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かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
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2011年04月11日

4月10日

 5時起床。
 昨日、洗濯をしてしまったので、着るy物が少なく寒さで目が覚める。
 朝食にはシリアルを食べているのだが、寒いので牛乳をあっためて食べる。
 公園の気温計は三度。濃霧である。

 食べると体が温まったのか、もう一寝入り気がつくと8時半、ボランティアの受付に行かねば。
 日曜日で参加者も多いのか、今までとは桁違いの参加者。従って、待ち時間も長い。
 私の後ろにいた初参加の方とお話。50歳くらいの男性で妻の実家が石巻で被災したのだという。私が静岡だというと、やはり静岡に原発あるんじゃない?という質問。結構、この質問をされるのだが、やはり今回の福島の件があるのだろう。

 10時半にボランティア開始。
 今回の班は男性のみ12人。高校生が三人いたが、いずれも複数回参加であるということで班長に。
 今回は二世帯住宅の人で庭のヘドロの除去。庭には10センチほどのヘドロに覆われてしまい、その下に本来の土壌があるのだが、明らかに違う土壌である。ヘドロの腐臭に包まれたなかでの作業意。それほど暖かい気温ではないのだが、Tシャツになって作業した。
 その庭には潰れた納屋があり、地震で倒壊したのかと思ったら、三軒先の家から丸ごと流れてきたという。息子夫婦の家は新しいからかそれほどダメージは見られないが、それでも150センチくらいの高さに水の線がある。親夫婦の家は赤紙(倒壊の判定)が貼られていた。
 二時間で庭の泥は取りきれなかったが、それでも2m近くの山になった。

 帰ると豚汁の炊き出しを、新潟県小千谷市の人たちが行っていた。中越地震での恩返しであるという。
 災害が取り持った縁であるが、このようなリンクが出来上がっていくと大いなる力になるのではないかと確信。

 午後の仕事は人数が足りたのでなくなってしまった。

 そこで、実際に歩いて被災地を見ることにする。
 作業のときはやはり写真は撮れないので、自分の足でも見てみようとおもったのだ。
 テント場から県道125号線をどんどん海側に向かって歩いていく。

 そこには水田であったであろう場所に木片や自動車、様々な物が散乱しているのを見る。ボランティアの人数が足りている、というのはあくまでも依頼に対しての人数であって、避難所にいる人は自分の家の把握なども出来ないからボランティアに来てもらうかどうかの申請も出来ないのではなかろうか。それを考えると、避難所にいる人への聞き取りなどもしてニーズを汲み取る必要性もあるのではなかろうかと思う。(あくまで想像です。)
 
 ボランティアで作業したのは玉浦地区というところであるが、それも更に海側へ向かうと凄まじい。電柱が折れているのだが、アメ細工の様にぐにゃりと曲がっている。無論、電線もそこいらに散らばっている。景観の観点でされる電線地中化であるが、防災の面でも進めるべきだろう。一つの電柱が倒れると引っ張られて周辺のも道づれになってしまう。
 そこで目立ち始めるのが、根っこがついたままの松ノ木である。これは海岸沿いの防風林ではないだろうか。高さ10m近くある松が根っこのまま3キロちかくまで運ばれている。

 更に海側へ進み、二の倉地区に入ると様相は一変する。
 破壊の様相は激烈となり、原型を留めている物が無いのである。車も家も、全て原型を留めない。もっとも恐怖だったのは、家屋がそのまま裏返しになっているものも。
 玉浦地区では家屋に損傷はあっても、塀などは無事であった。しかし二の倉地区では石造りのものでも破壊され削られている。中には地区の鎮守であったろう神社も海側の面が全く無い。更に海側に近づくと、次第に破壊された家屋も少なくなって、「完全に破壊され』土台のみとなった家屋の跡である。そこに散乱していた「七五三おめでとう」と書かれていたアルバムの子は無事なのだろうか。

 こうして海に到達したのだが、防波堤は津波の衝撃で構造が破壊されてしまい、堰堤の中の土壌が流出し、構造の骨組みだけが残されている。まだM8クラスの余震が警戒されているが、防波堤は切れているところもあれば強度を保っていない所もある。これらの補修が間々ならない中で地震が来ないことを祈るばかりである。
 たまたまこの近くに防風林の完成記念碑があった。あくまでも防風林であるが、多少は津波の力をこの防風林が殺いだのではないか。

 堰堤に上り多くの生命を流し去ったであろうその波濤を見、静かに手を合わせた。

 戻って少し南下し、工業団地の辺りを見てみる。
 やはり家屋よりも造りががっしりしているからか、なんとか原形をとどめているが、壁に着いた線を見ると4m近い。
 道端には様々な書類が散乱している。そして、油っぽい匂いも充満する。きっと、先の水田であったところにも行っているだろう。土壌の問題もこれからの課題であろう。

 


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Posted by かるの at 08:27│Comments(0)店主
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