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かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
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上記の広告は30日以上更新(記事投稿)のないブログに表示されています。  

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2015年09月30日

本日講演 「賀川豊彦 俗を行き交う聖人」 沼津市 高嶋酒造にて

 本日18時半より講演致します。

 内容は「賀川豊彦 俗を行き交う聖人」です。


(ワシントン大聖堂にある賀川の像)


キリスト教の信念をもって、貧しい人々の中に入り救済活動を行った賀川豊彦。
目の前の人を助けるだけでなく、社会の問題を変えるべく私費を投じて多くの人を巻き込み国の枠をも超えていった。
大正から昭和に掛けて、あらゆる社会運動を立ち上げたと言われる賀川豊彦の生涯についてお話しします。

 「社会運動・協同組合・労働運動・救貧活動」に関心がある方にオススメ。

 参加費:700円。

 時間:18時30分から

 開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて


 ※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)

 ※自由参加ですが、問い合わせ等は高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:06Comments(0)世間士として

2015年09月27日

10月11日講演 「果ての島の物語 玉置半右衛門と欲望の渡り鳥たち」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

 10月11日15時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。

  内容は
果ての島の物語 玉置半右衛門と欲望の渡り鳥たち」
です。



(鳥島空撮)



 外国人の冒険商人たちに触発された玉置半右衛門は、絶海の孤島・鳥島に分け入り群れ飛ぶアホウドリを捕まえ巨万の富を得る事に成功する。彼に触発された山師めいた商人たちは、無人島を見つけては事業を展開して行く。
 日本の版図が拡がりゆく時代、玉置商会という会社を通じて、開拓の負の一面を語ります。


 「明治時代・無人島開拓・伊豆諸島、琉球地域・プランテーション・アホウドリ」に関心がある方にオススメ。

 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:15時から

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:01Comments(0)世間士として

2015年09月26日

最前線・御台場散策 ⑥芝浦周辺



芝浦側は商工業地区の趣き。


第一芝浦丸

大正時代に東京湾の埋め立てが盛んであった際に、埋め立て土砂を運ぶ船を動かすタグボートであった。

東京モノレール

すぐ頭の上を走るのがコワイ

天王洲アイル

実は第四台場の跡。この護岸は、旧第四台場の石垣を再利用したものである。
大正元年に第四台場は緒明菊次郎に払い下げられ造船所となる。またまた三島との縁が。

案内板が手に摘まんだ様な形。奥の公衆トイレもオシャレですね


この道は海岸線だったとか。


寺田倉庫の施設

寺田倉庫といえば老舗の倉庫業でありながら、今はデータセンターという事で。

テレビ東京本社

他のキー局に比べると思っていたより小さいですね。

続く…


  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)店主

2015年09月25日

10月6日講演 「和魂の才 成熟社会の江戸技術」 沼津市 Lot.nにて 

 10月6日18時半から沼津市のLot.nにて行います。

 
  内容は「和魂の才 成熟社会の江戸技術」です。


蘭学発展の契機となった「解体新書」


  明治維新後の「文明開化」。進んだ技術を取り入れることによって近代化を図る試みは各国で行われたが、急速な社会変革に順応できたのは日本だけであった。
 明治の近代化政策以前には日本に「文明」は無かったのか。その下地となった江戸時代の科学技術についてお話しします。


 「産業史・江戸時代・科学史・外交史」に関心がある方におすすめ。

 会費:1000円(ドリンク付き)

 時間:18時半から

 開催場所はコチラ・沼津市上土町10 (それまでの店舗の道向かいです

)  

 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。

 参加は自由です。Lot.nさんへ直接来場ください。
 変更や中止の問い合わせ、申し込みはオーナーメール、もしくはLot.nさんへお問い合わせください
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)世間士として

