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2015年06月16日
京の会津藩跡散歩 ⑤百万遍周辺
先回の続き・・・
大原口道標

今出川は、北へ行けば出町を経て大原から若狭への街道、東は鴨川を越えて白川越(山中越)に繋がるという交通の拠点。史跡として京都市登録文化財。
いわゆる大文字焼の跡を見る。

鴨川と高野川の合流点

鴨川には散策している人が多く見られるが、歴史的な経緯を知っていると複雑な気分である。
京大周辺は趣ある建物が多い。






食事しようと思っていたハイライト食堂

しかし、開いていない・・・。残念。
いわゆる「百万遍」の知恩院。

浄土宗を開いた法然上人を、賀茂神社の社人が止宿を要請して、ここが布教の拠点となったという話は面白い。

「百万遍」の由来は、元弘元年(1331年)に疫病が大流行したときに、知恩寺の善阿空円上人が百万遍念仏を唱えたところ疫病が収まり、後醍醐天皇から百万遍という号を賜ったと伝えられている。
その事から、この周辺は正式な地名では無いものの、百万遍と呼ばれ交差点名にもなっている。
百万遍交差点の近くのカレー屋にて昼食。
大原口道標

今出川は、北へ行けば出町を経て大原から若狭への街道、東は鴨川を越えて白川越(山中越)に繋がるという交通の拠点。史跡として京都市登録文化財。
いわゆる大文字焼の跡を見る。

鴨川と高野川の合流点

鴨川には散策している人が多く見られるが、歴史的な経緯を知っていると複雑な気分である。
京大周辺は趣ある建物が多い。






食事しようと思っていたハイライト食堂

しかし、開いていない・・・。残念。
いわゆる「百万遍」の知恩院。

浄土宗を開いた法然上人を、賀茂神社の社人が止宿を要請して、ここが布教の拠点となったという話は面白い。

「百万遍」の由来は、元弘元年(1331年)に疫病が大流行したときに、知恩寺の善阿空円上人が百万遍念仏を唱えたところ疫病が収まり、後醍醐天皇から百万遍という号を賜ったと伝えられている。
その事から、この周辺は正式な地名では無いものの、百万遍と呼ばれ交差点名にもなっている。
百万遍交差点の近くのカレー屋にて昼食。
続く…。
Posted by かるの at 08:18│Comments(0)
│店主