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かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
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2015年06月30日

京の会津藩跡散歩 ⑨琵琶湖疏水



 金戒光明寺から下りて、当初は地下鉄に乗って京都駅に戻ろうかと思ってたが、地下鉄東西線に乗って山科駅に向かう事にする。そうすれば、蹴上の琵琶湖疏水も通り掛かりに見ることが出来るという訳だ。

琵琶湖疏水


琵琶湖疏水記念館の側から


 京都は幕末の動乱期で市中の大半が焼け、維新後の東京への奠都に伴い人口が減少、産業も衰退したため、灌漑、上水道、水運、水車の動力を目的とした琵琶湖疏水を計画。
 この主任技術者として、沼津兵学校の小学校出身で工部大学校を卒業したばかりの田邉朔郎が設計と監督にあたった。

南禅寺前交差点に在る山縣有朋の元別荘・無鄰菴。

山縣有朋って至る所に別荘あるなぁ・・・

疎水が蹴上発電所へ

 田辺らはアメリカ視察で実用化されて間もない水力発電所を設置し市内に電力を供給する事になった。蹴上発電所は明治24年に送電を開始。

蹴上インクライン

 高度差を越えて水運を可能にするため、インクラインが日本初の施設として建設された。当時世界最長であった。このインクラインの運転も、蹴上発電所の電力である。
 ここを訪れた後、琵琶湖疏水のクルーズが行われたという事で、これにも参加してみたいと思った。

インクラインの下をくぐる道も煉瓦の趣


蹴上発電所

ここで発電された電力は、日本初の電気鉄道である京電の開業にも繋がる。

 明治初期の大規模な土木工事は外国人の指導の元である事が多いが、琵琶湖疏水は日本人のみで完成され、日本で初めての技術も多数取り入れられており、近代化遺産として非常に価値が高い。
 
 この琵琶湖疏水も京都府顧問であった山本覚馬の尽力があり、これもまた会津藩の史跡と言える。

蹴上駅にて帰路へ。

  


Posted by かるの at 08:18Comments(0)店主

2015年06月29日

6月28日講演 「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」 参考文献一覧

 6月28日に静岡市のくればにて「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」についてお話させて頂きました。

 参加して下さった皆様、ありがとうございました。

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 近代日本とイギリス資本/石井寛治
 トマス・グラバーの生涯: 大英帝国の周縁にて/マイケルガーデナ・翻訳村里好俊, 杉浦裕子
 アジアの海の大英帝国/横井勝彦
 日本経済史(1) 幕末維新期/東京大学出版会
 榎本武揚から世界史が見える/臼井隆一郎
  


 ご参考にして下さい。

※次回は7月19日14時から、「文武一徳 平和を繋いだ今川氏」と題し、室町幕府を支え、戦乱続く中世でも平和を保った今川氏の歴史についてお話しします
  


Posted by かるの at 07:44Comments(0)世間士として

2015年06月28日

本日講演 「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」 静岡市 くればにて

 本日14時より静岡市のシニアライフ支援センター「くれば」にて講演致します。

  内容は「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」です。




 19世紀、欧米列強の進出は東アジアに達し、地球規模となった。日本も植民地となるか独立を保てるかの瀬戸際となった。
 幕末から明治維新への動乱を、経済的な視点を通じて、欧米列強の思惑と暗躍する武器商人たちの動きから見て行きます。

 「幕末・19世紀・アジア史・欧米列強・武器商人・戊辰戦争・国家債務問題に関心がある方におすすめ。」

 会費:500円(+ワンオーダーをお願いします)。


 開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル1F シニアライフ支援センター「くれば」
 


 申し込みはコチラから。054(252)8018
 もしくはオーナーメールで直接お願いします。


 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2015年06月27日

7月12日講演 「和魂の才 成熟社会の江戸技術」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

 7月12日15時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。

  内容は「和魂の才 成熟社会の江戸技術」です。


蘭学発展の契機となった「解体新書」


  明治維新後の「文明開化」。進んだ技術を取り入れることによって近代化を図る試みは各国で行われたが、急速な社会変革に順応できたのは日本だけであった。
 明治の近代化政策以前には日本に「文明」は無かったのか。その下地となった江戸時代の科学技術についてお話しします。