2015年09月24日

最前線・御台場散策 ⑤レインボーブリッジ



ではレインボーブリッジを渡る。
車やゆりかもめで渡った事はあるけど、歩きでは初めて。



驚きだったのは門番みたいな人が居て、自転車が走って通行しない様に、車輪をロックする機材を取り付けられてしまう事だった。

第六台場


この角度が一番カッコイイですね。




小早型の遊覧船



柱の所まで来ました。


港の荷役用クレーン。赤白は景観的にどうかなあ。

空色と白の清水の方が良いです。

橋脚部分から桁を望む。


安宅船も。これは乗りたい。


こうして品川側に降り立ちました。

乗り物ではすぐ通り過ぎてしまう橋も、歩くと一時間ほど。
陽射しと風が強く、やや体力消耗・・・

続く…
  


Posted by かるの at 08:15Comments(0)店主

2015年09月21日

9月20日講演 「幕開けと幕引き 北条五代の志」について参考文献

9月20日、静岡市のくればにて「幕開けと幕引き 北条五代の志」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「日本を変えたしずおかの合戦/小和田哲男ほか」

 「静岡の城/加藤理文」
 
 「東国の戦国合戦/市村高男」
 
 「軍事分析 戦国の城/」

 「戦国の魁 早雲と北条一族/」

 「戦国 北条一族/黒田基樹」

 


ご参考にして下さい。


※次回のくればでの講座は10月18日14時~、「二つの天を抱いて 太平は夢の如く」と題し、鎌倉幕府倒幕運動から南北朝時代についてお話しします。  


Posted by かるの at 08:06Comments(0)世間士として

2015年09月20日

本日講演 「幕開けと幕引き 北条五代の志」 静岡市 くればにて

 本日14時より静岡市のシニアライフ支援センター「くれば」にて講演致します。

  内容は「幕開けと幕引き 北条五代の志」です。


(江戸時代は河内狭山藩の一万石の大名として存続した)


 室町時代末、戦国時代の関東に覇を唱えた小田原北条氏。その初代、早雲こと伊勢盛時は地縁も血縁も無い地で、その礎を築き関東の戦国の幕を開けた。
 その後を継ぐ者は、身内争いも無く他の地域では見られないという善政を行い、それが故に戦国の幕を閉じるに至った。
 戦国時代の幕開けと幕引きに至った北条氏の時代についてお話しします。


 「室町、戦国時代・関東地方・戦国大名に関心がある方におすすめ。」

 会費:500円

 開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル1F シニアライフ支援センター「くれば」
 


 参加は自由です。直接、来場してください。問い合わせはコチラから。054(252)8018
 もしくはオーナーメールで直接お願いします。


 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)世間士として

2015年09月19日

最前線・御台場散策 ④台場公園



お台場海浜公園から台場公園に向かって歩きます。

典型的な「お台場」の風景


お台場築造150周年記念植樹とある。

築造を指揮した江川太郎左衛門の縁という事で韮山でしょうか。

台場公園に近付きます。


石垣に返しが付いており、登りづらいようになっている。


公園内


嘉永6年(1853年)、アメリカ艦隊来航にあたって、江戸の直接防衛のために海防の建議書を提出した伊豆韮山代官の江川英龍に命じて、洋式の海上砲台を建設させた。
工事は急ピッチで進められ、およそ8か月の工期で1854年にペリーが2度目の来航をするまでに砲台の一部は完成し、品川台場と呼ばれた。
ペリー艦隊二度目の来航時、艦隊は品川沖まで来たが、この砲台のおかげで横浜まで引き返し、そこでペリーが上陸することになった。
品川沖に11基の台場を一定の間隔で築造する計画であった。お台場という呼び方は、幕府に敬意を払って台場に「御」をつけ、御台場と称したことが由来である。


