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2013年03月31日
大山登山 ③
大山寺を出る。
途中、「女坂の七不思議 眼形石」とある立札が。

この石に触れて祈ると目の病気が治るという言い伝えがあるそうだ。
途中で見たケーブルカー

阿夫利神社手前の売店

お品書きがいい感じ。
ケーブルカーで来れるので、登山で無い人たちでも賑わってます。

ここまでは15年くらい前にも来た事があります。

阿夫利神社で御朱印を受けて、山頂へ向かいます。
続く…。
2013年03月30日
4月20日「伊勢盛時 その志、雲の如く」ちゃらぽこにて
4月20日15時より講演致します。
内容は「伊勢盛時 その志、雲の如く」です。

戦国時代、関東に覇を唱えた小田原北条氏の礎を築き関東の戦国の幕を開けた早雲こと伊勢盛時。
従来、謀略の限りを尽くして国を切り取った「伊勢の素浪人」とも「日本三大梟雄」の一人と言われて来たが、近年の研究ではそういった見方は覆されつつある。
地縁も血縁も無い地で彼はどうやって百年に亘る小田原北条氏の地盤を築けたのか、その生涯を追って行きます。
会費:1500円(ドリンク付き)
時間:15時から
開催場所はコチラ・
※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。
申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。
ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。
内容は「伊勢盛時 その志、雲の如く」です。

