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2016年05月01日
富山県魚津市・魚津神社
ある時は信仰の場であり、ある時には教育の場であり、ある時には経済の場である。
神社にはその土地の歴史が詰まっている・・・。
ここでは私が尋ねた神社を紹介します。
魚津神社は富山県魚津市中央通り1-3-28に坐する神社で、旧社格は郷社である。
祭神は天照皇大神、建御名方命、菅原大神、素盞嗚尊、倉稻魂命、彦火火出見尊、大市比賣命
例祭は毎年6月4、5、6日の魚津神社春季例大祭。
6月4、5日の朝から、神職が乗る神馬と神輿が氏子町内を巡り、御祈祷を希望する氏子宅には、玄関先にお米、お神酒が祀られていて、神様への感謝と家内安全を祈願し祝詞が詠まれます。かつては魚津神社が馬を所有し御神輿巡幸に使用していました。
5日は、午後5時から魚津神社拝殿にて例大祭式典が行われます。
魚津神社のある中央通り商店街と県道(通称22m道路)の一部が歩行者天国になり、県東部一の規模を誇る露店の数である。
魚津神社は、昭和31年9月10日に発生した魚津大火により、金屋町鎮座の「稲荷社」、村木町鎮座の「火之宮社」、金浦町鎮座の「杵築社」、新金屋町鎮座の「市姫社」が火災にあい、救出された御神体が神明宮に合併合祀されました。現在の神紋「五つ巴紋(ともえもん)」は、再建により五社を合併したことを表しており、魚津神社独自もの。
神名宮の創建は大宝2年(702年)と、魚津の発祥とほぼ時を同じくする。当時社号を「日栖宮(ひすのみや)」としていた。
天文年間(1532年~1555年)、越後の長尾氏(のちの上杉謙信)が魚津を攻めた際、戦火にあい廃社となりましたが、天正年間(1573年~1592年)に、魚津城主の河田豊前守(かわたぶぜんのかみ)が社殿を再建しました。河田氏が没落後には加賀藩主、前田家家臣の青山渡守(さどのかみ)が、魚津城代となった時代に社殿を増築しました。
愛宕神社
魚津では昔から防火を祈願し、魚津神社、八幡宮、諏訪神社が分担して、5~6mの大きな御幣を立てて祈祷を行い、境内で焼納する火祭りが行われている。この行事は愛宕神社の神事であったが、愛宕神社は昭和四十一年、魚津神社の境内社となっている。
今までの訪ねた神社をマッピングしました。ご参考にして下さい。
より大きな地図で
神社にはその土地の歴史が詰まっている・・・。
ここでは私が尋ねた神社を紹介します。
魚津神社は富山県魚津市中央通り1-3-28に坐する神社で、旧社格は郷社である。
祭神は天照皇大神、建御名方命、菅原大神、素盞嗚尊、倉稻魂命、彦火火出見尊、大市比賣命
例祭は毎年6月4、5、6日の魚津神社春季例大祭。
6月4、5日の朝から、神職が乗る神馬と神輿が氏子町内を巡り、御祈祷を希望する氏子宅には、玄関先にお米、お神酒が祀られていて、神様への感謝と家内安全を祈願し祝詞が詠まれます。かつては魚津神社が馬を所有し御神輿巡幸に使用していました。
5日は、午後5時から魚津神社拝殿にて例大祭式典が行われます。
魚津神社のある中央通り商店街と県道(通称22m道路)の一部が歩行者天国になり、県東部一の規模を誇る露店の数である。
魚津神社は、昭和31年9月10日に発生した魚津大火により、金屋町鎮座の「稲荷社」、村木町鎮座の「火之宮社」、金浦町鎮座の「杵築社」、新金屋町鎮座の「市姫社」が火災にあい、救出された御神体が神明宮に合併合祀されました。現在の神紋「五つ巴紋(ともえもん)」は、再建により五社を合併したことを表しており、魚津神社独自もの。
神名宮の創建は大宝2年(702年)と、魚津の発祥とほぼ時を同じくする。当時社号を「日栖宮(ひすのみや)」としていた。
天文年間(1532年~1555年)、越後の長尾氏(のちの上杉謙信)が魚津を攻めた際、戦火にあい廃社となりましたが、天正年間(1573年~1592年)に、魚津城主の河田豊前守(かわたぶぜんのかみ)が社殿を再建しました。河田氏が没落後には加賀藩主、前田家家臣の青山渡守(さどのかみ)が、魚津城代となった時代に社殿を増築しました。
愛宕神社
魚津では昔から防火を祈願し、魚津神社、八幡宮、諏訪神社が分担して、5~6mの大きな御幣を立てて祈祷を行い、境内で焼納する火祭りが行われている。この行事は愛宕神社の神事であったが、愛宕神社は昭和四十一年、魚津神社の境内社となっている。
今までの訪ねた神社をマッピングしました。ご参考にして下さい。
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Posted by かるの at 08:15│Comments(0)
│神社探訪