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かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
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2014年04月30日

本日講演 「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 後編」 沼津市 高嶋酒造にて

 本日18時半より講演致します。

内容は「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 後編」です。



 ロシアは革命により世界初の社会主義国家ソビエトとなり、日本とは相入れない思想でありながら、混乱する経済の中、新しい時代を模索する官僚らに試行される。
 大戦末期まで平穏な国境であった樺太・千島は怒涛の戦場へと巻き込まれ、現在に続く領土問題になる。
 ロシア内戦から現在に至るまでの日露関係史を追って行きます。


 参加費:700円。

 時間:18時30分から

 開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて


 ※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)

 ※申し込みは高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 09:06Comments(0)世間士として

2014年04月29日

岐阜散歩 ③



川原町から岐阜城下であった区画にも昔の街並み景観が残されている。



かつての織田信長に仕えていた武将の居館が示されている。


特徴的な寺院であったので調べてみると岐阜大仏というそうだ。

江戸中期の寛政年間に、相次ぐ飢饉に心を痛めた当時の住職が、紙に経を書いてそれを籠で組んだ大仏として少しづつ作成し、完成に38年を要したという。

見取り図を見てたら、「御鮨街道」なる道が記されていたので、そこを歩いてみる。


歩いていたら、「御鮨街道」の案内板があったので見てみると、徳川家康への鮎鮨の献上ルートの事であるという。 尾張藩は鵜飼で獲れた鮎を毎年5月から9月ころまでの間に10〜20回、江戸へと送られてた。
江戸に着くころに食べ頃になるように作られていたため、予定の期日に遅れないように岐阜から江戸までの46の宿場を通過する時間を綿密に指定しており、当時の宿場帳によるれば、岐阜から江戸まで5日間で運んでいたようである。

「御鮨街道」沿いにある「旧日下部邸跡」

羽島の出身で明治後期から海運業で活躍した実業家の事務所跡。
今は会社の事務所になっているようだ。

趣ある建物が点在


金屋町という地名からか、鋳物師が住んでいたのだろうか。道端に鐘が。

御薗の榎

この榎がある橿森神社付近に、織田信長が開いた楽市があり、その市神としての榎であった。岐阜市指定史跡。

その橿森神社にて参拝。御朱印を頂く。



その後、御鮨街道を外れて岐阜駅の方へ向かう。

入った通りは飲食店が密集する所であった。

岐州という餃子店に並ぶ人。列を整理する人もいるなど非常に賑わっていて気になる。


かつて繊維で賑わった名残か、駅周辺には繊維問屋のビルであったり小売をする所も多い。


の、信長公・・・?


土曜だから・・・


駅の南側のモニュメント

いつも岐阜駅南側が気になっていたので、歩いてみたかったが時間切れということで撤収。

  


Posted by かるの at 09:35Comments(0)店主

2014年04月28日

27日セミナーカフェ講演 「義風一迅 東遊運動と安南王国の夢」 参考文献

4月27日、静岡市のセミナーカフェにて「義風一迅 東遊運動と安南王国の夢」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 
 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー/森達也」

 「「安南王国」の夢: ベトナム独立を支援した日本人/牧久」

 「ベトナム亡国史/ファン・ボイ・チャウ」
 
 「日越ドンズーの華/田中孜」

 「玄洋社・封印された実像/石滝豊美」
 

 
 ご参考にしてください。

※次回のセミナーカフェは5月31日14時から 「鳥島漂流 沖の太夫たち」と題し、江戸中期に無人島・鳥島に漂着し、20年を経て脱出する苦闘についてお話しします。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2014年04月27日

本日講演 「義風一迅 東遊運動と安南王国の夢」 しずおかセミナーカフェにて

 本日14時よりしずおかセミナーカフェにて講演致します。

  内容は「義風一迅 東遊運動と安南王国の夢」です。


(ベトナム人留学生を支援した浅羽佐喜太郎)


 フランス支配下にあったベトナムを独立させるべく活動していたファン・ボイ・チャウは闘争での運動から、独立後の人材を育てるべく日本への留学を若者に呼びかける。
 国際関係を保ちたい日本は留学生を追放し始めるが、多くの人が彼らを支援した。
 ベトナムの独立運動家と彼らを支援した日本人たちの交流についてお話します。