戦国時代、関東に覇を唱えた小田原北条氏の礎を築き関東の戦国の幕を開けた早雲こと伊勢盛時。
従来、謀略の限りを尽くして国を切り取った「伊勢の素浪人」とも「日本三大梟雄」の一人と言われて来たが、近年の研究ではそういった見方は覆されつつある。
地縁も血縁も無い地で彼はどうやって百年に亘る小田原北条氏の地盤を築けたのか、その生涯を追って行きます。
会費:1500円(ドリンク付き)
時間:15時から
開催場所はコチラ・
※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。
申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。
ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。
2013年03月29日
反対側に行く 27日
6:44起床 7:00 出 7:05 朝食購入
7:38呉羽発 通勤・通学で込み入ってる。 7:44富山 降りて周辺を少し散策 8:14高山本線発
高山本線は初めてである。曇っているが、北アルプスや立山が見える。楡原周辺は雨が降った跡がある。 9:05猪谷駅乗り換え 9:11 この辺りから山深い渓谷沿いの路線に。時々ダムがあり、山は雪がまだ深く残っている。 10:18高山 かなりの人が下車。やはり観光地である。 10:24 発
13:12 美濃太田駅 駅周辺を散策。駅前通りの道沿いに黄道12星座の銅像が並んでいる。スーパーでカメヤのわさびドレッシング発見。 13:56発
坂祝駅過ぎた所に、自分の講座でも取り上げた川上貞奴が建立した貞照寺が。 14:32岐阜着 14:38 東海道線に乗り換え。
ここでカメラを高山本線の列車に忘れた事を気付く。尾張一宮で取って返して岐阜駅で忘れ物手続き。自分が乗っていた列車は飛騨古川行きとなったので、今からでは行ったら今日中に帰れないので、ここはJRさんに託すことにする。
15:23 岐阜発 東海道線新快速~16:39 豊橋着 16:42発~17:15 浜松 17:20発 新所原でもwimax使える!エリア広がってるな。菊川までつかえた。
17:02新蒲原にて下車。よし川さんで食事。
21:19新蒲原~21:50三島 下車
帰宅
7:38呉羽発 通勤・通学で込み入ってる。 7:44富山 降りて周辺を少し散策 8:14高山本線発
高山本線は初めてである。曇っているが、北アルプスや立山が見える。楡原周辺は雨が降った跡がある。 9:05猪谷駅乗り換え 9:11 この辺りから山深い渓谷沿いの路線に。時々ダムがあり、山は雪がまだ深く残っている。 10:18高山 かなりの人が下車。やはり観光地である。 10:24 発
13:12 美濃太田駅 駅周辺を散策。駅前通りの道沿いに黄道12星座の銅像が並んでいる。スーパーでカメヤのわさびドレッシング発見。 13:56発
坂祝駅過ぎた所に、自分の講座でも取り上げた川上貞奴が建立した貞照寺が。 14:32岐阜着 14:38 東海道線に乗り換え。
ここでカメラを高山本線の列車に忘れた事を気付く。尾張一宮で取って返して岐阜駅で忘れ物手続き。自分が乗っていた列車は飛騨古川行きとなったので、今からでは行ったら今日中に帰れないので、ここはJRさんに託すことにする。
15:23 岐阜発 東海道線新快速~16:39 豊橋着 16:42発~17:15 浜松 17:20発 新所原でもwimax使える!エリア広がってるな。菊川までつかえた。
17:02新蒲原にて下車。よし川さんで食事。
21:19新蒲原~21:50三島 下車
帰宅
2013年03月28日
反対側に行く 27日
6:30 起床~7:15 出発~
7:30 姉倉比売神社 まっすぐ駅に向かっていたが神社の看板があり、行ってみるとなかなか古い神社であった。地名由来もあるだろう。
7:56 呉羽駅発~ 昨日の夜は気付かなかったが、北陸新幹線の高架が出来つつある。 8:15高岡
高岡駅は新幹線の開通に備えて改修中であるが、駅前の景観は褒められたものではない。
路地が非常に多い。
8:30 関野神社 45発
商店街を歩いていると、銅像が非常に多い。これも鋳物の街であるからか。
高岡大仏が街中にあって驚き。
9:05 高岡城址の公園に入る。市立博物館に入る。博物館の建物も昔行われた博覧会の美術館であった所である。見応えもあった。 12:00 出
公園の中には動物園があり、これも無料で見ることが出来る。職員の人の手書きイラストが面白い。
12:30 射水神社 城内と言うことで、藩祖を祀った神社かと思っていたが、非常に古い神社であった。 13:00出
金屋町に向かって歩く。その途中の山町筋の土蔵の町並みもなかなか。もう少し景観制限をして、車の通りを制限してくれると歩き易いか。金屋町も同様。そして休憩できるカフェなどが欲しい。
金屋町は表札を見ても、「鍛冶」「鍋谷」など、金属加工にちなんだ姓をよく見た。
肉屋があったので、コロッケなどを購入。高岡もコロッケで売り出しているようだ。
次に駅の南側に出て、八丁道という前田家の菩提寺から墓所までの道へ。
駅近くのスーパーへ。意外に静岡の物産が売られている。
駅前の路地を塗りつぶす。駅で土産購入。
図書館へ。高岡市出身の藤子不二夫氏の作品がすべて揃えてある。他にも公立図書館では見ないような漫画も数多い。
図書館は20時終了。下にあったラーメン屋で富山ブラックを食べる。
21:10 高岡発 またもや人身事故で遅れている。
21:40 呉羽着 22:10 ネットカフェ着
7:30 姉倉比売神社 まっすぐ駅に向かっていたが神社の看板があり、行ってみるとなかなか古い神社であった。地名由来もあるだろう。
7:56 呉羽駅発~ 昨日の夜は気付かなかったが、北陸新幹線の高架が出来つつある。 8:15高岡
高岡駅は新幹線の開通に備えて改修中であるが、駅前の景観は褒められたものではない。
路地が非常に多い。
8:30 関野神社 45発
商店街を歩いていると、銅像が非常に多い。これも鋳物の街であるからか。
高岡大仏が街中にあって驚き。
9:05 高岡城址の公園に入る。市立博物館に入る。博物館の建物も昔行われた博覧会の美術館であった所である。見応えもあった。 12:00 出
公園の中には動物園があり、これも無料で見ることが出来る。職員の人の手書きイラストが面白い。
12:30 射水神社 城内と言うことで、藩祖を祀った神社かと思っていたが、非常に古い神社であった。 13:00出
金屋町に向かって歩く。その途中の山町筋の土蔵の町並みもなかなか。もう少し景観制限をして、車の通りを制限してくれると歩き易いか。金屋町も同様。そして休憩できるカフェなどが欲しい。
金屋町は表札を見ても、「鍛冶」「鍋谷」など、金属加工にちなんだ姓をよく見た。
肉屋があったので、コロッケなどを購入。高岡もコロッケで売り出しているようだ。
次に駅の南側に出て、八丁道という前田家の菩提寺から墓所までの道へ。
駅近くのスーパーへ。意外に静岡の物産が売られている。
駅前の路地を塗りつぶす。駅で土産購入。
図書館へ。高岡市出身の藤子不二夫氏の作品がすべて揃えてある。他にも公立図書館では見ないような漫画も数多い。
図書館は20時終了。下にあったラーメン屋で富山ブラックを食べる。
21:10 高岡発 またもや人身事故で遅れている。
21:40 呉羽着 22:10 ネットカフェ着
2013年03月27日
反対側に行く 26日
来年度に北陸新幹線が出来るという事で、在来線が18きっぷが使えなくなる前に北陸に行くことにする。
7:10三島~9:20磐田
所要を済ませる。
13:03磐田~13:21浜松~13:55豊橋14:03~15:37大垣~
伊吹山は所々雪が残っている。
16:10米原 北陸線に乗り換えも、人身事故で4分ほど遅れ。 16:30発
16:41長浜 米原から3駅で終点。駅から見た様子も歩いてみたい雰囲気がある。
17:06近江塩津 また6駅ほどで終点。17:10に次発の筈だが来ない・・・。それに非常に寒い。真冬並みの寒さ。待ってる間に特急が三本通り抜ける。17:30に到着。人身事故の影響で遅れているようだ。
17:52敦賀 また二駅で終点・・・。
20:32金沢 次発まで30分あるので買い物。金沢駅のキオスクで福井名物ボルガライスなる弁当発見。オムライスにカツが乗ってる。金沢カレーもそうだが、北陸はカツをよく使うな。 21:03発。
21:52呉羽着 歩いて今日の宿泊ネットカフェへ。
22:15ネットカフェ着
7:10三島~9:20磐田
所要を済ませる。
13:03磐田~13:21浜松~13:55豊橋14:03~15:37大垣~
伊吹山は所々雪が残っている。
16:10米原 北陸線に乗り換えも、人身事故で4分ほど遅れ。 16:30発
16:41長浜 米原から3駅で終点。駅から見た様子も歩いてみたい雰囲気がある。
17:06近江塩津 また6駅ほどで終点。17:10に次発の筈だが来ない・・・。それに非常に寒い。真冬並みの寒さ。待ってる間に特急が三本通り抜ける。17:30に到着。人身事故の影響で遅れているようだ。
17:52敦賀 また二駅で終点・・・。
20:32金沢 次発まで30分あるので買い物。金沢駅のキオスクで福井名物ボルガライスなる弁当発見。オムライスにカツが乗ってる。金沢カレーもそうだが、北陸はカツをよく使うな。 21:03発。
21:52呉羽着 歩いて今日の宿泊ネットカフェへ。
22:15ネットカフェ着
2013年03月26日
東日本大震災から二年 現場から生の声を聴く 島田市にて
3月23日、岩手県大槌町の大槌稲荷神社の神主・十王舘勲氏による講演が行われたのを聴講した。
十王舘氏は地震発災直後から、神社の境内と建物を避難所として開設し、周辺の人を受け入れた。
以前、大槌町に行った際、色々とお話を伺ってお世話になった人である。
※以下は聞き書きであり、全てを収録したものでなく聞き間違えや勘違いもありますのでご了承ください。
二年前の3月11日、我が町含め被災した人々は、当たり前の朝を迎え、普通の生活をしていた中での津波でした。
三陸地方は学者の人が言うように、50年に一度は津波をもたらす地震が来る、という所です。口伝でも過去の津波がここまで来る、という石碑や印が町の中にもありましたが、それすらを軽々と超える津波でした。
神社から見える安渡(あんど)地区は800戸程でしたが、100戸残りませんでした。大槌町の建物の被災率は92%です。
私は、皆さんが家に帰って家族で災害とはこういうものだという話し合いが出来れば、と思います。
地震には縦揺れ・横揺れがあると聞きますが、3月11日の地震は円を描くようでした。テーブルのコップが落ちそうで落ちなかったです。それで、これは只事ではないと思いました。全ての戸を開け放って、境内の下を見ますと、町の人が集まってガヤガヤしていました。気温は零度以下だったと思います。境内の斜面の法面に亀裂が入り、そこに人が近づかないようにと結界をしていましたら津波が来ました。
3月11日の一年前、チリで起きた巨大地震で津波警報が発令された時、8名ほど受け入れたことがありました。その時に、暖房が大事だと燃料を常に準備しておかねば、と思い準備していました。地震の後、停電と断水がありましたが、燃料があったので発電機を回して最低限の電力を確保し、薪ストーブで暖をとったり調理が出来た事は非常に大きかったです。
神社は境内が海抜20m位の所ですから、津波が黒い煙を引き連れて、多くの物を壊しながら壁になって襲ってきました。津波は波ではありません。壁です。目の前で知っている人々が飲み込まれていきました。
神社に生まれて、幼い頃に祖父が家の前の前で、「津波が来れば町は無くなるぞ。覚えておけ。」と言った時がありました。それは何度とありまして、また言ってるなと思ってましたが、少しづつ伝えられた口伝が50年を経て役に立ったと。「津波は2月か3月の寒い時、夜明け前に来る。助けてくれという声が聞こえても、行ってはいけない。お前の役目は神社の階段の入り口に逃げてくる人の目安にする火を焚く事だ。それで暗い所に行ってはいけない。」今回は灯光器を点けましたが、助かった人は居ません。想定外でした。
その日の夕方、波を被ったけど助かった人をストーブで暖めてて服が乾いたら、家に携帯電話や通帳や現金など大事な物を取りに行きました。そしてそれを止める人も居ません。しかし、戻って来れなかった人も居ました。
当日は80人ほどが避難所に入りました。二日目には裏山に逃げた人などが入って来て、140名ほどになりました。三月末に内陸の方の温泉施設の方がお年寄りや体力が弱っている人を受け入れてくれて、100名ほどになって助かりました。
ライフラインとは良く言ったものです。若い人はともかく、津波から逃れても体力の無い人や病人の人が点滴を受けられずに亡くなった人も居ます。ずぶ濡れになって避難所に入ったのに、気付いて貰えずに寒さで亡くなった人など、津波から逃れても、その後日に死ぬ人も出て来ます。これは覚えて欲しい。