公園の内部は凹んでおり、台場も城郭構造を意識している事が分かる。


陣屋や弾薬庫の痕跡がよく残されているとして、無人島と化している第六台場とともに1926年(大正15年)10月20日に「品川台場」として国の史跡に指定された。


擬木のコンクリートで砲台を模しているが、これは昭和三年に公園として整備された際に設けられたものであると思われる。

本来は砲台は木製であったそうだ。

駐屯する兵の為のカマド跡

円形にする事により省スペースかつ、煙突を設けているので燃焼効率が良さそう。
各地のキャンプ場でも取り入れれば良いのに。

公園は窪地です。これは射撃を防ぐため。


完成した台場の防衛は江戸湾の海防を担当していた譜代大名の川越藩(第一台場)、会津藩(第二台場)、忍藩(第三台場)の3藩が担った。と、いう事でこの台場公園は第三台場なので忍藩の藩士が駐屯していた。

この辺りに弾薬庫があったそうだ。


内側になる江戸側には船着き場が設けられ、物資のやり取りが出来るようになっていた。


この砲台は十字砲火に対応しており、敵船を正面から砲撃するだけではなく、側面からも攻撃を加えることで敵船の損傷を激しくすることを狙ったものである。
台場の位置は、当時の列強諸国の使っていた大砲が射程距離7キロ前後であったので、江戸城を直接砲撃されないように、という防御線として築かれている。

では、公園を出てレインボーブリッジに向かう。

続く…

  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2015年09月18日

10月3日講演「式年遷宮 永遠なる常若の宮」 三島市 カフェうーるーにて

10月3日9時半から三島市のカフェうーるーにて行います。

内容は「式年遷宮 永遠なる常若の宮」です。


(遷宮が行われたばかりの内宮)

 
 日本最大の聖地とされる伊勢神宮。
 この宮は宝物に至るまで20年の間隔で全く新しく造り替えられる。
 この習慣はなぜ生まれたのか、伊勢神宮が聖地とされた背景から、現在に至るまでの遷宮についてお話しします。

 「古代史・伊勢神宮・建築史・式年遷宮・斎宮・持続可能社会・飛鳥時代に関心がある方におすすめです。」
 会費:500円+ワンドリンクオーダー

 時間:9時半から11時半予定

 開催場所はコチラ・カフェうーるー(三島市南本町13-30 ☎055-981-5539)

 参加の申し込み不要。
 問い合わせはオーナーメール、もしくはうーるーさんへお願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:02Comments(0)世間士として

2015年09月17日

最前線・御台場散策 ③水上バスから



食事を済ませた後、集合場所の日の出埠頭へ向かう。最寄りの浜松町駅からでも700mとそこそこな距離が。

13:00に日の出埠頭にて本企画参加者が集合。


水上バスで台場へ向かいます。


レインボーブリッジの先にクレーンがズラっと並んでいます。


築地から有明へ移転する東京都中央卸売市場の工事か?


第六台場に近付きました。

第六台場は立ち入りが出来ない。

角の部分を見ると、角を境に石垣の積み方が異なるのが見える。


振り返ってレインボーブリッジと第六台場


お台場での海水浴が認められた、というニュースがあったからかそこそこ海水浴客居ます。

なんとなく、大規模な商業施設やオフィスがある中で、海水浴している人が居るというのが不思議な感覚でした。

続く・・・
  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主

2015年09月16日

9月30日講演 「賀川豊彦 俗を行き交う聖人」 沼津市 高嶋酒造にて

 9月30日18時半より講演致します。
 内容は「賀川豊彦 俗を行き交う聖人」です。


(若き日の賀川豊彦)


キリスト教の信念をもって、貧しい人々の中に入り救済活動を行った賀川豊彦。
目の前の人を助けるだけでなく、社会の問題を変えるべく私費を投じて多くの人を巻き込み国の枠をも超えていった。
大正から昭和に掛けて、あらゆる社会運動を立ち上げたと言われる賀川豊彦の生涯についてお話しします。

 「社会運動・協同組合・労働運動・救貧活動」に関心がある方にオススメ。

 参加費:700円。

 時間:18時30分から

 開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて


 ※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)

 ※自由参加ですが、問い合わせ等は高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:33Comments(0)世間士として

