メルマガ購読・解除
 
アクセスカウンタ
オーナーへメッセージ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 7人
プロフィール
かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
no">

スポンサーサイト


上記の広告は30日以上更新(記事投稿)のないブログに表示されています。  

Posted by スポンサーサイト at

2014年11月30日

神が集まる島 神津島探訪 ②



 まずは郷土料理が食べたいなと、観光案内所で教えて貰った所へ向かった所、残念ながら本日貸切。30分ほど坂道を歩いたのがフイになったが、「佐久市友好の碑」というのを見掛けた。
それによると、平安時代中期の武将・藤原秀郷の子孫である藤原定国は伊豆諸島を領して神津島に館を構築した。その後、数世代が神津島に留まり、姓を神津氏とした。その後、甲斐国の武将・小笠原長清を守るため信濃の佐久地方に移ったという。
 この縁で、神津島村は佐久市と姉妹都市交流があり、伊豆諸島と本州との関わりを示す一例であり、やはり来ないと知らない事はあるなと実感。

高台からの前浜海岸


島の集落を望む


島の中学校の校庭は芝生が美しい


 集落の方へ向かう。神津島は港前の集落約4キロ平方メートルの地域に約800世帯、約1900人の人々が生活している。神津島に一軒というスーパーマーケットにて食材を色々と買い込むが、残念ながら地元の食材は少なかった。

 ここでややにわか雨が。

 再び歩いて個人商店のお店を覗くと、「盛若」という神津島の焼酎や、かなり希少な青ヶ島の焼酎をはじめ、食材も地元の物が多かった。
 菓子パンなどは下田の物が多く、菓子パンの中には「きりんちゃん」というどう見ても「のっぽ」に似せたパンがあったので購入。

下田との定期船がこういう所に活きていると感じる。
 そう言えば、店の人が聴いていたラジオもSBS静岡放送だった。
 
 少し歩いてみると村内の道路は入り組んでおり、個人経営の商店が多く20〜30メートルごとに商店があり、島人口1900人にしては多いのでは、とも思えるくらい。各々が様々な物を扱っていて、業態分けが出来ない雑多な感じが面白い。

 狭い路地の中を原付が走り回るが、案の定、ヘルメットを被ってない人が多い。


 食事の第二候補にした中華料理店が開いていなかったので、神津島役場の近くにあったあずまやで、海を見ながら先程買ったパンやお惣菜などを食べ焼酎も少し頂く。

 曇りがちで風もあるので涼しいくらい。

おたあジュリア顕彰碑

おたあジュリアは、秀吉の朝鮮の役の際に連れてこられた朝鮮人女性。
キリシタン大名の小西行長に身柄を引き渡され、後にキリスト教に改宗し「ジュリア」は洗礼名、「おたあ」は日本名を示す。
関ヶ原の戦いにて敗れた行長が処刑され小西家が没落すると、おたあの才気を見初めた徳川家康によって駿府城の大奥に召し上げられ、家康付きの侍女として側近く仕え寵愛を受けた。
しかし、慶長17年(1612年)の禁教令により駿府より追放され、神津島へと相次いで流罪となった。

食べ終わって再び歩き、島の鎮守である物忌奈命(ものいみなのみこと)神社にお参り。三日間、島に滞在するご挨拶。
この神社は出雲神話の大国主命の御子・事代主命が出雲の国譲りの後、出雲を出て伊豆諸島にやって来て島々を拓き、神津島の女神・阿波咩命(あわのめのみこと)との御子として生まれたのが物忌奈命である。

