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プロフィール
かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
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2010年03月31日

掛川散歩 光のオブジェ展編1

 

 掛川の商店街では光のオブジェ展という様々な手作り作品が展示されていました。

 










続く・・・。
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2010年03月30日

南下政策失敗! 凍らない地を求めて

 先日、友人の家に行き車両を受け取った私は、友人の引越し準備に向かった。

 何とか捨てるものなく道具を積み込み、友人の東京での生活を後にした。
 せっかくなのでアチコチの桜や史跡を見学しつつゆるゆると戻る事に。そして夕方となり、静岡へ戻る路に。

 せっかくなので厚木でシロコロホルモン頂きました。

 決まった焼き方を教えてもらった。ただ載せているだけじゃダメなんですね。

 20時、この時は既に家に着いたようなものだと思っていた。

 ラジオの交通情報では東名高速が雪で大渋滞しているのを伝えていた。箱根新道も閉鎖されたと。
 それを聞き、高速が大渋滞していれば246も駄目だろうと、雪も降っていると聞いたので、南下し熱海へ向かい熱函道路にて戻ろうと判断した。
 箱根方面には時折、雷が見えた。

 23時、熱海梅園あたりで規制しているかのようなウマが並べられていた。交通整理している人に話を聴いてみると、規制は解除されたものの立ち往生している車で溢れているという。
 だが、その場には雪は無いし、車の姿も見えないので、行ってみた。
 登る途中、逆走してくる車に出くわし何だと思っていたら、反対車線が完全にアイスバーンになっていた。ふと周りを見回すと完全に雪国の風景である。すると、あらぬ方向を向いている車のオンパレード!
 同乗している友人に様子を見に行ってもらうと、歩く事もままならないほどの路面状況であると。

 規制は解除されているが、この危険な状況で走行するのはマズいと判断し、一旦戻る事に。
 下っている時、慎重を期して時速10キロ程度で走行していたが、それでもABSが時々作動していた。先ほど、逆走してきた車の気持ちもわかる。

 下って停車し考える。選択肢は旧道を走って熱海峠を正面突破するか、夜明けを待つか、迂回するか、である。
 引越しの荷を満載しているのでリクライニングも出来ない。車の撤収作業がいつ行われるかもわからない。熱海峠がダメなら周辺の峠は全てダメだろう。
 そこで再び246にて入る事を判断した。

 小田原に戻って開成、南足柄、山北と特に路面に問題は無かった。
 深夜1時、246に入る。もう遅いから渋滞もないだろうと思っていたが、県境を越えて小山町に入った時、大渋滞と完全なるアイスバーンに阻まれた。

 しかし渋滞ではあるものの、このアイスバーンに足を取られて事故に巻き込まれる事は無かろうと、半ば安堵した。
 渋滞しているものの、他の道ではもっと路面状況は悪いだろうし、渋滞している車の熱で凍結が改善されると思い、渋滞もとどまる事に。

 登り坂ゆえ、停車しても後退しないように細心の注意を払った。

 渋滞に巻き込まれて二時間、御殿場の川島田の辺りで路面の雪は無くなり、順調に流れるようになった。しかし、突如足をすくわれるかもしれないと、かなり遅く走った。

御殿場のコンビニにて。雪というよりも氷の世界です。


午前4時、ようやく帰宅した。ほぼ丸一日を運転していた。

 今思うと、判断が正しかったかはわからない。
 そのまま246を進んだ方が渋滞でももっと早く帰宅できたかもしれないし、大雪が降っている只中に突入したかもしれない。246の凍結状況ならまだ熱海の方がマシだったかもしれない。

 ただ、安全に帰宅する事が出来て良かった・・・。
  


Posted by かるの at 11:49Comments(0)店主

2010年03月29日

用事のついでに桜に出会う

 所用にて友人の家に向かう途中、静岡駅からバスで一時間。素敵な風景に。

 人知れず佇む社に一本の桜
 

 見事な枝を伸ばした桜
 

友人の家へ向かう。

居ながらに森林浴をしているかのような空気は羨ましくも思います。

  
タグ :静岡駅


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2010年03月28日

読めない名前

 最近の子供の名前が読めないという話はよく聞くが、駅の切符売り場で駅員の人の名札には
 「〇〇明夢」(名字は忘れた)
とあった。
 子供だけでなく、社会人として働く年代でもパッと見で読めない名前が出てきたのだなあ。

