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かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
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2016年01月28日

1月27日講演 「文武一徳 平和を繋いだ今川氏」 参考文献一覧

 1月27日に沼津市の高嶋酒造にて「文武一徳 平和を繋いだ今川氏」についてお話させて頂きました。

 参加して下さった皆様、ありがとうございました。

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 今川氏の研究/小和田哲男
 今川氏と杉並の観泉寺/杉並区郷土資料館
 駿河今川氏の十代/小和田哲男
 今川氏十代の軌跡/水野茂
 戦国今川氏 その文化と謎を探る/小和田哲男
  


 ご参考にして下さい。

なお、「花蔵の乱」の舞台になった、花蔵を散策した時のブログはコチラ


※次回は2月24日18時半から、室町時代末期の足利将軍の流転と変遷の流れについてお話しします
  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2016年01月27日

本日講演 「文武一徳 平和を繋いだ今川氏」 沼津市 高嶋酒造にて

 本日18時半より講演致します。

  内容は「文武一徳 平和を繋いだ今川氏」です。



  若き日の織田信長に敗れ、その後の没落から後世には軟弱なイメージが持たれた大名・今川氏。足利将軍家の一門に繋がる名族として幕府を支え、度重なる争いで幕府が形骸化した後も、今川氏の領する駿府は日本で最も平和な都市であった。
 平和を繋ぐことになる今川氏の歴史についてお話しします。

 「今川氏・南北朝、室町時代、関東地方、に関心がある方におすすめ。」

 参加費:700円。

 時間:1月27日18時30分から
 開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて


 ※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)

 ※自由参加ですが、問い合わせ等は高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2016年01月26日

2月14日講演 「海越え、果つる地まで 雄飛と絶望の移民史」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

  2月14日 15時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。

  内容は「海越え、果つる地まで 雄飛と絶望の移民史」です。


(ブラジルに最初の移民を乗せた笠戸丸)


日本が開国を迎え諸外国との交流が始まると、多くの日本人が海外へと渡り懸命に働いた。遠い異国の地で成功を掴んだ者、絶望に打ちひしがれた者、悲喜交々の姿があった。
ハワイ、アメリカ、南米、満州・・・明治以後に国策として進められた移民の歴史を語ります。

 「明治時代・開拓・移民・プランテーション・近代史・人口論」に関心がある方にオススメ。

 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:15時から

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)世間士として

2016年01月24日

長篠城・設楽原古戦場探訪 ⑦鳳来寺山



道の駅を出て、バスは鳳来寺山へ到着。車中にてバスガイドさんに鳳来寺の本堂へは山麓から伸びる石段が1425段あるので登る人は、というので登ってみたかったが、バス旅行なのでココは大人しくしておく。

来た道は無料であったが、かつては有料道路であった。その建設時の竣工碑。


参道を歩いて鳳来寺へ向かう。

非常に山深い所である。どこまでも山脈が続く様にも見えるが、長篠の町からそれほど離れてはいないのだ。


元々は足がすくむ様な断崖だったであろう。


11月半ばで紅葉を楽しみにしていたが、まだイマイチ。


この上に東照宮がある。


徳川家康の母・於大の方が鳳来寺山に参詣して家康を授かったという伝説を知った三代将軍・家光が鳳来寺山の大造営を図り、家康を祀る東照宮が新たに造営された。幕府から手篤い庇護を受け、かつては21の僧坊を誇ったという。

葵紋が誇らしい



日光・久能山と並ぶ三大東照宮の一社ということだが、両社に較べるとややこじんまりとしている。

こじんまりとしているものの、造営された当時の社殿や手水舎という事で重要文化財に指定されている。



この辺りは石垣が見事である。



東照宮から更に歩くと鳳来寺である。

来る途中で遠目に見えた、背後の荒々しい岩を従えているかのような鳳来寺山の山容が圧巻である。

 寺伝では大宝2年(702年)に利修仙人が開山したと伝える。利修は文武天皇の病気平癒祈願を命じられて、霊木の杉から本尊・薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将、四天王を彫刻したとも伝わる。山には日本一高いとされる樹齢800年以上、樹高約60メートルの「傘杉」があるという。
 利修の加持祈祷からか、天皇は快復。この功によって伽藍が建立されたという。
 鳳凰に乗って参内したという伝承から、鳳来寺という寺名及び山名の由来となっている。
 