その後、多くの人が家族を探しに行きます。各地の遺体安置所を廻って行きますが、時間が経つにつれて顔が変わって分からなくなってしまう。生き残った人は自分の親兄弟を探すのに非常に苦労します。顔があればまだいい。そうでない場合もある訳です。未だに見つからない遺族の人も居ます。家族の人の特徴を憶えて貰いたいです。
神社に道路が繋がるまで10日掛かりました。町中全ての瓦礫が神社の前に集まって残ってしまったからです。それを撤去する重機の音が止まって笛の音が聞こえると、それは遺体が見つかった訳です。遺体が搬送されて重機が動く、そして笛の音、これの繰り返しでした。距離にすると20mに10日掛かった訳です。自衛隊の人が繋がりましたと報告してくれた時、皆は良かった良かったと言ってた訳ですが、ある女性が「お風呂に入ってくる」と言いました。それで避難所の中の我慢や秩序が崩れた訳です。持てる者と持たざる者との格差が生まれるのです。
避難所の現実は美しいばかりではありません。「絆」という言葉はマスコミの方がこうあって欲しいという意図だと思うのです。ある時、遠くが見えるようにと双眼鏡を置いておいたら、それを見ていたお年寄りが、遺体の指を切って指輪を奪う者を見たそうです。良かれと思ってやった事が裏目に出てしまいました。生の声を聞く、という事ですから申しました。
これからは防災の面から申します。防寒は厚い服を着るよりも、薄い肌着を何枚も着るようにして下さい。洗濯も楽ですし、嵩張らない。そして食べ物の他に調味料のさしすせそを用意して下さい。砂糖・塩・酢・醤油・味噌ですね。あと油を一本。救援物資で食べ物が届いても、同じ味が続くと参ってしまう。同じ食べ物でも、調味料があれば味を変える事が出来るわけです。調味料が支援物資として届く事はありませんでした。後は乾電池、充電できる電池。ラジオも持ってほしい。車の電源を使えるインバータもあれば持ってほしい。ペットボトルも入れ物として役に立ちます。米なんかを入れておくと虫が付かない。
子供には一人になったら優しそうな服を掴んで離すな、と言って下さい。一人ぼっちだと避難所から出されます。自分の荷物が無くなっている事も多々あります。
私が避難所を運営していた時はずっとボランティアを断っていました。ここは大丈夫だ、もっと大変な所があるからと。自分で頼んだのは、地元のマッサージ士と水運びをする人です。
ある日、足湯のボランティアに来た、という人が来ました。足湯をするから湯を沸かしてくれという、バカじゃないのか。ある日には、弁護士を名乗る人がテレビカメラを連れて、これからのまちづくりを、などと語る訳です。それどころではないだろうと。
そんな中で断っても帰らなかったのが青山真虎さんです。彼こそ、私と島田市を繋ぐ絆になった人です。
話者:青山氏に
3月11日の地震後、三週間後に大槌町に入りました。川根から100キロのお茶を寄付して頂き、井戸水を持って行きました。
初めて十王舘さんにお会いした際、「後で金を請求するんじゃないだろうな。」と疑われたのを憶えています。混乱している時だから仕方ないかなと思いつつも、お茶を淹れさせて頂きました。
地震から一年経った時、十王舘さんから慰霊を行いたい、という事で大槌町で亡くなった1450名に見立てた蝋燭を島田市民500名の協力で作りまして、大槌町に持って行った。大槌稲荷神社の境内の下の鳥居は隣の地区に流されていたのですが、この慰霊に間に合うように元の位置に戻してくれました。そこから蝋燭を祭壇まで並べました。祭壇には猿田彦の神様を祀りました。猿田彦は導きの神様だからです。全ての人がありがとうと言ってくれました。
今、聞ける事ですが、災害後、困った事は何ですか?
十王舘氏
全てに困りました。同じ顔の面子がずっと集まっているからアラが見えてくる訳です。すると攻撃される人が出てくる訳です。それは決まって弱い人です。海の街ですから海難事故の加害者・被害者のしがらみなんかが一か所に集まる訳です。そういう立場に無い若者が、年寄・子供・女性を守るんだ、という意識を持たせることです。
義援金を世帯毎で頂きましたが、すると会った事も無い親類が出て来て寄越せと言われた人が何人も居ます。
個々の人が奮い立たなければならない。ただそれだけだと思います。あと、境内の斜面にデッキとツリーハウスを設けて、仮説住宅に居る子供の勉強部屋に、文化活動を行う人に使ってほしい、「とうとうの森」を作る事が、私のライフワークです。
今回の話は、以前では伺えなかった話も出てきた。それだけ、時を経て話せる事もあったのだろうな、とも思った。
平時に理想論を語るのは簡単だ。でも、有事の際にはその理想を遂行するためにも、現実を見詰めなければならないと思った。
十王舘氏は地震発災直後から、神社の境内と建物を避難所として開設し、周辺の人を受け入れた。
以前、大槌町に行った際、色々とお話を伺ってお世話になった人である。
※以下は聞き書きであり、全てを収録したものでなく聞き間違えや勘違いもありますのでご了承ください。
二年前の3月11日、我が町含め被災した人々は、当たり前の朝を迎え、普通の生活をしていた中での津波でした。
三陸地方は学者の人が言うように、50年に一度は津波をもたらす地震が来る、という所です。口伝でも過去の津波がここまで来る、という石碑や印が町の中にもありましたが、それすらを軽々と超える津波でした。
神社から見える安渡(あんど)地区は800戸程でしたが、100戸残りませんでした。大槌町の建物の被災率は92%です。
私は、皆さんが家に帰って家族で災害とはこういうものだという話し合いが出来れば、と思います。
地震には縦揺れ・横揺れがあると聞きますが、3月11日の地震は円を描くようでした。テーブルのコップが落ちそうで落ちなかったです。それで、これは只事ではないと思いました。全ての戸を開け放って、境内の下を見ますと、町の人が集まってガヤガヤしていました。気温は零度以下だったと思います。境内の斜面の法面に亀裂が入り、そこに人が近づかないようにと結界をしていましたら津波が来ました。
3月11日の一年前、チリで起きた巨大地震で津波警報が発令された時、8名ほど受け入れたことがありました。その時に、暖房が大事だと燃料を常に準備しておかねば、と思い準備していました。地震の後、停電と断水がありましたが、燃料があったので発電機を回して最低限の電力を確保し、薪ストーブで暖をとったり調理が出来た事は非常に大きかったです。
神社は境内が海抜20m位の所ですから、津波が黒い煙を引き連れて、多くの物を壊しながら壁になって襲ってきました。津波は波ではありません。壁です。目の前で知っている人々が飲み込まれていきました。
神社に生まれて、幼い頃に祖父が家の前の前で、「津波が来れば町は無くなるぞ。覚えておけ。」と言った時がありました。それは何度とありまして、また言ってるなと思ってましたが、少しづつ伝えられた口伝が50年を経て役に立ったと。「津波は2月か3月の寒い時、夜明け前に来る。助けてくれという声が聞こえても、行ってはいけない。お前の役目は神社の階段の入り口に逃げてくる人の目安にする火を焚く事だ。それで暗い所に行ってはいけない。」今回は灯光器を点けましたが、助かった人は居ません。想定外でした。
その日の夕方、波を被ったけど助かった人をストーブで暖めてて服が乾いたら、家に携帯電話や通帳や現金など大事な物を取りに行きました。そしてそれを止める人も居ません。しかし、戻って来れなかった人も居ました。
当日は80人ほどが避難所に入りました。二日目には裏山に逃げた人などが入って来て、140名ほどになりました。三月末に内陸の方の温泉施設の方がお年寄りや体力が弱っている人を受け入れてくれて、100名ほどになって助かりました。
ライフラインとは良く言ったものです。若い人はともかく、津波から逃れても体力の無い人や病人の人が点滴を受けられずに亡くなった人も居ます。ずぶ濡れになって避難所に入ったのに、気付いて貰えずに寒さで亡くなった人など、津波から逃れても、その後日に死ぬ人も出て来ます。これは覚えて欲しい。
その後、多くの人が家族を探しに行きます。各地の遺体安置所を廻って行きますが、時間が経つにつれて顔が変わって分からなくなってしまう。生き残った人は自分の親兄弟を探すのに非常に苦労します。顔があればまだいい。そうでない場合もある訳です。未だに見つからない遺族の人も居ます。家族の人の特徴を憶えて貰いたいです。
神社に道路が繋がるまで10日掛かりました。町中全ての瓦礫が神社の前に集まって残ってしまったからです。それを撤去する重機の音が止まって笛の音が聞こえると、それは遺体が見つかった訳です。遺体が搬送されて重機が動く、そして笛の音、これの繰り返しでした。距離にすると20mに10日掛かった訳です。自衛隊の人が繋がりましたと報告してくれた時、皆は良かった良かったと言ってた訳ですが、ある女性が「お風呂に入ってくる」と言いました。それで避難所の中の我慢や秩序が崩れた訳です。持てる者と持たざる者との格差が生まれるのです。
避難所の現実は美しいばかりではありません。「絆」という言葉はマスコミの方がこうあって欲しいという意図だと思うのです。ある時、遠くが見えるようにと双眼鏡を置いておいたら、それを見ていたお年寄りが、遺体の指を切って指輪を奪う者を見たそうです。良かれと思ってやった事が裏目に出てしまいました。生の声を聞く、という事ですから申しました。
これからは防災の面から申します。防寒は厚い服を着るよりも、薄い肌着を何枚も着るようにして下さい。洗濯も楽ですし、嵩張らない。そして食べ物の他に調味料のさしすせそを用意して下さい。砂糖・塩・酢・醤油・味噌ですね。あと油を一本。救援物資で食べ物が届いても、同じ味が続くと参ってしまう。同じ食べ物でも、調味料があれば味を変える事が出来るわけです。調味料が支援物資として届く事はありませんでした。後は乾電池、充電できる電池。ラジオも持ってほしい。車の電源を使えるインバータもあれば持ってほしい。ペットボトルも入れ物として役に立ちます。米なんかを入れておくと虫が付かない。
子供には一人になったら優しそうな服を掴んで離すな、と言って下さい。一人ぼっちだと避難所から出されます。自分の荷物が無くなっている事も多々あります。
私が避難所を運営していた時はずっとボランティアを断っていました。ここは大丈夫だ、もっと大変な所があるからと。自分で頼んだのは、地元のマッサージ士と水運びをする人です。
ある日、足湯のボランティアに来た、という人が来ました。足湯をするから湯を沸かしてくれという、バカじゃないのか。ある日には、弁護士を名乗る人がテレビカメラを連れて、これからのまちづくりを、などと語る訳です。それどころではないだろうと。
そんな中で断っても帰らなかったのが青山真虎さんです。彼こそ、私と島田市を繋ぐ絆になった人です。
話者:青山氏に
3月11日の地震後、三週間後に大槌町に入りました。川根から100キロのお茶を寄付して頂き、井戸水を持って行きました。
初めて十王舘さんにお会いした際、「後で金を請求するんじゃないだろうな。」と疑われたのを憶えています。混乱している時だから仕方ないかなと思いつつも、お茶を淹れさせて頂きました。
地震から一年経った時、十王舘さんから慰霊を行いたい、という事で大槌町で亡くなった1450名に見立てた蝋燭を島田市民500名の協力で作りまして、大槌町に持って行った。大槌稲荷神社の境内の下の鳥居は隣の地区に流されていたのですが、この慰霊に間に合うように元の位置に戻してくれました。そこから蝋燭を祭壇まで並べました。祭壇には猿田彦の神様を祀りました。猿田彦は導きの神様だからです。全ての人がありがとうと言ってくれました。
今、聞ける事ですが、災害後、困った事は何ですか?
十王舘氏
全てに困りました。同じ顔の面子がずっと集まっているからアラが見えてくる訳です。すると攻撃される人が出てくる訳です。それは決まって弱い人です。海の街ですから海難事故の加害者・被害者のしがらみなんかが一か所に集まる訳です。そういう立場に無い若者が、年寄・子供・女性を守るんだ、という意識を持たせることです。
義援金を世帯毎で頂きましたが、すると会った事も無い親類が出て来て寄越せと言われた人が何人も居ます。
個々の人が奮い立たなければならない。ただそれだけだと思います。あと、境内の斜面にデッキとツリーハウスを設けて、仮説住宅に居る子供の勉強部屋に、文化活動を行う人に使ってほしい、「とうとうの森」を作る事が、私のライフワークです。
了
今回の話は、以前では伺えなかった話も出てきた。それだけ、時を経て話せる事もあったのだろうな、とも思った。
平時に理想論を語るのは簡単だ。でも、有事の際にはその理想を遂行するためにも、現実を見詰めなければならないと思った。
2013年03月25日
4月11日「KUMAGUSU 智慧の世界樹」ククルクにて
4月11日19時より講演致します。
内容は「KUMAGUSU 智慧の世界樹」です。