 「産業史・江戸時代・科学史・外交史」に関心がある方におすすめ。


 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:15時から

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)世間士として

2015年06月26日

京の会津藩跡散歩 ⑧金戒光明寺



府道187号線は平安神宮がすぐ側にあったが、近年に出来た神社は然程興味がない。

「ハンデ」クラフト


ようやく来れました。金戒光明寺。通称くろだにさん。

先程に通り掛かった知恩院と並ぶ格式を誇る浄土宗の大本山の一つ。

会津藩殉難者の墓所という石柱

新選組だけじゃなく、禁門の変なりで多くの会津の人が京で命を落としたのだろうな。

こう見ると正しく城の様な所。会津藩が屯所としたのも頷ける。

江戸初期に城郭構造に改められていたそうだ。

来る者を圧倒するかのような山門。

応仁の乱で焼失したが、万延元年(1860年)に再建。

山門の脇にあった「勢至丸さま」像。

「勢至丸」とは法然上人の幼名。

御影堂(みえいどう)。法然の坐像を安置している。

昭和9年の火災により焼失し、昭和19年に再建された。

やや陽も傾いた京都市街を望む。

確かに、京都市街から御所まで一望。御所で有事があったとしてもすぐに駆けつけられる。

直実鎧掛けの松

平安時代末期の武士・熊谷直実が鎧を洗いそれを掛けたという松。元の松は枯れ、現在は3代目。
直実は寿永治承の乱の後、平敦盛を討った事に対する慙愧の念と世の無常を感じていた。その時に法然と出会った事で出家し、法力房蓮生となり、この地に庵を結んだ。

蓮池と極楽橋


墓所には数々の歴史上の人物の墓がある。 会津藩士の墓(352名)も行きたかったが、そろそろ戻る時間に取りかからないといけなくなったので撤収する事にする。

続く・・・

  


Posted by かるの at 08:02Comments(0)店主

2015年06月25日

6月24日講演 「桃介と安左エ門 水の王と炎の鬼」について参考文献

6月24日、沼津市の高嶋酒造にて「桃介と安左エ門 水の王と炎の鬼」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「鬼才 福沢桃介の生涯/浅利佳一郎」

 「自叙伝 松永安左エ門/松永安左エ門」

 「木曽谷の桃介橋/鈴木静夫」
 
 「耳庵 松永安左エ門/白崎秀雄」

 

 
 ご参考にしてください。

※次回は7月29日18時半から「巨船の航跡 核の時代の二律背反(アンビバレンス)」」と題し、物理学の研究から放射線、核技術の進展と、日本が原子力発電を導入していった経緯についてお話しします。  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)世間士として

2015年06月24日

本日講演 「桃介と安左エ門 水の王と炎の鬼」 沼津市 高嶋酒造にて

 本日18時半より講演致します。
 内容は「桃介と安左エ門 水の王と炎の鬼」です。


(福沢桃介が執念を傾けた木曽川・大井ダム)


 貧しい生まれながらも福沢諭吉の婿養子となった福沢桃介、壱岐の大商人の跡取りだった松永安左ェ門の二人は株式相場や虚業に手を染めながらも、その資金で電力事業を軌道に乗せ、大きな影響を持つに至る。
 時局が戦時体制に移りゆく中でも二人は自由主義経済を訴え、自らの信念を貫き通した福沢と松永の生涯を追って行きます。

 「産業史・電力事業・大正時代・株式相場・戦後復興・」に関心がある方にオススメ。

 参加費:700円。

 時間:18時30分から

 開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて


 ※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)

 ※自由参加ですが、問い合わせ等は高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)世間士として

2015年06月23日

7月7日講演 「督乗丸漂流 国境なき海の男たち」 沼津市 Lot.nにて

 7月7日18時半から沼津市のLot.nにて行います。

 
  内容は「督乗丸漂流 国境なき海の男たち」です。


長期漂流を生き抜いた船頭・重吉の碑



 江戸時代、駿河湾を航行していた尾張と伊豆の船乗りたち。
 彼らは暴風に巻き込まれ、一年半にも及んで太平洋を漂い、遂にはアメリカ大陸にまで到達した。彼らの漂流の苦闘と帰国に便宜を図ったイギリス人・ロシア人船乗りの人道精神の道のりを語ります。

 「江戸時代・海運・危機管理・漂流・異文化交流」に関心がある方におすすめ。

 会費:1000円(ドリンク付き)

 時間:18時半から

 開催場所はコチラ・沼津市上土町10 (それまでの店舗の道向かいです

)  

