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プロフィール
かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
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2015年08月31日

8月30日講演 「文武一徳 平和を繋いだ今川氏」 参考文献一覧

 8月30日に静岡市のくればにて「文武一徳 平和を繋いだ今川氏」についてお話させて頂きました。

 参加して下さった皆様、ありがとうございました。

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 今川氏の研究/小和田哲男
 今川氏と杉並の観泉寺/杉並区郷土資料館
 駿河今川氏の十代/小和田哲男
 今川氏十代の軌跡/水野茂
 戦国今川氏 その文化と謎を探る/小和田哲男
  


 ご参考にして下さい。

なお、「花蔵の乱」の舞台になった、花蔵を散策した時のブログはコチラ

※次回は9月20日14時から、「幕開けと幕引き 北条五代の志」と題し、戦国時代の関東に覇を唱えた北条氏の発祥から五代の流れについてお話しします
  


Posted by かるの at 09:08Comments(0)世間士として

2015年08月30日

本日講演 「文武一徳 平和を繋いだ今川氏」 静岡市 くればにて

 本日14時より静岡市のシニアライフ支援センター「くれば」にて講演致します。

  内容は「文武一徳 平和を繋いだ今川氏」です。




  若き日の織田信長に敗れ、その後の没落から後世には軟弱なイメージが持たれた大名・今川氏。足利将軍家の一門に繋がる名族として幕府を支え、度重なる争いで幕府が形骸化した後も、今川氏の領する駿府は日本で最も平和な都市であった。
 今川で人質時代を過ごした家康は、戦国時代に幕を引き世界でも稀な平和な政権を築く。平和を繋ぐことになる今川氏の歴史についてお話しします。


 「今川氏・南北朝、室町時代、関東地方、に関心がある方におすすめ。」

 会費:500円。


 開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル1F シニアライフ支援センター「くれば」
 


 申し込みはコチラから。054(252)8018
 もしくはオーナーメールで直接お願いします。


 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
  


Posted by かるの at 08:56Comments(0)世間士として

2015年08月27日

8月26日 講演 「それぞれの結末 敗北に向き合った人々」 参考文献

8月26日、沼津市の高嶋酒造にて「それぞれの結末 敗北に向き合った人々」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 
 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「ドキュメント 太平洋戦争への道/半藤一利 」

 「第二次世界大戦 ヒトラーの戦い/児島襄 」

 「グスタフ・マンネルヘイム フィンランドの白い将軍/植村英一」
 
 「世界の歴史28 第二次世界大戦から米ソ対立へ /油井大三郎・古田元夫」

 「聖断―天皇と鈴木貫太郎/半藤一利」
 

 
 ご参考にしてください。


※次回のteshioでの講座は10月13日14時からです。
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2015年08月26日

本日講演 「それぞれの結末 敗北に向き合った人々」 沼津市 高嶋酒造にて

 本日18時半より講演致します。
 内容は「それぞれの結末 敗北を認めるという事」です。


終戦へ取り組んだ鈴木貫太郎首相


 世界中を戦争に巻き込んだ第二次世界大戦。枢軸国側は連合国に押され、やがて敗北を意識する。しかしどんなに勝ち目が無いとしても、勝利の望みを捨てる事は味方からも許されざる事である。もしくは、戦いに勝利していても、政治的に敗北する事もある。
 敗戦国となった国々が、どうやって敗北を受け入れていくのか。今の国際情勢にも繋がっている敗戦の形を見ていきます。

 「第二次世界大戦・国際政治・軍事・国際連合・」に関心がある方にオススメ。

 参加費:700円。

 時間:18時30分から

 開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて


 ※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)

 ※自由参加ですが、問い合わせ等は高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2015年08月25日

横浜居留地を尋ねて ⑧港の見える丘公園



港の見える丘公園

この一帯は開港当時、イギリス軍とフランス軍が駐屯していた場所で、明治8年に駐屯軍は撤退したが、跡地に領事館が建てられ、太平洋戦争後まで使用された。
敗戦により米軍に接収されたが、接収解除後に公園として、昭和36年から整備に入り、昭和37年5月に平野愛子の歌う「港が見える丘」の歌に因み、港の見える丘公園と命名された。
「港の見える丘公園」は漫画「ブラックジャック」でその地名を知った気がする。