(25歳頃の熊楠、アメリカにて)
天才的な語学力と記憶力を持ち、好奇心のままに米英を巡って植物採集を行った南方熊楠。
帰国した後は、どの研究所にも属さず、特定の師もおらず、ただの民間の一研究者の立場から故郷の熊野地方で世界的な博物学を国内外に発信し、孫文や昭和天皇をも魅了した南方熊楠について語ります。
参加費:1000円(ワンドリンク付き)
時間:19時から
※駐車場がありません。公共交通機関(JR三島駅徒歩5分)か近隣の駐車場をお使い下さい。
開催場所はコチラ・cucurucu'
申し込みはオーナーメール、もしくはcucurucu'さんへ直接お願いします。
ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。
内容は「KUMAGUSU 智慧の世界樹」です。

(25歳頃の熊楠、アメリカにて)
天才的な語学力と記憶力を持ち、好奇心のままに米英を巡って植物採集を行った南方熊楠。
帰国した後は、どの研究所にも属さず、特定の師もおらず、ただの民間の一研究者の立場から故郷の熊野地方で世界的な博物学を国内外に発信し、孫文や昭和天皇をも魅了した南方熊楠について語ります。
参加費:1000円(ワンドリンク付き)
時間:19時から
※駐車場がありません。公共交通機関(JR三島駅徒歩5分)か近隣の駐車場をお使い下さい。
開催場所はコチラ・cucurucu'
申し込みはオーナーメール、もしくはcucurucu'さんへ直接お願いします。
ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。
2013年03月24日
2013年03月23日
4月6日「賀川豊彦 俗を行き交う聖人」セミナーカフェ
4月6日14時よりしずおかセミナーカフェにて講演致します。
内容は「賀川豊彦 俗を行き交う聖人」です。