社殿は江戸中期の造りで唐破風が重厚な造り。

境内も掃き清められていて、式内社の風格があります。


しめ縄の張ってある木の洞


時折見かける奉納された神社内の砲弾




観光客が多い島だからでしょうか





神社の境内から延びる石段を降りると、そこは来た港の目の前。


バス停にてバスに乗り込み、バスは三分ほどでキャンプ場へ。

キャンプ場は静かな入り江である沢尻海岸にあり、トイレ、シャワー、炊事棟があり、万全の備え。ここが無料で使用できるとは。幕営していたのは5組ほどである。



 観光案内所で前日は風が強かった事を聞いていたので、壁がある側にテントを張る。30分ほどで設営し、温泉へ向かう。

神津島温泉保養センターはバスで行けるがバスはもう運行が終了してしまった時間なので、10分ほど歩いて行く。この施設も元は大人800円であるが、ホワイトビーチきっぷで入り放題である。
内風呂と露天風呂があり、水着着用の露天風呂は大・小・展望風呂があり、自然の岩場を利用した大露天風呂は、100人は入れるという大きさで、海に面しており開放感は抜群。ただ、真っ暗なので景色は見えず眼鏡を外すと足元も見え辛いので、岩場を歩くのも危ない。故障しているらしく湯温がぬるく水着着用の為、余り気持ち良いとは言えない。明るい時に来たいかなと。

テント場に戻り、夜の海と他のキャンプ客がやってる花火を見つつ、スーパーで買ったお惣菜を食べ焼酎を飲んでいたらそのまま寝てしまう。初日終了である。  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主

2014年11月29日

本日講演 「海越え、果つる地まで 雄飛と絶望の移民史」 静岡市 くればにて

 本日14時より静岡市のシニアライフ支援センター「くれば」にて講演致します。

  内容は「海越え、果つる地まで 雄飛と絶望の移民史」です。


(第二次大戦中、アメリカ国内の日系人が強制収容された)


日本が開国を迎え諸外国との交流が始まると、多くの日本人が海外へと渡り懸命に働いた。遠い異国の地で成功を掴んだ者、絶望に打ちひしがれた者、悲喜交々の姿があった。
ハワイ、アメリカ、南米・・・明治以後に国策として進められた移民の歴史を語ります。

 「明治時代・開拓・移民・プランテーション・近代史・人口論」に関心がある方にオススメ。

 会費:500円(+ワンオーダーをお願いします)。


 開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル1F シニアライフ支援センター「くれば」
 


 申し込みはコチラから。054(252)8018
 もしくはオーナーメールで直接お願いします。


 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)世間士として

2014年11月28日

神の集まる島 神津島探訪 ①

 伊豆諸島の神津島へ行って来ました。東海道線に乗っている時に「神津島ホワイトビーチきっぷ」というお得な切符の広告を見掛け、これは機会であると思い、行って来た次第。
 8500円で熱海から出航する高速船の往復券、島内のバス乗り放題、公共の温泉に入り放題、郷土資料館無料という特典があり、通常の運賃は片道で8200円ですのでかなりお得です。



熱海港を10:50に出港。


 40分ほどで大島に停泊。

 ここで機関に不具合が出たそうで10分ほど遅れたが、11:55に大島を出港。

30分ほどで利島、


鵜渡根島


新島を横目に見つつ、13時に神津島港に入港。


 まずは港の観光案内所にてテント場の使用申請と島の情報収集。
 それと、山に登る予定なので、その下山後は宿に泊まろうと民宿を手配してもらう。事前に行おうと思ったが、シーズンだからかどこも一杯だったのだ。運良く空いている宿があり、予約して貰う。

島に入って歩き出すと、まずは眼前に聳える天上山の荒々しい姿。


荒々しい天上山の対称的に優美な白浜が延びる前浜海岸。


「水配り神話」のモニュメントが立っています。


伊豆諸島の神々が神津島に集まって、如何に水を配分するかを協議したという

続く…


  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)店主

2014年11月27日

11月26日講演 「肉食の民俗 命と食べ物との狭間で」 参考文献

11月26日、沼津市の高嶋酒造にて「肉食の民俗 命と食べ物の狭間で」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「ゼロから理解する食肉の基本/西村敏英」

 「食べられる生きものたち/月刊みんぱく 編」

 「モノになる動物のからだ/中島久恵 」
 
 「歴史のなかの米と肉/原田信男」

 「屠場文化/桜井厚 岸衛」
 

 
 ご参考にしてください。

※次回の高嶋酒造での講座は12月 日18時半から、「神に侍う 武士道と繋いだキリスト教」と題し、明治以降のキリスト教と士族との関係についてお話しします。  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)世間士として

2014年11月26日

本日講演 「肉食の民俗 命と食べ物の狭間で」 沼津市 高嶋酒造にて

 11月26日18時半より講演致します。



 食肉も元は生き物である。その事から、人は食肉を口にするのに様々な葛藤を感じ、そこから食肉に対しての多様な意味づけが行われた。
 普段口にしている肉が元々は生き物であった事を意識しつつ食事する事が少なくなってしまった時代、肉を食べる歴史や文化も踏まえて考えて行きます。

