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プロフィール
かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
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2010年07月31日

本日講演 民俗学者・宮本常一の生涯

本日17時から。
 内容は
 宮本常一 ~その眼差しと足跡を追って~


 日本の各地を自らの足で尋ね、民俗調査を行った宮本常一。
 その視野は市井を生きる人から国の在り方にまで広がり、学問という枠を超え多くの人を勇気づけた宮本常一の生涯について語ります。

 私が
 「失われた民俗や歴史を調べて何になるのか?」
という疑問を抱きつつも各地を巡る旅を続けていた時、宮本常一という人物の生き方を知り得た事で地域の文化を如何に活かすかという点で考え方を突破できたキッカケとなりました。

 宮本は高度経済成長の中で失われゆく様々なものにも注目し、猿回し・伝統太鼓をはじめとする郷土芸能や地域にあった特産品の開発などを通じ、地域の誇りを見出してゆきました。

 そんな宮本の生き方に魅せられ、自分も「世間士」として生きようと、宮本の足跡を追っていきます。

 
画像は宮本の生地である山口県周防大島


 資料代として500円(お茶付き)。

申し込みはコチラから→しずおかセミナーカフェ公式ページ
もしくは、オーナーメールで直接お願いします。

会場はコチラ
静岡市両替町2丁目3-6 大原ビル2階 「ネクステージ企画室」




 ※「世間師」とは、様々な土地を巡って見聞きしたものを故郷の人に伝える人、という意味です。  


Posted by かるの at 08:20Comments(0)世間士として

2010年07月30日

修善寺温泉 頼家まつり

修善寺温泉で行われた頼家まつりを見て来ました。

こういう事言うと無粋だと思われるかもしれないけど、甲冑の様式が戦国時代なんですね。

鎌倉時代にも関わらず、真田・北条などの紋を掲げるのもどうかなと・・・。
頼家公の役の人みたいに狩衣でよいのでは・・・。

様々な役の人の素性を明かしているのですが、それは最後でも良いかと…。

頼家の妻・若狭の局役の方は出身の比企一族にちなんで埼玉県東松山市から。

頼家公の祭壇には・・・


鎌倉幕府二代将軍頼家公に供えられたのは「コアラのマーチ」! 

十三士の墓のまえでの法要の跡、修善寺温泉を巡って修禅寺へと。

甲冑の人たちはモテモテでした。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2010年07月27日

豆乳ソフトクリームでは無い!

 沼津の街中をよく歩いていると言われるのですが、桃屋より南へはそんなに足を運ぶ機会が無かったのですが、先日、沼津銀座を歩いていたらこんな所を発見。

 「豆乳ソフトクリームではなく豆腐です」
と書かれていたので、暑かったのもあって購入、食べてみた。


 本当に豆腐の風味でした。初めの一口目こそやや違和感を感じてしまいましたが、さっぱりとした口当たりで、甘さが後に残らないのがイイです。

 アイスにかける醤油と言うのがありますが、ソレをかけても良いかも。

場所はココ


鈴佐本店 沼津市町方町35  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2010年07月26日

奇観 大谷石切り出し場

 栃木県宇都宮市大谷は建築石材として有名な大谷石を切り出した跡である。
 ここに行く途中にも、大谷石を用いた外壁や蔵などが立ち並び、他の土地とは異なる空間となっていた。







地下の切り出し場の模型図







 大谷石は帝国ホテルにも用いられているが、設計したフランク・ロイド・ライトが用いようとした際は、余りにもありふれているとして、発注者は望まなかったとか。

 ある意味、自然破壊の跡ではあるのだが、それよりも人の力を感じ取れる場所であった。


  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主

2010年07月24日

numazoo放送局 ふらっとLR 1956年6月26日

 先月のnumazoo放送局 ふらっとLRでは、1956年6月26日に注目しました。

 音声は「不尽み逸品堂 音声支店」にて

 日露戦争時に橘中佐を助けた人は吉原在住。映画「明治天皇と日露大戦争」の監督は沼津中学出身。


 駅構内は演説禁止。富士急は「富士山麓バス」となっています。


 キセルする人を「薩摩の守」と表現。その語源はコチラ

 伊東競輪の売り上げ最高に。沼津市営だったのですね。


 盛り場情報


 まだまだ自民党も盤石ではありません。


 取り上げた新聞に載っていた広告を集めて動画にしてみました。


 今回は1979年7月24日の沼津に迫ります!  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)ふらっと LR