(若き日の賀川豊彦)
キリスト教の信念をもって、貧しい人々の中に入り救済活動を行った賀川豊彦。
目の前の人を助けるだけでなく、社会の問題を変えるべく私費を投じて多くの人を巻き込み国の枠をも超えていった。
大正から昭和に掛けて、あらゆる社会運動を立ち上げたと言われる賀川の生涯についてお話しします。
会費:500円(お茶付き)。
開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル2F ネクステージ企画室
ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
内容は「賀川豊彦 俗を行き交う聖人」です。
(若き日の賀川豊彦)
キリスト教の信念をもって、貧しい人々の中に入り救済活動を行った賀川豊彦。
目の前の人を助けるだけでなく、社会の問題を変えるべく私費を投じて多くの人を巻き込み国の枠をも超えていった。
大正から昭和に掛けて、あらゆる社会運動を立ち上げたと言われる賀川の生涯についてお話しします。
会費:500円(お茶付き)。
開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル2F ネクステージ企画室
セミナーカフェに関してはコチラ
http://www18.ocn.ne.jp/~aradmin/leaves/leaves.html
http://www18.ocn.ne.jp/~aradmin/leaves/leaves.html
申し込みはコチラから。もしくはオーナーメールで直接お願いします。
http://semicafe.eshizuoka.jp/
http://semicafe.eshizuoka.jp/
ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
2013年03月22日
大山登山 ①
散歩かふぇ ちゃらぽこさんの企画に参加し、伊勢原市の大山に登山しました。
20歳の頃に大山阿夫利神社までは行った事ありましたが、頂上までは行った事が無いのでほぼ初挑戦。
市営の駐車場は満車で、大山が登山の山として人気であることを伺わせる。
停めた駐車場の近くの愛宕滝