 「食肉史・食民俗・宗教的禁忌・家畜・人類史」に関心がある方にオススメ。

 参加費:700円。

 時間:18時30分から

 開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて


 ※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)

 ※申し込みは高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)世間士として

2014年11月25日

北陸へ 2014 ⑯

先回の続き…。


10:15城端駅発

来た時とはまた違うラッピング

10:37東野尻駅

駅舎が無く、待合所のみの駅。

11:05高岡駅着。
小腹が空いたので、駅にあるカフェに高岡市のゆるキャラ「利長くん」の人形焼」を購入。

アツアツで注意。中身はあんこやカスタードなど様々だが、ここはカレー味を食べる。
店には高校生も居て、利長くん人形焼を食べていた。

土産物

カレーは色々と応用が利く。

11:40高岡駅発
乗客が多くてなかなか座れない。12:06津幡にてようやく座れた。
12:20金沢駅着。乗り換えて12:30発。

13:01小松駅着。ホームに降りると、風が強く、雨も少々掛かって来るので肌寒い。

小松駅の南側には建機メーカー・コマツの創業の地である。

建機が沢山。出荷待ち?

旧本社社屋を復元したこまつの杜という施設があり、建設機械や産業機械の展示・体験コーナーがある。

その前に聳える超大型ダンプ・930E-2。最大積載量327トン、車高7m、タイヤ直径は約4m、搭載されているエンジンは3500馬力である。

乗り換えで次発まで時間があるので、降りてみる。

どうやら勧進帳の面からアピールが見て取れる。

駅前


小松市のゆるキャラ・カブッキー

勧進帳の弁慶がモチーフ。ちなみに、2014年ゆるキャラGP15位である。

駅前の一角に在った「安宅の関」のモニュメント



ここで駅の中にある蕎麦屋に入ったが、余りに出て来るのが遅くて30分あった待ち合わせ時間にも拘らず残り5分に。水を入れてぬるくして急いで掻き込み、ダッシュしてホームに向かい、ギリギリで乗車。13:32発。

14:19福井駅着。


15:10福井駅発 
車内には箸が無かったのか、弁当をボールペンで食べている人が。しかも楊枝代わりにも。
16:01敦賀駅着。16:05発。16:55長浜着。今回は近江塩津駅での乗り換えを避ける事が出来た。
16:57長浜駅発。乗った車両の冷房が効きすぎて寒い。17:07米原着。17:33米原発
ここまで区間が短すぎて乗り換えが面倒だった。
19:38豊橋駅着。19:51豊橋発。20:54掛川駅着。
たまたま、花火大会に当たってしまったからか、激込みに。 21:07掛川駅発。21:52静岡駅着。22:08静岡発
23:07三島着 帰宅。




  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)店主

2014年11月23日

12月7日講演 「神に侍う 武士道に繋いだキリスト教」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

 12月7日15時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。

  内容は「神に侍う 武士道に繋いだキリスト教」です。


(長崎で信徒を『発見』したプティジャン)


 明治時代、幕府時代の禁教を解かれたキリスト教は、主君を失った武士たちに信仰される様になり、日本の近代化とそれに伴って取り残された人々に多くの影響を与えるようになる。
 今に繋がる経済、社会福祉、教育に影響を与えたキリスト教信者となった士族の活躍と、日本におけるキリスト教を模索した内村鑑三と新渡戸稲造の思想についてお話しします。

 「キリスト教史(近代)・明治時代・日本資本主義・教育史・武士道」に関心がある方にオススメ。

 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:15時から

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:06Comments(0)世間士として

2014年11月22日

北陸へ 2014 ⑮城端の中心 善徳寺



浄念寺脇の警察の坂

昔、警察署があった場所の急坂。元警察署は地域の公民館として利用されている。
浄念寺は「むぎや祭り」の舞台の一つである。

路地も趣がある


城端の中心と言える善徳寺

 善徳寺は文明三年(1471年)、蓮如によって開基された。
 城端という町は天正元年(1573)年の開町の後、この寺を中心に発達した門前町である。
 親鸞聖人直筆の「唯信抄」をはじめ、什宝物・法宝物・古文書など、約1万点の寺宝の一部が常設展示されている。
 現在は東本願寺の城端別院となっている。

