メルマガ購読・解除
 
アクセスカウンタ
オーナーへメッセージ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 7人
プロフィール
かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
no">

2015年06月26日

京の会津藩跡散歩 ⑧金戒光明寺



府道187号線は平安神宮がすぐ側にあったが、近年に出来た神社は然程興味がない。

「ハンデ」クラフト
京の会津藩跡散歩 ⑧金戒光明寺

ようやく来れました。金戒光明寺。通称くろだにさん。
京の会津藩跡散歩 ⑧金戒光明寺
先程に通り掛かった知恩院と並ぶ格式を誇る浄土宗の大本山の一つ。

会津藩殉難者の墓所という石柱
京の会津藩跡散歩 ⑧金戒光明寺
新選組だけじゃなく、禁門の変なりで多くの会津の人が京で命を落としたのだろうな。

こう見ると正しく城の様な所。会津藩が屯所としたのも頷ける。
京の会津藩跡散歩 ⑧金戒光明寺
江戸初期に城郭構造に改められていたそうだ。

来る者を圧倒するかのような山門。
京の会津藩跡散歩 ⑧金戒光明寺
応仁の乱で焼失したが、万延元年(1860年)に再建。

山門の脇にあった「勢至丸さま」像。
京の会津藩跡散歩 ⑧金戒光明寺
「勢至丸」とは法然上人の幼名。

御影堂(みえいどう)。法然の坐像を安置している。
京の会津藩跡散歩 ⑧金戒光明寺
昭和9年の火災により焼失し、昭和19年に再建された。

やや陽も傾いた京都市街を望む。
京の会津藩跡散歩 ⑧金戒光明寺
確かに、京都市街から御所まで一望。御所で有事があったとしてもすぐに駆けつけられる。

直実鎧掛けの松
京の会津藩跡散歩 ⑧金戒光明寺
平安時代末期の武士・熊谷直実が鎧を洗いそれを掛けたという松。元の松は枯れ、現在は3代目。
直実は寿永治承の乱の後、平敦盛を討った事に対する慙愧の念と世の無常を感じていた。その時に法然と出会った事で出家し、法力房蓮生となり、この地に庵を結んだ。

蓮池と極楽橋
京の会津藩跡散歩 ⑧金戒光明寺

墓所には数々の歴史上の人物の墓がある。 会津藩士の墓(352名)も行きたかったが、そろそろ戻る時間に取りかからないといけなくなったので撤収する事にする。

続く・・・




同じカテゴリー(店主)の記事画像
カモメの詩が聞こえる街 増毛へ ⑨
カモメの詩が聞こえる街 増毛へ ⑧
カモメの詩が聞こえる街 増毛へ ⑦
カモメの詩が聞こえる街 増毛へ ⑥
カモメの詩が聞こえる街 増毛へ ⑤
カモメの詩が聞こえる街 増毛へ ④
同じカテゴリー(店主)の記事
 カモメの詩が聞こえる街 増毛へ ⑨ (2016-11-29 08:17)
 カモメの詩が聞こえる街 増毛へ ⑧ (2016-11-25 08:16)
 カモメの詩が聞こえる街 増毛へ ⑦ (2016-11-22 08:17)
 カモメの詩が聞こえる街 増毛へ ⑥ (2016-11-08 08:13)
 カモメの詩が聞こえる街 増毛へ ⑤ (2016-10-17 08:13)
 カモメの詩が聞こえる街 増毛へ ④ (2016-10-13 08:11)

Posted by かるの at 08:02│Comments(0)店主
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
京の会津藩跡散歩 ⑧金戒光明寺
    コメント(0)