 ここに寺を造ったのも驚きなのだが、更に上にも奥の院があるらしく、階段が延びていた。

 しかし、瓦の隙間から草が延びている・・・。これは傷みが相当なことになるだろう。
 鳳来寺は幕府の寺であった事もあって、火事にあっても再建には相当な時間が掛かったりと明治以後はかなり不遇であったのがまだ尾を引いているのだろうか。

 長篠城にも弓道の碑が建っていたが、ここには弓道関係者が祈願し奉納したであろう額が。


 駐車場に戻ると、やや陽は傾いてきた。

 ここでこのバス旅行は帰路に。個人的にバス旅行ってほとんどしませんが、こういった目的が明確なバス旅行なら良いかもしれません。  


Posted by かるの at 08:02Comments(0)店主

2016年01月22日

2月2日講演 「弥太郎と栄一 無限の姿見」 沼津市 Lot.nにて

  2月2日18時半から沼津市のLot.nにて行います。

  内容は「弥太郎と栄一 無限の姿見」です。



(岩崎弥太郎と渋沢栄一)


 現代にも大きな企業グループとして存在する三菱グループの祖として、一代でその礎を築いた岩崎弥太郎。
 多くの企業をはじめ、銀行制度や証券取引所を設立した「近代資本主義の父」こと澁澤栄一。
 幕末から明治へと移り変わる世の中で目覚めた近代資本主義を駆け抜けた二人であったが、そのアプローチは全く異なるものであった。二人の生涯を対比させた形でその目指した物を見つめていきます。

 「幕末から明治・資本主義経済・起業・身分制度」
などに関心がある方にオススメです。
 会費:1000円(ドリンク付き)

 時間:18時半から

 開催場所はコチラ・沼津市上土町10 (それまでの店舗の道向かいです

)  

 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。

 参加は自由です。Lot.nさんへ直接来場ください。
 変更や中止の問い合わせ、申し込みはオーナーメール、もしくはLot.nさんへお問い合わせください
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)世間士として

2016年01月21日

長篠城・設楽原古戦場探訪 ⑥設楽原・丸山激戦地周辺

 

 断上山から設楽原を北に向かうと、信長が武田の騎馬隊を防ぐために作った馬防柵が復元されている。




 この一画には「土屋昌次戦死之地」の碑が建つ。実は子孫に当たる人物が沼津に在住という事らしく、その方の所有している文書から山本勘助の実在が証明された事もあるそうだ。

 この馬防柵の近くでは銃を構えた甲冑姿の人が何人か。

 どうやら歴史系テレビ番組の収録らしい。平山氏は知り合いが居たみたいであった。

 この馬防柵から更に北側には織田方の佐久間信盛が陣した丸山という小高い丘がある。

 ここに馬場信房隊七百が鬼神の如く突撃、 佐久間隊は馬防柵内に撤退して迎撃の態勢をとった。この時、丸山を奪取した馬場信房は緒戦に勝利したとして勝頼に退却を勧めたと言われているが、勝頼はその意見を容れなかった。
 長篠の合戦は周知の通り、大量の火縄銃の攻撃に曝され歴戦の武将を多く失った武田勝頼は敗走。勝頼が退却するのを見届けると、殿軍を務めていた馬場は反転して追撃の織田軍と戦い、『信長公記』に「馬場美濃守手前の働き、比類なし」と評される最期を遂げた。
 この戦いは武田氏を没落させ、織田・徳川の勢力を強大にした日本史上重大な意味を持つ戦いでした。

