代の姿のまま活用・保存され、片倉工業より平成17年(2005)10月1日、富岡市に管理が移された。
 建設当初の先見の明ある設計と、単に西洋の工法を取り入れるだけでなく日本の風土に合った建築と施工技術、この事業所を活用した会社の文化財に対する真摯な姿勢から、世界遺産の登録となった。

 ここで閉館時間となったので後にする。

 続く…
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2015年05月24日

本日「長浜城北条水軍まつり」です!

本日、沼津市内浦地区に於いて、「長浜城北条水軍まつり」が開催されます。





 船船に乗って海上から長浜城を見学するツアーでは、学芸員の解説により水軍の城として知る事が出来ます!
 東日本では水軍の事が分かる場所は貴重ではないかと思います。






長浜城跡会場での鉄砲衆の演武は「11時30分頃・12時30分頃・14時頃

写真は上下とも小田原市の北條五代祭りより



 皆様のご来場をお待ちしています。(当方の出店位置は小海会場です。)

 バスでのアクセス自動車JR沼津駅より登山東海バス8番線(大瀬岬・江梨・木負行き)で約40分。「城下橋」バス停下車。
 駐車場自動車三の浦観光案内所、内浦漁港会場、内浦小学校(各会場と駐車場は無料シャトルバスで移動できます)  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)Historical Transmission design

2015年05月23日

蚕と人の力 富岡製糸場へ ③繰糸場

>先回の続き・・・


※場内の位置関係についてはコチラを参照ください。(PDF)

女工館

製糸の技術を伝えるために来日したフランス人女性教師の住居として建てられた。
ベランダの回廊や窓の鎧戸など、当時の日本には無かった建築様式。


「ココは先に見た方が良い」と言われた繰糸場




 繰糸場は長さ約140メートル、幅12メートル、高さ12メートルで、当時、世界最大規模を誇っていた。

 一度に300人の少女たちが作業に当たったという。


 繰糸場内の機械は昭和62年の操業停止時の状態で保存されている。
 創業時に設置された機械は、岡谷蚕糸博物館や博物館明治村に保存されている。

 これらの機械は日曜日は稼動展示しているとの事。

 ちなみに、私の母は集団就職で絹ではないが製糸工場に勤めていた事があり、この光景が感慨深いようであった。

 上方に目を転じると、屋根をトラス構造が支えている。

 是により窓を大きく、更に柱が無い広い空間が得られた。時代が変わり機械を入れ替えることになっても、その広い空間の為、建物を作り替える必要が無かった。百年先を見据えた先見の明と言えよう。



 漆喰が剥がれてレンガが露出している。やはり痛みは所々にある。


続く…
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2015年05月22日

5月27日講演 「孤島のコスモポリタン ボニンアイランドから小笠原へ」 沼津市 高嶋酒造にて

 5月27日18時半より講演致します。

 内容は「孤島のコスモポリタン ボニンアイランドから小笠原へ」です。


(幕末の調査で描かれた小笠原)


 日本の領土でありながら、日本人では無い人々によって拓かれた島・小笠原。
 無人島(むにんしま)と呼ばれ、漂流民が漂着する日本の果てであった島が、太平洋の最後のフロンティアとして欧米各国の注目を集めた。その状態で日本は領土として主張するために如何に動いたのか。
 20を超える国と地域から集まった欧米系島民たちによって育まれた小笠原諸島の歴史と文化についてお話します。
 
 「明治時代・太平洋航路・近代史・領土問題・クレオール文化」に関心がある方にオススメ。


 ※高嶋酒造での講座は毎回最終週水曜日となってますが、祝日に当たるので一日遅れます。

 参加費:700円。

 時間:18時30分から

 開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて


 ※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)

 ※申し込みは高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:02Comments(0)世間士として

2015年05月21日

蚕と人の力 富岡製糸場へ ②東繭倉庫



※場内の位置関係についてはコチラを参照ください。(PDF)