 「アジア植民地史・ベトナム・旧浅羽町・留学生・独立運動」に関心がある方にオススメ。

 会費:500円(お茶付き)。


 開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル2F ネクステージ企画室
 


セミナーカフェに関してはコチラ
http://www18.ocn.ne.jp/~aradmin/leaves/leaves.html


申し込みはコチラから。もしくはオーナーメールで直接お願いします。
http://semicafe.eshizuoka.jp/


 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2014年04月26日

5月11日講演 「義風一迅 東遊運動と安南王国の夢」 沼津市 teshioにて

 5月11日14時より沼津市のカフェteshioにて講演致します。
 
  内容は「義風一迅 東遊運動と安南王国の夢」です。


(日本への留学運動・東遊運動を展開したファン・ボイ・チャウ)


 フランス支配下にあったベトナムを独立させるべく活動していたファン・ボイ・チャウは闘争での運動から、独立後の人材を育てるべく日本への留学を若者に呼びかける。
 国際関係を保ちたい日本は留学生を追放し始めるが、多くの人が彼らを支援した。
 ベトナムの独立運動家と彼らを支援した日本人たちの交流についてお話します。

 「アジア植民地史・ベトナム・旧浅羽町・留学生・独立運動」に関心がある方にオススメ。


 会費:500円
 ※飲食店ですので1人1オーダーのご協力をお願い致します。

 時間:14時から(前回までと時間が異なります)

※お車でお越しの方は2人以上の相乗りで文化センターの駐車場をご利用頂くと、1時間無料になります。

 開催場所はコチラ・沼津市民文化センター内のカフェ・teshioにて


申し込みはオーナーメール、もしくは「info★cafe-teshio.com」(★を@に変更してメールを)で直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました  


Posted by かるの at 08:05Comments(0)世間士として

2014年04月25日

岐阜散歩  ②



歩いて30分もすると、祭りの喧騒も離れ、景色は次第に昔ながらの街並みに変わる。


伊奈波神社への通り


大工町から中新町の辺り




遠く見える岐阜城




特に街並みが残る川原町を歩く


川原町というだけあって、すぐ北側は長良川


鵜飼を見るための屋形船


鵜飼は昔、対岸から夜に見た事があったが、コチラはこんな雰囲気だったとは。




川原町から岐阜城の近くへ向かう。


続く…。

  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主

2014年04月24日

5月8日講演 「神に侍う 武士道に繋いだキリスト教」 三島 cucurucuにて

 5月8日19時より三島市のカフェcucurucuにて講演致します。

  内容は「神に侍う 武士道に繋いだキリスト教」です。


(長崎で信徒を『発見』したプティジャン)


 明治時代、幕府時代の禁教を解かれたキリスト教は、主君を失った武士たちに信仰される様になり、日本の近代化とそれに伴って取り残された人々に多くの影響を与えるようになる。
 今に繋がる経済、社会福祉、教育に影響を与えたキリスト教信者となった士族の活躍についてお話しします。

 「キリスト教史(近代)・明治時代・日本資本主義・教育史・武士道」に関心がある方にオススメ。

 参加費:1000円(ワンドリンク付き)

 時間:19時から

 ※駐車場がありません。公共交通機関(JR三島駅徒歩5分)か近隣の駐車場をお使い下さい。

 開催場所はコチラ・cucurucu'


申し込みはオーナーメール、もしくはcucurucu'さんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)世間士として

2014年04月23日

岐阜散歩 ①

 関西に旅へと向かった。
 しかし、浜松で財布を忘れたのに気付いて、現金の持ち合わせが無い事から、一旦帰る事を決めたが、そのまま戻るのももったいないので、「道三まつり」というポスターをたまたま見掛けた事から、今まで気になっていた岐阜界隈を歩く事にする。