 印象は強いかもしれないが、一見としてどう呼び掛ければよいか悩んでしまう。別に名を呼ぶ機会がある人はそうそう居ないとも思うのだが。

 個人的に思うのは、年代を問わずに女性は「ゆうこ」、男性は「ひろし」が一番多いような気がする。
 トータルで名前のランキングやってもらいたいな。
 自分としては、一音に一文字当てた名付けをしたいな。

 名前はそうそう変えられないのと自分が選べないのが難しい。割合、昔の人は幼名と元服後、通称、号、など人生の時期や役職に応じて名前を変えていたものだ。
 自分としては、昔みたいに幼名と元服後で名が変わるように、成人の権利として自分で名乗れる権利と言うのはどうだろうか。無論、その権利を行使できるのは一回だけで、戸籍にも記載される。そうすれば、自分にも自覚が生まれるし、子供にどんな名を付けるかもじっくり考えるようになるかもしれない。
 



 つらつらと書いてしまったが、「明夢」さんはなんて読むのだろう・・・。呼んでみたいです。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2010年03月27日

ごきげんパラソル 1周年!


 さくらちらほら 桜 花咲くころさくら

週末の予定は決まりましたか?



 予定のある人も、

 まだな人も、

ちょっとだけでも…



 3月27日(土曜日)は、

沼津中央公園に 集合!!ダッシュ



numazoo 1周年記念祭 が 開催されます☆クラッカー

 



 もり盛りだくさんのパラソルが い~っぱい!!



 ステージイベントも もりだくさん!!

 



 10:00~10:20まで

紙芝居伝道師 さいとうみきも、

パフォーマンスさせて頂きます♪





 ぜひぜひ、足をお運びください!!



 

 お待ちしてま~す。



♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:

紙芝居の文化を  三代先まで残していきたい

児童文学   紙芝居伝道師

                     さいとうみき
♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;


  


Posted by かるの at 08:19Comments(0)紙芝居伝道師 みき

2010年03月26日

ふらっとLR 1956年2月27日

 2月27日開催のnumazoo放送局「ふらっとLR」では1956年2月27日に注目しました。

  音声を聴くには不尽み逸品堂 音声支店

自民党総裁の後継観測。沼津を選挙区とした石橋湛山の名があります。


朝鮮半島に取り残された邦人の引き揚げ記事。


密航してバンクーヴァーに行った少年


記事一面に原子力


高速道路建設に海外で債券を発行して資金を調達しました。


昔は子殺しは無かったと聞きますが・・・。


熱海でイザコザが。何となく、既存の漁業による経済と、新興の観光による経済との衝突のような気がします。


久能山東照宮の宝物が盗まれた。


ジープは米軍払下げでしょうか。


「お手持ちのモーターを」とありますが、そのモーターを持っている人はどれだけいるのでしょうか。


今でも副業で収入という記事はありますがウズラですか・・・。


御殿場線にディーゼル導入。蒸気機関車の終わりです。


御殿場のスケート場の賑わい。首都圏からも多くの人が来ているようです。



 2月27日のnumazooでは1949年の沼津に迫ります!  


Posted by かるの at 08:18Comments(0)ふらっと LR

2010年03月24日

「蚕~sun~」 hibi 衣展

 友人の小川昌美さんの作品展が明日から始まります。
 今まではグループ展でしたが、今回は初の個展という事で嬉しく思います。





 小川さんは着物を解いて新しい形に組直した着物を創作しておりますが、今回の作品展に当たってこんな言葉を伝えて来ました。

 きものとして人がまとい、用を終えた衣をほどき、一反の布へ還す。
 布の幅、長さ、時にはキズさえも生かし、再び人がまとうカタチを生む。
 直線の衣。現代の和の装い。どうぞご高覧ください。


