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かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
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2015年12月30日

1月12日講演 「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」 沼津市 Lot.nにて

  1月12日18時半から沼津市のLot.nにて行います。

  内容は「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」です。


(中国へ送られたアヘンの倉庫)


 19世紀、欧米列強の進出は東アジアに達し、地球規模となった。日本も植民地となるか独立を保てるかの瀬戸際となった。
 幕末から明治維新への動乱を、経済的な視点を通じて、欧米列強の思惑と暗躍する武器商人たちの動きから見て行きます。

 「幕末・19世紀・アジア史・欧米列強・武器商人・戊辰戦争・国家債務問題に関心がある方におすすめ。」

 会費:1000円(ドリンク付き)

 時間:18時半から

 開催場所はコチラ・沼津市上土町10 (それまでの店舗の道向かいです

)  

 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。

 参加は自由です。Lot.nさんへ直接来場ください。
 変更や中止の問い合わせ、申し込みはオーナーメール、もしくはLot.nさんへお問い合わせください
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2015年12月29日

「道の駅・静岡版」2015年冬号に寄稿しました

 静岡県と神奈川県各地の道の駅にて設置されているフリーマガジン「道の駅・静岡版」2015年冬号に寄稿した記事が掲載されました。


(クリックで寄稿した記事が読めます)


 今回は伊豆諸島の造島神話についてです。

 静岡県および神奈川県内各地の道の駅に設置されているので、ご自由にお持ちください。  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)メディア寄稿

2015年12月27日

1月10日講演 「宮本常一 ~その眼差しと足跡を追って~」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

  1月10日 15時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。

 内容は
 宮本常一 ~その眼差しと足跡を追って~






 昭和の日本各地・14万キロを自らの足で歩き、民俗調査を行った民俗学者・宮本常一。
 市井を生きる人の生活を見続けた一民俗学徒の視野は、やがて国の在り方にまで広がり、学問という枠を超えて地域づくりに活かし多くの人を勇気づけた宮本常一の生涯について語ります。

 「街づくり・地域興し・旅・民俗学」などに関心がある方にオススメです。

 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:15時から

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)世間士として

2015年12月25日

長篠城・設楽原古戦場探訪 ③



 飯田線に分断された野牛曲輪へと向かう。
 駐車場に戻って、やや廻り込んで二の曲輪の南に飯田線のその名も古城址踏切があるのだが、警報機が無く 遮断機もないので左右を充分確認して渡ります。

 こういった踏切は初めて。

 本丸の南側には腰曲輪状の野牛曲輪がある。

 ここの野牛門から鳥居強右衛門が城を抜け出して豊川を潜って渡り、岡崎へ援軍の要請に向かっています。

 殿井と言う井戸跡があり、今も水が湧いています。

 河岸段丘の砂礫層と岩盤の境から湧き出る泉で、城兵の貴重な飲料水であった。

 野牛郭跡


 そこから川側へ降りていく。


 豊側と宇連川が合流する断崖があり、


 先端付近に櫓台跡がある。


 この先からは石造りの飯田線の橋脚が美しく川面に反射していました。


 道路の橋脚も鉄骨の構造が美しい


続く…
  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)店主

2015年12月23日

12月22日 高嶋酒造講演 「日本再起動 室町ルネサンス」 参考文献一覧

 12月22日に沼津市の高嶋酒造にて「日本再起動 室町ルネサンス」についてお話させて頂きました。

 参加して下さった皆様、ありがとうございました。

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 足利義持/伊藤喜良
 室町人の精神 日本の歴史12/桜井英治
 戦争の日本史9 応仁・文明の乱/石田晴男
 日本の時代史11 一揆の時代/榎原雅治編
 関東公方足利氏四代 基氏・氏満・満兼・持氏/田辺久子
  


