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かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
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2013年12月31日

1月13日講演 「会津藩 守り続けた真の侍」 しずおかセミナーカフェにて

 1月13日14時よりしずおかセミナーカフェにて講演致します。

  内容は「会津藩 守り続けた真の侍」です。


(会津藩藩祖・保科正之)


 江戸時代、会津藩は徳川御三家に次ぐ家格とされ、藩祖・保科正之から蝦夷地警護、幕末の江戸湾警護、京都守護職など、御三家以上に幕府に忠義を果たした。
 武士の中の武士と言える会津藩の歴史と、その精神を生んだ背景についてお話しします。

 「会津藩・江戸時代・蝦夷地警護・海防・教育史・武士道」に関心がある方にオススメ。

 会費:500円(お茶付き)。


 開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル2F ネクステージ企画室
 


セミナーカフェに関してはコチラ
http://www18.ocn.ne.jp/~aradmin/leaves/leaves.html


申し込みはコチラから。もしくはオーナーメールで直接お願いします。
http://semicafe.eshizuoka.jp/


 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)世間士として

2013年12月30日

リンゴ狩りと海野宿探訪 ②海野宿



海野宿は景観の調和のとれた宿場跡であるが・・・。


どうも抜け道になっているらしく、自動車がひっきりなしに走っているのが気になった…。


海野宿資料館

寛政年間(1790年頃)に建てられた建物。旅籠屋造りと明治以降の養蚕農家の特徴を兼ね備えている点が海野宿の建物の特徴。
明治時代に入り宿場の機能が失われてくると共に、広く大きな部屋を利用して養蚕が始められ、火を焚いて室内を保温するため、煙出し用の小屋根(気抜き窓)が大棟の上に取り付けられた。




趣ある宿場などには何故アジアン雑貨の店が高確率であるのだろうか・・・。










宿場の中にあった酒屋さんでその名も「海野宿」の銘酒を購入。


雨の中ではあったが、しっとりとした雰囲気を感じ取ることが出来ました。

そして帰路に食べた蕎麦。

ちょっと量は少なかったが、美味しくいただきました。
ほうば味噌のみそかつも一緒に。

さて、その後の海野氏ですが・・・

 その後はしばらく記録に登場しなくなるが、鎌倉幕府が滅んだ後に起こった鎌倉幕府復興運動・中先代の乱では鎌倉に攻め上る。その後の南北朝時代は南朝に属し、信濃守護家と対立し、海野幸康は戦死を遂げる。応仁2年(1468年)にも東信濃で「海野大乱」と呼ばれる戦いを繰り広げ、海野氏の勢力は徐々に衰退。


 戦国期には関東管領上杉氏の被官として地位を保うとするが、甲斐国の武田信虎、信濃の村上義清、諏訪頼重の連合軍に攻められ、嫡男・海野幸義は村上軍との神川の戦いで討ち死にし嫡流はいったん途絶えるが、武田信玄が一族を信濃諸族の名跡を継がせることで懐柔させる方策を取り、海野氏についても信玄の次男・信親(竜芳)がその名跡を継いだ。


 庶流の海野一族は1560年頃、南アルプスを越え駿州安倍郡井川に入り、武田氏を拒み駿府城の今川義元に仕える。現在に繋がる静岡市の海野氏はこの時に井川に入った人々の末裔である。


 信親は盲目であったため、若くして出家していた。温厚で家臣からもその人柄を慕われていたという。盲目という境遇や早くに出家の身となったこともあり慈悲深く「御聖道様」と呼ばれたという。武田氏滅亡に際して弟の勝頼が天目山で自害したことを知り自害して果てた。享年42歳であった。

 信親の嫡男・信道は僧となり、江戸時代には高家となり名門・武田氏の血脈を伝えて現在に至っている。
 戦国時代、小県郡に勢力を伸ばした真田氏は海野氏流を称している。海野幸義には長男の海野業吉がいたとされ、後の海野左馬允とする説もある。海野左馬允は、真田幸隆の従兄弟とされる。

 歴史の流れに翻弄されつつも、しっかりと血脈を伝えている海野氏の歴史に触れた宿場探訪でした。  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)店主

