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プロフィール
かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
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2011年08月31日

被災地へ向かう 完全版 4月11日 午後①



午後の作業班は男性8人、女性4人の12人。
移動のバスの席で隣になったのは自分のテントの隣にテントを張った人で、話をすると、なんと沼津の東海大開発工学部の学生だったという。ここでも奇妙な出会いである。


作業場所は被災した市営住宅の家財道具の搬出と分別。住民の方は全て居ないのだが、泥にまみれた家財が状況を訴えている様だった。


水に浸かった線


水に浸かった畳が非常に重い。一人では無理。

自分の生活環境が一瞬にしてこのような状態になった時、正気でいられるだろうか。

続く…。
  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)店主

2011年08月30日

9月18日講演「拓南練成所 南の海の夢の後先」teshio

 9月18日13時半より講演致します。

 内容は「拓南練成所 南の海の夢の後先」です。





 
 太平洋の島々が欧米列強の植民地とされていく中、1920年に日本は国際連盟からミクロネシアの島々を統治する事を委任される。
 「当面独立は無理」と国連に判断された地域を押し付けられた形であったが、日本の統治により驚異的な発展を遂げる。
 かつて沼津に在った教育機関・拓南練成所と、日本の南洋開拓史について考えます。

 会費:500円。
 ※飲食店ですので1人1オーダーのご協力をお願い致します。

 時間:13時半から

※お車でお越しの方は2人以上の相乗りで文化センターの駐車場をご利用頂くと、1時間無料になります。

 開催場所はコチラ・沼津市民文化センター内のカフェ・teshioにて


申し込みはオーナーメール、もしくは「info★cafe-teshio.com」(★を@に変更してメールを)で直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2011年08月29日

大きなものから小さなものまで! 目指すはN2技術なり!

 「つかめ!Stock King!」は、私かるのが作成している経済雑学ネットラジオ番組です。


 

 音楽は朝木春美千さんのアルバム「Over sight」から。


(日本製鋼所にて鍛錬される原子炉)


 今回は「原子力関連銘柄」について
 原子力政策がどうなるかは解りませんが、原子力関連銘柄が影響を受ける事は必須!
 高い技術が必要だけど、前時代的な「系列」の匂いがする…。

 次回は9月27日更新です。
 次回は「デフォルト(債務不履行)するとどうなるか?」について特集します。

 被災地の一刻も早い復旧・復興を願っております。  


Posted by かるの at 08:12Comments(0)つかめ!Stock King!

2011年08月28日

被災地へ向かう 完全版 4月11日 午前

 

4時起床。
昨日はどうしてもF1が見たかったのでネットカフェに泊まったので、入った時間の8時間後には出なくてはならない。4時40分に出る。6時以降は朝食無料らしいのが惜しい。

まだ薄暗い早朝を歩く。車両が轟音を立てて国道4号線を走る。
歩いている時に只ならぬ雰囲気の廃墟となったボウリング場を見た。後で知ったのだが、そこは遺体安置所になっていたらしい。

一時間ほどで吉野家にて朝食。

テントに戻ると新たなテントが増えていて驚く。

受付時間までは寝る事にする。

8時10分に目が覚め、受付に向かう。平日になったものの、今日も多くの人がボランティアに参加している。たまたま並んだら、初日に一緒の班となった若い男性二人であった。

先日は余り話をしなかったものの、今回は待ち時間もあって話をしてみると、岩沼市の隣の亘理町の人で、未だに断水が続いているとの事である。
津波の影響は及ばなかったものの、震災後の物不足は深刻だったらしく、寒い朝の中からスーパーに並んでも、手に入るか分からない状況だったという。
そこで知人が勤めていた農協の人に掛け合い米を手に入れたという。

今回の班は男性6人。ボランティアの行き先が決まり赴くと、昨日のお宅の向かいの家であった。
今回の作業は床下に溜まったヘドロの除去。昨日とは変わって室内での作業であり、それだけに被害の深刻さを感じた。
先の話した二人は前にも来たらしく、その時は庭に80センチもの泥が積もっていたという。
室内ゆえ、作業スペースや土砂の搬出にも面倒であったが、一時間ほどで床下の泥は取り除かれ、本来の砂地となると、特有の匂いも無くなった。