多くの人がいわゆる「自撮り棒」で港を背景に撮影している。

港のクレーンが壮観であるが、全て赤白で景観に合ってないような。


Wikiには「予想していた綺麗な風景とは違うということで残念に思う人も多い」とあるが、本来の産業的な港はこういうものだと思う。だが夜景は綺麗そうだ。

公園の一角には大佛次郎の記念館も

昭和48年、遺族より横浜市に対して、図書や収集品等の遺品寄贈の申し入れがあり記念館建設となった。手前にあるゲーテ館に大佛次郎が来ていた、というのを見たが、その縁でしょうか。なんとなく鎌倉の人かなと思ったら、生まれは横浜。
あと、時代小説のイメージがありましたが、ノンフィクションや翻訳でフランスものが多いので、この記念館はフランスと大佛次郎をイメージした建築との事。

横浜市イギリス館

 昭和12年に英国総領事公邸として建てられた。玄関脇にはめ込まれた王冠入りの銘版が、東アジアにある領事公邸の中でも、上位に格付けられていた由緒を示している 。
 鉄筋コンクリート2階建てで、主屋の1階の南側には西からサンポーチ、客間、食堂が並び、広々としたテラスから芝生の庭につながっている。2階には寝室や化粧室が配置され、広い窓から庭や港を眺望できる。地下にはワインセラーもあり、東側につく付属屋は使用人の住居として使用されていた。
 昭和44年に横浜市が取得し、1階ホールはコンサートに、2階集会室は会議等に利用されている。当初はイギリス領事館を改修して記念館とする計画もあったが、大佛はフランスに通じた作家であり、イギリス領事館は似つかわしくないという意見があったとか。

港の見える丘公園は横浜一のバラの名所との事

平成3年5月に横浜市の花がバラと制定された事を記念してオープンしたバラ園。約110種1300株のバラが咲いており、撮影している人も。


港の見える丘公園を後にし、山下公園方面へ。




横浜ボウリング発祥の碑

日本で最初のボウリング場は1861年に 長崎に出来たとされ、横浜においては3年後に この場所に開場した。
よって、この碑はあくまで横浜に於けるボウリング発祥の碑であり、日本発ではない事に注意。

横浜マリンタワーが見えてきた。


続く…
  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)店主

2015年08月24日

9月1日講演 「二宮金治郎 両道を歩み続けた男」 沼津市 Lot.nにて

  9月1日18時半から沼津市のLot.nにて行います。

 
  内容は「二宮金治郎 両道を歩み続けた男」です。



 日本で最も銅像が建てられている幼少期の二宮金治郎。
 しかし彼が活躍したのは成人してからであり、単なる道徳的模範となる人物では無かった。
 科学的、計量的、合理的に農村の改善運動を展開した二宮金治郎についてお話しします。

 「地域づくり・二宮金治郎・農村経済・経営・農政・金融教育・報徳運動に関心がある方におすすめ。」

 会費:1000円(ドリンク付き)

 時間:18時半から

 開催場所はコチラ・沼津市上土町10 (それまでの店舗の道向かいです

)  

 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。

 参加は自由です。Lot.nさんへ直接来場ください。
 変更や中止申し込みはオーナーメール、もしくは
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:02Comments(0)世間士として

2015年08月21日

「道の駅・静岡版」2015年秋号に寄稿しました


 静岡県と神奈川県各地の道の駅にて設置されているフリーマガジン「道の駅・静岡版」2015年秋号に寄稿した記事が掲載されました。


(クリックで寄稿した記事が読めます)


 今回は美景の望める古墳についてです。

 静岡県および神奈川県内各地の道の駅に設置されているので、ご自由にお持ちください。  


Posted by かるの at 08:56Comments(0)メディア寄稿

2015年08月19日

8月26日講演 「それぞれの結末 敗北に向き合った人々」 沼津市 高嶋酒造にて

 8月26日18時半より講演致します。
 内容は「それぞれの結末 敗北を認めるという事」です。


ヒトラー死後のドイツの敗戦処理を行ったカール・デーニッツ


 世界中を戦争に巻き込んだ第二次世界大戦。枢軸国側は連合国に押され、やがて敗北を意識する。しかしどんなに勝ち目が無いとしても、勝利の望みを捨てる事は味方からも許されざる事である。もしくは、戦いに勝利していても、政治的に敗北する事もある。
 敗戦国となった国々が、どうやって敗北を受け入れていくのか。今の国際情勢にも繋がっている敗戦の形を見ていきます。

 「第二次世界大戦・国際政治・軍事」に関心がある方にオススメ。

 参加費:700円。

 時間:18時30分から

 開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて


 ※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)

 ※自由参加ですが、問い合わせ等は高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2015年08月19日