2013年12月29日

1月12日講演 「肉食の民俗 命と食べ物との狭間で」 沼津市 teshioにて

 1月12日13時半より沼津市のカフェteshioにて講演致します。

  内容は「肉食の民俗 命と食べ物との狭間で」です。


(家畜になる前の牛・オーロックス)


 食肉も元は生き物である。その事から、人は食肉を口にするのに様々な葛藤を感じ、そこから食肉に対しての多様な意味づけが行われた。
 普段口にしている肉が元々は生き物であった事を意識しつつ食事する事が少なくなってしまった時代、肉を食べる歴史や文化も踏まえて考えて行きます。

 「食肉史・食民俗・宗教的禁忌・家畜・人類史」に関心がある方にオススメ。


 会費:500円
 ※飲食店ですので1人1オーダーのご協力をお願い致します。

 時間:13時半から

※お車でお越しの方は2人以上の相乗りで文化センターの駐車場をご利用頂くと、1時間無料になります。

 開催場所はコチラ・沼津市民文化センター内のカフェ・teshioにて


申し込みはオーナーメール、もしくは「info★cafe-teshio.com」(★を@に変更してメールを)で直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)世間士として

2013年12月28日

リンゴ狩りと海野宿探訪 ①林檎狩り

 長野県青木村へとリンゴ狩りと長野県東御市にある北国街道の宿場・海野宿に行って来ました。

 長野は静岡とは寒さが違うからか、色鮮やかな紅葉で、道路を走っていても感動する事しきり。




 リンゴは木一本単位のオーナー制となっており、その木に成った実は全て収穫というシステム。


 狩りに行った友人と収穫。

 リンゴは実を捻るだけで簡単にもぐ事が出来ます。

 リンゴ自体は今年は裏年であり台風の影響もあり収穫量としては残念な収量でした。

 最低収穫量として、30キロが保障されているのですが、一本ではそれに満たず。
 前は木一本で200キロを超えたのですが・・・。

 軽々と詰めてしまいました。


 少しリンゴ農家さんの家に上げて頂き、色々とお話しさせて頂いた。
 やっぱり長野の人は漬物つけるのが上手いな。

 それに前は村のイベントなんかも含めてだったので、林檎狩りも賑わっていたのですが、この日は雨が降りそうな曇りであるのと、自分たちだけというのが何か寂しげでした。

 リンゴ狩り農園を出た後は、海野宿へ。
 海野宿へは友人に海野姓の人が居る事から、前々から行きたかったのと、昨年の夏に小諸宿を訪ねて北国街道の宿場が気になる所がありました。

 海野宿は1625年に北国街道の宿場として、江戸幕府によって設置された。
 海野宿には、約 650mにわたり街並みが続き、本陣1軒と脇本陣2軒が設けられ、善光寺までの参拝客や、北陸諸大名の参勤交代などで利用され、非常に賑わいをみせていた。現在でも本陣、脇本陣、問屋、旅籠などの跡が残っている。海野格子と呼ばれる二階の出格子が良く残されている。


 明治には蚕の病気が発生しにくい気候を活かし養蚕業で栄え、養蚕に用いられた建物や、その富により建築された壮大な建物は江戸期の建物と調和した街並みを形成している。
 1987年(昭和62年)には海野宿が種別「宿場町・養蚕町」で重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。

 海野氏発祥の碑

 海野姓は現在、静岡市でよく見られる姓ですが、その名の通り、海野宿は海野氏発祥の地とも言われている所です。
 宿場町開設以前は、海野郷や海野庄などと呼ばれ、東信濃の豪族・滋野氏や海野氏の領地として栄え、宿場町開設以前から集落が形成されていた。

 海野宿と海野氏についてはコチラが詳しいです。

 海野氏は平安時代から同族の根津氏、望月氏と並んで「滋野三家」と呼ばれ、三家の中でも滋野氏嫡流を名乗り、東信濃の有力豪族として栄えた。資料の初見は『保元物語』で、源義朝揮下の武士にその名が見える。

 白鳥神社

 木曽義仲は海野宿の東端・白鳥神社で挙兵しており、海野氏を中心として東信濃の豪族が集結したという。平家物語には源義仲の侍大将として海野幸親・海野幸広親子の名が出てくるが、共に戦死を遂げている。