休憩中に家の方に地震の時の様子を聞いてみると、その時は畑で作業していたが、海の方から波が向かって来るのを見て、慌てて避難所である玉浦中学校へ車で逃げたという。周辺の水が引いたのは翌日昼だったが、一週間は行方不明者の捜索などで家に戻れなかったという。

休憩後は庭の土砂の撤去。ここも多くの土砂で埋もれていたが、時折大きな石に当たる。それは庭石だった。それを認めてから庭石を全て出すように探って行くと、家の人が多いに喜んでくれた。

午前の作業が終わると、某カレーショップの差し入れでカツカレーが出たのが嬉しい。

 
続く…。

  


Posted by かるの at 08:15Comments(0)店主

2011年08月26日

numazoo放送局 ふらっとLR 1976年7月23日

 先月のnumazoo放送局 ふらっとLRでは、1976年7月23日に注目しました。

 音声は「不尽み逸品堂 音声支店」にて

つい最近も水に浸かったところです。



まだ戦争の名残があります。


至る所で災害が合ったようで、支援の輪が広がってます。


なぜ記事にしたのか?


ちょっと痛い。


黄色信号のタイミング。


今回の「沼津紙上商店街」(今月から動画でなく画像にしました。)


 今回は1998年8月27日の沼津に迫ります!
 numazooは毎月第4土曜日に沼津中央公園にて開催!

  


Posted by かるの at 08:05Comments(0)ふらっと LR

2011年08月24日

9月7日講演 「廬原君臣とスルガ湾の古代史」 三島にて

 9月7日19時より、三島市のカフェ・cucurucuにて講演致します。

 内容は「救国の将 廬原君臣とスルガ湾の古代史」です。



 日本が初めて遭遇した古代東アジア各国の思惑渦巻く国際戦争・白村江の戦い。
 滅亡した朝鮮半島の国・百済を救うべく、スルガ湾から船出した庵原の豪族・廬原君(いほはらのきみ)を軸に、駿河湾地域の古代史を語ります。

 会費:1000円(スルガ湾にちなんだスイーツまたはドリンク付きの予定)

 時間:19時から

 ※駐車場・駐輪場がありません。公共交通機関(JR三島駅徒歩5分)か近隣の駐車場・駐輪場をお使い下さい。
★1500円以上お買い上げのお客様に、みしま共通駐車サービス券を1時間分進呈いたします。
利用可能な駐車場で当店から一番近い三島商工会議所のTMOパークをご利用ください。

 開催場所はコチラ・cucurucu'


申し込みはオーナーメール、もしくはcucurucu'さんへ直接お願いします。
※予約なしでの参加も出来ますが、参加費は¥800(アイスクリームは含まれません)+1オーダーです。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:13Comments(0)世間士として

2011年08月22日

被災地へ向かう 4月10日 歩く(5)

先回の続き…。


 たまたまこの近くに防風林の完成記念碑があった。あくまでも防風林であるが、多少は津波の力をこの防風林が殺いだのではないか。


 防風林が全て陸側を向いている。

 津浪のエネルギーを感じる。


 この町では自衛官の姿を見ていなかったが、この海岸沿いの道には自衛隊の車両や、瓦礫を積んだダンプなどがひっきりなしに走っており、埃が充満している。

 戻って少し南下し、工業団地の辺りを見てみる。

 やはり家屋よりも造りががっしりしているからか、なんとか原形をとどめているが、壁に着いた線を見ると3m近い。



 道端には様々な書類が散乱している。そして、油っぽい匂いも充満する。きっと、先の水田であったところにも行っているだろう。土壌の問題もこれからの課題であろう。

  