人は多いが、動かない程ではない。




コチラで入場券購入。この建物は、元は検査人の居る建物であった。

入場料は大人500円でしたが、現在は1000円です。


行啓記念碑

明治6年、天皇の要請により、皇后、皇太后一行が富岡製糸場を行啓された記念碑。
「いと車 とくもめくりて 大御代の 富をたすくる 道ひらけつつ」という明治天皇の皇后が詠まれた歌が刻まれている。

入り口正面の「東繭倉庫」

入り口のアーチ部中央のキーストーンには明治五年と、開設された年が刻まれている。

東繭倉庫を横に見る


東繭倉庫の土間の部分。

この倉庫部分には富岡製糸場の解説展示がある。

 展示によると、富岡製糸場は明治新政府が殖産興業を推進させる為に、貿易による外貨獲得の道として、「生糸の輸出振興」が打ち出される。国は欧州の最新鋭の技術を導入した近代的な製糸工場の創設に動き出す。
 フランス人技術者ポール・ブリュナを指導者として雇い入れ、 養蚕が盛んな武蔵・上野・信濃の地域 を調査し、富岡に場所を決定する。
富岡付近は養蚕が盛んで、繭の確保が容易である事。工場建設に必要な広い土地が確保できた事。製糸に必要な水が既存の用水を使って確保できる事。燃料となる石炭が近くの高崎・吉井で採掘できる事といった、条件に見合った事により、明治四年に建設が始まった。翌年の明治五年七月に完成、その年の十月四日には操業が開始された。総工費は現在の価値で総費用600億円である。
 渋沢栄一の親族である尾高惇忠が工場長となったが、当初は外国人の下で働く事を敬遠する者が多く人員が集まらなかった。そこで尾高は娘を工女一号として入れる事で、各地の子女を集めた。

 明治政府は富岡製糸場を模範となる工場として位置付け、製糸技術を学ぶため全国各地から集まった工女たちが一定の技術を身につけて帰郷した後にその役割を果たすことで、富岡製糸場を模範とした製糸場を各地に広める狙いである。
 その結果、開業時期は前後するものの、全国24ヶ所で富岡式を主体とする製糸場が操業するに至った。

この器具で繭を煮出して糸を取る。

日曜日には糸を取る体験も出来るようだ。

繭の重量を計る量り


 ここで東繭倉庫は出て、奥の西繭倉庫に行こうとすると、警備の人がそろそろ時間が閉館時間に近いから、先に繰糸場を見た方が良い、というので、再び東繭倉庫を通り抜けて繰糸場へと向かう。

続く…
  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主

2015年05月19日

5月24日 「長浜城北条水軍まつり」に出店します



5月24日、沼津市内浦地区に於いて、「長浜城北条水軍まつり」が開催されます。この度、その物販コーナーにて出店する事になりました。





 歴史を伝えるデザインTシャツの企画を立ち上げてから、歴史をテーマとしたイベント会場での物販を構想しており、この度、長浜城の史跡整備が完了したことを受けてこのイベント開催となりました。
 長浜城の史跡価値を多くの人に伝えたいと思い、武田氏と北条氏の駿河湾海戦をテーマにした「駿河湾海戦」Tシャツでは北条水軍、そして水軍の城として長浜城も取り上げているので、長浜城を訪れた人に伝えることが出来れば、これほど嬉しい事はないものです。

 皆様のご来場をお待ちしています。(当方の出店位置は小海会場です。)


「Battle of Suruga Bay 」

 「駿河湾海戦」をテーマに作成。長浜城も水軍の城として表示しました。
  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)Historical Transmission design

2015年05月13日

5月12日講演「青ヶ島還住 ふるさとを取り戻す闘い」について参考文献

5月12日、沼津市のLot.nにて「青ヶ島還住 ふるさとを取り戻す闘い」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「火の島に生きる 悲劇の島 青ヶ島の記録/三田村信行」
 青ヶ島の噴火から還住に至るまでの経緯を、子供にもわかる平易な文章でまとめられています。

