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2014年04月17日
「秤の館」最終日を見に行く ②
「秤の館」は、館主・秤屋健三氏が古代から最近に至るまでの国内外の計量器を、44年に亘り蒐集し、27年前に開設した私設博物館である。

日本国内に3千ある中、千種類が秤の館に所蔵されているという。
ラジオ深夜便での取材があったらしい。


ギリシャ神話の女神・テミス像

天秤を持ち、正邪を計る。
繊度秤

450mの生糸の重量が0.05グラムあるものを「1デニール」という。
この秤はデニール分銅を用いればデニール、グラム・匁の分銅を用いればそれぞれの単位を計測できる。
デニール秤

糸の束(綛)を掛けると、その角度によってデニール数を表示する。
明治30年にドイツから輸入された分析天秤。当時で家一軒の価格であったという。

牛馬掛秤

家畜など、1200キログラムまで測定できる秤。先に見える柵に家畜を載せる。昭和30年頃まで使用されていた。

大天秤

昭和15年の島津製作所製。航空機部品となるアルミ材料の計測に使用されていた。日本に二台のみ現存の一台。
1890年、アフガニスタン製の上皿天秤。宝石取引などに使用されていた。


光学式ミクロ天秤

昭和40年製。最も精密な精度は百万分の一グラム。
上皿自動秤

戦時中の物ゆえ、金属不足であったので木製。目盛は紙である。
1913年製の上皿棹秤。

郵便書状の重量測定に用いられていた。
液体メーター用基準タンク(ガソリン用)

検尺器

糸の一定の長さを巻き取る。昭和初期製。
綛(かせ)秤

巻き取った一定量の生糸の束を綛といい、その重量を計測する。最大100グラムまで0.5グラム単位で計測できる。
神戸生糸検査所で使用されていた物




左・甲州枡
武田信玄の時から甲州では年貢を籾のまま納めていたので、他地域より三倍の大きさがある。信玄枡とも呼ばれた。
江戸時代に枡の大きさの基準が出来た後も、甲州では使われていた。
右・一升枡
豊臣秀吉が枡の大きさを統一した際に作成された枡。
江戸期の枡よりやや小さい。
繭枡

繭の取引に使用されていた枡。繭が潰れない様に柿渋加工した紙製。折り畳みも出来る。

けんち枡

小魚や貝の取引に使用された。


世界最古のノギスの一つ

フランス陸軍砲兵隊王立工場にて制作。
単位が従来の「プース」からメートルに変わる時期であったので、片面にプース、反対にメートルの目盛が刻まれている。
1プース=1/12ピエ=27.07mm
乗っても良い秤。5~150キログラムまで。


大針口天秤

1800年頃、中堀長兵衛による製作。針口天秤では最大級の物。
三十斤(18キログラム)まで計測。
日本では度量衡の大きさが地方によってまちまちであったが、豊臣秀吉の天下統一によって度量衡に於いても統一が図られ、徳川家康の江戸幕府開府により全国的基準が定められた。
東日本を江戸の守隋家、西日本を京の神(じん)家による計量機の独占を認めた。
分銅の制作は後藤家である。分銅の形は蚕の繭を潰した形で、つまみ易い。日本国保有の金も分銅の形である。


世界最大の竿秤・千木秤(中央部の棒)

1852年、京都の紀州藩鉄砲方役所で使用されていたもので、砲弾の重さを計るために使用されていたと考えられる。
秤の長さは一丈(305センチ)で、5人掛かりで予め設営した櫓に乗せて、分銅(六貫六百匁=24.7キログラム)を二人掛かりで載せた。百貫目(375キログラム)まで計測できる。
鉛玉の計量器

1910年頃、堺の銃砲店で鉄砲玉の製作のため、昭和30年頃まで使用されていた。

直示天秤

計測器の中に全ての分銅が内蔵されており、ダイヤル操作で計測が出来る。

目盛を刻む道具

明治30年頃から物差しの目盛を刻むための道具で、昭和30年頃まで使われていた。
上皿天秤 1920年頃、イギリス製。



中国で古くから行われているコオロギ相撲のコオロギを計測する秤。コオロギの重さで階級を定めている。


日本で最も古い天秤と分銅の絵

室町末期から桃山時代の絵師・狩野吉信作

展示スペースから外れた所にも所蔵が。


上下共に航海用具

守隋家と神家は明治になると特権を失ったが、免許制となった計量機製作会社として再出発する。しかし神家は戦後すぐに事業が立ち行かなくなった。
守隋家は名古屋支店の番頭が名を引き継ぎ、現在に残っている。
2014年3月30日を以って閉館となったが、所蔵品は長野県の計量機メーカー・東洋計器が開設する企業博物館に譲渡され、新たに公開される予定である。

続く…
Posted by かるの at 08:16│Comments(0)
│店主