岐阜駅を降りると、金色の信長公像が。

物議を醸す事は無かったのでしょうか。

駅前のペデストリアンデッキのベンチには

多分、鵜飼の舟をモチーフとしたベンチが。


バスもゲーム絵風の信長公。


駅から北上し、美殿町という商店街が賑わっていたので入ってみる。

美殿町は東の「美園町」から郡上街道の「殿町」に繋がっているからだという。

イベントとして旧車を数台展示していた。


日本画家 加藤栄三・東一 生誕の地


ガス灯を模した所は多々あるが、ここは本当のガス灯らしい。


美殿町の通りを抜けて、長良橋通り(国道157号線)に出ると、神輿の練り歩きが。



横断幕は「斎藤」「織田」「明智」です。


岐阜市役所前には鵜


長く水害に悩まされた地域だけに、常に水位に警戒しているようだ。


市役所の辺りを過ぎると、祭りの喧騒は遠のき静かに。

続く…
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2014年04月22日

5月6日講演 「国境最前線 東国三英傑の三国志」 沼津市 Lot.nにて 

5月6日18時半から沼津市のLot.nにて行います。


 内容は「国境最前線 東国三英傑の三国志」です。


(三国同盟が締結された善得寺城跡公園の三国の石を使った庭)


 戦国時代、武田・今川・北条氏が覇権を巡った静岡県東部地方。
 目まぐるしく変わる国境線を中心に、それぞれの大名は何を考えていたのか。そして、大勢力に挟まれた地侍たちはどのように生き伸びたのか?
 合従連衡の末の戦国の結末と、後世への影響があったかを語ります。

 会費:1000円(ドリンク付き)

 時間:18時半から

 開催場所はコチラ・沼津市上土町60 岡田ビル1F(元Floyd沼津店 店舗)





 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。

 申し込みはオーナーメール、もしくはLot.nさんへ直接お願いします。
 携帯電話055-919-1060

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:05Comments(0)世間士として

2014年04月21日

「秤の館」最終日を見に行く ③



「秤の館」の中に居た時は雨が強くなったりしたが、止んだので発つ事に。
色々と質問した後、御主人にお疲れ様でしたと伝えると、遠い所から来て頂いて大変嬉しいと、逆に礼を言われてしまった。
パンフレットはもう無くなってしまった、と仰られていたが、遠くから来たのと色々と関心がある様子、という事でカラーコピーした物を渡して頂いた。
まだまだ人は来ているので、「秤の館」を離れた。

歩いていて見掛けた柵。


保々駅の中

懐かしい伝言板があります。




保々駅は三岐鉄道の中枢駅であり、車両区がある。



14:59保々駅発→15:16近鉄富田駅着

駅周辺を歩くと和菓子屋があったので購入。栗を使ったお菓子が多い気がする。

15:50 JR富田駅近くの鳥出神社。延喜式内社である。

御朱印を貰おうと声を掛けると、「何故、一切宣伝もしてないこんな神社に?」と聞かれる。「秤の館」に行って来た件などを話す。
神社の祭典には伝統的な捕鯨習俗を取り入れた行事があり、国の重要無形民俗文化財であり、来年ユネスコに登録されるという。

晴れているが、雨も降る。虹が出て来た所、風が強くなってきた。

近くにある「津市元票から十里」という碑




やはり四日市に居る事もあるので、トンテキを食べようと思う。先ほどの和菓子の店の人に聞いたが、富田の周辺には提供する店が無いので、四日市の市街地へと向かう。

16:26JR富田発→16:32四日市

四日市は化学工場が多いからか、タンク車を良く見る。


四日市駅

四日市駅から歩くが、近畿圏の街にありがちな、町の中心が近鉄の駅というパターンである。
その為か、この駅周辺は整ってはいるが閑散とした雰囲気。

17:00 商店街の中にあるこの店、一楽である。

夕食としては早い時間であるが、そこそこ賑わっている。

トンテキ定食を注文。

ご飯が無いと食べられない味の濃さ。しかしこれが上手いと感じる。

商店街にて





風が強いので、もしかすると遅延するかもしれないと思って、食後は直ぐに四日市駅に戻ったが、やはり遅延であった。17:50に乗車したのは26分の車両であった。
念のため、最終から二本手前の車両に乗ったのだが、その後も遅延の影響は続き、帰ったのは深夜であった。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2014年04月20日

19日講演 「KUMAGUSU 智慧の世界樹」について参考文献

19日、散歩かふぇ ちゃらぽこにて「KUMAGUSU 智慧の世界樹」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「南方熊楠アルバム/中瀬喜陽, 長谷川興蔵」
 豊富な写真資料を以って熊楠の生涯を追えるようになっています。