 義仲の嫡男・源義高の身代わりとなった忠勤を源頼朝に賞賛され、側近に取り立てられた幸親の三男・海野幸氏が家督を継いで、海野氏は滅亡を免れる。幸氏は武田信光・小笠原長清・望月重隆と並んで「弓馬四天王」と称されたと伝えられるほどの弓の名手であった。

 白鳥神社の御神木


続く…。




  


Posted by かるの at 08:06Comments(0)店主

2013年12月27日

1月9日講演 「賀川豊彦 俗を行き交う聖人」 三島市 cucurucuにて

 1月9日19時より講演致します。

 内容は「賀川豊彦 俗を行き交う聖人」です。


(若き日の賀川豊彦)


キリスト教の信念をもって、貧しい人々の中に入り救済活動を行った賀川豊彦。
目の前の人を助けるだけでなく、社会の問題を変えるべく私費を投じて多くの人を巻き込み国の枠をも超えていった。
大正から昭和に掛けて、あらゆる社会運動を立ち上げたと言われる賀川豊彦の生涯についてお話しします。

 参加費:1000円(ワンドリンク付き)

 時間:19時から

 「協同組合・労働運動・弱者救済・キリスト教・格差社会」に関心がある方にオススメです。


 ※駐車場がありません。公共交通機関(JR三島駅徒歩5分)か近隣の駐車場をお使い下さい。

 開催場所はコチラ・cucurucu'


申し込みはオーナーメール、もしくはcucurucu'さんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:15Comments(0)世間士として

2013年12月26日

史上最大の作戦 完全版 27日 ②帰宅



電車12:37 一ノ関着 12:46発→13:33 小牛田着 13:37発

 小牛田辺りから黒雲が。

 松島湾の島々
 
 来る時には乗客が多くて写真撮れなかったので。
 

電車14:23 仙台着 14:30発 

 仙台以南は雨。

電車16:23 福島着 15:58発

電車16:08 金谷川着

予定が一本早まったので、食事もしていなかったのでここで下車。
福島県立医科大学最寄りの駅で、ここに通っていた友人が居たなというのと、大学の近くなら安くて旨い食堂があるかな、と思ったが特に無く、コンビニで弁当を購入し食す。

電車16:38 金谷川発

松川駅辺りにて黒雲が


電車18:07白河駅から見える白河城


白河駅周辺ではハッキリ見える虹。

日が暮れる前の旅のラストを飾ると言っていい、神の演出か。

電車18:33 黒磯 18:38→19:50 宇都宮 19:54→21:38 上野 21:41→21:48 東京 22:22→0:31 三島

 久し振りの旅らしい旅であった。

  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主

2013年12月25日

1月7日講演 「式年遷宮 永遠なる常若の宮」 沼津市 Lot.nにて

1月7日18時半から沼津市のLot.nにて行います。


内容は「式年遷宮 永遠なる常若の宮」です。


(遷宮が行われたばかりの内宮)

 
 日本最大の聖地とされる伊勢神宮。
 この宮は宝物に至るまで20年の間隔で全く新しく造り替えられる。
 この習慣はなぜ生まれたのか、伊勢神宮が聖地とされた背景から、現在に至るまでの遷宮についてお話しします。

 「古代史・伊勢神宮・建築史・式年遷宮・斎宮・持続可能社会・飛鳥時代に関心がある方におすすめです。」

 会費:1000円(ドリンク付き)

 時間:18時半から

 開催場所はコチラ・沼津市上土町60 岡田ビル1F(元Floyd沼津店 店舗)





 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。

 申し込みはオーナーメール、もしくはLot.nさんへ直接お願いします。
 携帯電話055-919-1060

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)世間士として

2013年12月24日

史上最大の作戦 完全版 27日 ①本州へ 



6時半起床。
昨日買ったパンで朝食とする。

ちょっと船の中を散策。

食堂室ではあるが、食事が楽しめる訳では無く、自販機が並んでる。昔に比べると経費節減のあおりか。


ゲームは脱衣麻雀系のモノばかりというのが・・・


八戸港が見えてくる。

結構、化学工場が多いようだ。


船7:30 八戸港入港


下船した後はバスでフェリーターミナルへ移動


そして、すぐさま最寄りの本八戸駅へ。

今日は本八戸駅8:11発の列車に乗らなければどう計算しても本日中に三島に到着しない。
八戸港から本八戸駅までは5キロ。バスは8時発である。10分ではバスは着かないだろう。
では30分で歩けるか・・・何も無ければともかく、荷を背負った状態では難しい。
仕方なくタクシーに乗車。1900円であった・・・。