 三島市・みしまプラザホテル・ギャラリープラザにて 

 
30日まで


 小川さんの過去の作品展一覧はコチラ  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)作品展案内

2010年03月23日

<三島風穴>埋め立て前に学術調査を 富士山周辺で最古級

 三島風穴と今回の埋め立ての範囲

 富士山の噴火でできた溶岩トンネルの中でも最古級で、静岡県三島市のJR三島駅北口の地下に広がる「三島風穴(ふうけつ)」が今月下旬にも埋めたてられる。工事を行う静岡県三島市によると、風穴の真上に市道を造るため、推定約3000平方メートルある空洞の半分をセメントなどで充てんし、地盤補強する。風穴に対する学術調査は実施されていないが、溶岩が生み出した貴重な鍾乳石などが残され、火山学の専門家から「工事前に学術調査すべきだ」との声が上がっている。

 三島風穴は、噴火で流れ出た「三島溶岩流」の最南端にあたり、富士山周辺で100以上確認されている風穴の一つ。1万数千年前にでき、総延長は分かっているだけで約300メートル。1953年に発見され、86年に日本火山洞窟(どうくつ)協会(現・富士火山洞窟学研究会)が実地調査した。長年かけて形成された「溶岩鍾乳石」などがそのまま保存され、市街地に残る洞窟としても全国的に希少という。

 かつては製薬会社の敷地内にあり、会社の移転に伴って05年、三島市函南町土地開発公社が公共用地として買収した。市によると、風穴の内部で崩落が確認されたため、道路工事に先立ち、今月内にもセメントと粘土質の資材で充てんする工事を始める。市建設部は「安全を期すのが第一の目的。手当てをしなければ風穴の真上にある既存の道路も崩落する恐れがある」と緊急性のある工事だと説明している。

 一方、今年2月に風穴を調べたNPO法人「火山洞窟学会」(事務局・東京都)の立原弘会長は
 「埋める前にきちんと全容を調べ、残すべきところは残してほしい。教育的な価値もある」
と指摘。山梨県環境科学研究所自然環境・富士山火山研究部の輿水達司部長も
 「山梨県側の富士山北麓(ろく)では三次元解析など最新の手法を使って風穴を調査している。調査前に埋めるとは信じられない」
と話している。【安味伸一】

[ 2010年3月15日 (毎日新聞)


 三島風穴を調査した火山洞窟学会による緊急報告はコチラ→http://vulcanocave.poc.jp/mishima20100206/
 
 「鍾乳洞は人の一生以上の長い時間をかけて作られるものだから大切に。」
というのは洞窟に入る際に注意される最も基本的な事だ。どうやらそれは場所によって都合が変わるようである。

 演劇で、山奥の村にある鍾乳洞のような穴に自殺に来た人と廃棄物処分場にする為に調査に来た役場の職員と未踏破の洞窟を一番に入りたいという探検家が鉢合わせして様々なドラマが展開される話があったが、なんとなくそれに近い話になって来た。

 貴重な文化財が民間の所有になると何をされるかわからない、と言われるが、今回の件は民間企業が保持していた所が公有地になって破壊されてしまう。

 「安全を期すため」
と言われると、「それじゃしょうがない」と思う人もいるかもしれないが、どこまで危険が迫っているのか、どう危険なのか、危険を回避するためにどんな手段が必要なのか、という事も全く提示されていない。  
 目の前で事故が起きて人の生命が危機に瀕しているという状況ではないだろう。他にどんな手段が取れるかという事を、考えた上で判断すべきだ。


 六本木ヒルズは計画から20年以上を経て完成したが、15年以上を住民への説明に費やしたといわれる。
 民間企業で出来るのに、更に負担が軽い自治体でなぜ長期的な視野が持てないのか。

 短絡的に行政の仕事を批判するのは好きではないが、やるかやらないかという選択肢が極端な例が多すぎる。当事者となった人にはもっと情報や提案が欲しいのに、賛成か反対という選択肢しか残されないからイザコザになる。
 行政としてはイザコザを避けたいがために計画通りに進めたいのだろうが、住民の意思を無視した計画の推進は結局、時間・資源・資金の無駄になるのではないか。