 ご参考にして下さい。

※次回は1月27日18時半から、「文武一徳 平和を繋いだ今川氏」と題し、室町時代の静岡県を治めた今川氏の歴史についてお話しします
  


Posted by かるの at 08:05Comments(0)世間士として

2015年12月22日

本日講演 「日本再起動 室町ルネサンス」 沼津市 高嶋酒造にて

 本日18時半より講演致します。

  内容は「日本再起動 室町ルネサンス」です。


(今日の和風建築の元と言える銀閣こと慈照寺)



 室町三代将軍・足利義満が亡くなると、その強大な権力の喪失はあらゆる矛盾を噴出させ、幕府は急速に衰えていく。幕府は権威を取り戻そうと足掻く一方で、その権威に頼らず新たな時代を切り拓こうとしていた者たちが居た。
 室町時代中期における経緯と、その中で生まれた今の日本に通じる文化についてお話しします。

 「室町時代・下剋上・社会学・日本文化・一揆に関心がある方におすすめ。」

 参加費:700円。

 時間:12月22日18時30分から(※普段と曜日が異なりますので、ご注意ください。)

 開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて


 ※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)

 ※自由参加ですが、問い合わせ等は高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2015年12月21日

長篠城・設楽原古戦場探訪 ②



長篠城は、飯田線のために本丸と寸断されてしまったが本丸南には野牛曲輪があり、ここの遺構はよく残っている。

しかし一方で、城の北側のほとんどは埋没、破壊されている。現在は畑地や宅地などになっているが、一部に石垣の遺構を残している。

本丸から見える山の中腹に櫓状の建物が見える。長篠城を対岸の山の上から見張ったのが鳶が巣砦の跡で、長篠城の周りにはこのような砦が五つ築かれた。




林高英頌徳碑

江戸中期、長篠出身の代官であった林高英は、弓術の一派・日置流雪荷派師範としての名が高く門弟およそ七百人といわれた。
その為、弓の大会なども当地で行われているようだ。

天守台

天守台は予想していたより小さく、武田方の大軍を五百の兵で防ぐには小さすぎ、囲まれている城兵たちは非常に心細かったのではないかと。

天守台にある久邇宮良子お手植の松

大正7年3月17日、設楽原古戦場と長篠城を訪れた際の松。

天守台から望む堀


堅木植樹の碑

志賀重昴が建てた碑。碑には、鳥居強右衛門のエピソードを、アメリカのアラモ砦の話になぞらえた漢詩が刻まれている。
志賀は拙講座で取り上げる玉置半右衛門と昵懇で、鳥島に取り残された玉置を新聞記事で世論喚起して救出に向かわせた人物として知っていましたが、ここで出てくるとは。
志賀は元々岡崎の人というのをこの碑で知りました。岡崎の人ならこのエピソードが感慨深いのも納得。

 ではここで、長篠城と鳥居強右衛門のエピソードをおさらい。
 長篠城を任されていた奥平貞昌は当時21歳の若武者。武田を裏切って徳川を頼った彼は、武田に降伏しても裏切り者としてどんな扱いになるか判らず、戦うという選択肢しかありません。
 武田の大軍に対して五百の寡兵に過ぎなかった長篠城ではあるが、二百丁の鉄砲を有しており、また周囲を谷川に囲まれた地形と三重の堀が築かれた帯曲輪のおかげで武田軍の激しい攻撃にも何とか持ちこたえ善戦していた。それでも武田軍の攻撃は執拗で、6日に亘る通常攻撃では武田軍の死傷者も多く、勝頼は総攻撃を止め兵糧攻めに切り替えた。甲州の金堀人足による城の掘り崩しなどが行われ、更に兵糧蔵の焼失により食糧を失い、このままでは数日を以って落城必至という状況に追い詰められた。