今町通り

善徳寺前から続く石畳の通りで、城端が絹織物で賑わっていた明治期の四棟の土蔵は、旧野村銀行を経営していた財閥・野村家の蔵を銅葺きの建物で覆った“蔵回廊”に面している。

現在は、曳山会館になっています。

今町通りの先には、昔は銭湯(桂湯)で、今は手づくり小物店に生まれかわったレトロな建物も。

窓には「のぞきOK」と書いてあった。

瑞泉寺

 瑞泉寺は、本願寺五代の綽如(しゃくにょ)によって開基された。
 本願寺と織田信長が戦った石山合戦の講和を知らせる顕如からの手紙が伝えられている。

ふと気になったこの神社の境内

「和助碑」とある碑が気になったので撮影。
調べてみると、荒木和助(1734~1806)、本名(殿村屋和助)またの名を唐津屋和助、荒木直暢ともいう城端焼の創始者の旧居がここに在ったという。
芸術・工芸に才能を発揮し、城端曳山祭の殆どの御神像を制作した。

手前の石垣が焼き物の釉薬の様に。




善徳寺の角に在る溝口梅花堂

先程は開店前であったが、開いていたので入って色々と物色

お茶を出して頂きました。雨でやや肌寒かったので温かいお茶が嬉しい。

一息入れた後、駅へ戻る。しかし一時間近く発車まで時間があるのだが、駅の中にある一室が。

城端や富山を舞台としたアニメ「True Tears」の「聖地巡礼者」向けの部屋であった。

True Tearsを取り上げているアニメ関係の雑誌や同人誌まであり、時間を潰すには困らなかった。

続く…。

  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2014年11月21日

12月2日講演 「熱狂と沈黙と 日本基督教史」 沼津市 Lot.nにて 

12月2日18時半から沼津市のLot.nにて行います。


  内容は「熱狂と沈黙と 日本基督教史」です。





 万里の波濤を越えて戦国時代の日本に辿りついたキリスト教宣教師たち。
 彼らの清貧な生き方は、弱肉強食の戦国の世と既存の宗教に救いを得られなかった人々の心を掴み、またたく間に信者を増やしていった。しかし急激な拡大は様々な所で軋轢を生み、苦難の道を歩む事になる。
 全くの異文化に触れた戦国時代の日本人が、どのように受け入れていったのかを考えます。

 「キリシタン大名・戦国時代・大航海時代・鎖国政策・キリスト教史・ヨーロッパ中世史」
などに関心がある方にオススメです。


 会費:1000円(ドリンク付き)

 時間:18時半から

 開催場所はコチラ・沼津市上土町60 岡田ビル1F(元Floyd沼津店 店舗)





 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。

 申し込みはオーナーメール、もしくはLot.nさんへ直接お願いします。
 携帯電話055-919-1060

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)世間士として

2014年11月18日

北陸へ 2014 ⑭織物の川島地区



宗林寺の川島甚兵衛の墓

川島甚兵衛は城端に生まれ、幼くして両親と死別し苦労を重ねながらも、単身京都に出て呉服商を開き、織物貿易で事業を拡大。今日の川島織物の基礎を築いた。
この墓には川島織物の幹部もたまにお墓参りに来ているようだ。
宗林寺は文禄四年(1595)井波瑞泉寺第八世住職准秀によって建立されたということです。

じょうはな織館

城端の織物のギャラリーと体験できる施設。昭和3年に建築された城端絹織物組合事務棟を利用したもので、 平成12年には国の有形文化財に登録された。
入場無料であるが、今の時間は開いてないので残念。

その裏側

このじょうはな織館の裏側は「坡場の坂」である。

坡場の坂は五箇山街道の本通だったところで判方が十軒近く軒を並べていた。

坡場の坂は、石垣・瓦屋根・縦格子の町屋が建ち並ぶ通り。

昔の造り醤油屋・城端醤油が残っており、レンガ造りの培菌室・「城」印の入った建屋・「醤油」の看板などが見られる。


見晴らしの良い場所


川島地区へ向かう通り。通りを横切る渡り廊下


 城端は前述した川島織物の創業者である川島甚兵衛の出身地で、川島地区には出世の誓いを立てた「文次郎杉」がある。現在でも古い機織工場が残り、昔懐かしい機織り機の音が聞こえて来る。