 今回の件は住民運動などはないが、この工事が行われたら復元する事は不可能になる。一万年以上も昔からあった景観を、数十メートルの道路を通すだけのために破壊するのか。工事するにしても、もっとやるべき事はあるのではないか。全国的に貴重な自然景観である事はもっと三島市の方は知っておいた方が良い。


   


2010年03月20日

掛川散歩 掛川城編

 

商店街と城とを分ける大手門


まずは城門から


模型による城の全体像







天気の良い早朝だったので、漆喰の白が輝いていました。




 城内に入るには有料ですが、周りを歩く分には無料です。散歩の人も何人か居ました。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2010年03月19日

掛川散歩 周辺史跡編

 明治天皇の行幸の際、宿舎となった所。
 

 十九首塚 

 平将門の乱で藤原秀郷に討ち取られた将門方の武将の首をここで首実検したようです。

 二宮尊徳の精神「報徳思想」を受け継ぐ大日本報徳社の本部です。

 門には「道徳門」「経済門」と刻まれており、報徳精神を示しています。

大日本報徳社の図書館



 掛川宿の本陣跡は現在駐車場になってます。

 
 史跡整備も民間地にはなかなか手が回らない一例と言えましょう

 掛川城の城門が移設された円満寺の山門です。


 
次は掛川城に入ります。

  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主

2010年03月17日

大仁梅林に梅を見に行く

 大仁梅林に梅を見に行ってきました。

 雨が降っていましたが、雰囲気はなかなか。
 甘酒の振る舞いを受けました。ありがとうございます。
 

 所どころに俳句が記された短冊がありますが、県外からも。


 大仁神社は変わった地形だなと思っていましたが、聴く所によると擂鉢状の地形はかつて相撲の興行を狙って構築した地形だという事です。
 その段々になっている所に梅を植樹したようです。


  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2010年03月16日

イカルスの夢!翼は何故もがれたのか!

 




話題妻
 2月20日に上場廃止の日を迎えた日本航空。果たして日航だけの問題だったのだろうか
 世界の航空会社と台頭する格安航空会社に見える航空会社のビジネスモデルはどうなるのか。
 かつて日航に勤めていたという意外な方が、勤続当時から感じていた問題点とは?。

地方妻紹介
 オリンピックメダリストを多数輩出する名門スケートチームを擁する日本電産サンキョーについて。
 メダル獲得には自社技術も関わっています。


新妻紹介
 3月3日に東証マザーズに上場したペットの医療保険会社「アニコムHD」について。
 今の所、ペットの医療保険を展開する会社はこの会社だけ!


 次回配信は4月14日です。
 次回はサントリーとキリンの経営統合が破談になってしまった点に、合併比率での条件にオーナー一族の意向に沿わなかったから、という事から企業とオーナー一族について取り上げます。
 リコール問題に揺れるトヨタもよくよく見ればオーナー社長。
 首相も言ってみればブリヂストンのオーナー一族と言えましょう。

  この番組にご意見、ご感想、ご質問などお寄せ頂ければ幸いです。コメント欄に書き込みしてみて下さいね。塩漬け株情報も大歓迎です。

 投資にはリスクが伴います。番組で取り上げた銘柄は推奨するものではありません。取引の際は、自己責任でお願いします。
  


Posted by かるの at 08:18Comments(0)つかめ!Stock King!