Posted by かるの at 08:14Comments(0)店主

2011年08月21日

本日講演「拓南練成所 南の海の夢の後先」静岡にて

 8月21日17時半より講演致します。

 内容は「拓南練成所 南の海の夢の後先」です。


(足高に開設された拓南練成所)


 1920年、日本は国際連盟からミクロネシアの島々を統治する事を委任される。
 「当面独立は無理」と国連に判断された地域を押し付けられた形であったが、日本の統治により驚異的な発展を遂げる。
 かつて沼津に在った教育機関・拓南練成所と、日本の南洋開拓史について考えます。


 会費:500円(お茶付き)。


 開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル2F ネクステージ企画室
 


セミナーカフェに関してはコチラ
http://www18.ocn.ne.jp/~aradmin/leaves/leaves.html


申し込みはコチラから。もしくはオーナーメールで直接お願いします。
http://semicafe.eshizuoka.jp/

  


Posted by かるの at 08:13Comments(0)世間士として

2011年08月20日

被災地へ向かう 4月10日 歩く(4)



 こうして海に到達したのだが、防波堤は津波の衝撃で構造が破壊されてしまい、堰堤の中の土壌が流出し、構造の骨組みだけが残されている。
(この話をした際、大半の人は防波堤が全てコンクリートで出来ていると思い、中が土であるとは知らない人が多い。)
 




まだM8クラスの余震が警戒されているが、防波堤は切れているところもあれば強度を保っていない所もある。これらの補修が間々ならない中で地震が来ないことを祈るばかりである。


 この時、結構県外ナンバーの車が居て、見物と思われる人達を見た。私の立場もそう褒められたものではないが、なにか複雑な気持ちになった。
 警察の人が見物の人と思われる人達に余震が来た時に危ないから、という事でその場を立ち去る様に促していた。



 堰堤に上り多くの生命を流し去ったであろうその波濤を見、静かに手を合わせた。

 
続く…。


  


Posted by かるの at 08:39Comments(0)店主

2011年08月18日

8月21日講演「拓南練成所 南の海の夢の後先」静岡にて

 8月21日17時半より講演致します。

 内容は「拓南練成所 南の海の夢の後先」です。


(サイパンの製糖工場)


 1920年、日本は国際連盟からミクロネシアの島々を統治する事を委任される。
 「当面独立は無理」と国連に判断された地域を押し付けられた形であったが、日本の統治により驚異的な発展を遂げる。
 かつて沼津に在った教育機関・拓南練成所と、日本の南洋開拓史について考えます。


 会費:500円(お茶付き)。


 開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル2F ネクステージ企画室
 


セミナーカフェに関してはコチラ
http://www18.ocn.ne.jp/~aradmin/leaves/leaves.html


申し込みはコチラから。もしくはオーナーメールで直接お願いします。
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Posted by かるの at 08:20Comments(0)世間士として

2011年08月17日

被災地へ向かう 4月10日 歩く(3)



 更に海側へ進み、二の倉地区に入ると様相は一変する。



 破壊の様相は激烈となり、原型を留めている物が無いのである。車も家も、全て原型を留めない。




 もっとも恐怖だったのは、家屋がそのまま裏返しになっているものも。

 玉浦地区では家屋に損傷はあっても、塀などは無事であった。しかし二の倉地区では石造りのものでも破壊され削られている。中には地区の鎮守であったろう神社も海側の面が全く無い。更に海側に近づくと、次第に破壊された家屋も少なくなって、「完全に破壊され』土台のみとなった家屋の跡である。

そこに散乱していた「七五三おめでとう」と書かれていたアルバムの子は無事なのだろうか。

先の玉浦地区は被害を受けていたが、ボランティアに赴いたように僅かでも復旧に動いていた。
しかしここは、全く人も居ないし音が無い。吹き抜ける風と埃が私の存在をも認めないかのように吹きつけられた。

市営プール。夏だったら更に悲劇が大きくなったであろう。


 
続く…。



  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主

2011年08月16日

9月7日講演 「廬原君臣とスルガ湾の古代史」 三島にて

 9月7日19時より、三島市のカフェ・cucurucuにて講演致します。

 内容は「救国の将 廬原君臣とスルガ湾の古代史」です。


(廬原氏の古墳とされる三池平古墳)