続く…。
  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主

2014年11月17日

11月16日 teshio講演 「海越え、果つる地まで ~雄飛と絶望の移民史~」について参考文献

11月16日、沼津市のteshioにて「海越え、果つる地まで 雄飛と絶望の移民史」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「アメリカに生きた日本人移民: 日系一世の光と影/村山裕三」

 「日本人移民: ハワイ, 北米大陸/藤崎康夫, ‎山本耕二 」

 「サンダカン八番娼館/山崎朋子 」
 
 「世界史のなかの満洲帝国/宮脇淳子」

 「ブラジルへ: 日本人移民物語/藤崎康夫 」
 

 
 ご参考にしてください。

※次回のteshioでの講座は、12月23日14時から「孤島のコスモポリタン」と題し、外国人によって開拓されながらも日本の領土となった小笠原諸島の開拓と、太平洋の探険についてお話します。  


Posted by かるの at 08:05Comments(0)世間士として

2014年11月16日

本日講演 「海越え、果つる地まで 雄飛と絶望の移民史」 沼津市 teshioにて

 本日14時より沼津市のカフェteshioにて講演致します。
 
  内容は「海越え、果つる地まで 雄飛と絶望の移民史」です。


(第二次大戦中、アメリカ国内の日系人が強制収容された)


日本が開国を迎え諸外国との交流が始まると、多くの日本人が海外へと渡り懸命に働いた。遠い異国の地で成功を掴んだ者、絶望に打ちひしがれた者、悲喜交々の姿があった。
ハワイ、アメリカ、南米・・・明治以後に国策として進められた移民の歴史を語ります。

 「明治時代・開拓・移民・プランテーション・近代史・人口論」に関心がある方にオススメ。


 会費:500円
 ※飲食店ですので1人1オーダーのご協力をお願い致します。

 時間:14時から(前回までと時間が異なります)

※お車でお越しの方は2人以上の相乗りで文化センターの駐車場をご利用頂くと、1時間無料になります。

 開催場所はコチラ・沼津市民文化センター内のカフェ・teshioにて


申し込みはオーナーメール、もしくは「info★cafe-teshio.com」(★を@に変更してメールを)で直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました  


Posted by かるの at 08:05Comments(0)世間士として

2014年11月13日

本日講演 「孤島のコスモポリタン ボニンアイランドから小笠原へ」 三島 cucurucuにて

 本日19時より三島市のcucurucuにて講演致します。


  内容は
孤島のコスモポリタン ボニンアイランドから小笠原へ」
です。


(小笠原開拓の中心に居たセーボリー一家)


 日本の領土でありながら、日本人では無い人々によって拓かれた島・小笠原。
 無人島(むにんしま)と呼ばれ、漂流民が漂着する日本の果てであった島が、太平洋の最後のフロンティアとして欧米各国の注目を集めた。その状態で日本は領土として主張するために如何に動いたのか。
 20を超える国と地域から集まった欧米系島民たちによって育まれた小笠原諸島の歴史と文化についてお話します。
 
 「明治時代・太平洋航路・近代史・開拓・クレオール文化」に関心がある方にオススメ。

 参加費:1000円(ワンドリンク付き)

 時間:19時から

 ※駐車場がありません。公共交通機関(JR三島駅徒歩5分)か近隣の駐車場をお使い下さい。

 開催場所はコチラ・cucurucu'


申し込みはオーナーメール、もしくはcucurucu'さんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2014年11月12日

11月11日講演 「主食の民俗 歴史を変えたサツマイモ」 参考文献

 11月11日、沼津市のLot.nにて「主食の民俗学 歴史を変えたサツマイモ」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 日本人は何を食べてきたか /神崎宣武
 食生活の歴史/瀬川清子
 聞き書 静岡の食事/農山漁村文化協会編
 静岡県史 民俗編/
 神饌 ― 神様の食事から“食の原点”を見つめる/ 南里空海
 神饌―神と人との饗宴/岩井 宏實、 日和 祐樹
 さつまいも/坂井 健吉
 さつまいも史話―コロンブスから芋地蔵まで/木村 三千人
 