2010年03月14日

新感覚な献血ルーム・akiba Fを見に行く。

 東京・秋葉原の新感覚献血ルームakiba Fに行ってみました。


宇宙船をイメージしたという空間です。


 ヴォーカロイド・初音ミクの開発元・クリプトンフューチャーメディアと提携しているだけあって室内には初音ミクのフィギュアが沢山。


ロッカーも未来志向。使い方を示された紙を渡されたがナンバーキーの設定がイマイチ使い方が分からず、締めたつもりだったが帰りには締まってなかった。

 撮影はできなかったが、医師による問診を受ける部屋もホワイトベースの中のようなデザイン。

 自分は成分献血のつもりで入ったが、全血が欲しいと言われたので400ml献血。全血なので、それほど時間は掛からないのだがベッドのテレビモニターを点けると、i-pod touchがあってその中に入っている映像を見れますとの案内があった。しかしまだコンテンツが少ないらしく、赤十字の広報映像みたいなのが中心だった。
 しかし初めて触ったi-pod touchの操作感にホレボレしてしまう。

 採決は10分で終了。


akiba FのFはfutureのFだそうです。

渡されたパンフレットも初音ミク。akiba Fのみのオリジナル音源がダウンロード出来るというのが景品の一つらしい。ステッカーも貰う。


 本棚には他の献血ルームでは見ない、PC・ゲーム・アニメ専門誌やサイゾー鉄道ファン、そして初音ミクの書籍など秋葉原らしさが出ていると思います。
 サイゾーはなかなか見かけないので読みふけってしまった。(ここの職員はサイゾーの中身をみているのだろうか?)


乗ってきたエレベーターもこんな扉だったと気づく。

 何となく…アキバらしい空間を、という狙いすぎ感を感じてしまう。余りフィギュアは無くても面白い空間なのに。
 居心地がよいからか、自分も含めて長時間いる人が多かった。男女比は偏りなかった。景品はもう少し実用的な物が欲しいかな。
 でもこういった試みはどんどんやってほしい。  


Posted by かるの at 08:16Comments(2)店主

2010年03月13日

幻のウイスキー、回収へ=南極で氷漬け1世紀-NZチーム


 【シドニー時事】ニュージーランドの専門家チームが、南極で1世紀もの間、氷の中に埋もれていた幻のスコッチウイスキーを回収する計画を進めている。ウイスキーは、1909年に南極点到達を目指しながらあと180キロの地点で涙をのんだ英国の探検家アーネスト・シャックルトン卿らが拠点として使った小屋に残されていたもので、現在は販売されていない。

 ウイスキーは2006年1月、ロス島ロイズ岬の「シャックルトン小屋」の床下で二つの箱に入った形で見つかった。南極歴史遺産トラスト(ニュージーランド)のアル・ファスティアー氏によると、小屋は史跡として保存する必要があり、10年2月に行う回収作業では、床下の凍り付いた地面に腹ばいになり、特殊なドリルで氷を慎重に取り除いていくことになるという。

 ただ、このウイスキーも史跡の一部として保護されており、早速味見というわけにはいかないようだ。まずは専門家が保存状態などを分析するが、ファスティアー氏によると、保存状態に大きく影響するコルク栓がどうなっているかは「箱を開けてみるまでは分からない」という。味については「ロマンチックなままの方が良いこともあるのでは」と話している。

 報道によると、ウイスキー製造元のマッキンレイを現在所有する英ホワイト・アンド・マッカイ社はこのウイスキーのサンプルが入手できれば、それを基に調合し、発売する可能性がある。 

[ 2009年12月28日[時事通信社]



 英国が18世紀に世界の覇者と成り得たのは、産業革命に先んじただけでなくこのシャックルトン卿を始めとする冒険者たちによって成し得たものであると思う。それが植民地拡大の思惑もあったかもしれないが、それだけでない冒険心というものもあっただろう。

 冒険というものは未開の地に行くばかりではなく、多くの好奇心を持つことであると思う。シャックルトン卿が南極探検の隊員募集をした際、こんな広告を出した。

 「探検隊員を求む。至難の旅。わずかな報酬。極寒。暗黒の長い月日。絶えざる危険。生還の保証なし。成功の暁には名誉と賞賛を得る。」

 この広告の反響は
 「まるでイギリス中の男たちが、私の仲間になることを決意したのかと思ったぐらいの反応があったよ」
とシャクルトンは語っている。
 もし現代の日本でこんな広告を出して何人集まるだろうか。