周辺は修験者の宿坊であった名残を伺わせる家並みである。

ここは豆腐料理館 東學坊。
ここでちゃらぽこの人達と合流。ちゃらぽこの人達は前日に平塚駅から大山街道を歩いて宿坊宿泊。

登山名簿に記載し、登山開始。
まずは土産物屋や飲食店がある通り。
ケーブルの駅の近くに思兼神を祀る神社の境内で準備体操

本格的な山道へ入る。

続く…。
20歳の頃に大山阿夫利神社までは行った事ありましたが、頂上までは行った事が無いのでほぼ初挑戦。
市営の駐車場は満車で、大山が登山の山として人気であることを伺わせる。
停めた駐車場の近くの愛宕滝

周辺は修験者の宿坊であった名残を伺わせる家並みである。

ここは豆腐料理館 東學坊。
ここでちゃらぽこの人達と合流。ちゃらぽこの人達は前日に平塚駅から大山街道を歩いて宿坊宿泊。

登山名簿に記載し、登山開始。
まずは土産物屋や飲食店がある通り。
ケーブルの駅の近くに思兼神を祀る神社の境内で準備体操

本格的な山道へ入る。

続く…。
2013年03月20日
19日の「伊豆のイルカ漁」参考文献
3月19日、沼津市の高嶋酒造にて「伊豆のイルカ漁・イルカを見て、人を考える」についてお話させて頂きました。
お越しいただいた皆さん、ありがとうございました。
講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
書名/著者
追込漁/川島秀一
静岡県史 民俗/
イルカの眼/中村羊一郎
聞き書 静岡の食事/農文協編
イルカとナマコと海人たち/秋道智弥 編
賀茂村誌資料 第2集 あらりのいるか漁編/賀茂村教育委員会編集
静岡いるか漁ひと物語 静岡いるか漁史/和田雄剛
伊豆歴史文化研究 第2号/桜井祥行ほか
ご参考にして下さい。
※次回の高嶋酒造での講座は、4月24日18時半から「弥太郎と栄一」と題して、近代日本の資本主義を対称的に追い掛けた岩崎弥太郎と渋沢栄一の二人の生涯についてお話しします。
お越しいただいた皆さん、ありがとうございました。
講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
書名/著者
追込漁/川島秀一
静岡県史 民俗/
イルカの眼/中村羊一郎
聞き書 静岡の食事/農文協編
イルカとナマコと海人たち/秋道智弥 編
賀茂村誌資料 第2集 あらりのいるか漁編/賀茂村教育委員会編集
静岡いるか漁ひと物語 静岡いるか漁史/和田雄剛
伊豆歴史文化研究 第2号/桜井祥行ほか
ご参考にして下さい。
※次回の高嶋酒造での講座は、4月24日18時半から「弥太郎と栄一」と題して、近代日本の資本主義を対称的に追い掛けた岩崎弥太郎と渋沢栄一の二人の生涯についてお話しします。
2013年03月19日
本日「伊豆のイルカ漁 イルカを見て人を考える」高嶋酒造
本日18時半より講演致します。
内容は「伊豆のイルカ漁 イルカを見て人を考える」です。

