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かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
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2008年12月23日

南九州と静岡を結ぶ縁

 静岡・鹿児島往来フォーラムに行って来ました。
南九州と静岡を結ぶ縁
 静岡空港絡みのイベントですが、小和田先生の話を聴きにです。それと、小和田先生と対談する島津公保氏の話が聞きたかったので。
 この島津公保氏。特に自分からは言ってませんが、たぶん島津家の人なのでしょう。肩書としては(株)島津興業副会長とありますが、その会社の中では島津家からの繋がりを連綿と書いております。
 発言は以下に要旨。

 まずは時事ネタという事で「篤姫」の話。鹿児島での視聴率は40%超であり、NHK受信料収納率がかなり改善したとの事。

 静岡との繋がりと言えば薩摩土手が欠かせません。
 薩摩土手をはじめとして、薩摩藩は各地で大規模な土木工事を徳川幕府から申しつけられたために、19世紀には500万両という藩財政の35年分という莫大な負債を抱えていた。これを改善するために調所笑左衛門が財政再建に当たるのであるが、この時に債権者に250年無利息という条件を引き出したとか。これは明治維新で帳消しになったが、幕府が存続していればまだ続いている事になる。明治維新の原動力はこの借金か?

 薩英戦争によって鹿児島を焼かれた薩摩は開国へと一気に傾くのであるが、死傷者は英国軍の方が多く、英国側も薩摩の実力を認め、これによって英国が薩摩への関与を深める事になる。

 鹿児島では曽我兄弟の仇討ちの話が非常に人気がある。薩摩独自の子弟教育であった郷中教育の中で取り上げられ、傘焼き祭りも今も行われている。
 ご当地である静岡県東部で曽我兄弟の仇討ちの話を知っている人はどれだけ居るでしょうか。

 薩摩藩士・石河正龍も静岡との関わりがある。
 石河は奈良出身だが、江戸で蘭学を学んでいる際に薩摩藩士との交流から島津斉彬に召抱えられる。斉彬が進めていた集成館事業に携わり紡績工場の建設に携わる。明治となってからも紡績関係に関わり、イギリスから設備を購入した最新鋭の民間紡績所を建設した。
 これを十基紡という。その中には島田紡績所と遠州二俣紡績所がある。
 その後、紡績技術を学ぶために英国植民地となっていたインドへ渡るが、その際、お茶に関しても学びお茶の株も持ち帰っている。

 などなど、様々なエピソードが語られた。
 
 鹿児島以外にも、今の宮崎県一帯を戦国時代に領有した伊東氏は伊豆の伊東からの分家であるし、南熊本の人吉を地盤とした相良氏も旧相良地区からの出自である。

 お茶や鰻、鰹、温泉なども静岡と鹿児島との共通は多い。競争相手でもあるが、連携して新たな価値を生み出すという事も出来るとの締めくくりでした。

 しかし…寝てる人が多い。個人的にはかなり面白かったのに。居る人の大半はたぶん関係者でしょう。土日に開けばもっと盛況だったのでは思いますがね。


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Posted by かるの at 09:50│Comments(2)受講日記
この記事へのコメント
かるのさんはじめまして。私は鹿児島出身です。薩摩半島の南で、まさに、篤姫のロケ地の近所で育ちました。短大を卒業する20歳の時まで住んでいました。夏に帰省したときは、篤姫ブームで篤姫記念館が建てられていました。

今は静岡に住んでいます。鹿児島と静岡って縁があるんですね。
なるほどーと思い読みました。私は静岡が大好きです。それは、故郷に似ているからかもしれないです。温泉もお茶もうなぎも単なる偶然なのかもしれないと思いましたが、歴史的に繋がりがあるとは奥が深いですね。
Posted by ひーちゃん at 2008年12月23日 13:41
 ☆ ひーちゃん さん

 コチラこそはじめまして!

 篤姫と山岡鉄舟が会談したのは今の静岡市で、その地ならしがあって江戸での勝海舟と西郷の江戸無血開城が為されました。

 更に深い繋がりとしては、富士山の祭神であるコノハナサクヤ姫は元々は金峰町の辺りの神様ですね。
 古事記神話の序盤は南九州が舞台ですね。

 やはり鹿児島も静岡も黒潮の文化が流れてますね。

 私も鹿児島を色々と巡りました。
 薩摩半島の南ですか~。頴娃の茶畑は凄いですね。アレを見た時、早晩静岡の茶産業は抜かれるな、と思ってしまいましたね。開聞岳も登りました。今も「げたんは」を見ると買ってしまいます。

 また鹿児島の話を聞かせてくださいね。
Posted by かるのかるの at 2008年12月24日 07:06
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