 奥平貞昌は家康に援軍を請うべく、鳥居強右衛門を岡崎城にいる家康の下へと向かわせます。鳥居は城を抜け出して豊川を潜って武田勢が居ない対岸まで泳ぎ切った。梅雨の時期だったため川は増水して流れも速かったため、武田方の監視をかわす事が出来たのであろう。しかしそれは溺れる危険性もある決死の伝令であった。
 こうして武田軍の包囲網をかいくぐり、岡崎城までの65kmの山道を一日で駆け抜け、家康に長篠城の救援を訴える。家康も武田方の動きを察知しており、同盟者の織田信長に再三に亘って援軍を要請しており、丁度この日、織田信長の引き連れた三万の軍勢も岡崎城に到着していた。
 鳥居は落城寸前の長篠城の状況を説明、早急な出陣を乞う強右衛門に信長はゆっくりと休むように言った。しかし城で難儀している仲間に一刻でも早く「まもなく織田・徳川連合軍が救援に来る」ことを知らせたいと、再び長篠城へ戻っていった。
 織田・徳川連合軍3万8千の兵力は翌16日、長篠を目指して進軍を開始します。

 長篠城本丸から北側の住宅が連なる道筋の南側が弾正廓跡、道を挟んで北側の民家に家老屋敷跡がある。



 長篠城へ引き返した鳥居であったが、長篠城の目前まで来た所で武田軍に見つかって捕らえられてしまった。
武田勝頼は城兵の士気が昂まるのを恐れ、鳥居に「援軍は来ない。諦めて早く城を明け渡せ」と偽りの情報を城に伝えれば助命するとの取引を持ちかけられこれを承諾した。
長篠城の南を流れる寒狭川の河原に引き出された鳥居は、城に向かって「あと二、三日で援軍が来る。それまで頑張れ!」と大声で叫んだため、城兵は湧き上がった。

本丸から歩いて五分もしないこの辺りまで武田方が制圧していたとなると、落城寸前であった事が分かります。

更にその隣に鳥居強右衛門が城兵に叫んだという場所を巡ります。

この辺りは民家になっていて、城の面影はない。

しかし、命を賭して勝頼の命令に背いた鳥居強右衛門は、見せしめの為に逆さ磔にされ殺されてしまった。
一方、鳥居の決死の報告によって援軍が来るという情報を得ることが出来た貞昌と長篠城の城兵たちは、鳥居の死を無駄にしてはならないと大いに士気を奮い立たせた。
武田方の家臣・落合左平次もまた、敵方ながら鳥居強右衛門の命を賭しての忠義に感動し、磔にされている強右衛門の姿を旗指物に使うようになった。

続く…
  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)店主

2015年12月18日

1月9日講演 「国境最前線 東国三英傑の三国志」 静岡市 くればにて

 1月9日14時より静岡市のシニアライフ支援センター「くれば」にて講演致します。

 内容は「国境最前線 東国三英傑の三国志」です。


(三国同盟が締結された善得寺城跡公園の三国の石を使った庭)


 戦国時代、武田・今川・北条氏が覇権を巡った静岡県東部地方。
 目まぐるしく変わる国境線を中心に、それぞれの大名は何を考えていたのか。そして、大勢力に挟まれた地侍たちはどのように生き伸びたのか?
 合従連衡の末の戦国の結末と、後世への影響があったかを語ります。


 「室町時代後期・下剋上・城・静岡県の戦国時代に関心がある方におすすめ。」

 会費:500円

 開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル1F シニアライフ支援センター「くれば」
 


 参加は自由です。直接、来場してください。問い合わせはコチラから。054(252)8018
 もしくはオーナーメールで直接お願いします。


 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
  


Posted by かるの at 08:18Comments(0)世間士として

2015年12月17日

長篠城・設楽原古戦場探訪 ①

 沼津史談会による長篠城・設楽原古戦場へのバスツアーに参加しました。非常に人気だったようでバスは補助席もほぼ満席でした。
 参加した史談会の皆さんはもちろん、解説に当った平山優さん、沼津市文化財センターの方、バスの中でご紹介があった、三河武士を題材とする漫画家のすずき孔さんなどもいらっしゃいました。

 バスは沼津駅前から新東名に入り、一路長篠へ二時間半。新東名が出来たおかげで奥三河もほぼ直結状態となりました。所々で雨があり、現地の天候が心配でしたが、愛知県に入った頃には青空が見えるほどの晴天になりました。