本八戸駅内はレトロな商店街風の店が入っている様であるが休みであった。


電車8:11 本八戸駅発

時間帯からか学生が多い。

電車8:20 八戸駅着

八戸駅で駅蕎麦を食べ、青い森鉄道に乗車。8:47 八戸駅発


来る時はこの辺りは既に暗かったので、車窓を眺めつつ。

斗米駅近くでの風景

何でしょうか・・・。

電車 9:32二戸駅着 やや時間があるので駅の売店でアイスを購入。

やはり「あまちゃん」人気に乗じてと言いますか。


新幹線の時刻表だが・・・

これと引き換えに日常の足は不便になった事実になぜ目を向けないのか・・・。

電車 9:48二戸駅発 IGRと青い森鉄道の鉄道むすめ


電車10:57盛岡駅着

再びJRに。座れなかった。
電車11:07盛岡駅発

続く…。
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2013年12月23日

22日講演 「神に侍う 武士道と繋いだキリスト教」 参考文献

昨日、沼津市のteshioにて「神に侍う 武士道と繋いだキリスト教」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「日本キリスト教史/五野井隆史」

 「明治のキリスト教/高橋昌郎」

 「日本キリスト教宣教史/中村敏 」
 
 「聖書を読んだサムライたち/守部喜雅」

 「神に仕えたサムライたち/沼津市 明治史料館 編」
 

 
 ご参考にしてください。

※次回のteshioでは1月12日13時半から 肉食の歴史についてお話しします。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2013年12月22日

本日講演 「神に侍う 武士道に繋いだキリスト教」 沼津市 teshioにて

 本日13時半より沼津市のカフェteshioにて講演致します。

  内容は「神に侍う 武士道に繋いだキリスト教」です。


(日本独自のキリスト教を模索した内村鑑三と新渡戸稲造)


 明治時代、幕府時代の禁教を解かれたキリスト教は、主君を失った武士たちに信仰される様になり、日本の近代化とそれに伴って取り残された人々に多くの影響を与えるようになる。
 今に繋がる経済、社会福祉、教育に影響を与えたキリスト教信者となった士族の活躍についてお話しします。

 「キリスト教史(近代)・明治時代・日本資本主義・教育史・武士道」に関心がある方にオススメ。


 会費:500円
 ※飲食店ですので1人1オーダーのご協力をお願い致します。

 時間:13時半から

※お車でお越しの方は2人以上の相乗りで文化センターの駐車場をご利用頂くと、1時間無料になります。

 開催場所はコチラ・沼津市民文化センター内のカフェ・teshioにて


申し込みはオーナーメール、もしくは「info★cafe-teshio.com」(★を@に変更してメールを)で直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました  


Posted by かるの at 10:10Comments(0)世間士として

2013年12月21日

本日講演 「熱狂と沈黙と 日本基督教史」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

 本日15時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。


  内容は「熱狂と沈黙と 日本基督教史」です。




(サン・ジワンという宣教師を祀っているという枯松神社)


 万里の波濤を越えて戦国時代の日本に辿りついたキリスト教宣教師たち。
 彼らの清貧な生き方は、弱肉強食の戦国の世と既存の宗教に救いを得られなかった人々の心を掴み、またたく間に信者を増やしていった。しかし急激な拡大は様々な所で軋轢を生み、苦難の道を歩む事になる。
 全くの異文化に触れた戦国時代の日本人が、どのように受け入れていったのかを考えます。

 「キリシタン大名・戦国時代・大航海時代・鎖国政策・キリスト教史・ヨーロッパ中世史」
などに関心がある方にオススメです。

 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:15時から

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2013年12月20日

史上最大の作戦 完全版 26日 ②一分の遅れ



船10:25 フェリーは稚内に入港・・・の予定がやや海が荒れていたのと船室に入れないほど込んでいたので、下船にも時間が掛かり、稚内駅発の列車に遅れない様にダッシュ。