 日本が初めて遭遇した古代東アジア各国の思惑渦巻く国際戦争・白村江の戦い。
 滅亡した朝鮮半島の国・百済を救うべく、スルガ湾から船出した庵原の豪族・廬原君(いほはらのきみ)を軸に、駿河湾地域の古代史を語ります。

 会費:1000円(スルガ湾にちなんだスイーツまたはドリンク付きの予定)

 時間:19時から

 ※駐車場・駐輪場がありません。公共交通機関(JR三島駅徒歩5分)か近隣の駐車場・駐輪場をお使い下さい。
★1500円以上お買い上げのお客様に、みしま共通駐車サービス券を1時間分進呈いたします。
利用可能な駐車場で当店から一番近い三島商工会議所のTMOパークをご利用ください。

 開催場所はコチラ・cucurucu'


申し込みはオーナーメール、もしくはcucurucu'さんへ直接お願いします。
※予約なしでの参加も出来ますが、参加費は¥800(アイスクリームは含まれません)+1オーダーです。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:25Comments(0)世間士として

2011年08月15日

被災地へ向かう 4月10日 歩く(2)

 

 ボランティアで作業したのは玉浦地区というところであるが、それも更に海側へ向かうと凄まじい。


 電柱が折れているのだが、アメ細工の様にぐにゃりと曲がっている。

 無論、電線もそこいらに散らばっている。景観の観点でされる電線地中化であるが、防災の面でも進めるべきだろう。一つの電柱が倒れると引っ張られて周辺のも道づれになってしまう。

 そこで目立ち始めるのが、根っこがついたままの松ノ木である。これは海岸沿いの防風林ではないだろうか。高さ10m近くある松が根っこのまま3キロちかくまで運ばれている。

 近くにプロパンガスの集積所があったらしい。ガス集がかすかにする。
 

 来た道を振り返るとこの瓦礫の片づけは永遠に思えてくるのである・・・。
 



 
続く…。


  


Posted by かるの at 08:25Comments(0)店主

2011年08月14日

8月21日講演「拓南練成所 南の海の夢の後先」静岡にて

 8月21日17時半より講演致します。

 内容は「拓南練成所 南の海の夢の後先」です。





 1920年、日本は国際連盟からミクロネシアの島々を統治する事を委任される。
 「当面独立は無理」と国連に判断された地域を押し付けられた形であったが、日本の統治により驚異的な発展を遂げる。
 かつて沼津に在った教育機関・拓南練成所と、日本の南洋開拓史について考えます。


 会費:500円(お茶付き)。


 開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル2F ネクステージ企画室
 


セミナーカフェに関してはコチラ
http://www18.ocn.ne.jp/~aradmin/leaves/leaves.html


申し込みはコチラから。もしくはオーナーメールで直接お願いします。
http://semicafe.eshizuoka.jp/

  


Posted by かるの at 08:06Comments(0)世間士として

2011年08月13日

本日講演「拓南練成所 南の海の夢の後先」teshio

 8月13日13時半より講演致します。

 内容は「拓南練成所 南の海の夢の後先」です。


(足高に開設された拓南練成所)


 1920年、日本は国際連盟からミクロネシアの島々を統治する事を委任される。
 「当面独立は無理」と国連に判断された地域を押し付けられた形であったが、日本の統治により驚異的な発展を遂げる。
 かつて沼津に在った教育機関・拓南練成所と、日本の南洋開拓史について考えます。

 会費:500円。

 時間:13時半から

※飲食店ですので1人1オーダーのご協力をお願い致します。

※お車でお越しの方は2人以上の相乗りで文化センターの駐車場をご利用頂くと、1時間無料になります。

 開催場所はコチラ・沼津市民文化センター内のカフェ・teshioにて


申し込みはオーナーメール、もしくは「info★cafe-teshio.com」(★を@に変更してメールを)で直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました  