 この辺りからは上州産の硯が発見されており、武田方の真田信綱・昌輝兄弟が戦死した場所である事から、真田兄弟が引き連れた上州出身の兵が持っていた物である事を物語る。

 散策はここで終了。

 新東名も三月には豊田まで開通という事で、新城を始めとした奥三河もぐっと近くになります。

 バスが来て次の鳳来寺山に向かう前に、道の駅・もっくる新城に行きます。


 道の駅内の観光案内所は、神楽の時に飾られる切紙を用いたディスプレイ。

 奥三河が花祭を始めとした神楽が盛んである所です。

 この道の駅でお土産を物色してバスに戻ると、多くの人が酒類を購入したようで、車内の空気が一気にアルコール濃度が高くなった。

 続く…。


  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)世間士として

2016年01月20日

2月6日講演 「二つの天を抱いて 太平は夢の如く」 三島市 カフェうーるーにて

2月6日9時半から三島市のカフェうーるーにて行います。
内容は「二つの天を抱いて 太平は夢の如く」です。


(討幕運動の中心にあった後醍醐天皇)


 鎌倉幕府末期、幕府は社会の変化に対応できないまま、各地で倒幕の火が燃え広がり幕府は倒された。
 幕府という共通の敵を倒した後、新たな世の中を目指して、新たな形を造ろうとする者、旧来の姿に戻そうと計る者、思惑は巡り朝廷・武家とも親兄弟で相争い、何を信じて良いか判らぬまま、新たな時代が模索された南北朝時代についてお話しします。

 「室町幕府・南北朝時代・武家政権・足利尊氏・婆娑羅に関心がある方におすすめ。」
 会費:500円+ワンドリンクオーダー

 時間:9時半から11時半予定

 開催場所はコチラ・カフェうーるー(三島市南本町13-30 ☎055-981-5539)

 参加の申し込み不要。
 問い合わせはオーナーメール、もしくはうーるーさんへお願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)世間士として

2016年01月19日

長篠城・設楽原古戦場探訪 ⑤設楽原・竹広激戦地周辺



 鳥居強右衛門の勇気と忠義溢れる行動で長篠城は持ち堪え、5月18日、信長3万、家康8千の援軍は城の西方約4kmにある設楽原に到着して陣を築く。
 織田・徳川連合軍接近の知らせを受けた武田勝頼は軍議を開き、側近の長坂光堅・跡部勝資らが設楽原に出撃して決戦を主張、馬場信房ら信玄以来の重臣たちは兵力差から劣勢であるとして甲州への撤退を主張して対立した。
 勝頼は設楽原への出撃を決め、長篠城の押さえに約三千の兵を置き、主力一万二千の軍勢が設楽原へ向かった。設楽原の決戦場へ向かう前に馬場信房、内藤昌豊、山県昌景、土屋昌次の武田四将が別れの水杯を交わしたという。

資料館がある付近には戦死者を死者を弔った塚があり、それを信玄塚と呼んだという。
信玄塚は二つあり、コチラは大塚。


そして小塚。

ちなみに、資料館のある住所も信玄原とある。平山氏は中学生の頃に親に頼み込んでココに連れて来て貰ったという。

 塚が出来てから、その付近から蜂が大発生して村人に被害を与えたため、蜂の大群を亡霊と考えてその慰霊の為に毎年八月十五日には火のついた大松明を振り回して乱舞する「ひおんどり」が行われるようになった。
 なんとなく、この話は高天神城の戦いによって生まれた遠州大念仏に近い話。

 信玄塚から歩いて3分ほどの原隼人佐昌胤の碑

 原昌胤は勝頼に撤退を進言したが受け入れられず、内藤昌豊らと共に徳川本隊を目指し、銃弾を浴びて討死にした。

 資料館がある信玄台地南部には山県昌景が布陣したと伝えられ、昌景や山県甚太郎昌次、従士・名取又左衛門、高坂又八郎らの墓碑がひっそりと建っている。



設楽原を望む。

設楽原とは言っても丘陵と谷の連なる起伏に富んだ地形である。
山県隊は開戦一番に突撃を開始、正面の徳川勢と激しく戦った隊である。平山氏によると、この日は草刈りが行われていて、徳川家康が布陣した丘が手に取るように見える。更に、家康と共に信長も居たそうである。距離は約200m程。「銃が構える正面に無謀にも突っ込んだ」とも言われるが、多少の損害が出ても敵方の首領を討ち取れば戦いは勝利である。この距離なら相手の表情も見えたかもしれない。それを考えると、単に無謀だったとも思えない。
そしてそんな敵方の間近に防御策を講じていたとはいえ、自らを囮にするような信長の胆力も凄い。