2010年07月23日

技術よりパラダイムシフト

 先日、富士市f-bizにて行われた「電気自動車にかける夢 ゼロスポーツの挑戦!」の講演を聴いてきました。

以下は講演の聴き書きから。

 ゼロスポーツ社はスバル車を中心としたチューニングパーツ開発を始めとして、カスタマイズサービスなどを経て電気自動車の総合開発を開始し、2000年には時速276.6kmと当時国内最速の電気自動車を開発。2003年には国内17番目の自動車メーカーとしての認証を取得した。

 自動車メーカーというと巨大産業の最たるものとも思えるが、2000年代に入ると世界各地で新しいメーカーが誕生した。このゼロスポーツ社を始め、アメリカのテスラ、中国のBYDなどである。
 電気自動車自体は自動車の草創期から存在し、かつてはガソリンエンジン車よりも多く走っていた時期もあった。それも、ガソリンエンジン車の性能向上によって姿を消していった。

 従来、日本の自動車メーカーでは航続距離500km以下の物は自動車メーカーの製品として認められない、という見解であったが、実際の一日当たり走行距離は30kmというデータを判断して三菱自動車では航続距離100km以下でも構わないという見解を示し、三菱i-MiEV誕生の契機となった。
 この事は今までの「自動車」というあり方を考える大きな変化となった。

 しかし2015年からは電池の性能が伸びてくるので、ガソリン車との性能差は小さくなると考えられている。

 米国ではGMなどの大自動車メーカーが破綻し政府の管理下にあるので、電気自動車の開発を急ピッチで進め、電気自動車ベンチャーに大規模な投資をしている。
 日本では経営に不安があるメーカーは無いが、既存の自動車メーカーが既存の技術を温存するために技術者を囲い込んだりすると電気自動車開発にはそれが仇となり次世代車へのブレイクスルーを果たせない所も出てくるかもしれない。



国内自動車黎明期の電気自動車「たま号」


 以下は自身の感想。
 
 何となく、アニメ「さよなら絶望先生」でもネタになっていた「デチューン」がキーワードであると感じた。

 例えば、路線バスであれば時速100km以上を出す性能よりも時速50km程度での性能が重要視されるだろう。その速度であれば、衝突安全性などもその速度での安全性を満たす内容であれば、必要以上に重くする必要はない。航続距離も一日の路線での航続距離があれば、終業時に充電なりをすればよい。

 既存の自動車メーカーは自動車の歴史を歩んできたという自負があると思う。それだからこそ、常に性能の向上を図り、それが至上命題であった。
 電気自動車の性能をガソリンエンジン車と比べた場合、一見すると性能を数字で示すとまだ物足りないものがあるようにもみえるが、実際の自動車使用においては既に十分満たしている。

 自動車が売れない、ステータスで無くなったと言われているが、それこそ既存の自動車の持つ性能と現実の使用とのギャップを感じている人が増えて、高い維持費を費やしてもそれに見合わないと感じる人が増えているのかもしれない。カーシェアリングの伸びもそれを示しているのであろう。新興国では大幅に性能を落としても安い製品が求められている。

 電気自動車の普及は技術の進化よりも自動車メーカーの発想の柔軟さ、そして消費者の使い方に掛かっているかにも思えた。
   


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2010年07月20日

彦根 城めぐり 火縄銃サミット

 
前回の続き・・・。


 ひこにゃんの芸がどんなかは気になりつつも、火縄銃サミットを覗いてみる。

 京都女子大学教授・母利美和氏による「彦根藩の砲術」と題した講演内容。
 細川氏に仕えていた稲富祐直が関ヶ原の戦いの際には細川忠興の夫人、ガラシャを警護していた。にも関わらず石田三成の人質になるまいとガラシャが自害するに至り、ガラシャを守れなかったとして戦後に忠興から殺されそうになるも、祐直は逃亡し彦根辺りに潜伏していた時、彦根を領することになった井伊直政にその砲術の才能を見込まれて砲術指南役として登用されたのが彦根藩の砲術の始まりだとか。
 砲術は全国各地に伝承し、初めは10家ほどであったが、幕末近くには200家にもおよんだ。
 彦根藩では砲術を重視し、幕末になると江川英龍の元に砲術を学ばせに多くの家臣を派遣したという話も興味深かった。