 長篠城に到着。




 長篠城は、信濃・三河・遠州の入り口と言える奥三河地域の交通の要衝の地に築かれた、二つの川と断崖絶壁に守られた天然の要塞。特に1575年の長篠の戦いの前哨戦と言える長篠城を巡る激しい攻防戦で知られる。
 はじめ、今川氏に誼を通じた在地の菅沼氏が築城。その後、今川氏の衰退と共に徳川家康に服属するようになる。
 1571年、武田信玄による三河侵攻により武田方となるも、1572年末より行われた武田軍の西上作戦中に武田信玄の病が悪化、武田軍が本国へ撤退する途中で信玄は死去する。
信玄死去の間隙を突いた徳川家康は長篠城を奪還。以後、武田軍の再侵攻に備えて城が拡張され、現在に残る城の構造はこの時のものと考えられている。
1575年6月、武田家当主となった武田勝頼が一万五千の兵を率いて長篠城を攻め囲む。それに対し、長篠城を守るのは城将・奥平貞昌以下、約五百の手勢であった・・・。

 バスを降りた駐車場は、既に本丸の真正面で、そこには見事な堀に囲まれた本丸を眺めつつ、平山氏の解説が始まりました。


城の入り口にあった「さかさ桑」

 長篠 の落武者が、民家の庭に杖をつきさした。 土地の者はその剛力を見て、ただものではないとおもい、その杖に手をふれなかった。 落武者は武田勝頼 であった。
杖からは桑の芽が出たが、下方に向かってだけ伸びるので、さかさ桑 と名付けられた、という伝説が伝わっている。  
 武田氏は「さかさ銀杏」の話もありますので、「さかさ〇〇」の話の元ネタがあるのでしょうか。

 本丸付近は多くの遺構が残っている。特に大規模な空堀と土塁が残っており、徳川家康が長篠城を奪取した後に大規模な修築を行った結果であると考えられている。










続く…
  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)店主

2015年12月15日

風月堂・神奈川県小田原市

とある会合で和菓子が配られた。

 何気なしに眺めていたら、ローカルもローカルな名称と、絵柄に引き込まれた。

 まだまだ知られていない、ローカルなものがまだまだあるのではないか?
 これを見てから、和菓子屋巡りが始まったと言っていい。
 洋菓子と比べ、その土地の歴史や風土、産物と、和菓子にはローカルな情報が詰まっている。それでいて、現在の材料を使ったりと、常に革新している。

 私は街歩きをする際、和菓子屋をまず尋ねる。和菓子屋には老舗が多く、様々な歳時記に合わせた菓子を作るため、街の様子を見ている。そこには街の様々な情報が詰まっているからだ。


風月堂(神奈川県小田原市本町1丁目10−20)


城下町最中

城を模した最中です。

市民が選んだ 小田原みやげという「小田原セレクション2015」にも選ばれています。

箱根道中へっちょい

「へっちょい」とは大名行列の掛け声だったという。

中身は粒餡を餅で包んで黄粉をまぶした餅です。

各種どら焼き類



  


Posted by かるの at 07:14Comments(0)ご当地銘菓

2015年12月14日

12月13日 散歩かふぇ ちゃらぽこ講演「渋沢敬三 輝ける遠き巨星」 講演参考文献

 12月13日、散歩かふぇ ちゃらぽこにて「渋沢敬三 輝ける遠き巨星」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 父 渋沢敬三/渋沢雅英
 屋根裏の博物館/横浜歴史博物館編
 渋沢家三代/佐野眞一
 宮本常一著作集50 渋沢敬三/宮本常一著 田村善次郎 編
 渋沢敬三先生と私/拵嘉一郎
 旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三/佐野眞一
 民俗学がわかる/アエラムック
 民俗学のエッセンス/瀬川清子編
 民俗学とはなにか/新谷尚紀
 三津の覚書/鈴木保・山本三朗編
 


