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かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
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2013年08月05日

イギリスと日本をツナいだ船乗り 三浦按針:ウィリアム・アダムス

イギリスと日本をツナいだ船乗り
 三浦按針:ウィリアム・アダムス

~自筆の手紙11通から探る冒険者・按針の人間像~


伊東国際交流協会 異文化理解講座 講師:翻訳家・大森洋子


※以下は聞き書きであり、聞き間違いなどもある事をご了承ください。

1:伊東市と私のツナがり
 
 帆船は風によって生と死、動と静を繰り返す所に惹かれた。
 日本丸の航海に4人の女子学生が初の航海、という事で、その取材という名目で乗船できた。
 日本丸では船内では常に裸足。注意力を常に持つ、という意識。

2:按針と私のツナがり

 日英修好400年となり、英国ではアダムスが取り上げられている。
 アダムスの生地・チャダムでは「イトーロード」「ヨコスカロード」「ウィリアムロード」がある。

3:按針の手紙から探る按針の生い立ちと世界情勢

 アダムスは12歳で父を失いロンドンへ。ライムハウスの造船所で奉公に入り、海事一般を学ぶ。
 スペインのフェリペ二世は英国女王エリザベスに求婚したものの断れられたという事がアルマダ海戦の伏線?
 アルマダ海戦の中の英国海軍リチャードタフィールド号(70人乗り)に船長として参戦している。

4:按針の手紙から探るリーフデ号の日本への航海


 オランダで東洋へ行く船団・ロッテルダム会社に水先案内人として雇われる。リーフデ号は300トンで百人乗り。
 出発が遅く逆風が多くて船足が遅く、予定通りに行かなかった。マゼラン海峡では5か月の越冬で多数の犠牲。
 その後、出版するも大嵐で船団が散り散りに。残ったのは二隻だった。
 そこで積み荷が毛織物だったので暑い東南アジアでは売れないだろうと、北へ向かう事に。
 もう一隻のホープ号は嵐で行方不明に。

5:按針の手紙から探る豊後上陸

 豊後・臼杵に漂着。生き残ったのは18名だった。現地の人は危害を加えなかったが、積み荷を全て持ち去った。

6:按針の手紙から探る家康とのツナがり

 家康と会見し、世界情勢を聞かれる。
 イエズス会の宣教師はプロテスタント国の人であるアダムスらを不利な事を吹き込むが、家康はアダムスの能力を買う。

7:按針の手紙から探る伊東での西洋帆船建造

 堺で修理していたリーフデ号を江戸に回航した。しかし江戸でリーフデ号は沈んでしまった。
 家康はアダムスに船を造るよう指示、その用地として伊東が適地であるとアダムスが選んだ。天領である事、天城山に用材となる樹木が豊富である事、松川をドックとして使える事からである。造船した所は唐人川となっている。
 船が完成した際、周囲は出店が出来るなど非常に賑わったという。
 80トン、次いで120トンの船を造船。その頃、スペインの船が房総半島沖・御宿で座礁したので、乗員らの帰国のためにアダムスの造った120トンの船が使われた。スペイン側はその性能を気に入り、返却しなかった。

8:按針の手紙から探る船乗り按針、商人按針

 アダムスは平戸の商館に勤めるが、官舎には住まずに日本的な一般家屋に住んでいた。
 アダムスは日本での生活を「evil life」と日記に記している。「不運な」と訳すべきか?
 平戸の商館長・セーリスに帰国を誘われたが、イギリスを出国して20年以上を経ていた事もあり諦めた。日本での生活が余りに悲惨なら帰国していたのではなかろうか。

9:按針の11通の手紙を入手するまで

 大英図書館にアダムスの手紙が11通残されているが、手書きの為、英国人でも読みづらい。

按針の11通の手紙
①c1605    日本 イギリスの妻へ
②1611    平戸 バンタムの見知らぬ友人と同胞たちへ
③1613/1/12  平戸 バンタムのオーガスティン・スポルディングへ
④1613/12/1  平戸 ロンドンの東インド会社へ
⑤1613/12/1  平戸 バンタムのトマス・ベストへ
⑥1614/7/26  平戸 江戸のリチャード・ウィッカムヘ
⑦1615/10/29 静岡 江戸のリチャード・ウィッカムヘ
⑧1616/10/14 江戸 平戸のヤック・スペックスへ
⑨1617/1/14  平戸 ロンドンのサー・トマス・スミス総裁へ
⑩1617/11   堺   平戸のリチャード・ウィッカムヘ
⑪1620/5/16 大坂 平戸のリチャード・ウィッカムヘ

A1620/5/16  平戸 遺書
B1614.11~1616.11 琉球への航海日誌
C1619.5.15~8.22  トンキンへの航海日誌

按針の手紙の単語表記
「yf=if」「tyme=time」「dessir=desire」「wheear=where」「Wourshipfull=Warshipful」「geve=give」「Kinge=King」
「ens=use」「sence=since」「pilott=pilot」「m'r=master」「holl=whole」


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Posted by かるの at 08:14│Comments(0)受講日記
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