横浜居留地を尋ねて ⑦



横浜山手聖公会

1863年、 横浜クライストチャーチ(英語集会)が関内に設立。英語集会は江戸時代の末に禁教令が緩和された直後にできた二つの伝統ある教会のひとつ。
1931年に現在の礼拝堂が竣工。設計はJ・H・モーガン。大谷石を使ったノルマン様式の聖堂である。

山手資料館

 横浜開港当時の横浜や山手に関する資料を展示・公開している資料館。


 建物は明治42年建立で、そもそもは北方村(現在の諏訪町)で牧場を営んでいた中澤氏の居宅として明治末期に本牧に建てられた屋敷の洋館部分だった。
 幸いにも関東大震災を免れ、横浜市に現存している木造西洋館としては最古の建物。
 戦後は一時期米軍に接収されていたが、昭和50年代に入ってマンションの建設のために取り壊されることになった。その時に隣接する当時の山手十番館のオーナーだった故本多正道氏が洋館部分を買い取り、1977年(昭和52年)、現在地に移築した。


 屋外部分にも復元されたガス灯やグリーンベンチ、古い乳母車などの展示物がある。



 山手資料館の前庭はバラ園として設えられており、隣接する山手十番館の間にビアガーデンが設けられ、非常に飲みたい誘惑である。

山手十番館

山手十番館は、明治百年祭を記念して昭和42年に開館した建物。今はレストランである。

カーネルスコーナーというマンション

この建物も昭和42年。景観に合せての建築であろうか。

横浜外国人墓地

 19世紀から20世紀半ばにかけての40ヶ国余、4400人余りの外国人が葬られている。
 1854年(嘉永7年)、横浜港に寄港していたアメリカ海軍の水兵ロバート・ウィリアムズが軍艦ミシシッピ号から誤って転落死し、ペリーはその埋葬地の用意を幕府に要求、海の見えるところに墓地を設置して欲しいというペリーの意向を受け横浜村の増徳院の境内の一部にウィリアムズの墓が設置されたことに由来する。
 その後も外国人死者がその付近に葬られ、1861年(文久元年)に外国人専用の墓地が定められた。
 基本的に内部は非公開であるが、3月から12月までの土曜日、日曜日と祝日は公開されているということで、当日は開いていた。

 横浜外国人墓地資料館

 埋葬されている人々の業績を紹介する資料館が併設されている。

 

 石垣の積み方でブラフ積という。
 ブラフ(BLUFF)とは崖や絶壁という意味で、この山手の高台の事である。確かに、今まで見て来た洋館にもブラフ〇〇館という名が付いていた。
 そして、この積み方は煉瓦でも見る事があり、それはイギリス積と呼んでいたと思う。

ゲーテ座跡

 ゲーテ座は、わが国初の本格的演劇場である。
 居留外国人達の案を基に、フランス人建築家ポール・サルダの設計に基づき、 1870年(明治3年)に横浜居留地の68番地に建てられた。
その後、パブリックホールとして使用されたが、人々の「より広いパブリックホールの建築を」との運動が起こり、 1885年(明治18年)4月18日に現在の場所である港の見える丘公園近くに新たなホールが建設された。 当時の収容人員は350人だった。
 この建物がゲーテ座と呼ばれるようになったのは、 1908年(明治41年)12月以降の事で、演劇・音楽会・講演会など、多種多様な目的に利用された。
 当時の観客は外国人が主体であり日本人は少なかったものの、日本人観客の中には滝廉太郎や坪内逍遥、北村透谷に芥川龍之介、 大佛次郎などが居た。
 ゲーテ座の「ゲーテ」の語源は、 詩人のゲーテではなく、英語の「陽気・愉快・快活」という言葉がその命名の由来となっている。

続く…
  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主

2015年08月18日

安倍奥の流しそうめん祭り・玉川マルシェにて出店



 私が関わっています静岡市の中山間地域・旧玉川村を範囲とする地域づくり団体「安倍奥の会」では、毎年8月に流しそうめん祭りを行っています。6周年となる今年は8月23日に開催される事になりました。

 静岡市長妻田地区で500年の歴史を誇る曹源寺の階段に設置される50mの流しそうめんは、下流に至っては体験した事のないような超高速です!