 「伊豆諸島東京移管百年史/東京都島嶼町村会」
 伊豆諸島の各島々の歴史・文化を詳細に網羅しており、青ヶ島の還住に関してもまとめられてます。

 「鳥島漂着物語/小林郁」
 鳥島に漂流し、脱出の際に青ヶ島の復興を見た野村長平たちの例を上げてあります。

 あと、「還住」の言葉を広めた柳田國男氏の「青ヶ島還住記」、井伏鱒二氏の「青ヶ島大概記」があります。
 


 ご参考にして下さい。

※次回のLot.nでの講座は6月2日「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 前編」と題し、江戸時代の対外認識として日本とロシアとの関係についてお話しします。  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)

2015年05月12日

本日講演 「青ヶ島還住 ふるさとを取り戻す闘い」 沼津市 Lot.nにて 

本日18時半から沼津市のLot.nにて行います。


 内容は「青ヶ島還住 ふるさとを取り戻す闘い」です。


(還住の像)


 伊豆諸島の有人島として南端に位置する青ヶ島。伊豆諸島の中でも自然の地形に恵まれ、餓え死にする者が居ない豊かな島だった。
 江戸時代、その豊かな島を火山の猛威が襲い島民の多くが死に、生き残った人々は八丈島へと避難を余儀なくされた。避難から数十年に亘る帰島への道、荒れ果てた島を取り戻していく苦闘を追って行きます。

災害史・危機管理・伊豆諸島・海上交通に関心がある方におすすめ。

 会費:1000円(ドリンク付き)

 時間:18時半から

 開催場所はコチラ・沼津市上土町10 (それまでの店舗の道向かいです

)  

 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。

 申し込みはオーナーメール、もしくはLot.nさんへ直接来場ください。
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)世間士として

2015年05月11日

5月10日 散歩かふぇ ちゃらぽこ講演 「大洋を越える運命 音吉・ラナルド・栄之助」 参考文献

5月10日 散歩かふぇ ちゃらぽこにて「大洋を越える運命 音吉・ラナルド・栄之助」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「にっぽん音吉漂流記/春名 徹」

 「マクドナルド「日本回想記」/ウィリアム・ルイス、村上直次郎 編」

 「幕末の外交官 森山栄之助/江越弘人」
 
 「毛皮交易が創る世界: ハドソン湾からユーラシアへ/木村和男」

 「幕末漂流 日米開国秘話 /青木健」
 

 
 ご参考にしてください。

 なお、ラナルド・マクドナルドに関しては吉村昭氏の小説『海の祭礼』、音吉に関しては三浦綾子氏の小説「海嶺」があります。「海嶺」はドラマ化され、DVD化もされています。

※次回の散歩かふぇ ちゃらぽこでの講座は6月14日18時半から「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」と題し、幕末の動乱を経済的な観点と、外国人武器商人たちの動きについてお話しします。  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)世間士として

2015年05月10日

本日講演 「音吉・ラナルド・栄之助 大洋を越える運命」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

 本日15時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。

  内容は「大洋を越える運命 音吉・ラナルド・栄之助」です。


(幕府の英語通訳となった森山)


 漂流して北米大陸に漂着した音吉。彼は日本に帰国する事が出来なかったが、上海に住む国際人として多くの日本人漂流者の帰国に尽力した。
 音吉と出会い、日本への好奇心を持ったアメリカ人・ラナルド=マクドナルドは日本へ密航して日本人に英語を伝え、アメリカへ日本を伝えた。
 マクドナルドに英語を学んだ森山栄之助は、諸外国との交渉時に日本の国益を守るためにその英語力を発揮する。
 日本の開国に少なからず関わる事になる三人の交錯する運命についてお話しします。