 昨今、登山などで遭難すると遭難者が
 「世間の皆さまにご迷惑をおかけしました。」
と謝罪することが多い。
 しかし、関係者や捜索に当たった人に対しての申し訳ない気持ちはともかく、なぜ世間の人に謝罪する必要があるのだろうか。
 本人がそう思ってなくても、報道記者などがそう促すかのような罵声にも近い質問を浴びせるのもあるだろう。それによって、「世間」の人達の負のエネルギーが一人に集中するかのようである。

 例えば、登山による遭難にしても世間の人が掲げる遭難原因などは結局は後追い情報でしかない。登山をする人の意見ならともかく、テレビの前でぬくぬくと全ての事を分かっているかのような「王様」の意見など聴くに値しない。
 遭難者に判断ミスがあったとしても、当事者の状況を慮る方が大事だろう。

 人がここまで進化したのは挑戦する心からである。
 現代は大半の事が大した努力もなしに成し遂げられてしまう世の中であるが、そんな中でも冒険する心は多少なりとも残っている。自分が不利益を被ったわけでもないのに、そういった精神をなぜ非難するのだろうか。

 シャクルトンは極寒の南極探検で遭難、漂流し、しかも南極点到達をアムンゼンに先んじられて探検目的を見失ったにも関わらず、隊員全員の生還を果たした。
 きっとこれも現代の日本では大して顧みられることもないのかもしれない。

 挑戦する心、自分は最も尊い精神であると思う。挑戦する人を称えられる気持ちを何時までも持ちたい。


 
 

  


2010年03月12日

海洋深度掘削調査船「ちきゅう」を見に行く。 講演会編

 後編の続き・・・

 「ちきゅう」を見学し、近くの会場で行われている講演会に。残念ながら途中からだったが、かなり興味深い話が聞けた。

 「地震予知」から「地震制御」へ、という話だったのだが、中央アジアのキルギスという国では地震制御の研究がかなり前から行われているという。
 旧ソ連の時代、核戦争が起きた時の通信をどうするかという研究から始まったそうだが、(核戦争が起きた段階で通信もクソも無いだろとも思うが)地上通信インフラも通信衛星も破壊された際に、地中を通じて通信を行う事を考えたらしい。そこで、地中にモールス信号を送るために電流を流すと、地震が起きたというののだ。
 しかも、入力に対しての出力は10万倍のエネルギーにもなった。(トランジスタもビックリだ)
 つまり、大地震が起きそうな所に電流を流すことで意図的に地震を起こして、大地震が起こる前にエネルギーを放出させて大地震を防ごう、という考えのようだ。ただ、どのように制御するかが課題だという。

 これは考えようによっては非常に強大な兵器にもなりうるのではないか。

 漫画「スプリガン」では龍脈と呼ばれる地球のエネルギーの通り道を刺激することで、世界各地で自由に地震や噴火を起こすという技術を巡って各国の軍が動く、というシーンがあるが、何となくそれを想像した。(これで富士山も噴火する)
 スプリガンに出てくる水晶の髑髏も一定の振動を与えると莫大なエネルギーを放出するという描写があった。これも似ている感じだ。

 地震も地球の新陳代謝の一種と考えれば、それが行われなくなったとしたらどうなるのだろうか?
 非常に気になる。

 余り知られてないのだが、1944年にも東海地方で大地震が起きている。
 戦時中ゆえ、報道管制によってこの事は知られてないのだが、記憶がある人はもっと語ってもらいたいと思う。




 講演のパワーポイントの写真で日本平から見た「ちきゅう」の夜景というのがあったので、暗くなってからも見に行ってみた。


 軽く「工場萌え」の要素もありそうです。


 船の巨大なクレーンが動いていました。

 このクレーンも船に据えられているものとしては最大の大きさ。



 三保半島の折戸側から見てみました。


 帰り、静清バイパスからも見えました。  


Posted by かるの at 08:18Comments(0)受講日記

2010年03月10日

海洋深度掘削調査船「ちきゅう」を見に行く。 後編

 
前編の続き・・・。


 船から櫓を見ると見上げる高さ。
 

船からはドリームプラザや観覧車も小さく見えます。


 入港してきた駿河湾フェリーも小さく見えてしまいます。


 掘削するドリルについての説明。


 掘削された地殻の資料
 





余りにも広いからか、船内移動にも自転車というのが驚きでした。


 これにて船内の見学は終了、一時間ほどでした。

 