 
 流しそうめんの駐車場では【玉川マルシェ-葵区風土(FOOD)紀行-】が開催され、「軽野造船所」も出店します。

 この安倍奥の会が結成されるきっかけになった小説「安倍七騎」をデザインしたTシャツも販売します。
 この「安倍七騎」の様に、知られざる地域文化を伝える事で、その地域に誇りを持ってくれれば、という気持ちで自分も歴史講座を始めたきっかけの一つです。

 他にも、魚のつかみ取り・鹿の角わなげ・地元野菜の販売・地元野菜を使った料理・ウイスキー販売など

【日 時】2014年8月23日(日) 10:00~14:30小雨決行 延期なし 
※中止の場合は当日8:00までに「安倍奥の会」ホームページでお知らせ。

【会 場】流しそうめん祭り特設駐車場(玉川中学校より北へ700m)

 流しそうめんは要予約ですが、マルシェは予約の必要なく来場できます。
  


Posted by かるの at 09:05Comments(0)Historical Transmission design

2015年08月15日

横浜居留地を尋ねて ⑥元町公園周辺



 イタリア山庭園を出て歩くと、横浜の市街地を望みながらとなる。この景色を活かしてカフェなどが点在している。
 道路両脇の住宅も、真に邸宅と言うべきエリアである。

道沿いに在った建物。これも歴史が深そうだが、特に表示が無いのが残念。


カトリック山手教会


フェリス女学院中学校

どうやら改築中の様である。大学は山手教会の手前のようだ。

外国人居留地であった名残として、キリスト教関連施設が多い。
中には余り近付きたくないな・・・と思う所も。



ベーリック・ホール

 べーリック・ホールは、イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5年に設計された。
 現存する戦前の山手外国人住宅の中では600坪の敷地を持つ最大規模の建物で、スパニッシュスタイルを基調とし、外観は玄関の3連アーチや、イスラム様式の流れをくむクワットレフォイルと呼ばれる小窓、瓦屋根をもつ煙突など多彩な装飾をつけています。
 内部も、広いリビングやパームルーム、和風の食堂、白と黒のタイル張りの床、玄関や階段のアイアンワーク、また子息の部屋の壁はフレスコ技法を用いて復元されているなど、建築学的にも価値のある建物。
 設計したのはアメリカ人建築家J.H.モーガン。モーガンは山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場など、横浜に数多くの建築を残している。
 
 第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付され、平成12年まで寄宿舎として使用されていた。
 建物について寄付を受けた横浜市は、復元・改修等の工事を経て、平成14年から建物と庭園を公開している。


エリスマン邸

 エリスマン邸は、生糸貿易商社・シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅として、大正14(1925)年から15(1926)年にかけて山手町127番地に建てられた。
 設計は「現代建築の父」といわれるチェコ出身の建築家アントニン・レーモンド。
 当時は約81坪の木造2階建て。屋根はスレート葺の白亜の洋館で、煙突、ベランダ、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸といった異人館的要素をもちながら、軒の水平線の強調など、設計者レーモンドの師匠である世界的建築家F.L.ライトの影響も見られる。
 1階には暖炉のある応接室、居間兼食堂、庭を眺めるサンルームなどがあり、簡潔なデザインを再現しています。椅子やテーブルなどの家具は、レーモンドが設計したもの。
 昭和57年、マンション建築のため解体されたが、平成2年に現在地に再現された。
 昔の厨房部分は、喫茶コーナーとして利用できる。


山手234番館

エリスマン邸の斜め前、山手本通沿いに建つ山手234番館は、関東大震災により横浜を離れた外国人に戻ってもらうための復興事業の一つとして、昭和2年頃に外国人向けの共同住宅として建設された。
 設計者は、隣接する山手89-6番館(現えの木てい)と同じ朝香吉蔵です。
 建設当時の施設は、4つの同一形式の住戸が、中央部分の玄関ポーチを挟んで対称的に向かい合い、上下に重なる構成をもっていました。3LDKの間取りは、合理的かつコンパクトにまとめられている。また、洋風住宅の標準的な要素である上げ下げ窓や鎧戸、煙突なども簡素な仕様で採用され、震災後の洋風住宅の意匠の典型といえる。

 第2次世界大戦後の米軍による接収などを経て、昭和50年代頃までアパートメントとして使用されていたが、平成元年に横浜市が歴史的景観の保全を目的に取得し、平成11年から一般公開している。

公衆電話

同じような形式の公衆電話が熱海にもあったような。


続く・・
  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主世間士として

2015年08月12日

8月11日 Lot.n講演 「人の記憶 地の記憶 火山伝承を読む」 参考文献

8月11日、Lot.nにて「人の記憶 地の記憶 火山伝承を読む」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「「富士山の噴火―万葉集から現代まで」/つじよしのぶ」