 ご参考にして下さい。

 次回のLot.nでの講演は12月2日18時半から
 「熱狂と沈黙と 日本基督教史」
をお送りします。  


Posted by かるの at 08:02Comments(0)世間士として

2014年11月11日

本日講演 「主食の民俗 歴史を変えたサツマイモ」 沼津市 Lot.nにて

 本日18時半から沼津市のLot.nにて行います。


 内容は「主食の民俗 歴史を変えたサツマイモ」です。



(いも地蔵)


 数多くある食品の中で、なぜ毎日のように食べ続ける主食という概念があるのだろうか。
 日本人は米を主食として来たのだが、地方によってはそれが当てはまらない所もある。
 歴史上、何が主食とされて来たのかと、日本の歴史を変えたとも言えるサツマイモの歴史をなぞって行きます。


 会費:1000円(ドリンク付き)

 時間:18時半から

 開催場所はコチラ・沼津市上土町60 岡田ビル1F(元Floyd沼津店 店舗)





 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。

 申し込みはオーナーメール、もしくはLot.nさんへ直接お願いします。
 携帯電話055-919-1060

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:05Comments(0)世間士として

2014年11月10日

9日講演「二宮金治郎 両道を歩み続けた男」について参考文献

11月9日、散歩かふぇ ちゃらぽこにて「二宮金治郎 両道を歩み続けた男」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「ゼロ成長の富国論/猪瀬 直樹」

 「近世南関東地域史論/小田原近世史研究会 編」

 「二宮尊徳の生涯と業績/大貫章 」
 
 「二宮尊徳/奈良本辰也」

 「二宮金次郎のミラクル経営再建塾/大石三四郎 森川幸人」
 

 
 ご参考にしてください。

※次回の散歩かふぇ ちゃらぽこでの講座は12月7日15時から 明治以後のキリスト教近代史についてお話しします。  


Posted by かるの at 08:05Comments(0)世間士として

2014年11月09日

本日講演 「二宮金治郎 両道を歩み続けた男」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

 本日15時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。

  内容は「二宮金治郎 両道を歩み続けた男」です。


(二宮尊徳の思想を受け継いだ大日本報徳社)


 日本で最も銅像が建てられている幼少期の二宮金治郎。
 しかし彼が活躍したのは成人してからであり、単なる道徳的模範となる人物では無かった。
 科学的、計量的、合理的に農村の改善運動を展開した二宮尊徳についてお話しします。

 「地域づくり・二宮尊徳・農村経済・経営・農政・金融教育・報徳運動に関心がある方におすすめ。」

 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:15時から

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:02Comments(0)世間士として

2014年11月08日

「Seven Soldiers in ABE」

 軽野造船所では余り知られていない歴史を伝えるという目的で、各地で歴史講座を展開してきました。

 その一環として、「歴史を伝える」手段の一つとして、Tシャツデザインに着目、作成しました。

 人の正面に向き合うデザインをきっかけとして、地域の歴史を呼び起こすきっかけになれば、という趣旨であります。

 歴史を繋げる、という事で、
 「Historical Transmission design
と銘打ちました。



「Seven Soldiers in ABE 」


 戦国時代に安倍川流域に居た武士団・安倍七騎を表現したデザインです。
  安倍川流域に所在する村に居た、大石五郎右衛門(上落合)・末高半左衛門(村岡)・杉山小兵衛(俵峰)・望月四郎右門(俵峰)・石貝重郎左衛門(足久保)・長島甚太右衛門(腰越)・狩野弥次郎(落合)を、それぞれの個性に合わせた得物などを持たせています。

 この安倍七騎に関しては拙講座「国境最前線」にて取り上げています。

 お求めはヤフーショッピング内の軽野造船所ページでのネット通販にて 

 特注で様々なカラー、サイズも作成できます。以下のカラーバリエーション、サイズ表を目安にして下さい。

 ※特注の場合はメールにて、Tシャツカラーとサイズをご連絡ください。オーダーから三週間ほど掛かります。
特注価格 3500円


 これからも様々なデザインを展開していきますので、よろしくお願いします。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)Historical Transmission design

