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かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
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2013年03月26日

東日本大震災から二年 現場から生の声を聴く 島田市にて

 3月23日、岩手県大槌町の大槌稲荷神社の神主・十王舘勲氏による講演が行われたのを聴講した。
 十王舘氏は地震発災直後から、神社の境内と建物を避難所として開設し、周辺の人を受け入れた。
 以前、大槌町に行った際、色々とお話を伺ってお世話になった人である。

 ※以下は聞き書きであり、全てを収録したものでなく聞き間違えや勘違いもありますのでご了承ください。

 二年前の3月11日、我が町含め被災した人々は、当たり前の朝を迎え、普通の生活をしていた中での津波でした。
 三陸地方は学者の人が言うように、50年に一度は津波をもたらす地震が来る、という所です。口伝でも過去の津波がここまで来る、という石碑や印が町の中にもありましたが、それすらを軽々と超える津波でした。
 神社から見える安渡(あんど)地区は800戸程でしたが、100戸残りませんでした。大槌町の建物の被災率は92%です。
 私は、皆さんが家に帰って家族で災害とはこういうものだという話し合いが出来れば、と思います。

 地震には縦揺れ・横揺れがあると聞きますが、3月11日の地震は円を描くようでした。テーブルのコップが落ちそうで落ちなかったです。それで、これは只事ではないと思いました。全ての戸を開け放って、境内の下を見ますと、町の人が集まってガヤガヤしていました。気温は零度以下だったと思います。境内の斜面の法面に亀裂が入り、そこに人が近づかないようにと結界をしていましたら津波が来ました。
 3月11日の一年前、チリで起きた巨大地震で津波警報が発令された時、8名ほど受け入れたことがありました。その時に、暖房が大事だと燃料を常に準備しておかねば、と思い準備していました。地震の後、停電と断水がありましたが、燃料があったので発電機を回して最低限の電力を確保し、薪ストーブで暖をとったり調理が出来た事は非常に大きかったです。
 神社は境内が海抜20m位の所ですから、津波が黒い煙を引き連れて、多くの物を壊しながら壁になって襲ってきました。津波は波ではありません。壁です。目の前で知っている人々が飲み込まれていきました。

 神社に生まれて、幼い頃に祖父が家の前の前で、「津波が来れば町は無くなるぞ。覚えておけ。」と言った時がありました。それは何度とありまして、また言ってるなと思ってましたが、少しづつ伝えられた口伝が50年を経て役に立ったと。「津波は2月か3月の寒い時、夜明け前に来る。助けてくれという声が聞こえても、行ってはいけない。お前の役目は神社の階段の入り口に逃げてくる人の目安にする火を焚く事だ。それで暗い所に行ってはいけない。」今回は灯光器を点けましたが、助かった人は居ません。想定外でした。
 その日の夕方、波を被ったけど助かった人をストーブで暖めてて服が乾いたら、家に携帯電話や通帳や現金など大事な物を取りに行きました。そしてそれを止める人も居ません。しかし、戻って来れなかった人も居ました。

 当日は80人ほどが避難所に入りました。二日目には裏山に逃げた人などが入って来て、140名ほどになりました。三月末に内陸の方の温泉施設の方がお年寄りや体力が弱っている人を受け入れてくれて、100名ほどになって助かりました。
 ライフラインとは良く言ったものです。若い人はともかく、津波から逃れても体力の無い人や病人の人が点滴を受けられずに亡くなった人も居ます。ずぶ濡れになって避難所に入ったのに、気付いて貰えずに寒さで亡くなった人など、津波から逃れても、その後日に死ぬ人も出て来ます。これは覚えて欲しい。
 その後、多くの人が家族を探しに行きます。各地の遺体安置所を廻って行きますが、時間が経つにつれて顔が変わって分からなくなってしまう。生き残った人は自分の親兄弟を探すのに非常に苦労します。顔があればまだいい。そうでない場合もある訳です。未だに見つからない遺族の人も居ます。家族の人の特徴を憶えて貰いたいです。
 神社に道路が繋がるまで10日掛かりました。町中全ての瓦礫が神社の前に集まって残ってしまったからです。それを撤去する重機の音が止まって笛の音が聞こえると、それは遺体が見つかった訳です。遺体が搬送されて重機が動く、そして笛の音、これの繰り返しでした。距離にすると20mに10日掛かった訳です。自衛隊の人が繋がりましたと報告してくれた時、皆は良かった良かったと言ってた訳ですが、ある女性が「お風呂に入ってくる」と言いました。それで避難所の中の我慢や秩序が崩れた訳です。持てる者と持たざる者との格差が生まれるのです。
 避難所の現実は美しいばかりではありません。「絆」という言葉はマスコミの方がこうあって欲しいという意図だと思うのです。ある時、遠くが見えるようにと双眼鏡を置いておいたら、それを見ていたお年寄りが、遺体の指を切って指輪を奪う者を見たそうです。良かれと思ってやった事が裏目に出てしまいました。生の声を聞く、という事ですから申しました。