2015年09月15日

最前線・御台場散策 ②徳川家霊廟



大殿の脇に廻り込むと在る、この門は鋳抜門で、門の向こうは徳川家霊廟である。

徳川将軍15代のうち、秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂、将軍のほか、崇源院(二代秀忠公夫人)、皇女和宮(十四代家茂公夫人)ら五人の正室、家光の側室・桂昌院(綱吉の実母)はじめ五人の側室、及び家光の三男・綱重ほか歴代将軍の子女多数も埋葬されている。
第二次世界大戦前には台徳院(秀忠)霊廟、崇源院(秀忠夫人)霊牌所、文昭院(家宣)霊廟、有章院(家継)霊廟が旧国宝に指定されていたが、昭和20年に2度の空襲があり3月10日に北廟68棟が被災、続く5月25日に南廟28棟が被災し、その建造物群のほとんどを焼失した。
僅かに残った建物もその指定を解除され、焼失した御霊屋郡は暫くのあいだ荒廃に任されていたが、これらの霊廟に祀られていた遺体を昭和33年に調査発掘し、その後桐ヶ谷斎場にて火葬され、現在地に改葬された。鋳抜門は文昭院霊廟奥院中門であった門で、数少ない生き残りである。

門は青銅製で、左右の扉に五個づつの葵紋。両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれている。
日光東照宮と並び評された往時の姿を今に伝える数少ない遺構である。

お地蔵さんがズラリ


最強だそうです


大殿を東側から望む


ここに阿波丸殉難碑を発見

太平洋戦争中の昭和20年4月1日、シンガポールから日本へ向けて航行中であった貨客船「阿波丸」が、アメリカ海軍の潜水艦により撃沈され、2000人以上が死亡した阿波丸事件。
「阿波丸」は日米間の協定で安全航行を保障されていたはずであり、犠牲者の人数において、タイタニックを上回る悲劇となった。
1979年4月、中国領海内の福建省沖合約20kmの地点で「阿波丸」の残骸が発見された。中国政府は潜水調査を実施し、回収された遺骨158柱や遺品は日本側に引き渡され、同年7月、遺族ら800人が参列して増上寺で法要が営まれた。

ここで増上寺を出て、来た道を戻る。

増上寺前に在るこの建物。レストランの様だ。

入ってみたかったが、閉まっていた。クレッセントとある。

1947年に古美術商店として営業し、1957年の増改築を機にレストランとなった。増改築により1968年にビクトリア風の建築様式を採り入れた格調高い洋館の高級フレンチレストランとして、ミシュラン2009の二つ星レストラン。

浅岡飯炊きの井

ここには仙台藩伊達家の増上寺参詣の折に使われていた支度所の跡で井戸が残っている。
1660年の仙台藩のお家騒動・伊達騒動の際、後に藩主になる事になる亀千代(後の伊達綱村)を毒殺の危険から救うため、乳母・浅岡がこの井戸の水で調理したという。



ここで昼食





蕎麦の更級布屋。寛政三年の創業という老舗。老舗でありながらそれほど高くない価格です。
続く…
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2015年09月14日

9月13日 ちゃらぽこ講演 「孤島のコスモポリタン ボニンアイランドから小笠原へ」 参考文献

9月13日、散歩かふぇ ちゃらぽこにて「孤島のコスモポリタン ボニンアイランドから小笠原へ」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 
 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「小笠原学ことはじめ/ダニエル・ロング 」

 「幕末の小笠原: 欧米の捕鯨船で栄えた緑の島/田中弘之 」

 「近代日本と小笠原諸島: 移動民の島々と帝国/石原俊」
 
 「硫黄島と小笠原をめぐる日米関係/ロバート・D・エルドリッヂ」
 

 ご参考にしてください。

※次回の散歩かふぇ ちゃらぽこでの講座は10月11日15時から、「果ての島の物語 玉置半衛右門と欲望の渡り鳥たち」と題し、明治期に盛んになった無人島開拓の歴史を、玉置商会という会社を通じてお話しします。
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2015年09月12日