 「南方熊楠物語: 信念を貫いた自由人の生涯/高沢明良」
 熊楠の生涯を読み易い平易な文章でたどる事が出来ます。。

 「新潮日本文学アルバム58 南方熊楠/」
 写真資料が充実しています。

 「クマグスの森 南方熊楠が見た宇宙/」
 カラー写真資料が充実しているのと、熊楠が取り組んだ物事に分けた収録がされています。

 「父南方熊楠を語る/南方文枝」
 熊楠の長女による回想。家庭での熊楠の顔が見られます。

 

 その他にも、様々な熊楠の本がありますので、ご参考にして下さい。

※次回は「督乗丸漂流」と題し、江戸時代に起きた漂流事件についてお話しします。  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)世間士として

2014年04月19日

本日講演 「KUMAGUSU 智慧の世界樹」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

  本日 15時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。

 内容は「KUMAGUSU 智慧の世界樹」です。


(昭和天皇に献上したキャラメル箱)


 天才的な語学力と記憶力を持ち、好奇心のままに米英を巡って植物採集を行った南方熊楠。
 帰国した後は、どの研究所にも属さず、特定の師もおらず、ただの民間の一研究者の立場から故郷の熊野地方で世界的な博物学を国内外に発信し、孫文や昭和天皇をも魅了した南方熊楠について語ります。

 「博物学・植物採集・環境問題・植物学」に関心がある方におすすめ。

 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:15時から

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:05Comments(0)世間士として

2014年04月18日

4月30日講演 「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 後編」 沼津市 高嶋酒造にて

 4月30日18時半より講演致します。

内容は「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 後編」です。


(シベリア出兵)


 ロシアは革命により世界初の社会主義国家ソビエトとなり、日本とは相入れない思想でありながら、混乱する経済の中、新しい時代を模索する官僚らに試行される。
 大戦末期まで平穏な国境であった樺太・千島は怒涛の戦場へと巻き込まれ、現在に続く領土問題になる。
 ロシア内戦から現在に至るまでの日露関係史を追って行きます。


 参加費:700円。

 時間:18時30分から

 開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて


 ※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)

 ※申し込みは高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:06Comments(0)世間士として

2014年04月17日

「秤の館」最終日を見に行く ②



「秤の館」は、館主・秤屋健三氏が古代から最近に至るまでの国内外の計量器を、44年に亘り蒐集し、27年前に開設した私設博物館である。

日本国内に3千ある中、千種類が秤の館に所蔵されているという。

ラジオ深夜便での取材があったらしい。




ギリシャ神話の女神・テミス像

天秤を持ち、正邪を計る。

繊度秤

450mの生糸の重量が0.05グラムあるものを「1デニール」という。
この秤はデニール分銅を用いればデニール、グラム・匁の分銅を用いればそれぞれの単位を計測できる。

デニール秤

糸の束(綛)を掛けると、その角度によってデニール数を表示する。

明治30年にドイツから輸入された分析天秤。当時で家一軒の価格であったという。


牛馬掛秤

家畜など、1200キログラムまで測定できる秤。先に見える柵に家畜を載せる。昭和30年頃まで使用されていた。



大天秤

昭和15年の島津製作所製。航空機部品となるアルミ材料の計測に使用されていた。日本に二台のみ現存の一台。

1890年、アフガニスタン製の上皿天秤。宝石取引などに使用されていた。






光学式ミクロ天秤

昭和40年製。最も精密な精度は百万分の一グラム。

上皿自動秤

戦時中の物ゆえ、金属不足であったので木製。目盛は紙である。

1913年製の上皿棹秤。

郵便書状の重量測定に用いられていた。

液体メーター用基準タンク(ガソリン用)


検尺器

糸の一定の長さを巻き取る。昭和初期製。

綛(かせ)秤

巻き取った一定量の生糸の束を綛といい、その重量を計測する。最大100グラムまで0.5グラム単位で計測できる。
神戸生糸検査所で使用されていた物









左・甲州枡
武田信玄の時から甲州では年貢を籾のまま納めていたので、他地域より三倍の大きさがある。信玄枡とも呼ばれた。
江戸時代に枡の大きさの基準が出来た後も、甲州では使われていた。