 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。

 申し込みはオーナーメール、もしくはLot.nさんへ直接来場ください。
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。

 会費:1000円(ドリンク付き)

 時間:18時半から

 開催場所はコチラ・沼津市上土町10 (それまでの店舗の道向かいです

)  

 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。

 申し込みはオーナーメール、もしくはLot.nさんへ直接来場ください。
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)世間士として

2015年06月21日

京の会津藩跡散歩 ⑦八つ橋発祥の地



吉田神社は京大のすぐ側である。


賑わっている、という程ではないが、参拝する人は途切れない程に見られる。

吉田神社も15年ぶりくらいの参拝だろうか。


吉田神社には全国の神々が祀られているそうだが、料理・飲食の山蔭神社や菓子の菓祖神社といった、食物に関わる社があるのが興味深い。

吉田神社は小高い丘なので、市街地を一望できる。


旅先でご当地牛乳受けの写真を撮るのも恒例になっていますが、「ホモ牛乳」はありますが、「ホモゲ牛乳」とは初めて。


本当は金戒光明寺に行きたかったが、やや道を間違えて遠回りになる。

近衛通り沿いにある京都大学楽友会館

 大正14年に京都大学創立25周年を記念して、当時京都大学工学部建築科助教授森田慶一氏の設計により立てられた。
 鉄筋コンクリート2階建の瓦葺でスパニッシュ・ミッション様式を基調とした外装と東京高等工芸学校教授森谷延雄氏による室内装飾は大正建築の特徴をよく伝えており、1998(平成10)年に国の登録有形文化財に指定された。

近衛通りをそのまま歩いて鴨川まで行ってしまい、間違いに気づき戻る。

お土産によく見かける聖護院八ッ橋の本店がコチラ


良い雰囲気のお宿


京大の熊野寮だが・・・さすが京大生である。


再び聖護院八ッ橋

コチラは熊野店。

ファサードが看板建築風


コチラにも八ッ橋発祥の地とある


続く…
  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)店主

2015年06月19日

7月4日講演「日本の神話を旅する 人代編」 三島市 カフェうーるーにて

7月4日9時半から三島市のカフェうーるーにて行います。


 内容は「日本の神話を旅する 人代編」です。




(神武天皇・月岡芳年画)


 神話というと荒唐無稽な話かと思いがちですが、神話には古代の人々の様々な考え方が盛りこまれています。
 今回は古事記の中下巻の神話の代表的な話を辿ります。神武天皇となったイワレビコの遠征から、桃太郎の原型とも言えるキビツヒコをはじめ、古代史最大のヒーロー・ヤマトタケルは各地に大きく足跡を遺しています。
 神話から次第に歴史へと変わって行く、日本の歴史で最も謎な時代を神話を通じて旅をしてみましょう。

 「日本神話・文学・古代史・神社・地方史・民俗学に関心がある方におすすめです。」

 会費:500円+ワンドリンクオーダー

 時間:9時から11時半予定

 開催場所はコチラ・カフェうーるー(三島市南本町13-30 ☎055-981-5539)

 参加の申し込み不要。
 問い合わせはオーナーメール、もしくはうーるーさんへお願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 07:14Comments(0)世間士として

2015年06月18日

京の会津藩跡散歩 ⑥京大周辺





百万遍交差点周辺は京都大学の施設が多い。






フランス総領事館






例の事件の影響でしょうか。


さすが京大のセンス




京大の隣にある吉田神社へ


続く…。
  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)店主

2015年06月17日

6月28日講演 「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」 静岡市 くればにて

 6月28日14時より静岡市のシニアライフ支援センター「くれば」にて講演致します。

  内容は「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」です。


(中国へ送られたアヘンの倉庫)


 19世紀、欧米列強の進出は東アジアに達し、地球規模となった。日本も植民地となるか独立を保てるかの瀬戸際となった。
 幕末から明治維新への動乱を、経済的な視点を通じて、欧米列強の思惑と暗躍する武器商人たちの動きから見て行きます。