信玄台地から下りて家康の布陣する丘の途中の田の真ん中にある竹広激戦地という碑。


そこから西側にある中学校の正門前に「長篠役設楽原決戦場」の碑が建てられている。


登ると徳川勢が布陣して戦った戦場一帯が見渡せる。





家康が布陣した丘は弾正山と呼ばれ、元は古墳であったという。古墳を戦場で利用した例は大阪平野などであるが、ここにもあるとは。

続く…。
  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主

2016年01月17日

1月27日講演 「文武一徳 平和を繋いだ今川氏」 沼津市 高嶋酒造にて

 1月27日18時半より講演致します。

  内容は「文武一徳 平和を繋いだ今川氏」です。




  若き日の織田信長に敗れ、その後の没落から後世には軟弱なイメージが持たれた大名・今川氏。足利将軍家の一門に繋がる名族として幕府を支え、度重なる争いで幕府が形骸化した後も、今川氏の領する駿府は日本で最も平和な都市であった。
 平和を繋ぐことになる今川氏の歴史についてお話しします。

 「今川氏・南北朝、室町時代、関東地方、に関心がある方におすすめ。」

 参加費:700円。

 時間:1月27日18時30分から
 開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて


 ※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)

 ※自由参加ですが、問い合わせ等は高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:02Comments(0)世間士として

2016年01月16日

長篠城・設楽原古戦場探訪 ④設楽原歴史資料館



 戻って見学した史跡保存館では、規模は大きくないものの長篠の戦いに関する展示を中心に往時の様子、地域の色々を知ることが出来ます。周辺の散策に役立つ資料も配布されています。

史跡保存館入り口にあった鳥居強右衛門のレリーフ


 たまたま手に取った資料には、この合戦時に参加した将兵の年齢が一覧できる物があったのですが、「武田の老臣」とされる馬場信房、内藤昌豊、山県昌景、土屋昌次らが60歳前半から50代半ばという所なのですが、それ以外はどちらかというと徳川・織田方の方が平均年齢は高く、武田方は自分よりも年下が多いというのが意外でした。

 残念ながらバスの発車時間となってしまったので、じっくりは見れないのが惜しかったのですが、次の設楽原歴史資料館へと向かいます。


 設楽原歴史資料館は「長篠・設楽原の戦い」の戦況説明、火縄銃"の系統的な展示、

長篠の戦いで戦死した者たちの鎮魂の祭り「ひおんどり」に関する展示


幕末の外交官・岩瀬忠震に関する展示という所です。



 火縄銃に関する展示では日本一の数を誇るという火縄銃がこれでもかと展示されています。



日本最大級の砲


武田信玄を狙撃したという逸話がある信玄砲


江戸時代の物だが、側面に「SUY」と象嵌がある


 その他にも日本最古級などなど。
 その中で火薬に関する展示の中に、1172年に伊豆の島に見慣れぬものが上陸し、脇から火を出して一帯を焼き払った、という話しが記載されていたが、この出所が気になる。

武田勝頼合標


メインとなりうる長篠の戦いの展示がやや貧弱であるが、あくまで地域の歴史を網羅した展示だからだろうか。

一通り見ると昼食の時間。


豊川稲荷の前にある松屋という店の仕出しで、豊川らしく稲荷寿司を中心にした三河の産物を活かした素材で、仕出し弁当でありながら美味しい弁当であった。

 食後、たまたま入った図書室には私も講座の題材にしている督乗丸漂流の船頭・重吉の漂流の経緯を記した「船長日記」があり、読みたかったのですが残念ながら時間がありませんでした。