右・一升枡
豊臣秀吉が枡の大きさを統一した際に作成された枡。
江戸期の枡よりやや小さい。

繭枡

繭の取引に使用されていた枡。繭が潰れない様に柿渋加工した紙製。折り畳みも出来る。



けんち枡

小魚や貝の取引に使用された。





世界最古のノギスの一つ

フランス陸軍砲兵隊王立工場にて制作。
単位が従来の「プース」からメートルに変わる時期であったので、片面にプース、反対にメートルの目盛が刻まれている。
1プース=1/12ピエ=27.07mm

乗っても良い秤。5~150キログラムまで。




大針口天秤

1800年頃、中堀長兵衛による製作。針口天秤では最大級の物。
三十斤(18キログラム)まで計測。

日本では度量衡の大きさが地方によってまちまちであったが、豊臣秀吉の天下統一によって度量衡に於いても統一が図られ、徳川家康の江戸幕府開府により全国的基準が定められた。
東日本を江戸の守隋家、西日本を京の神(じん)家による計量機の独占を認めた。

分銅の制作は後藤家である。分銅の形は蚕の繭を潰した形で、つまみ易い。日本国保有の金も分銅の形である。





世界最大の竿秤・千木秤(中央部の棒)

1852年、京都の紀州藩鉄砲方役所で使用されていたもので、砲弾の重さを計るために使用されていたと考えられる。
秤の長さは一丈(305センチ)で、5人掛かりで予め設営した櫓に乗せて、分銅(六貫六百匁=24.7キログラム)を二人掛かりで載せた。百貫目(375キログラム)まで計測できる。

鉛玉の計量器

1910年頃、堺の銃砲店で鉄砲玉の製作のため、昭和30年頃まで使用されていた。



直示天秤

計測器の中に全ての分銅が内蔵されており、ダイヤル操作で計測が出来る。



目盛を刻む道具

明治30年頃から物差しの目盛を刻むための道具で、昭和30年頃まで使われていた。

上皿天秤 1920年頃、イギリス製。





中国で古くから行われているコオロギ相撲のコオロギを計測する秤。コオロギの重さで階級を定めている。




日本で最も古い天秤と分銅の絵

室町末期から桃山時代の絵師・狩野吉信作


展示スペースから外れた所にも所蔵が。





上下共に航海用具


守隋家と神家は明治になると特権を失ったが、免許制となった計量機製作会社として再出発する。しかし神家は戦後すぐに事業が立ち行かなくなった。
守隋家は名古屋支店の番頭が名を引き継ぎ、現在に残っている。

 2014年3月30日を以って閉館となったが、所蔵品は長野県の計量機メーカー・東洋計器が開設する企業博物館に譲渡され、新たに公開される予定である。



続く…

  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主

2014年04月16日

4月27日講演 「義風一迅 東遊運動と安南王国の夢」 しずおかセミナーカフェにて

 4月27日14時よりしずおかセミナーカフェにて講演致します。

  内容は「義風一迅 東遊運動と安南王国の夢」です。


(日本への留学運動・東遊運動を展開したファン・ボイ・チャウ)


 フランス支配下にあったベトナムを独立させるべく活動していたファン・ボイ・チャウは闘争での運動から、独立後の人材を育てるべく日本への留学を若者に呼びかける。
 国際関係を保ちたい日本は留学生を追放し始めるが、多くの人が彼らを支援した。
 ベトナムの独立運動家と彼らを支援した日本人たちの交流についてお話します。

 「アジア植民地史・ベトナム・旧浅羽町・留学生・独立運動」に関心がある方にオススメ。

 会費:500円(お茶付き)。


 開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル2F ネクステージ企画室
 


セミナーカフェに関してはコチラ
http://www18.ocn.ne.jp/~aradmin/leaves/leaves.html


申し込みはコチラから。もしくはオーナーメールで直接お願いします。
http://semicafe.eshizuoka.jp/


 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
  


Posted by かるの at 08:07Comments(0)世間士として

2014年04月15日

小松堂重房・滋賀県長浜市

とある会合で和菓子が配られた。

 何気なしに眺めていたら、ローカルもローカルな名称と、絵柄に引き込まれた。

 まだまだ知られていない、ローカルなものがまだまだあるのではないか?
 これを見てから、和菓子屋巡りが始まったと言っていい。
 洋菓子と比べ、その土地の歴史や風土、産物と、和菓子にはローカルな情報が詰まっている。それでいて、現在の材料を使ったりと、常に革新している。