フェリー入港から列車発まで30分余裕があるので、最後に駅周辺を散策できるかなと思っていたが、そんな余裕は全くなく、発車二分前に滑り込み。

電車10:51 稚内駅発

勇知~兜沼の風景


美深の辺り


この辺りから天気が良くなってきた。
美深から担当した運転手はやたらと警笛を使うのがうるさくて堪らない。

電車14:04 名寄駅

乗り換えで30分の合間に、友人に教えて貰った「札幌・八戸なかよしきっぷ」なる札幌から苫小牧までの高速バスと、苫小牧から八戸へ行くフェリーを合わせて5000円というお得な切符をバス会社に問い合わせて予約に成功した。

JR苫小牧駅からフェリーターミナルまでは、もうバスが無い時間ゆえ歩くと一時間は掛かる。乗船時間には十分間にあうが、夜に見知らぬ所を重い荷物を背負って一時間近く歩くのはキツい。
それにバスは札幌を21時発でそのまま苫小牧のフェリーターミナルまで直結だ。札幌で二時間近く余裕があるので、札幌の散策と食事も出来る。
断然、お得である。

ただ、札幌駅のバスターミナルにて19時までに切符を買わなければいけないと言われた。一本も遅れが許されない緊張感がある。

電車14:35 名寄駅発

瑞穂の辺り。

ようやく水田が見えてきた。

北剣淵のあたり。


電車16:03旭川着

旭川はやはり旭山動物園推しである事が見て取れる。






電車16:10旭川発

先程まで晴れていたが、また曇ってきた。来た時と同じ。

奈井江にて


電車17:52 岩見沢着

来た時は路線が違くて気付かなかった、ばんえい競馬のモニュメント。

電車18:05 岩見沢発


そして札幌着18:43、まあ、余裕かなと思って前述のなかよしきっぷを購入しにバスターミナルに行くと、窓口が閉まっていた!
それを見てパニックになってしまい、まずフェリー会社に電話したが、その人はバスの事は分からないとと言う。
そこでバス会社に電話すると、ターミナルの窓口は会社によって違うので、自分たちの所は開いている筈だと言うのだが、場所を言わないので札幌駅の駅員に聞くが、バスターミナルの事は分からないという。
もう時間が迫っているので、とにかく窓口を全部当たってようやくたどり着き、そこの人に予約をしていた者です、と伝えるも19時を過ぎたのでもう駄目だと。食い下がったがダメであった。

なんだろう、この分かりにくさは。こうなったらすぐに列車に乗って苫小牧に向かわなくてはならない。

電車19:16 札幌発

電車19:57 一旦、恵庭にて下車。恵庭で降りたのは、ここ出身の同級生が居たなあ、という感じで特に意味はない。

食事をしようと思ったが、駅前には何も無く、結局コンビニで「夕張カレー蕎麦」を購入し駅で食べる。

電車20:26 恵庭発

電車21:03 苫小牧着

ホッキにホッケーですか・・・

せっかくなので、ここで北海道の電子マネー「Kitaca」を作成した。
今まで電子マネーを用意して無かったが、せっかく北海道に来たのだからと作成。

当初から歩いて港まで行く予定であったので、地図も用意していたが、やはり見知らぬ土地を夜に歩くのは不安である。でも迷うことなく一時間弱歩いて苫小牧港に到着。

この港は15年前に北海道に来た時にもフェリー待ちをしたので、何となく見覚えがある。
バスの人達より早く着いたと思う。

フェリーの手続きをし、あとは出航を待つだけ。
北海道を離れる前に、売店で様々な北海道土産を購入。

フェリーに乗船した後は、即コンセント近くを確保しカメラのバッテリー充電を行う。

船23:59 苫小牧港発

中には酒盛りしてる人が居るが、サッポロクラシックを二ダース持ち込んで一人で飲んでいる人が居る。どれだけ好きなんだ。

そんな面々を見つつ、Wifiの電波が届かなくなった0時半に就寝。

続く…。
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2013年12月19日

12月22日講演 「神に侍う 武士道に繋いだキリスト教」 沼津市 teshioにて

 12月22日13時半より沼津市のカフェteshioにて講演致します。

  内容は「神に侍う 武士道に繋いだキリスト教」です。


(長崎で信徒を『発見』したプティジャン)


 明治時代、幕府時代の禁教を解かれたキリスト教は、主君を失った武士たちに信仰される様になり、日本の近代化とそれに伴って取り残された人々に多くの影響を与えるようになる。
 今に繋がる経済、社会福祉、教育に影響を与えたキリスト教信者となった士族の活躍についてお話しします。