最前線・御台場散策 ①増上寺境内

 散歩かふぇ ちゃらぽこさんの企画・「城跡探索・品川台場」に参加しました。
 ちゃらぽこさんにて城郭講座を開催しているサイガさんガイドの城跡探索の一環で、品川に残る二つの台場跡を、水上バスの船の上からと、レインボーブリッジによる橋の上から見る事で、ショッピングやレジャーだけでない、本当の「お台場」を知る企画です。

 夏場であるので、集合は13時からとスロースタートであったので、乗り換え無しの上野東京ラインで来るとやや早い到着なので、最寄りの増上寺を見てみる。

大門

最寄の地下鉄駅名・大門駅に使われている「大門」は、増上寺の総門のこと。現在の総門は昭和12年に作られた、コンクリート造のものである。
やや狭い門の間を自動車がかなりの速度で抜けていくのが怖い。

総門を抜けると周囲はオフィス街の様だが、その先の緑地の隙間から大きな門が見えてくる。

三解脱門

元和8年(1622年)建立の二重門。戦災をまぬがれた建物の1つであり、重要文化財に指定されている。
この門をくぐると、三毒から解脱できるとされる。三毒とは三つの煩悩である貪(とん)、瞋(しん)、癡(ち)であり、貪は万の物を必要以上に求める心、瞋は自分に背くことがあれば必ず怒るような心、癡は真理に対する無知を意味する。

内部には釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されている。

グラント松

明治12年7月、アメリカ18代大統領であったグラントが、大統領を終えてから世界一周旅行中に来日し、増上寺にも植樹した。
三島にも暦師の館にグラント松があるので縁を感じる。

ブッシュ槇

コチラは第41代大統領・ブッシュ氏の植樹。

魚供養の碑

千代田水産という会社により建立。

この手水舎は、三代将軍・徳川家光の三男・綱重の霊廟に在ったもので移築されたもの。

創建当時の数少ない遺構。

聖鋏観音

山野美容専門学校の創始者・山野愛子氏が、1977年に8月3日を「ハサミの日」とすることを提唱し、4年後の1981年8月3日に観音像を建立した。以後毎年8月3日に増上寺では「ハサミ供養」が行われている。

大殿。

昭和49年の再建。室町期の阿弥陀如来、脇仏に法然上人像、善導大師像がまつられている。
伽藍の向こうに東京タワーが見える。徳川幕府の瓦解、明治維新後の神仏分離の影響により規模は縮小し、境内の広範囲が芝公園となり、東京タワーの建設時には増上寺は墓地の一部を土地として提供している。


続く…
  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)店主

2015年09月11日

伊豆経済大学に出展します

 9月22日・23日、JR三島駅・南口にあるホテル昭明館にて開催されるイベント「伊豆経済大学」に参加します。



 「学びを遊び倒せ!」をテーマに、会場のホテル全館を用いて「社会学」「芸術学」「理学」などのテーマに分けたフロアを展開。参加者である「生徒」たちのペイントで彩り、出展者である「教授」たちが各ホテルの部屋を教室に見立てて、コミュニケーション(授業)を展開していく仕組みで、二日間だけの大学が三島駅前に開学します。

出展ブースはホテルのシングルルーム一室を割り当てられます。ホテル解体前である事から自身の世界観を表現するための造作が自由に行え、更にアートディレクターの方によるディレクションもして頂けるという事で、「伊豆海洋文化博物館準備室」というコンセプトで、部屋も彩り、私選曲の海をイメージした曲も流します。今までの私が企画してきた講座や出店とは一味違う空間を目指します。

 8月に東京で開催された「博物ふぇすてぃばる」も、学びをエンターテイメントにする、というコンセプトの催しで、私も出展を申し込んだものの落選してしまい、残念に思っておりましたが、地方でも、更に地元に於いてこういった企画が立ち上がったのは楽しみです。  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)Historical Transmission design

