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2015年02月11日
ちゃらぽこ城跡探索「戦国城郭 河越城跡と小江戸川越散策」 ⑤蔵の街並み
東明寺
この寺の境内には「河越夜戦跡」の石碑がある。
天文15年(1546年)4月20日、小田原の後北条氏の武蔵国進出を決定づけた上杉氏との合戦・河越夜戦の激戦地は東明寺の寺領であった。その事から、河越夜戦は「東明寺口合戦」ともいう。
将兵の遺骸を納めた富士塚や大銀杏が今も残っている。
ただ、河越夜戦は無かったという解説が。
河越城の争奪戦が何度も繰り返された経緯の総兵力を一度の夜襲で壊滅させたかのような軍記物の脚色であるという。北条氏側の記録では日中に合戦があったという。
東明寺近くの趣ある邸宅
ここから川越の蔵の街並みへ向かう。
川越市役所の太田道灌像
市役所近くの銅板葺きの建築
しかし、ここで皆さんから外れ一旦博物館に戻る。
先程は全部見きれない内に出てしまったので、閉館時間前に行く。
川越特有の蔵の断面
ざっとではあるが全て見る事が出来た。
ここから解散する場所へと向かうが、間に合わず解散してしまったとの連絡。残念ではあるが、暗くなりつつある中、蔵の街並みへ。
川越を代表する場所・時の鐘
3層構造の塔で、高さは16メートル。寛永年間に川越藩藩主・酒井忠勝によって建設された。
古くは鐘撞き守が決まった時間に時を知らせていた。残したい日本の音風景100選に選ばれている。
蔵が立ち並ぶ通りへ
この通りは川越の主な通りでは無く、商店の蔵が並んでいた云わば倉庫群であったが、蔵が立ち並ぶ景観が江戸時代を思わせる観光地になった。現在は、毎年620万人もの人が訪れます。
蔵の通りになった経緯は、明治26年3月、川越は大火に見まわれ、数軒の蔵が焼け残った。この事から蔵は火事に強いと言う事になり、以降次々に蔵が建ち始めました。そして、最盛期には100軒もの蔵が建ち並び、現在でも30軒程の蔵が残っています。
左側が田中屋仲町店、右側が旧山吉デパートであった建物。
現在は田中屋はカフェ・エレバート、旧山吉デパートは保刈歯科医院となっている。
旧第八十五銀行
現在は埼玉りそな銀行川越支店。この建物は大正7年に建てられた物で、鉄骨鉄筋コンクリート造りで高さ25mの三階建て。国の登録有形文化財に指定されている。
銀行の看板は景観を考慮し、建物の裏に隠れる様に設置されている。
旧鶴川座
旧鶴川座は明治三十一年に蓮馨寺内に建てられた芝居小屋。明治時代の始めに松蓮座(しょうれんざ)という芝居小屋があったが、明治二十六年に焼失し、鶴川座と名を改めて再建された。
再建後は芝居興行を中心に講演会場としても使用され、大正時代になると浅草で人気のあった活動写真の上映もあった。
大正十一年までに、外観がタイル張りの洋風に改築されるが、内部の席は升席のままで、回り舞台もそのまま使われていた。その後、映画館や貸しスタジオ、店舗にも転用され、増築・改築が繰り返されてきた建物です。
埼玉は近年、アニメの舞台になる町が多いので、それに合わせた旅も。
続く・・・
Posted by かるの at 08:17│Comments(0)
│店主