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2010年07月23日
技術よりパラダイムシフト
先日、富士市f-bizにて行われた「電気自動車にかける夢 ゼロスポーツの挑戦!」の講演を聴いてきました。
以下は講演の聴き書きから。
ゼロスポーツ社はスバル車を中心としたチューニングパーツ開発を始めとして、カスタマイズサービスなどを経て電気自動車の総合開発を開始し、2000年には時速276.6kmと当時国内最速の電気自動車を開発。2003年には国内17番目の自動車メーカーとしての認証を取得した。
自動車メーカーというと巨大産業の最たるものとも思えるが、2000年代に入ると世界各地で新しいメーカーが誕生した。このゼロスポーツ社を始め、アメリカのテスラ、中国のBYDなどである。
電気自動車自体は自動車の草創期から存在し、かつてはガソリンエンジン車よりも多く走っていた時期もあった。それも、ガソリンエンジン車の性能向上によって姿を消していった。
従来、日本の自動車メーカーでは航続距離500km以下の物は自動車メーカーの製品として認められない、という見解であったが、実際の一日当たり走行距離は30kmというデータを判断して三菱自動車では航続距離100km以下でも構わないという見解を示し、三菱i-MiEV誕生の契機となった。
この事は今までの「自動車」というあり方を考える大きな変化となった。
しかし2015年からは電池の性能が伸びてくるので、ガソリン車との性能差は小さくなると考えられている。
米国ではGMなどの大自動車メーカーが破綻し政府の管理下にあるので、電気自動車の開発を急ピッチで進め、電気自動車ベンチャーに大規模な投資をしている。
日本では経営に不安があるメーカーは無いが、既存の自動車メーカーが既存の技術を温存するために技術者を囲い込んだりすると電気自動車開発にはそれが仇となり次世代車へのブレイクスルーを果たせない所も出てくるかもしれない。

国内自動車黎明期の電気自動車「たま号」
以下は自身の感想。
何となく、アニメ「さよなら絶望先生」でもネタになっていた「デチューン」がキーワードであると感じた。
例えば、路線バスであれば時速100km以上を出す性能よりも時速50km程度での性能が重要視されるだろう。その速度であれば、衝突安全性などもその速度での安全性を満たす内容であれば、必要以上に重くする必要はない。航続距離も一日の路線での航続距離があれば、終業時に充電なりをすればよい。
既存の自動車メーカーは自動車の歴史を歩んできたという自負があると思う。それだからこそ、常に性能の向上を図り、それが至上命題であった。
電気自動車の性能をガソリンエンジン車と比べた場合、一見すると性能を数字で示すとまだ物足りないものがあるようにもみえるが、実際の自動車使用においては既に十分満たしている。
自動車が売れない、ステータスで無くなったと言われているが、それこそ既存の自動車の持つ性能と現実の使用とのギャップを感じている人が増えて、高い維持費を費やしてもそれに見合わないと感じる人が増えているのかもしれない。カーシェアリングの伸びもそれを示しているのであろう。新興国では大幅に性能を落としても安い製品が求められている。
電気自動車の普及は技術の進化よりも自動車メーカーの発想の柔軟さ、そして消費者の使い方に掛かっているかにも思えた。
以下は講演の聴き書きから。
ゼロスポーツ社はスバル車を中心としたチューニングパーツ開発を始めとして、カスタマイズサービスなどを経て電気自動車の総合開発を開始し、2000年には時速276.6kmと当時国内最速の電気自動車を開発。2003年には国内17番目の自動車メーカーとしての認証を取得した。
自動車メーカーというと巨大産業の最たるものとも思えるが、2000年代に入ると世界各地で新しいメーカーが誕生した。このゼロスポーツ社を始め、アメリカのテスラ、中国のBYDなどである。
電気自動車自体は自動車の草創期から存在し、かつてはガソリンエンジン車よりも多く走っていた時期もあった。それも、ガソリンエンジン車の性能向上によって姿を消していった。
従来、日本の自動車メーカーでは航続距離500km以下の物は自動車メーカーの製品として認められない、という見解であったが、実際の一日当たり走行距離は30kmというデータを判断して三菱自動車では航続距離100km以下でも構わないという見解を示し、三菱i-MiEV誕生の契機となった。
この事は今までの「自動車」というあり方を考える大きな変化となった。
しかし2015年からは電池の性能が伸びてくるので、ガソリン車との性能差は小さくなると考えられている。
米国ではGMなどの大自動車メーカーが破綻し政府の管理下にあるので、電気自動車の開発を急ピッチで進め、電気自動車ベンチャーに大規模な投資をしている。
日本では経営に不安があるメーカーは無いが、既存の自動車メーカーが既存の技術を温存するために技術者を囲い込んだりすると電気自動車開発にはそれが仇となり次世代車へのブレイクスルーを果たせない所も出てくるかもしれない。

国内自動車黎明期の電気自動車「たま号」
以下は自身の感想。
何となく、アニメ「さよなら絶望先生」でもネタになっていた「デチューン」がキーワードであると感じた。
例えば、路線バスであれば時速100km以上を出す性能よりも時速50km程度での性能が重要視されるだろう。その速度であれば、衝突安全性などもその速度での安全性を満たす内容であれば、必要以上に重くする必要はない。航続距離も一日の路線での航続距離があれば、終業時に充電なりをすればよい。
既存の自動車メーカーは自動車の歴史を歩んできたという自負があると思う。それだからこそ、常に性能の向上を図り、それが至上命題であった。
電気自動車の性能をガソリンエンジン車と比べた場合、一見すると性能を数字で示すとまだ物足りないものがあるようにもみえるが、実際の自動車使用においては既に十分満たしている。
自動車が売れない、ステータスで無くなったと言われているが、それこそ既存の自動車の持つ性能と現実の使用とのギャップを感じている人が増えて、高い維持費を費やしてもそれに見合わないと感じる人が増えているのかもしれない。カーシェアリングの伸びもそれを示しているのであろう。新興国では大幅に性能を落としても安い製品が求められている。
電気自動車の普及は技術の進化よりも自動車メーカーの発想の柔軟さ、そして消費者の使い方に掛かっているかにも思えた。
Posted by かるの at 08:17│Comments(0)
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