 「キリスト教史(近代)・明治時代・日本資本主義・教育史・武士道」に関心がある方にオススメ。


 会費:500円
 ※飲食店ですので1人1オーダーのご協力をお願い致します。

 時間:13時半から

※お車でお越しの方は2人以上の相乗りで文化センターの駐車場をご利用頂くと、1時間無料になります。

 開催場所はコチラ・沼津市民文化センター内のカフェ・teshioにて


申し込みはオーナーメール、もしくは「info★cafe-teshio.com」(★を@に変更してメールを)で直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2013年12月17日

12月21日講演 「熱狂と沈黙と 日本基督教史」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

 12月21日15時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。


  内容は「熱狂と沈黙と 日本基督教史」です。





 万里の波濤を越えて戦国時代の日本に辿りついたキリスト教宣教師たち。
 彼らの清貧な生き方は、弱肉強食の戦国の世と既存の宗教に救いを得られなかった人々の心を掴み、またたく間に信者を増やしていった。しかし急激な拡大は様々な所で軋轢を生み、苦難の道を歩む事になる。
 全くの異文化に触れた戦国時代の日本人が、どのように受け入れていったのかを考えます。

 「キリシタン大名・戦国時代・大航海時代・鎖国政策・キリスト教史・ヨーロッパ中世史」
などに関心がある方にオススメです。

 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:15時から

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2013年12月16日

12月15日講演 「神に侍う 武士道と繋いだキリスト教」 参考文献

昨日、静岡市のセミナーカフェにて「神に侍う 武士道と繋いだキリスト教」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「日本キリスト教史/五野井隆史」

 「明治のキリスト教/高橋昌郎」

 「日本キリスト教宣教史/中村敏 」
 
 「聖書を読んだサムライたち/守部喜雅」

 「神に仕えたサムライたち/沼津市 明治史料館 編」
 

 
 ご参考にしてください。

※次回のセミナーカフェは1月13日14時から 会津藩の歴史についてお話しします。  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)世間士として

2013年12月15日

本日講演 「神に侍う 武士道に繋いだキリスト教」 しずおかセミナーカフェにて

 本日14時よりしずおかセミナーカフェにて講演致します。

  内容は「神に侍う 武士道に繋いだキリスト教」です。


(日本独自のキリスト教を模索した内村鑑三と新渡戸稲造)


 明治時代、幕府時代の禁教を解かれたキリスト教は、主君を失った武士たちに信仰される様になり、日本の近代化とそれに伴って取り残された人々に多くの影響を与えるようになる。
 今に繋がる経済、社会福祉、教育に影響を与えたキリスト教信者となった士族の活躍についてお話しします。

 「キリスト教史(近代)・明治時代・日本資本主義・教育史・武士道」に関心がある方にオススメ。

 会費:500円(お茶付き)。


 開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル2F ネクステージ企画室
 


セミナーカフェに関してはコチラ
http://www18.ocn.ne.jp/~aradmin/leaves/leaves.html


申し込みはコチラから。もしくはオーナーメールで直接お願いします。
http://semicafe.eshizuoka.jp/


 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2013年12月14日

12月18日講演 「熱狂と沈黙と 日本基督教史」高嶋酒造にて

 12月18日18時半より講演致します。

  内容は「熱狂と沈黙と 日本基督教史」です。





 万里の波濤を越えて戦国時代の日本に辿りついたキリスト教宣教師たち。
 彼らの清貧な生き方は、弱肉強食の戦国の世と既存の宗教に救いを得られなかった人々の心を掴み、またたく間に信者を増やしていった。しかし急激な拡大は様々な所で軋轢を生み、苦難の道を歩む事になる。
 全くの異文化に触れた戦国時代の日本人が、どのように受け入れていったのかを考えます。

 参加費:700円。

 時間:18時30分から

 「キリシタン大名・戦国時代・大航海時代・鎖国政策・キリスト教史・ヨーロッパ中世史」
などに関心がある方にオススメです。


 開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて


 ※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)