 ・「父渋沢敬三」は敬三の長男・雅英氏から見た父親像

 ・「屋根裏の博物館」はアチックや敬三の博物館に対する考え方に詳しい。

 ・「宮本常一著作集50 渋沢敬三」は宮本常一から見た敬三への視点や交流。

 ・「旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三」は宮本常一が主人公とも言えますが、渋沢に関しても詳しい。

 ・「渋沢敬三先生と私」はアチックに書生として居た著者から見たアチックの様子や人々の様子に詳しい。

澁澤敬三が大蔵大臣になった際の国家予算や財政について、このサイトが詳しいです。→http://blog.livedoor.jp/yamato26840/archives/52206722.html

 ご参考にして下さい。

 次回の散歩かふぇ ちゃらぽこでの講演は1月10日15時から
 「宮本常一 その眼差しと足跡を追って」です。  


Posted by かるの at 08:18Comments(0)世間士として

2015年12月13日

本日講演 「渋沢敬三 輝ける遠き巨星」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

  本日14時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。

 内容は「渋沢敬三 遠き輝ける巨星」です。


(澁澤が設立を願った国立民族学博物館)


  近代資本主義の父と言われる澁澤栄一の孫として生まれ、銀行家の道を歩みながらも民俗学者をはじめ多くの研究者に物心ともに支援を行い、自らも新しい学問の世界を切り開いた澁澤敬三。
 経済の世界でも戦時中は日銀総裁、戦後の混乱期は大蔵大臣として自らの身を切り「見えない戦争」を戦った。
 様々な顔を持った澁澤敬三の生涯を追っていきます。

 「民俗学・民族学・戦時経済・財閥・」
などに関心がある方にオススメです。

 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:14時から(普段より一時間早い開始時間ですのでご注意ください)

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)世間士として

2015年12月11日

12月22日講演 「日本再起動 室町ルネサンス」 沼津市 高嶋酒造にて

 12月22日18時半より講演致します。

  内容は「日本再起動 室町ルネサンス」です。




 室町三代将軍・足利義満が亡くなると、その強大な権力の喪失はあらゆる矛盾を噴出させ、幕府は急速に衰えていく。幕府は権威を取り戻そうと足掻く一方で、その権威に頼らず新たな時代を切り拓こうとしていた者たちが居た。
 室町時代中期における経緯と、その中で生まれた今の日本に通じる文化についてお話しします。

 「室町時代・下剋上・社会学・一揆・戦国時代に関心がある方におすすめ。」

 参加費:700円。

 時間:12月22日18時30分から(※普段と曜日が異なりますので、ご注意ください。)

 開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて


 ※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)

 ※自由参加ですが、問い合わせ等は高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)世間士として

2015年12月10日

大阪 建築めぐり ⑨



展示の世界観を醸しだすディスプレイ


発掘された鎌倉時代の井戸


そんな中の唐突とも言えるゴミ箱の展示


ゴミ収集の歴史





昭和11年から自動車によるゴミ収集を行っていたとは意外でした。

ゴミ収集のメロディとな?

島倉千代子氏の歌で、大阪万博の年に作られたとの事。




舞洲工場は最新式のコンピュータによる安定した高温運転で、1日に最高900トンのゴミ処理を可能とすると同時に発電も行う。
灰に含まれるダイオキシンは加熱脱塩素化装置で分解。屋上に降る雨水を集めて排水処理水の再利用など環境に配慮した施設である。
フンデルトヴァッサー氏がデザインしたゴミ焼却場はオーストリアのウィーンにシュピッテラウ焼却場があるとの事。

最後にアンケートを記入したが・・・

こういったネタも・・・。

「直線は人間性崩壊をまねく。」というのがフンデルトヴァッサー氏の言葉であるが、小さな窓にも手描きのようなデザインである。



あちこちから木々がのぞいている自然と共生した建物。木々とともに変化していく建物。





こうして舞洲を後にしました。  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主

2015年12月09日

12月13日講演 「渋沢敬三 輝ける遠き巨星」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

  12月13日 14時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。

 内容は「渋沢敬三 遠き輝ける巨星」です。





  近代資本主義の父と言われる澁澤栄一の孫として生まれ、銀行家の道を歩みながらも民俗学者をはじめ多くの研究者に物心ともに支援を行い、自らも新しい学問の世界を切り開いた澁澤敬三。
 経済の世界でも戦時中は日銀総裁、戦後の混乱期は大蔵大臣として自らの身を切り「見えない戦争」を戦った。
 様々な顔を持った澁澤敬三の生涯を追っていきます。