 私は街歩きをする際、和菓子屋をまず尋ねる。和菓子屋には老舗が多く、様々な歳時記に合わせた菓子を作るため、街の様子を見ている。そこには街の様々な情報が詰まっているからだ。

小松堂重房・滋賀県長浜市
(滋賀県長浜市南呉服町9-31)













長浜という秀吉の大名となった土地なので、秀吉にちなんだ物が多い印象。  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)ご当地銘菓

2014年04月14日

4月19日講演 「KUMAGUSU 智慧の世界樹」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

  4月19日 15時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。

 内容は「KUMAGUSU 智慧の世界樹」です。


(25歳頃の熊楠、アメリカにて)


 天才的な語学力と記憶力を持ち、好奇心のままに米英を巡って植物採集を行った南方熊楠。
 帰国した後は、どの研究所にも属さず、特定の師もおらず、ただの民間の一研究者の立場から故郷の熊野地方で世界的な博物学を国内外に発信し、孫文や昭和天皇をも魅了した南方熊楠について語ります。

 「博物学・植物採集・環境問題・植物学」に関心がある方におすすめ。

 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:15時から

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)世間士として

2014年04月13日

本日講演 「人の記憶 地の記憶 火山伝承を読む」 沼津市 teshioにて

 本日13時半より沼津市のカフェteshioにて講演致します。
 
  内容は「人の記憶 地の記憶 火山伝承を読む」です。


(宝永噴火の復興を指揮した代官・伊奈忠順)


 秀麗なる富士山。その姿からは火を噴くなど考えられないが、古代から中世に掛けては常に火を噴く山であった。
 そして宝永の大噴火において、富士山の噴火は社会にどんな影響を与えたのか。
 歴史に刻まれた富士山の噴火を体験した人の日記や伝承から、噴火に遭った人の感情や、土地に刻まれた先人たちの思いを掬って行きます。

 「富士山・火山・災害史・富士信仰・平安時代・江戸時代」に関心がある方にオススメ。


 会費:500円
 ※飲食店ですので1人1オーダーのご協力をお願い致します。

 時間:13時半から

※お車でお越しの方は2人以上の相乗りで文化センターの駐車場をご利用頂くと、1時間無料になります。

 開催場所はコチラ・沼津市民文化センター内のカフェ・teshioにて


申し込みはオーナーメール、もしくは「info★cafe-teshio.com」(★を@に変更してメールを)で直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2014年04月12日

「秤の館」最終日を見に行く ①

 四日市市に在る私設博物館「秤の館」が閉館するという話を聞き、その最終日に現地へ向かった。

 JR富田駅から私鉄の三岐鉄道駅は最寄であるが少し離れているので歩く。




すぐ近くは東海道でした。



近鉄富田駅に入ると発車時間が迫っていたので慌てて階段を登ると、既にドアは閉まっていたが開けてくれた。

硬券の切符です。


「秤の館」最寄駅の保々駅へは気動車に揺られて18分ほど。


駅の案内表示にも「秤の館」の表示があります。



保々駅


最寄の高校専用の駐輪場ですが・・・

やや不安を覚えます。

途中にあった「鎧塚古墳」

古墳時代後期のもの。



「味山神社旧跡」という事だが、どういう事だろう。

寺は行圓寺という寺

色々とググったが、詳細は分からず。


保々駅から15分ほど歩いて「秤の館」着。


終了のお知らせを伝える貼り紙が。


続く…。

  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2014年04月11日

10日講演「二宮金治郎 両道を歩み続けた男」について参考文献

4月10日、三島市のcucurucuにて「二宮金治郎 両道を歩み続けた男」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「ゼロ成長の富国論/猪瀬 直樹」

 「近世南関東地域史論/小田原近世史研究会 編」

 「二宮尊徳の生涯と業績/大貫章 」
 
 「二宮尊徳/奈良本辰也」

 「二宮金次郎のミラクル経営再建塾/大石三四郎 森川幸人」
 

 
 ご参考にしてください。

※次回のcucurucuでの講座は5月8日19時から 明治以後のキリスト教近代史についてお話しします。  


Posted by かるの at 08:07Comments(0)世間士として