 幕末の開国交渉に携わった岩瀬忠震の冊子がありましたので購入。

では、これから設楽原の古戦場へと向かう。

続く…


  


Posted by かるの at 08:02Comments(0)店主

2016年01月14日

1月12日講演 「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」 参考文献一覧

 1月12日に沼津市のLot.nにて「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」についてお話させて頂きました。

 参加して下さった皆様、ありがとうございました。

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 近代日本とイギリス資本/石井寛治
 トマス・グラバーの生涯: 大英帝国の周縁にて/マイケルガーデナ・翻訳村里好俊, 杉浦裕子
 アジアの海の大英帝国/横井勝彦
 日本経済史(1) 幕末維新期/東京大学出版会
 榎本武揚から世界史が見える/臼井隆一郎
  


 ご参考にして下さい。

※次回は2月2日18時半から、「弥太郎と栄一 無限の姿見」と題し、明治となった日本で近代資本主義を駆け抜けた代表的な経済人・岩崎弥太郎と渋沢栄一の対称的な二人の生涯についてお話しします
  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)世間士として

2016年01月13日

1月10日ちゃらぽこ講演 「宮本常一 その眼差しと足跡を追って」 参考文献

 1月10日、散歩かふぇ ちゃらぽこにて「宮本常一 その眼差しと足跡を追って」に参加して下さった方、ありがとうございます。

  講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 民俗学の旅/宮本常一
 私の日本地図/宮本常一
 忘れられた日本人/宮本常一
 宮本常一 写真日記集成(上下巻)/宮本常一
 日本残酷物語/宮本常一ほか
 旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三/佐野眞一
 「忘れられた日本人」の舞台を旅する/木村哲也
 宮本常一という世界/佐田尾信作
 写真でつづる宮本常一/須藤功
 旅と伝説 第五巻


 「民俗学の旅」は宮本自身による自伝的作品
 「忘れられた日本人」に対馬での梶田富五郎の話を収録。
 「宮本常一 写真日記集成」は宮本が撮影した写真集と日記
 「旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三」は「民俗学の旅」以上に周辺取材を以って描かれた労作。
 「写真でつづる宮本常一」は宮本の生き生きとした表情が集まっている。

 「宮本常一  民衆の知恵を訪ねて」というビデオライブラリーもあります。

 ご参考にして下さい。

 ※次回は2月14日「海越え、果つる地まで 雄飛と絶望の移民史」と題し、明治以後に国策として行われた日本人移民の歴史についてをお話しします。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2016年01月12日

本日講演 「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」 沼津市 Lot.nにて 

 本日18時半から沼津市のLot.nにて行います。

  内容は「幕末世界戦争 革命は火薬の香り」です。



 19世紀、欧米列強の進出は東アジアに達し、地球規模となった。日本も植民地となるか独立を保てるかの瀬戸際となった。
 幕末から明治維新への動乱を、経済的な視点を通じて、欧米列強の思惑と暗躍する武器商人たちの動きから見て行きます。

 「幕末・19世紀・アジア史・欧米列強・武器商人・戊辰戦争・国家債務問題に関心がある方におすすめ。」

 会費:1000円(ドリンク付き)

 時間:18時半から

 開催場所はコチラ・沼津市上土町10 (それまでの店舗の道向かいです

)  

 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。

 参加は自由です。Lot.nさんへ直接来場ください。
 変更や中止の問い合わせ、申し込みはオーナーメール、もしくはLot.nさんへお問い合わせください
 

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:04Comments(0)世間士として

2016年01月11日

1月9日講演 「国境最前線 東国三英傑の三国志」について参考文献

1月9日、静岡市のくればにて「国境最前線 東国三英傑の三国志」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「日本を変えたしずおかの合戦/小和田哲男ほか」

 「静岡の城/加藤理文」
 
 「東国の戦国合戦/市村高男」
 
 「軍事分析 戦国の城/」

 「戦国の魁 早雲と北条一族/」

 


ご参考にして下さい。


※次回のくればでの講座は2月13日14時~、室町時代後期における足利将軍の動向についてお話しします。  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)世間士として