幅も凄いです。

 先日、ラジオ番組のアバンティで「ちきゅう」の船長の方が出演されていました。リンク先で聴いてみては如何でしょうか。


 この後、「ちきゅう」寄港に関連して近くの会場で行われていた地震防災に関する講演へと。ちょっと気になる話がありましたがその様子はまた後ほど。

  


Posted by かるの at 08:14Comments(0)店主

2010年03月09日

海洋深度掘削調査船「ちきゅう」を見に行く。 前編

 清水港に停泊している海洋深度掘削調査船「ちきゅう」を見に行って来ました。
 


 この船は海底の地殻を掘削して地層を調べ、地震のメカニズム解明や、資源探査に役立てる調査を目的にしている船です。
 目標は近くを抜いてマントルまで採集することとか。(事業仕分けでは「マントルまで掘る必要があるのか?」とも言われたらしいが。)

 ちなみに、この船を運用している会社を「つかめ!Stock King!」でも取り上げました。時間ある方はリンク先で聴いてみてください。

 周りのビルよりも高い櫓です。(130m)

 余りにも高いので、雲が掛かって頂点がみえません。


 インフルエンザ警戒中。わざわざ問診票記入と体温計測をしていますが、別段細かく個人情報を記入する訳でもないので、もしインフルエンザが出ても追跡調査が出来ないと思います。それならサーモグラフィーか何かで体温計測だけにすればこんなにも混雑しないと思うが。

 40分ほど待ち時間。
 和やかな音楽が流れていました。長時間の待ち時間でもイライラしないようにしているのか。

 待っている時間で船の関係者らしき人がプチ解説をしているのはgood job。

 雨が降っているのに、船内乗り込む時は傘を開かないで、と言われたのが辛かった。

 船内に入る。
 乗組員には外国人も居るからか、様々な表示が英語とピクトグラムでした。一般公開に合わせたのか、「ゆるキャラ」も。


 この辺りは「マッパムンディス」でも取り上げたいと思います。

 
後篇に続く・・・。

 

  


Posted by かるの at 08:23Comments(0)店主

2010年03月01日

浦島太郎は津波被災者?

 この記事を書こうと思ったのは沖縄で津波警報が出た時であったが、一日置いてもっと大きな津波が発生してびっくりしました。
 幸い、1960年のチリ地震津波のような人的被害はありませんでしたが、遠隔地で起きた大地震による津波は前触れもなく津波が押し寄せるのである意味、恐怖であります。
 私の祖母は岩手県三陸海岸の田老町の生まれで、明治に起きた三陸大津波を受けた土地柄、津波の恐怖というものを実感していました。

 沖縄と言うと地震が無いイメージからか、IT企業がサーバーのバックアップを沖縄に置いていたりするが、沖縄も地震とは無縁ではない。(リンク先を参照)

 私は離島の歴史に興味があるので、その地震・津波被害を見ていると「全島民全滅」という記述も時折ある。
 沖縄の漁師はサバニと呼ばれる小舟でも何日も沖合いに漁に出る。沖合いに居たら普段より大きな波が来ても津波とは気づかない。帰ったら島が全滅していた、なんてこともあったのではなかろうか。その時の悲しみはいかばかりか。
 そんな離島の話は沖縄でないかもしれないが、この津波被害を伝えるために浦島太郎のような説話となった、というのもおかしくはない。
 浦島太郎の話の元と言われる「浦の嶋子」の伝説は日本書紀にも記述があるので、更に古くから伝わっていた昔話なのだろう。

 八重山諸島の与那国島では海を航海していた男が陸地を探すためにヤドカリを放す、という昔話がある。これを「ノアの箱舟」のような大洪水を逃れた話とする人もいるが、洪水というより津波の方がしっくりくる。

 このような昔話からも防災意識を伝えたいものです。


   


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主