2015年09月10日

「道の駅・静岡版」2015年春号への寄稿

 静岡県と神奈川県各地の道の駅にて設置されているフリーマガジン「道の駅・静岡版」2015年春号に寄稿した記事です。


(クリックで寄稿した記事が読めます)


 松崎町の大沢温泉ホテル・依田家住宅についてです。

 なお、自身のメールマガジンにも富岡製糸場と静岡東部の製糸として書きました。ご一読ください。
  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)メディア寄稿

2015年09月09日

横浜居留地を尋ねて ⑩関内周辺



山下公園から関内駅方面へ。横浜三塔が見えてきた。

神奈川県庁舎。三塔の内のキング

昭和3年10月31日に完成。この時代の公共建築にしては帝冠様式ではないのが、国際港である横浜の顔であった所だろうか。
平成8年に登録有形文化財(建造物)に登録された。

横浜港港湾労働者供養塔

 港湾労働は現在の様な機械化される前は、着岸待ちの貨物船で混雑し、港湾労働者は通船で沖合に停泊中の貨物船で人力による長時間・重労働・危険作業の荷役作業を行っており、作業中に不慮の事故で亡くなる人が少なくなかった。港での仕事に生涯を捧げ、その発展に尽くした人々2822柱の御霊を慰めるため、1974年に建立された。

赤レンガ倉庫を傍目に歩く


横浜税関。三塔の内のクイーン。横浜市認定歴史的建造物である。

昭和9年に完成した庁舎は、シンボルと言える緑青色のドームが当初高さ47mで計画されていたが、「日本の表玄関たる国際港横浜の税関の庁舎とするなら、高くすべき」との意見により4m高くされ、高さ51mとなった。。完成当時は横浜で最も高い建物であった。


「象の鼻パーク」であることからか


キングを別の角度から


日本郵船歴史博物館

元々は日本郵船横浜支店として昭和11年8月に竣工。
山下公園に係留されている氷川丸も日本郵船である。

パルテノン神殿を彷彿とさせる華麗な外観。大オーダーと呼ばれる、2階部分まで貫くコリント式の円柱が16本並んだ姿は実に壮観。
全景を撮れないのが残念。

旧富士銀行 横浜支店 

昭和4年、安田銀行横浜支店として建てられた。安田銀行は大正末から昭和初期にかけて、ほぼ同じスタイルで各地に支店を建てているが、これはそのなかでも最大規模かつ、希少な現存例。
平成17年からは東京芸術大学大学院映像研究科のキャンパスとして活用されている。
横浜市認定歴史的建造物。

神奈川県立歴史博物館

明治37年、横浜正金銀行本店として建築。
横浜正金銀行は、横浜開港以来、外国人商人が主導していた貿易金融取引を改善するため、明治13年に設立。その後、外国貿易関係業務を専門的に担当する銀行として成長し、世界三大為替銀行の一つに数えられるようになる。
本建築はドイツの近代洋風建築の影響を受け、明治時代の貴重な建造物であることがら、昭和44年には国の重要文化財の指定を受け、更に産業経済の発展に貢献した貿易金融機関の在り方を示す貴重な建造物およびその敷地であることから、国の史跡にも指定されている。
横浜三塔に合わせて、神奈川県立歴史博物館を「エース」として「横浜四塔」とする場合もある。

馬車道通りには「日本初の〇〇」が多すぎてキリが無い。

英国から来たガス灯

明治5年、日本で最初のガス灯が馬車道に灯されたことを記念して、英国シェフィールドパークに在ったガス灯を東京ガスの協力により設置したもの。

損保ジャパン日本興亜馬車道ビル

大正11年に旧川崎銀行横浜支店として竣工。翌年の関東大震災で被災するも、建物は隣接する横浜正金銀行本店と共に残った。
横浜市認定歴史的建造物。
(しかし金融系企業は合併した後の社名をもう少し考えて欲しい・・・)