2016年01月10日

本日講演 「宮本常一 ~その眼差しと足跡を追って~」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

  本日 15時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。

 内容は
 宮本常一 ~その眼差しと足跡を追って~






 昭和の日本各地・14万キロを自らの足で歩き、民俗調査を行った民俗学者・宮本常一。
 市井を生きる人の生活を見続けた一民俗学徒の視野は、やがて国の在り方にまで広がり、学問という枠を超えて地域づくりに活かし多くの人を勇気づけた宮本常一の生涯について語ります。

 「街づくり・地域興し・旅・民俗学」などに関心がある方にオススメです。

 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:15時から

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2016年01月09日

本日講演 「国境最前線 東国三英傑の三国志」 静岡市 くればにて

 本日14時より静岡市のシニアライフ支援センター「くれば」にて講演致します。
 内容は「国境最前線 東国三英傑の三国志」です。


(山中城の戦いの再現劇より)


 戦国時代、武田・今川・北条氏が覇権を争った静岡県東部地方。
 目まぐるしく変わる国境線を中心に、それぞれの大名は何を考えていたのか。そして、大勢力に挟まれた地侍たちはどのように生き伸びたのか?
 合従連衡の末の戦国の結末と、後世への影響があったかを語ります。


 「室町時代後期・下剋上・城・静岡県の戦国時代に関心がある方におすすめ。」

 会費:500円

 開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル1F シニアライフ支援センター「くれば」
 


 参加は自由です。直接、来場してください。問い合わせはコチラから。054(252)8018
 もしくはオーナーメールで直接お願いします。


 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
  


Posted by かるの at 09:38Comments(0)世間士として

2016年01月07日

初日の出

 このブログを見ている皆さま、あけましておめでとうございます。

 毎年恒例、初日の出です。

 今年も根府川駅にて初日の出を迎える事にしました。


風も無く、それほど寒くは無かった。


やがて陽が上がってくる。



7:51 初日の出







今年も良い歳でありますことを。

  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主

2016年01月01日

京都市左京区・吉田神社

 ある時は信仰の場であり、ある時には教育の場であり、ある時には経済の場である。
 神社にはその土地の歴史が詰まっている・・・。
 ここでは私が尋ねた神社を紹介します。




吉田神社は京都市左京区吉田神楽岡町30番地に座する神社で、旧社格は官幣中社の神社である。



 祭神は春日神(建御賀豆智命、伊波比主命、天之子八根命、比売神の総称)

 貞観元年(859年)、藤原山蔭が一門の氏神として奈良の春日大社四座の神を勧請したのに始まる。後に、平安京における藤原氏全体の氏神として崇敬を受けるようになった。


 創建は不詳。


 鎌倉時代以降は、卜部氏(後の吉田家)が神職を相伝するようになった。
 室町時代末期の文明年間(1469年 - 1487年)には吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始し、その拠点として文明16年(1484年)、境内に末社・斎場所大元宮を建立した。
 近世初めには吉田兼見が、かつて律令制時代の神祇官に祀られていた八神殿(現在はない)を境内の斎場に移し、これを神祇官代とした。寛永5年(1665年)、江戸幕府が発布した諸社禰宜神主法度により、吉田家は全国の神社の神職の任免権(神道裁許状)などを与えられ、明治になるまで神道界に大きな権威を持っていた。

 例祭は4月18日



山蔭神社

藤原山蔭を祭る。藤原山蔭は四条流庖丁道の創始者とされ、包丁・料理の祖神として全国の料理関係者により昭和32年に創建。

菓祖神社

田道間守命と林浄因を祭る。林浄因は初めて餡入りの饅頭を作ったとして、菓子の祖先として京都の菓子業界により社が作られた。





さざれ石


若宮社


神楽岡社

吉田神社は式外社であるが、この神楽岡社は式内社である。吉田神社成立以前の地主神で、雷除けの神として尊崇を集める。

祖霊社




今までの訪ねた神社をマッピングしました。ご参考にして下さい。

より大きな地図で

Posted by かるの at 08:34Comments(0)神社探訪