 ※申し込みは高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)世間士として

2013年12月13日

12月12日 「神の名の元に 世界に影響を与える宗教一覧」 参考文献

 12月12日に三島市のカフェcucurucuにて「神の名の元に 世界宗教一覧」についてお話させて頂きました。

 参加して下さった皆様、ありがとうございました。

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 ブッダ 真理の言葉/
 図説 ブッダの教え/高瀬広居 監修
 図説 聖書/船本弘毅 監修
 世界宗教の謎 イスラム教/ニール・モリス著 佐藤正英訳
 世界の三大宗教/井上順孝 監修
  


 ご参考にして下さい。

※次回は1月9日19時~「賀川豊彦 俗を行き交う聖人」と題し、大正時代から昭和に掛けて様々な社会運動を起こした賀川豊彦の生涯についてお話しします。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2013年12月12日

本日講演 「神の名の元に 世界に影響を与える宗教一覧」 三島市 cucurucuにて

 本日19時より講演致します。

 内容は「神の名の元に 世界に影響を与える宗教一覧」です。


(釈迦が悟りを得た菩提樹)


 日々のニュースで流れる世界各地の宗教をめぐる問題や対立。
 宗教を敬遠する向きもあるが、民族の起源や文化、思考に大きな影響を与えている。
日本人にはなかなか知り得ない、世界各地の民族や地域のバックボーンにある世界各地に影響を与える宗教を一覧して紹介します。

 参加費:1000円(ワンドリンク付き)

 時間:19時から

 「宗教史・哲学・世界史・思想・ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教・」に関心がある方にオススメです。


 ※駐車場がありません。公共交通機関(JR三島駅徒歩5分)か近隣の駐車場をお使い下さい。

 開催場所はコチラ・cucurucu'


申し込みはオーナーメール、もしくはcucurucu'さんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)世間士として

2013年12月11日

史上最大の作戦 完全版 26日 ①

先日の続き…。

4時半起床。友人たちは利尻富士登山のために準備。
宿では登山客の為に送迎してくれるので、私も帰りのフェリーまでは港周辺を散策しようと同行する。

その途中にあるラナルド・マクドナルドの碑。

マクドナルドはアメリカ先住民の母を持つアメリカ人で、子供の頃に漂流した日本人と出会った事から日本に興味を持ち、捕鯨船で鎖国下の日本に漂流民を装って焼尻島に上陸し、その後利尻島に上陸した。
後に長崎に送られたが、送還される7か月の間に長崎の役人に英語を教えた。その時に英語を教わった人物はペリーの来航の時にも通訳を務めている。
彼は亡くなる寸前、「サヨナラ」と言ったという事が墓石にも刻まれている。

5:45 友人たちは登山口にて下車し登山道に向かっていく。

5:50 利尻山神社

ここで私も下車し、ここからは歩いて散策。

天気が微妙なのもあり、友人達の登山安全を祈願。

付近は公園が整備されていた。

山へ向かっていく道


鴛泊の市街地に入った時、旅人向けの宿らしき店。

もう開店しているので朝食もどうかなと思ったが、まだ腹が減ってないのと歩く時間を取りたいので見送り。


市街地を離れるとサイクリングの道があり、そこを歩いて隣の本泊地区へ向かう。


展望台からの景色も見てみたいが、先を急ぐ。


運上屋跡

利尻島が松前藩の支配となった時、近江商人・恵比寿屋半兵衛が請負人となり本泊にて交易を行う場となった。
文化露寇の際には襲撃を受けている。

なんのモニュメントか・・・



会津藩士の墓。

先に挙げた文化露寇を受け、会津藩士が警備に着陣した。冬の寒さや帰路の船が沈没したりと出た犠牲者を弔う。

ここで7時。そろそろ引き返す事にする。

こういった荒涼とした景色が好きな性分である。




港に到着。


港前にあった商店で見掛けたこの看板。

漫画「動物のお医者さん」で登場したミルピスではないか!利尻にあるとは知らなかった。是非、飲みたい所であったが、残念ながらまだ開店していなかった。

利尻に来た時と違ってかなり多くの人が乗船。月曜だからと思われる。


船8:45 フェリー出航


離島ならではの見送りか。


利尻富士が見えなかったのが心残りであるが、これはまた来いという事なのだろう。
実際、まだ見てない所もあるし、また季節を変えて来たいものである。




続く…。
  


Posted by かるの at 08:17Comments(2)店主