 「幕末・19世紀・アジア史・欧米列強・武器商人・戊辰戦争・国家債務問題に関心がある方におすすめ。」

 会費:500円(+ワンオーダーをお願いします)。


 開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル1F シニアライフ支援センター「くれば」
 


 申し込みはコチラから。054(252)8018
 もしくはオーナーメールで直接お願いします。


 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
  


Posted by かるの at 08:02Comments(0)世間士として

2015年06月16日

京の会津藩跡散歩 ⑤百万遍周辺

先回の続き・・・

大原口道標

今出川は、北へ行けば出町を経て大原から若狭への街道、東は鴨川を越えて白川越(山中越)に繋がるという交通の拠点。史跡として京都市登録文化財。

いわゆる大文字焼の跡を見る。


鴨川と高野川の合流点

鴨川には散策している人が多く見られるが、歴史的な経緯を知っていると複雑な気分である。

京大周辺は趣ある建物が多い。








食事しようと思っていたハイライト食堂

しかし、開いていない・・・。残念。

いわゆる「百万遍」の知恩院。

浄土宗を開いた法然上人を、賀茂神社の社人が止宿を要請して、ここが布教の拠点となったという話は面白い。

「百万遍」の由来は、元弘元年(1331年)に疫病が大流行したときに、知恩寺の善阿空円上人が百万遍念仏を唱えたところ疫病が収まり、後醍醐天皇から百万遍という号を賜ったと伝えられている。

その事から、この周辺は正式な地名では無いものの、百万遍と呼ばれ交差点名にもなっている。

百万遍交差点の近くのカレー屋にて昼食。

続く…。
  


Posted by かるの at 08:18Comments(0)店主

2015年06月15日

6月14日講演 「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」 参考文献一覧

 6月14日に散歩かふぇ ちゃらぽこにて「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」についてお話させて頂きました。

 参加して下さった皆様、ありがとうございました。

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 近代日本とイギリス資本/石井寛治
 トマス・グラバーの生涯: 大英帝国の周縁にて/マイケルガーデナ・翻訳 村里好俊, 杉浦裕子
 アジアの海の大英帝国/横井勝彦
 日本経済史(1) 幕末維新期/東京大学出版会
 榎本武揚から世界史が見える/臼井隆一郎
  


 ご参考にして下さい。

※次回は7月12日15時から、「和魂の才 成熟社会の江戸技術」と題し、江戸時代における科学技術の進展についてお話しします
  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)世間士として

2015年06月14日

本日講演 「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

 本日15時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。

  内容は「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」です。



 19世紀、欧米列強の進出は東アジアに達し、地球規模となった。日本も植民地となるか独立を保てるかの瀬戸際となった。
 幕末から明治維新への動乱を、経済的な視点を通じて、欧米列強の思惑と暗躍する武器商人たちの動きから見て行きます。

 「幕末・19世紀・アジア史・欧米列強・武器商人・戊辰戦争・国家債務問題に関心がある方におすすめ。」


 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:15時から

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


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2015年06月13日

京の会津藩跡散歩 ④京都御苑



京都御所は、江戸に天皇が移るまでの御所と周囲の貴族の邸宅の敷地である。

その為、周囲の空き地と思われる空間であっても、貴族の屋敷であった名残がある。

周りは交通音がかなりやかましいが、この空間は鳥の鳴き声しか聞こえないと言っていい。公園として市民の憩いの場となっている。

縣(あがた)井

 昔はこの井戸のそばに縣宮があって、地方官吏に任命されたいと願う人々がこの井戸で身を清めてから祈願したという。
 そしてこの井戸は旧一条家の屋敷跡で、昭憲皇太后の産湯に用いられたと伝えられている。



やはり雪の影響はあったようだ。

木が折れている。

朔平門

御所の北側の門である。

朔平門を回れ右すると、何となく貴族の邸宅が在った感が。

     
その中にある、中山邸跡

幕末期の公家・中山忠能(ただやす)の館跡で、その娘の慶子が祐宮(さちのみや・後の明治天皇)を産み、四年間養育された。

祐宮にちなんで、祐井と名付けられた。



石薬師御門を出て、再び日常に。


続く…
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2015年06月11日

6月24日講演 「桃介と安左エ門 水の王と炎の鬼」 沼津市 高嶋酒造にて

 6月24日18時半より講演致します。
 内容は「桃介と安左エ門 水の王と炎の鬼」です。



(若き日の福沢桃介と松永安左エ門)


 貧しい生まれながらも福沢諭吉の婿養子となった福沢桃介、壱岐の大商人の跡取りだった松永安左ェ門の二人は株式相場や虚業に手を染めながらも、その資金で電力事業を軌道に乗せ、大きな影響を持つに至る。
 時局が戦時体制に移りゆく中でも二人は自由主義経済を訴え、自らの信念を貫き通した福沢と松永の生涯を追って行きます。