日本の調査捕鯨と共に大きな物議を呼ぶイルカ漁。
古くから伊豆でも行われ、伊豆を始めとする駿河湾地域の食文化の一つです。イルカ漁の歴史を中心に、イルカと人との関わり、イルカ漁反対運動を通じて、人と動物との関わりを考えます。
会費:700円。
時間:18時30分から
開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて
※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)
※申し込みは高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。
内容は「伊豆のイルカ漁 イルカを見て人を考える」です。

日本の調査捕鯨と共に大きな物議を呼ぶイルカ漁。
古くから伊豆でも行われ、伊豆を始めとする駿河湾地域の食文化の一つです。イルカ漁の歴史を中心に、イルカと人との関わり、イルカ漁反対運動を通じて、人と動物との関わりを考えます。
会費:700円。
時間:18時30分から
開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて
※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)
※申し込みは高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。
2013年03月17日
本日「やまとなでしこ 戦う姫たち」teshioにて
本日13時半より沼津市のカフェteshioにて講演致します。
内容は「やまとなでしこ 戦う姫たち」です。

(女城主・おつやの方)
中世、女性は男性の持ち駒のように扱われていたという考えがあるが、必ずしもそれに当てはまらない女性たちが居た。
歴史における女性の位置づけと、水軍の頭領・城主・巫女・剣士など、男性に勝るとも劣らない女性たちに焦点を当てます。
会費:500円
※飲食店ですので1人1オーダーのご協力をお願い致します。
時間:13時半から
※お車でお越しの方は2人以上の相乗りで文化センターの駐車場をご利用頂くと、1時間無料になります。
開催場所はコチラ・沼津市民文化センター内のカフェ・teshioにて
申し込みはオーナーメール、もしくは「info★cafe-teshio.com」(★を@に変更してメールを)で直接お願いします。
ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
内容は「やまとなでしこ 戦う姫たち」です。

(女城主・おつやの方)
中世、女性は男性の持ち駒のように扱われていたという考えがあるが、必ずしもそれに当てはまらない女性たちが居た。
歴史における女性の位置づけと、水軍の頭領・城主・巫女・剣士など、男性に勝るとも劣らない女性たちに焦点を当てます。
会費:500円
※飲食店ですので1人1オーダーのご協力をお願い致します。
時間:13時半から
※お車でお越しの方は2人以上の相乗りで文化センターの駐車場をご利用頂くと、1時間無料になります。
開催場所はコチラ・沼津市民文化センター内のカフェ・teshioにて
申し込みはオーナーメール、もしくは「info★cafe-teshio.com」(★を@に変更してメールを)で直接お願いします。
ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
2013年03月16日
本日「青ヶ島還住ふるさとを取り戻す闘い」ちゃらぽこにて
本日15時より講演致します。
内容は「青ヶ島還住 ふるさとを取り戻す闘い」です。

(還住の像)
伊豆諸島の有人島として南端に位置する青ヶ島。伊豆諸島の中でも自然の地形に恵まれ、餓え死にする者が居ない豊かな島だった。
江戸時代、その豊かな島を火山の猛威が襲い島民の多くが死に、生き残った人々は八丈島へと避難を余儀なくされた。避難から数十年に亘る帰島への道、荒れ果てた島を取り戻していく苦闘を追って行きます。
会費:1500円(ドリンク付き)
時間:15時から
開催場所はコチラ・
※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。
申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。
ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。
内容は「青ヶ島還住 ふるさとを取り戻す闘い」です。

(還住の像)
伊豆諸島の有人島として南端に位置する青ヶ島。伊豆諸島の中でも自然の地形に恵まれ、餓え死にする者が居ない豊かな島だった。
江戸時代、その豊かな島を火山の猛威が襲い島民の多くが死に、生き残った人々は八丈島へと避難を余儀なくされた。避難から数十年に亘る帰島への道、荒れ果てた島を取り戻していく苦闘を追って行きます。
会費:1500円(ドリンク付き)
時間:15時から
開催場所はコチラ・
※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。
申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。
ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。
2013年03月15日
福島県福島市・福島稲荷神社
ある時は信仰の場であり、ある時には教育の場であり、ある時には経済の場である。
神社にはその土地の歴史が詰まっている・・・。
ここでは私が尋ねた神社を紹介します。

福島稲荷神社は福島市宮町5−2に座する、旧県社の神社である。

祭神は豊受比売命 大国主命 事代主命
福島藩の鎮守であり、古くは安倍清明が創建したという。

例大祭は10月9日。
絵馬殿

幕末福島の豪商・斉藤利助は忍山と称して俳諧に親しんだ。

「野の梅の 先には道も なかりけり」
神道にも学んでいた事で、この境内に句碑が置かれている。
福島の最上流和算の大家・丹治明斎を偲ぶ碑

明治になってからは洋算にも精通し、門弟が千人いたという。
今までの訪ねた神社をマッピングしました。ご参考にして下さい。
より大きな地図で Holymountain を表示
神社にはその土地の歴史が詰まっている・・・。
ここでは私が尋ねた神社を紹介します。