Posted by かるの at 08:27Comments(0)世間士として

2011年08月12日

被災地へ向かう 4月10日 歩く(1)

 
先回の続き…。


 作業のときはやはり写真は撮れないので、自分の足でも見てみようとおもったのだ。
 テント場から県道125号線をどんどん海側に向かって歩いていく。


 そこには水田であったであろう場所に木片や自動車、様々な物が散乱しているのを見る。


 ボランティアの人数が足りている、というのはあくまでも依頼に対しての人数であって、避難所にいる人は自分の家の把握なども出来ないからボランティアに来てもらうかどうかの申請も出来ないのではなかろうか。それを考えると、避難所にいる人への聞き取りなどもしてニーズを汲み取る必要性もあるのではなかろうかと思う。(あくまで想像です。)

地震による陥没


金網に藁がこびり付いている高さが水に浸かった高さであろう。


ボランティアで作業している時、大体モノを道路に仮置きするのだが、それが連なっている。




続く…。

 
  


Posted by かるの at 08:05Comments(0)店主

2011年08月11日

8月13日講演「拓南練成所 南の海の夢の後先」teshio 

8月13日13時半より講演致します。

 内容は「拓南練成所 南の海の夢の後先」です。


(サイパンの製糖工場)


 1920年、日本は国際連盟からミクロネシアの島々を統治する事を委任される。
 「当面独立は無理」と国連に判断された地域を押し付けられた形であったが、日本の統治により驚異的な発展を遂げる。
 かつて沼津に在った教育機関・拓南練成所と、日本の南洋開拓史について考えます。

 会費:500円。

 時間:13時半から

※飲食店ですので1人1オーダーのご協力をお願い致します。

※お車でお越しの方は2人以上の相乗りで文化センターの駐車場をご利用頂くと、1時間無料になります。

 開催場所はコチラ・沼津市民文化センター内のカフェ・teshioにて


申し込みはオーナーメール、もしくは「info★cafe-teshio.com」(★を@に変更してメールを)で直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました  


Posted by かるの at 08:14Comments(0)世間士として

2011年08月10日

被災地へ向かう 4月10日 午前作業

 5時起床。
 昨日、洗濯をしてしまったので、着る物が少なく寒さで目が覚める。
 朝食にはシリアルを食べているのだが、寒いので牛乳を温めて食べる。
 公園の気温計は三度。濃霧である。

 食べると体が温まったのか、もう一寝入り気がつくと8時半、ボランティアの受付に行かねば。
 日曜日で参加者も多いのか、今までとは桁違いの参加者。従って、待ち時間も長い。


 私の後ろにいた初参加の方とお話。50歳くらいの男性で妻の実家が石巻で被災したのだという。私が静岡からだと言うと、やはり「静岡に原発あるんじゃない?」という質問。結構、この質問をされるのだが、やはり今回の福島の件があるのだろう。

 何故かこの人は伊豆半島で夕日が見られるのはなぜかと聞いてきた。

 10時半にボランティア開始。
 今回の班は男性のみ12人。高校生が三人いたが、いずれも複数回参加であるということで班長に。
 今回は二世帯住宅の人で庭のヘドロの除去。庭には10センチほどのヘドロに覆われてしまい、その下に本来の土壌があるのだが、明らかに違う土壌である。ヘドロの腐臭に包まれた中での作業。それほど暖かい気温ではないのだが、Tシャツになって作業した。

 その庭には潰れた納屋があり、地震で倒壊したのかと思ったら、三軒先の家から丸ごと流れてきたという。息子夫婦の家は新しいからかそれほどダメージは見られないが、それでも150センチくらいの高さに水の線がある。親夫婦の家は赤紙(倒壊の判定)が貼られていた。
 二時間で庭の泥は取りきれなかったが、それでも2m近くの山になった。

 帰ると豚汁の炊き出しを、新潟県小千谷市の人たちが行っていた。中越地震での恩返しであるという。
 災害が取り持った縁であるが、このようなリンクが出来上がっていくと大いなる力になるのではないかと確信。