 「江戸時代末期・漂流事件・北アメリカ史・英語教育史」に関心がある方にオススメ。


 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:15時から

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)世間士として

2015年05月05日

蚕と人の力 富岡製糸場へ ①駅周辺

 富岡製糸場の入場料が値上げされるという事で、その前に行って来ました。

 富岡の玄関口・上信鉄道 上州富岡駅

 上信鉄道と言いつつ、高崎~下仁田という県内しか路線無いよな、と思ったら、長野県の佐久まで繋げる計画であったので上信鉄道という社名。地方の私鉄としては、伊予鉄道に続き二番目の設立である。
 上州富岡駅は上信鉄道の主要駅の一つで、富岡製糸場の世界遺産登録に伴いレンガを活かしたデザインに建て替えられた。

 駅の向かいにあるレンガと石造りの倉庫。

 繭の乾燥所だったそうで、今は土産物店になっている。

 通りを歩いていると、個人宅でありながら、すだれに絵を描いて観光客を意識している様子が見て取れる。

 富岡市のキャラクター「お富ちゃん」と蚕


 駅周辺は昭和風情とも言える景色である。







伊香保と富岡を結んだ絹や人、商いの縁というモニュメント


路地を抜けていきます。


富岡出身の知人に聞いていた肉の原田のコロッケ

工場に勤める人たちも食べたというコロッケで小腹を満たす。

これは一体…


富岡製糸場の正門

非常に人が多い。それでは入場する。

続く…

  


Posted by かるの at 08:05Comments(0)店主

2015年05月01日

石川県能登町・酒垂神社


  ある時は信仰の場であり、ある時には教育の場であり、ある時には経済の場である。
 神社にはその土地の歴史が詰まっている・・・。
 ここでは私が尋ねた神社を紹介します。




 酒垂神社は石川県能登町字宇出津ウ141に座する神社で、旧社格は郷社である。




 祭神は大山祇命 倉稲魂命 応神天皇 神功皇后 菅原大神 稲背脛命



 伝承によれば、この神はアイの風に酒樽に乗って漂着したと伝えられていることから酒垂神社と呼ばれる。アイの風とは地元では北東方向からの風を言い、春先に特徴的であるという。春祭りには往時をしのんで必ずアイの風が吹くのだという。





 漂着地点に鳥居が建てられていたと言われているが、海の埋立てとともに移設され今は本来の場所ではない。しかし、今でも「御旅所」と呼ばれ、神事には重要な役割をもち、漂着場所から旧社殿地(現社務所)までの地域を地元の人々は 聖地としていたという。





 平安時代の初期、仁明天皇の御代に創建したと社伝は伝える。



 例大祭は4月第3土・日曜日。
 宇出津曳山祭りとして、人形が飾られた2台の曳山が宇出津の町を曳きまわり五穀豊穣を祈願する春祭りである。
 高さ6m、幅8mの巨大な曳山が、「角廻しの木遣り」に合わせて見事に廻るさまは圧巻。

境内からの景色



今までの訪ねた神社をマッピングしました。ご参考にして下さい。

より大きな地図で

Posted by かるの at 08:17Comments(0)神社探訪

2015年05月01日

4月30日 高嶋酒造講演 「海越え、果つる地まで ~雄飛と絶望の移民史~」について参考文献

4月30日、沼津市の高嶋酒造にて「海越え、果つる地まで 雄飛と絶望の移民史」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「アメリカに生きた日本人移民: 日系一世の光と影/村山裕三」

 「日本人移民: ハワイ, 北米大陸/藤崎康夫, ‎山本耕二 」

 「サンダカン八番娼館/山崎朋子 」
 
 「静岡県と満州開拓団/櫻井規順」

 「ブラジルへ: 日本人移民物語/藤崎康夫 」
 

 
 ご参考にしてください。

※次回の高嶋酒造での講座は、5月27日18時半から「孤島のコスモポリタン」と題し、太平洋航路の中の小笠原諸島の認識と、欧米人による開拓、日本領になっていった経緯についてお話します。  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)世間士として