横浜指路(しろ)教会

横浜指路教会は、明治7年に創建されたプロテスタント系の教会。明治の教会が関東大震災で倒壊し、新たに建てられたのが現在の教会。関東大震災を教訓してか構造は鉄筋コンクリート製である。

横浜は関東大震災や先の大戦による空襲、連合軍による接収などもあり、開港当時の建築が残っているとは言い難いが、近年の建築でも景観を合せている所など、かつての港町を感じさせてくれるのである。

  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2015年09月08日

9月20日講演 「幕開けと幕引き 北条五代の志」 静岡市 くればにて

 9月20日14時より静岡市のシニアライフ支援センター「くれば」にて講演致します。

  内容は「幕開けと幕引き 北条五代の志」です。



 室町時代末、戦国時代の関東に覇を唱えた小田原北条氏。その初代、早雲こと伊勢盛時は地縁も血縁も無い地で、その礎を築き関東の戦国の幕を開けた。
 その後を継ぐ者は、身内争いも無く他の地域では見られないという善政を行い、それが故に戦国の幕を閉じるに至った。
 戦国時代の幕開けと幕引きに至った北条氏の時代についてお話しします。


 「室町、戦国時代・関東地方・戦国大名に関心がある方におすすめ。」

 会費:500円

 開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル1F シニアライフ支援センター「くれば」
 


 参加は自由です。直接、来場してください。問い合わせはコチラから。054(252)8018
 もしくはオーナーメールで直接お願いします。


 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2015年09月07日

横浜居留地を尋ねて ⑨山下公園



山下公園へ。

氷川丸を間近で見たのは初めて。

氷川丸は、日本郵船が昭和5年に竣工させた日本の貨客船。北太平洋航路で長らく運航された。接客設備とサービスの優秀さによって太平洋を往来する著名人たちに愛用された。
戦前より唯一現存する日本の貨客船であり、当時の日本の造船技術を今に伝え、また船内のインテリアなども含めて貴重な産業遺産であるため、2003年(平成15年)には横浜市の有形文化財の指定を受けている。博物館船として公開されている。

噴水?



何らかのイベントがあったらしく、多くの人で賑わっている。


そんな中で気になったこの建物。インド水塔というそうだ。

イスラム教のモスクの中庭にある泉・ハウズを想起させるモニュメント。イスラム風、インド風、日本風が混在したデザインが特徴的で、横浜市認定歴史的建造物となっている。

関東大震災の犠牲者を弔う意味合いであるようだ。横浜で被災した在日インド人のため、横浜市民が被災インド人への住宅の手当てなどに力を注いだ横浜市民への感謝と同胞の慰霊のために、在日インド人協会が山下公園内に建立した。

多くの犠牲者が水を求めて死んでいった事から、水が飲めるような造りになっている。

よくよく考えると、山下公園自体も関東大震災の復興事業として、瓦礫などで海を埋め立て造成して出来た公園である。この下には当時の人々の様子が分かる物が多く埋もれているのかもしれない。

続く・・・
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2015年09月06日

9月5日講演 「天武と持統 日本を創ったふたり」 参考文献一覧

 9月5日、三島市のカフェうーるーにて「天武と持統 日本を創ったふたり」ついてお話させて頂きました。

 参加して下さった皆様、ありがとうございました。

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 日本書紀/講談社学術文庫版
 白村江 古代東アジア大戦の謎/遠山美都男
 白村江以後 国家危機と東アジア外交/森公章
 壬申の乱/亀田隆之
 逆説の日本史 古代怨霊編/井沢元彦
 日本軍事史/高橋典幸ほか
 大王から天皇へ/熊谷公男
 壬申の乱を読み解く/早川万年

 


 ご参考にして下さい。

※次回のカフェうーるーでの講座は10月3日9時半~「式年遷宮 永遠なる常若の宮」と題し、伊勢神宮の成り立ちと、20年間隔で行われる式年遷宮についてお話します。  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)世間士として