 午後の仕事は人数が足りたのでなくなってしまった。

 そこで、実際に歩いて被災地を見ることにする。

 続く…。

   


Posted by かるの at 08:15Comments(0)店主

2011年08月09日

被災地へ向かう 4月9日 雨

雨でボランティア作業は中止となった。

ラジオを聞きながらテント内で読書。ラジオのCMは圧倒的に保険会社と住宅メーカーが多い。
地元ラジオでは「遺体を発見した時の処置方法」などのテレビでは見ない情報も流れている。

午後になると雨が上がり始め一旦外に出ると、テントの水溜まりが黄色い。黄砂の様だ。

テント場のすぐ脇の空き地には仮設住宅が建設され始めた。


30分ほど歩いて市街地へ向かい、昨日お風呂に入れなかったホテルに行ってみると、まだ直ってないらしいが、あと一時間で直るという。そこで、先にコインランドリーにて洗濯と食事をする。

市街地には津波が到達していないが、地震により所々で陥没や隆起が見られた。




キッチンさいとうというお店。オムライスを頼む。食事している途中、震度4程度の地震発生。それをきっかけにお店の人と話す。先の地震では並べていた酒瓶がことごとく落ちてしまったらしい。

大型スーパーの中のハンバーガー店。種類が限られている。


食事した後、ホテルに行き入浴。しかしまだ調子が悪いのか、お湯になるのに時間がかかった。浴槽にも湯が溜まっていなかった。
そんな中でも、他の人の話を聞いていると、亘理町で被災したという人で、まだ建てて三年の家が津波に呑まれ、流されはしなかったものの、全壊に近いとか。岩沼市にはもうアパートがなく、柴田町にて探しているとの事であった。
もう一人は埼玉から来た住宅メーカーの人で、工場が仙台にありその復旧の応援に来たそうである。工場で勤めていた100人の内、25人が津波で亡くなり、30人は家族の誰かを失ったそうである。
そんな人々の思いが交錯するお風呂であった。

テントに戻り、洗濯物を干して就寝。
  


Posted by かるの at 08:14Comments(0)店主

2011年08月08日

被災地へ向かう 完全版 4月8日 ボランティア初日

5時半起床


昨夜の地震でその直後は停電していたが、一晩明けてどうやら復旧したようだ。公園のトイレに入ったら、便座が暖かい。

テント場に居る人と色々とボランティアに関しての話を聞く。
8:45ボランティア受付

総勢50人ほど、私の班は私以外は男性3人、地元の女子大生4人だが高校時代のジャージを来ている。

今まで津波の被害というものが想像出来なかったが、伺った家に近づくにつれ、報道で見た映像が眼前に展開された。


伺った家は老夫婦の家で聞く所、1mほどの津波に呑まれたという事で壁に線で記されていた。
作業は津波によって流されてきた藁の除去。それほど力仕事で無いが、一様に藁が積もり、二時間の作業で2m程の山になった。


午前の作業が終わり昼食。午後の受付に向かうと、午後の作業は依頼が少ないので作業は無し。ただ、道具の洗浄を頼まれ行った。それも一時間ほどで終了した。

隣のテントの人に車に乗せてもらい街の案内をしていただいた。日帰り入浴出来るビジネスホテルを教えて貰ったが、昨夜の地震で給湯設備が壊れてしまい使えないという。

竹駒稲荷について聞かれたので、過去二回行った事を言うと案内する事に。

社殿や随神門は無事だが、燈籠がことごとく倒れていた。

その人は翌日に帰るので、テント場にいる人で軽く宴会する事に。他のテントの人も加わり自己紹介。北海道の利尻島に住んでいる人、横須賀の介護施設から派遣されて、足湯ボランティアを展開してるお二人、世話になった人は東京でシステムエンジニアを自営でやっている人である。
こうして夜は更けていった。

  


Posted by かるの at 08:11Comments(0)店主