 「民俗学・民族学・戦時経済・財閥・」
などに関心がある方にオススメです。

 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:14時から(普段より一時間早い開始時間ですのでご注意ください)

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2015年12月08日

大阪 建築めぐり ⑧



 この施設は見学者を予め想定していたのか、施設の概要を解説してくれるキャラクターや、開設パネル展示が充実している。






ごみの谷や風のみちなど、世界観の「設定」は誰なのかが気になる。


このゴミを掴むクレーンのツメは拡げると6m、一掴みでゴミ収集車6台分との事。






原発での事故例を隠さないスタイル。




施設の解説コーナーがどんどん凝った感じになってくる・・・



続く…


  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2015年12月05日

本日講演 「平安ならざる東国 武家の世を開いたつわものたち」 三島市 カフェうーるーにて

本日9時半から三島市のカフェうーるーにて行います。

 内容は「平安ならざる東国 武家の世を開いたつわものたち」です。


(征夷大将軍に就任する源頼朝)


 平安時代。その呼び方とは裏腹に、東国では常に戦乱に包まれていた。
 後に幕府を開く事になる源頼朝を支えたのは、東国に秩序を求めた武士団であった。
 平安時代に兵(つわもの)と呼ばれ、幕府を開いた後に鎌倉武士となり全国へと拡がっていく背景についてお話します。
 
 「武士団・荘園制度・貴族社会・平安時代・鎌倉時代」に関心がある方にオススメ。

 会費:500円+ワンドリンクオーダー

 時間:9時半から11時半予定

 開催場所はコチラ・カフェうーるー(三島市南本町13-30 ☎055-981-5539)

 参加の申し込み不要。
 問い合わせはオーナーメール、もしくはうーるーさんへお願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 07:01Comments(0)世間士として

2015年12月02日

12月1日 Lot.n講演 「巨大国策 捕鯨産業」 参考文献

12月1日、沼津市のLot.nにて「巨大国策 捕鯨産業」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 
 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「捕鯨Ⅰ・Ⅱ/山下渉登 」

 「クジラとアメリカ/エリック・ジェイ・ドリン (北條正司 松吉明子 桜井敬人訳)」

 「南氷洋の捕鯨/山田致知」

 「鯨取り絵物語/中園成生 安永浩」
 
 「クジラは誰のものか/秋道智彌」

 「よくわかるクジラ論争/小松正之」
 

 
 ご参考にしてください。


※次回、Lot.nでの講座は1月12日18時半から、「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」と題し、幕末の動乱を経済的な視点を置いて、外国勢力の幕末日本の植民地計画や外国人武器商人が関わった点を語ります。
  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)世間士として

2015年12月01日

本日講演 「巨大国策 捕鯨産業」 沼津市 Lot.nにて 

 本日18時半から沼津市のLot.nにて行います。

 
  内容は「巨大国策 捕鯨産業 」です。


(鯨から採取された油の樽が並ぶ港)


 対立する捕鯨に関しての考え方。欧米各国が捕鯨を推進していた時代、鯨を巡って繰り広げられた欧米各国の思惑が世界史にも影響を与えた背景と、日本の古式捕鯨とは異なる視点についてお話しします。

 「捕鯨問題・環境問題・産業史・国際政治・世界史」に関心がある方にオススメ。

 会費:1000円(ドリンク付き)

 時間:18時半から

 開催場所はコチラ・沼津市上土町10 (それまでの店舗の道向かいです

)  

 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。

 参加は自由です。Lot.nさんへ直接来場ください。
 変更や中止の問い合わせ、申し込みはオーナーメール、もしくはLot.nさんへお問い合わせください
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として