福島稲荷神社は福島市宮町5−2に座する、旧県社の神社である。

祭神は豊受比売命 大国主命 事代主命
福島藩の鎮守であり、古くは安倍清明が創建したという。

例大祭は10月9日。
絵馬殿

幕末福島の豪商・斉藤利助は忍山と称して俳諧に親しんだ。

「野の梅の 先には道も なかりけり」
神道にも学んでいた事で、この境内に句碑が置かれている。
福島の最上流和算の大家・丹治明斎を偲ぶ碑

明治になってからは洋算にも精通し、門弟が千人いたという。
今までの訪ねた神社をマッピングしました。ご参考にして下さい。
より大きな地図で Holymountain を表示
2013年03月14日
倭姫を辿る 完全版 9日 ⑪
16:04加茂駅19発~
昨日は関西本線では既に暗かったので、車窓をじっくり眺める。
月ヶ瀬という駅名。

夕焼けに

伊賀上野にて


17:35亀山 時間があったので下車して和菓子とパンを購入。

54発~19:18名古屋駅発(東海道線)~20:18豊橋駅~20:55浜松駅 網棚に忘れ物をして焦る。~22:08静岡駅~23:07三島駅~23:50帰宅。
2013年03月13日
3月17日「やまとなでしこ 戦う姫たち」teshioにて
3月17日13時半より沼津市のカフェteshioにて講演致します。
内容は「やまとなでしこ 戦う姫たち」です。

瀬戸内の水軍として先頭に立った鶴姫
中世、女性は男性の持ち駒のように扱われていたという考えがあるが、必ずしもそれに当てはまらない女性たちが居た。
歴史における女性の位置づけと、水軍の頭領・城主・巫女・剣士など、男性に勝るとも劣らない女性たちに焦点を当てます。
会費:500円
※飲食店ですので1人1オーダーのご協力をお願い致します。
時間:13時半から
※お車でお越しの方は2人以上の相乗りで文化センターの駐車場をご利用頂くと、1時間無料になります。
開催場所はコチラ・沼津市民文化センター内のカフェ・teshioにて
申し込みはオーナーメール、もしくは「info★cafe-teshio.com」(★を@に変更してメールを)で直接お願いします。
ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
内容は「やまとなでしこ 戦う姫たち」です。

瀬戸内の水軍として先頭に立った鶴姫
中世、女性は男性の持ち駒のように扱われていたという考えがあるが、必ずしもそれに当てはまらない女性たちが居た。
歴史における女性の位置づけと、水軍の頭領・城主・巫女・剣士など、男性に勝るとも劣らない女性たちに焦点を当てます。
会費:500円
※飲食店ですので1人1オーダーのご協力をお願い致します。
時間:13時半から
※お車でお越しの方は2人以上の相乗りで文化センターの駐車場をご利用頂くと、1時間無料になります。
開催場所はコチラ・沼津市民文化センター内のカフェ・teshioにて
申し込みはオーナーメール、もしくは「info★cafe-teshio.com」(★を@に変更してメールを)で直接お願いします。
ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
2013年03月12日
倭姫を辿る 完全版 9日 ⑩奈良駅にて
15:18天理駅発~
15:35奈良
一旦降りて現在は観光案内所になった旧奈良駅を見てみる。

せんとくんは官服を着て公務員になりました。


現在の奈良駅は高架になり、寺社の梁をイメージした感じです。

しかし、前来た時よりも殺風景になった感じです。
15:50奈良駅発~

続く…。
2013年03月11日
3月16日「青ヶ島還住ふるさとを取り戻す闘い」ちゃらぽこにて
3月16日15時より講演致します。
内容は「青ヶ島還住 ふるさとを取り戻す闘い」です。

(青ヶ島の復興「起返」を成し遂げた佐々木次郎太夫)
伊豆諸島の有人島として南端に位置する青ヶ島。伊豆諸島の中でも自然の地形に恵まれ、餓え死にする者が居ない豊かな島だった。
江戸時代、その豊かな島を火山の猛威が襲い島民の多くが死に、生き残った人々は八丈島へと避難を余儀なくされた。避難から数十年に亘る帰島への道、荒れ果てた島を取り戻していく苦闘を追って行きます。
会費:1500円(ドリンク付き)
時間:15時から
開催場所はコチラ・
※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。
申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。
ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。
内容は「青ヶ島還住 ふるさとを取り戻す闘い」です。

(青ヶ島の復興「起返」を成し遂げた佐々木次郎太夫)
伊豆諸島の有人島として南端に位置する青ヶ島。伊豆諸島の中でも自然の地形に恵まれ、餓え死にする者が居ない豊かな島だった。
江戸時代、その豊かな島を火山の猛威が襲い島民の多くが死に、生き残った人々は八丈島へと避難を余儀なくされた。避難から数十年に亘る帰島への道、荒れ果てた島を取り戻していく苦闘を追って行きます。
会費:1500円(ドリンク付き)
時間:15時から
開催場所はコチラ・
※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。
申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。
ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。
2013年03月09日
倭姫を辿る 完全版 9日 ⑨天理教施設
商店街を歩いていると、次第に天理教の法被を着た人が増えてきたのである。そして行き着いた所は天理教の本部のすぐ脇であった。
そこで歩く方向を北に転じる。
天理教の本部を正面から。

天理教の病院らしい。


14:35三島神社

三島神社という事で親しみを覚えたが、現在の天理教の本部がある所に座していたそうだ。
そして、天理教の信者の人が泊まる施設が独特の様式であるのは知っているが、そのどこにもデカイ煙突が付随しているのは何故だろう。

和菓子屋で菓子を購入して一息つく。
続く…。