 「産業史・電力事業・大正時代・株式相場・戦後復興・」に関心がある方にオススメ。

 参加費:700円。

 時間:18時30分から

 開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて


 ※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)

 ※自由参加ですが、問い合わせ等は高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


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2015年06月10日

京の会津藩跡散歩 ③京都府庁から室町



京都府庁旧本館

工期3年余、総事業費は当時では破格の約36万6千円を要して、明治37年12月20日に竣工。
かつては京都府庁舎本館として使用され、現役で使用している官公庁建物としては日本最古の建造物である。旧議場は現存する日本最古の議場とされる。
平成16年(2004年)12月10日に、「国の重要文化財」に指定された。



この辺り一帯が、会津藩主・松平容保が就任した京都守護職の屋敷跡であった。

京都府警の建物


京都府庁の建物の辺りから、再び歴史を感じる建物が見えてくる。






皆川淇園(みながわきえん)弘道館跡 

皆川淇園は特別な師を持たず独学で独自の学問を打ち立て、晩年の文化3(1806)年,自宅に弘道館を開いた。
儒学から易学の造詣も深く、「物」と「名」の関係を解釈する「開物論」を唱えた。
諸藩の礼遇を受けたほか、3000人とも言われた淇園の門下には多彩な人物がおり、解体新書を著した前野良沢や画家の伊藤若仲、円山応挙らとも親交を結び,詩文・書画にも秀でていた。
 
そして、この辺りは室町。室町幕府の由来である室町である。

そして京都御苑。


室町幕府ってこんなに御所の近くにあったのかと思う。

続く…
  


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2015年06月09日

6月14日講演 「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

 6月14日15時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。

  内容は「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」です。


(中国へ送られたアヘンの倉庫)


 19世紀、欧米列強の進出は東アジアに達し、地球規模となった。日本も植民地となるか独立を保てるかの瀬戸際となった。
 幕末から明治維新への動乱を、経済的な視点を通じて、欧米列強の思惑と暗躍する武器商人たちの動きから見て行きます。

 「幕末・19世紀・アジア史・欧米列強・武器商人・戊辰戦争・国家債務問題に関心がある方におすすめ。」


 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:15時から

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


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2015年06月08日

京の会津藩跡散歩 ②



ポパイ定食気になる。(多分、法蓮草が用いられている気も)


細い路地を通り抜けていると、姉小路通りに。そして現れたこの建物。

気になるが情報が得られず。

 二条陣屋

 二条陣屋は京に屋敷を持たない大名や、二条城や京都所司代、京都町奉行の宿として使われた。
 江戸時代、京都には本陣が無かった事と、大名屋敷が建てられないなど制限があり、この二条陣屋が用いられた。そのため、建物には防火、警備能力にも優れ、武者隠しや隠し階段、扉を開けると音がする、茶室が7つもあるなど色々なからくりが設けられている。

 この二条陣屋は豪商である小川家の建物であるが、戦国時代は豊臣家の家臣であった。
 関ヶ原の戦いでは西軍でありながら小早川秀秋の動きを受けて徳川側に寝返ったものの、事前に内応の表明はしていなかったため所領を没収され、子孫がその後京にて公事師という裁判書面を作成する役割として財を蓄え、更に両替商となり成功した。
 裁判が始まっても判決が出るまでに時間が掛かり、裁判待ちの大名が公事師の屋敷に逗留するようになり、公事宿と呼ばれるようになったのが二条陣屋の経緯である。
 二条陣屋は個人所有の住宅であり、現住民家では日本で2番目に国宝に指定され、昭和25年(1950年)の法改正(文化財保護法)により重要文化財となり、今日に至っている。

そして二条城

ここから二条城の堀に沿って歩く。




東大手門は修理のため工事が行われていた


工事だからか北門に迂回するまでの間に、二条城と徳川将軍に関するパネルが掲示されている。

二条城に入ったことがある将軍は初代家康、二代秀忠、三代家光、十四代家茂、十五代慶喜である。
将軍に就任する際には朝廷にて受任する訳だが、四代目となると幕府支配も盤石となり、京まで行く事は無くなる。



 二条城を抜けて、更に北へ。

ちょうど昼だったので、開いてれば入ってみたかったですが。


続く…
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主