 これからは防災の面から申します。防寒は厚い服を着るよりも、薄い肌着を何枚も着るようにして下さい。洗濯も楽ですし、嵩張らない。そして食べ物の他に調味料のさしすせそを用意して下さい。砂糖・塩・酢・醤油・味噌ですね。あと油を一本。救援物資で食べ物が届いても、同じ味が続くと参ってしまう。同じ食べ物でも、調味料があれば味を変える事が出来るわけです。調味料が支援物資として届く事はありませんでした。後は乾電池、充電できる電池。ラジオも持ってほしい。車の電源を使えるインバータもあれば持ってほしい。ペットボトルも入れ物として役に立ちます。米なんかを入れておくと虫が付かない。

 子供には一人になったら優しそうな服を掴んで離すな、と言って下さい。一人ぼっちだと避難所から出されます。自分の荷物が無くなっている事も多々あります。
 私が避難所を運営していた時はずっとボランティアを断っていました。ここは大丈夫だ、もっと大変な所があるからと。自分で頼んだのは、地元のマッサージ士と水運びをする人です。
 ある日、足湯のボランティアに来た、という人が来ました。足湯をするから湯を沸かしてくれという、バカじゃないのか。ある日には、弁護士を名乗る人がテレビカメラを連れて、これからのまちづくりを、などと語る訳です。それどころではないだろうと。
 そんな中で断っても帰らなかったのが青山真虎さんです。彼こそ、私と島田市を繋ぐ絆になった人です。


話者:青山氏に

 3月11日の地震後、三週間後に大槌町に入りました。川根から100キロのお茶を寄付して頂き、井戸水を持って行きました。
 初めて十王舘さんにお会いした際、「後で金を請求するんじゃないだろうな。」と疑われたのを憶えています。混乱している時だから仕方ないかなと思いつつも、お茶を淹れさせて頂きました。
 地震から一年経った時、十王舘さんから慰霊を行いたい、という事で大槌町で亡くなった1450名に見立てた蝋燭を島田市民500名の協力で作りまして、大槌町に持って行った。大槌稲荷神社の境内の下の鳥居は隣の地区に流されていたのですが、この慰霊に間に合うように元の位置に戻してくれました。そこから蝋燭を祭壇まで並べました。祭壇には猿田彦の神様を祀りました。猿田彦は導きの神様だからです。全ての人がありがとうと言ってくれました。
 今、聞ける事ですが、災害後、困った事は何ですか?


十王舘氏
 全てに困りました。同じ顔の面子がずっと集まっているからアラが見えてくる訳です。すると攻撃される人が出てくる訳です。それは決まって弱い人です。海の街ですから海難事故の加害者・被害者のしがらみなんかが一か所に集まる訳です。そういう立場に無い若者が、年寄・子供・女性を守るんだ、という意識を持たせることです。
 義援金を世帯毎で頂きましたが、すると会った事も無い親類が出て来て寄越せと言われた人が何人も居ます。
 個々の人が奮い立たなければならない。ただそれだけだと思います。あと、境内の斜面にデッキとツリーハウスを設けて、仮説住宅に居る子供の勉強部屋に、文化活動を行う人に使ってほしい、「とうとうの森」を作る事が、私のライフワークです。




今回の話は、以前では伺えなかった話も出てきた。それだけ、時を経て話せる事もあったのだろうな、とも思った。
平時に理想論を語るのは簡単だ。でも、有事の際にはその理想を遂行するためにも、現実を見詰めなければならないと思った。


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Posted by かるの at 08:08│Comments(1)受講日記
この記事へのコメント
マスコミからはなかなか伝わってこないお話。

じっくりと読ませてもらいました。
ありがとうございます。
Posted by 隊長隊長 at 2013年03月26日 09:21
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