 「天地鳴動-沼津と地震・噴火・津波-/沼津市明治史料館 編」

 「富士山噴火とハザードマップ - 宝永噴火の16日間/小山真人」
 
 「富士山宝永大爆発/永原慶二」

 「富士山 その自然のすべて  /諏訪彰 編」
 

 
 なお、宝永噴火後の復興に関しては新田次郎氏の小説『怒る富士』があります。
 
ご参考にしてください。


※次回のLot.nでの講座は9月1日18時半から 「二宮金治郎 両道を歩み続けた男」と題し、二宮金治郎の生涯と、二宮が実践した報徳仕法と報徳思想についてお話しします。  


Posted by かるの at 08:44Comments(0)世間士として

2015年08月11日

本日講演 「人の記憶 地の記憶 火山伝承を読む」 沼津市 Lot.nにて

  本日18時半から沼津市のLot.nにて行います。

 
 内容は「人の記憶 地の記憶 火山伝承を読む」です。


(宝永噴火の復興を指揮した代官・伊奈忠順)


 秀麗なる富士山。その姿からは火を噴くなど考えられないが、古代から中世に掛けては常に火を噴く山であった。
 そして宝永の大噴火において、富士山の噴火は社会にどんな影響を与えたのか。
 歴史に刻まれた富士山の噴火を体験した人の日記や伝承から、噴火に遭った人の感情や、土地に刻まれた先人たちの思いを掬って行きます。

 「富士山・火山・災害史・富士信仰・平安時代・江戸時代」に関心がある方にオススメ。

 会費:1000円(ドリンク付き)

 時間:18時半から

 開催場所はコチラ・沼津市上土町10 (それまでの店舗の道向かいです

)  

 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。

 申し込みはオーナーメール、もしくはLot.nさんへ直接来場ください。
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。

 会費:1000円(ドリンク付き)

 時間:18時半から

 開催場所はコチラ・沼津市上土町10 (それまでの店舗の道向かいです

)  

 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。

 申し込みはオーナーメール、もしくはLot.nさんへ直接来場ください。
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2015年08月10日

8月9日 散歩かふぇ ちゃらぽこ講演 「巨大国策 捕鯨産業」 参考文献

8月9日、散歩かふぇ ちゃらぽこにて「巨大国策 捕鯨産業」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 
 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「捕鯨Ⅰ・Ⅱ/山下渉登 」

 「クジラとアメリカ/エリック・ジェイ・ドリン (北條正司 松吉明子 桜井敬人訳)」

 「南氷洋の捕鯨/山田致知」

 「鯨取り絵物語/中園成生 安永浩」
 
 「クジラは誰のものか/秋道智彌」

 「よくわかるクジラ論争/小松正之」
 

 
 ご参考にしてください。


※次回、散歩かふぇ ちゃらぽこでの講座は9月13日15時から、「孤島のコスモポリタン ボニンアイランドから小笠原」と題し、 小笠原諸島が日本領土になった経緯を語ります。
  


Posted by かるの at 08:54Comments(0)世間士として

2015年08月08日

横浜居留地を尋ねて ⑤外交官の家



2階には寝室や書斎など生活感あふれる部屋が並んでいる。

これらの部屋の家具や装飾にはアール・ヌーボー風の意匠とともに、19世紀のイギリスで展開された美術工芸の改革運動であるアーツ・アンド・クラフツのアメリカにおける影響も見られるという。

これは、アメリカ人設計者・J.M.ガーディナーの嗜好か。

寝室のすぐ脇には浴室

各展示室では、建物の特徴やガーディナーの作品、外交官の暮らし等についての資料を展示している。


横浜市街地が一望である。

そもそもは、明治43年に東京・渋谷に建てられた。平成9年に内田定槌氏の孫にあたる宮入氏からこの館の寄贈を受けた横浜市は、山手イタリア山庭園に移築復元し一般公開した。同年には国の重要文化財に指定された。

付属棟の喫茶スペースで休憩。

ビールも行きたい気分ですが、横浜の地サイダーオリヅルサイダーで。


一息ついた後、外側から館を眺める。

庭園と調和しています。


同じ敷地のブラフ18番館

ブラフ18番館は、関東大震災後に山手町45番地に建てられた木造2階建の外国人住宅。戦後は天主公教横浜地区(現・カトリック横浜司教区)の所有となり、平成3年までカトリック山手教会の司祭館として使用されてきた。
1991年に横浜市が部材の寄付を受け、山手イタリア山庭園内に移築復元。1993年から一般公開されている。
館内は大正末期から昭和初期に掛けての震災復興期の外国人住宅の暮らしを再現。附属棟は貸しスペースとして市民に利用されている。

ただ、残念ながら時間が迫って来たので、この中には入らずに先に進む事にする。

続く…

  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主