 続いて、火縄銃の歴史を生かした町づくりをテーマにパネルディスカッション。
 先程の講演を行った母利美和氏をコーディネーターに、 国友鉄砲研究会 廣瀬一實氏・江戸幕府鉄炮組百人隊保存会 三瓶千詠氏・全国古式砲術鉄砲サミットin彦根実行委員会会長 杉本定幸氏がパネリストを務めた。
 ただ残念なことに、町づくりよりも火縄銃サミットを如何に開催するかという話に終始してしまって、楽屋話を聴いている感じになってしまった。なんでも、火縄銃とはいえ、発砲許可を警察から取らねばならないのだが、それが年々難しくなっているとのことである。

 翌日には総勢320人、23の火縄銃演武団体が駆けつけ、様々な演武を行ったとか。

 サミットは終了、彦根市を後にする前に、駅前のスーパーで弁当を買おうか入ってみると、入り口付近は「ひこにゃん」の土産がズラっと。
 

 派製品も出ているようです。別物のような気も…。


 「ひこねのよいにゃんこ」は居ませんでした。

  そんな事で彦根市を後にした。  


Posted by かるの at 08:18Comments(0)受講日記

2010年07月19日

世間士として 7月31日しずおかセミナーカフェにて講演

7月31日の17時から。
 内容は
 宮本常一 ~その眼差しと足跡を追って~


 日本の各地を自らの足で尋ね、民俗調査を行った宮本常一。
 その視野は市井を生きる人から国の在り方にまで広がり、学問という枠を超え多くの人を勇気づけた宮本常一の生涯について語ります。

 私が
 「失われた民俗や歴史を調べて何になるのか?」
という疑問を抱きつつも各地を巡る旅を続けていた時、宮本常一という人物の生き方を知り得た事で地域の文化を如何に活かすかという点で考え方を突破できたキッカケとなりました。

 宮本は高度経済成長の中で失われゆく様々なものにも注目し、猿回し・伝統太鼓をはじめとする郷土芸能や地域にあった特産品の開発などを通じ、地域の誇りを見出してゆきました。

 そんな宮本の生き方に魅せられ、自分も「世間士」として生きようと、宮本の足跡を追っていきます。

 
画像は宮本の生地である山口県周防大島


 資料代として500円(お茶付き)。

申し込みはコチラから→しずおかセミナーカフェ公式ページ
もしくは、オーナーメールで直接お願いします。

会場はコチラ
静岡市両替町2丁目3-6 大原ビル2階 「ネクステージ企画室」




 ※「世間師」とは、様々な土地を巡って見聞きしたものを故郷の人に伝える人、という意味です。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2010年07月17日

彦根 城めぐり ひこにゃん登場



歓声が轟いたとともに、
「ひこにゃん登場しまーす。見たい方はコチラへ!」
との声が聞こえてきたので、ちょっと寄ってみる。すると、庭のような空間を閉鎖して人数と時間を制限しているようだ。

てっきり、何時でもひこにゃんを見る事が出来るのかと思っていたが、一日に3回、出るのは30分と限られているようである。


ひこにゃん登場。正面の建物から出てくると思っていたら裏をかかれました。


これほどの歓声を浴びると中の人はどんな気分でしょうか。




以下は知人に頂いた動画を自分がアップロードしたものです。


「これからひこにゃん芸をしまーす。」

と観光協会らしい人が前説していたが、自分は火縄銃サミットの方が気になるので、中座してソチラへ向かった。

 
続く・・。
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2010年07月15日

Roses展


 作品展ハジマリマシタ

 19日まで
 青山のスパイラルチャリティ~展してます


 最近、一人一人の人間の呼吸が気になるので、グリムの森の登場人物をヌイグルミを作って森のベ~ルで包みました

 答えは未定でした

 なにか勝手に感じてクダサイ

 土曜日には13:00には会場にいるはずです。

 気が向いたらヨウコソ





by masami yanagida
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)masami yanagida

2010年07月13日

彦根 城めぐり 彦根城にて

 

 彦根城は佐和山城から用材を分捕って造ったと言われるだけあって、明らかに規模と様式が違います。




 城門の跡でしょうか。




 「井伊直弼と開国150年祭」という横断幕が張ってあって、ここでは、開国したのは井伊直弼という感じです。

 彦根城博物館。この中で火縄銃サミットが行われているという事なので、入ろうとしたら急に大きな歓声が上がったので行ってみる。


 続く…。
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2010年07月12日

政事は祭事! まつり金は何処へ行く!