2014年11月07日

11月29日講演 「海越え、果つる地まで 雄飛と絶望の移民史」 静岡市 くればにて

 11月29日14時より静岡市のシニアライフ支援センター「くれば」にて講演致します。

  内容は「海越え、果つる地まで 雄飛と絶望の移民史」です。


(ブラジルに最初の移民を乗せた笠戸丸)


日本が開国を迎え諸外国との交流が始まると、多くの日本人が海外へと渡り懸命に働いた。遠い異国の地で成功を掴んだ者、絶望に打ちひしがれた者、悲喜交々の姿があった。
ハワイ、アメリカ、南米・・・明治以後に国策として進められた移民の歴史を語ります。

 「明治時代・開拓・移民・プランテーション・近代史・人口論」に関心がある方にオススメ。

 会費:500円(+ワンオーダーをお願いします)。


 開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル1F シニアライフ支援センター「くれば」
 


 申し込みはコチラから。054(252)8018
 もしくはオーナーメールで直接お願いします。


 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
  


Posted by かるの at 08:01Comments(0)世間士として

2014年11月06日

北陸へ 2014 ⑬旧五箇山海道の街並み

先回の続き…



城端線はその名の通り、城端へ行く路線であり、城端が終着地

JRのいわゆる「盲腸線」が少なくなりつつあり、実際に城端線も存廃が議論されている。



戦国期に荒木大膳が要害のこの地に城を築いたことから城ケ鼻と呼ばれる。
民俗学者・柳田國男の紀行文「木曾より五箇山へ」の中で『城端は機の声の町なり』と紹介している。

柳田は木曾の上松を明治40年5月28日に旅立ち、高山を経由して五箇山へ。そして城端から金沢、さらに和倉温泉へ。富山から魚津、泊へと旅した。
城端を通過したのは6月5日。山中の旅路から人里へと無事に辿りつき、機を織る音が静寂の山道の旅から、人々の生業の音を喜んだ一文である。

 
 交通の要所として砺波地方の山の産物・野の産物が集まる市場町で、また、「城端別院」の名で浄土真宗信徒に親しまれている善徳寺を中心とした門前町。この日は町には市が立ち賑わい、市ではさつまいもの苗を売る人が多くみられたと細かな観察をも書き残しています。

合掌造りの五箇山への案内図。車以外のアクセスとしてはここから。

城端は五箇山との取引により五箇山貸商人を生み出した。五箇山地方は険しい山に遮られ交通が困難な上に、厳冬期は半年近く雪に閉ざされ陸の孤島となる。
その為、五箇山の住人は冬を前に生活物資を買い貯めする。しかし貧しい山間の村民に現金は無く、そこで冬明けに生産される生産物の独占的取引を担保に生活物資の前借りを行う。
いわゆるこの先物取引は城端の商人に都合の良いものであり、城端の商人は富を得、五箇山の住民の生活は厳しい状況に置かれた。
加賀藩では貸金業を禁じていたが、五箇山の特殊事情を考慮し特別に公認していた。

そして、城端と言えばアニメ制作会社P.A.WORKSの所在地であることから、同社制作のアニメでは城端を始めとする富山県各所が作中に出てくる。その「聖地巡礼者」向けに現地でないと視聴できないアニメが「恋旅」である。



城端駅はやや町の外れであり、尚且つ市街地には坂を上らないといけない。

城国寺の芭蕉塚

 城端の俳人 李夫が宝暦11年(1761年)秋に、金沢の俳人既白に随行して西国行脚の折に姫路の随願寺に立ち寄り、芭蕉の遺品を保存していた芭蕉の門人・寒瓜から芭蕉の蓑毛を譲り受け城国寺境内に埋め塚を築きいた。


門前には33体の仏像が安置されている。

旧五箇山街道の街並み

 城端は山と野の中継地点に位置し、五箇山や飛騨白川への拠点となる。また陸路だけでなく、山田川を使って小矢部川に入る舟運にも恵まれていた。
 五箇山産の塩硝、和紙、生糸、漆等の集積地であり、絹織物業、漆業等が盛んだった。山田川と池川の合流点(町の北側端)で井波からの道、福野からの道が合流する。そして町の中から福光(その先、金沢)への道が伸びる。


続く…。


  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主