 「つかめ!Stock King!」は、私かるのが作成している経済雑学ネットラジオ番組です。





 

 リンゴマークの製品大ヒットが株価に与えた影響とは。株主総会シーズン、今回から一億円以上の役員報酬の氏名開示。

 今回の話題妻紹介
 参議院選挙があったという事で、「選挙と経済」について。
 金のかからない選挙は理想ですが、人を動かすためにはそれなりにお金は必要です。
 選挙用具を取り仕切る株式会社ムサシについても取り上げます。

 今回の喪服妻紹介
 株式会社エフオーアイについて。
 わずか半年足らずでの上場廃止、先端的な半導体製造装置を手掛けるベンチャー企業に何が起こったのか。

 次回は8月10日更新です。
 次回は8月は先の大戦について取り上げる機会が増えますので、日本の防衛産業についてです。 

 この番組にご意見、ご感想、ご質問などお寄せ頂ければ幸いです。コメント欄に書き込み、直接メールしてみて下さいね。塩漬け株情報も大歓迎です。

 投資にはリスクが伴います。番組で取り上げた銘柄は推奨するものではありません。取引の際は、自己責任でお願いします。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)つかめ!Stock King!

2010年07月08日

彦根 城めぐり 鳥居本駅

 

 彦根市街地に戻る前に、改めて近江鉄道・鳥居本駅を眺めてみる。



 昭和6年の開業時の姿を今も留める。

 入り込む光が印象的でした。



 この駅舎でコンサートとか面白そうだなと思っていたら、平成八年に連続184時間というコンサートが行われ、ギネス記録にもなったとか。



 これから彦根市街地へ向かいます。  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主

2010年07月07日

彦根 城めぐり 佐和山城跡発掘現場説明会

 

 石田三成の居城であった佐和山城跡の発掘現場を見に行く。
 佐和山城は石田三成が関ヶ原の戦いで敗れた後、徹底的に破壊され後に彦根藩が立藩し彦根城が建てられる時にはその用材調達に持ち出され、現在も不明な点が多いとのことである。

 かつて外堀であった水路。洗濯している人も居ました。







 解説の人からは、
 「今まで琵琶湖水運に面した西側が城の表と考えられていたが、高級な生活用具が多いので中山道に面したこの東側が表と考えても良いのでは」
との見解を述べていた。

 出土した焼き物の数々。





 フイゴの羽口や鉄滓から鍛冶屋が居た事がわかります。


 現在、佐和山城跡はある寺の所有であり、私有地と言う扱いなので勝手に入る事が出来ないとの事。突っ切って彦根の市街地に戻ろうと思ったがそれが出来ずに仕方なく鳥居本宿に戻る。

 
続く…。
  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主

2010年07月03日

彦根 城めぐり 鳥居本宿2



 更に歩きます。


 そんな中、ちょっと気になる趣きの建物が。

 近づくと本陣宿の跡だったという。

 しかもヴォーリズの様式であった。



 現在は老人福祉施設になっています。


 江戸時代に旅籠だった建物で、湖東焼と言う焼き物の絵付け師である「自然斎」が住んでいた。


 聖徳太子開祖と伝わる専宗寺



 宿場も端に来たようで分岐点が。


 中山道と彦根城に向かう道の分岐です。

 では、彦根城の方に向かってみます。

 続く…。
  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主

2010年07月01日

彦根 城めぐり 鳥居本宿1

 

 中山道の宿場である鳥居本宿を歩いてみる。
 多賀大社の鳥居がここにあったことから鳥居本の名がついたと伝えます。

 鳥居本宿に江戸時代からある胃薬「赤玉神教丸」を製造販売している有川家


 明治天皇の行幸時には宿舎にもなりました。


 多くのウォーカーが見学していました。





 気になったのがコレ。合羽所「松屋」とある。



 鳥居本では雨具である合羽の製造が盛んだったとの事。現在は縄を作っているとの事。

 ここには古くからのものづくりがあるようです。

 
続く…。

   


Posted by かるの at 08:15Comments(0)店主