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2012年09月08日
福島文化財保全ボランティア 7日
5:55起床、今日は歩いて会場に向かうので、朝食を多めに摂る。7:44チェックアウト
奥州街道を歩いて、会場に向かう。正直な所、街道筋に昔の名残が見られるところは少ないが、信夫橋を渡って福島市街地に入ると、昨日までに歩いたところとは違う雰囲気を感じることが出来る。
和菓子屋さんがあり、その近くに江戸時代から続く所であるという旨が書いてあるのを見て、入って和菓子を数品購入。店内に古い写真があり、色々と聞いてみる。お店の人は福島が城下町であることを市民でも知らない人がいるので、かつての町並みなどの資料を集めたり、マッピングをしているということである。昨日まで漠然と歩いていたが、話を聞くと福島城は現在の県庁の所にあり、阿武隈川を堀として反対側には寺を配置して攻撃を防ぐ配置である。やはり知ってる人に話を聞くと理解早い。
言われたとおり、県庁の近くを歩いてみると、土塁の名残と思われる高まりがあったが、構造としてはそれくらいである。あと、大手門跡という表示は見かけた。なんとなく、沼津に状況が似ていると思った。
さて、今日も古文書撮影に入る。昨日までで要領は掴めているので、手は早い。そして文書を読む余裕もあった。多いのが借金と税金滞納の督促である。村名主も勤めていた旧家で事業も営んでいるのにである。『親展」とあるのに未開封のも。
そして中には恋文も。家の娘に当てたもので、朝鮮の基地から送られていて最後に「花の○○子さま」と結ばれていた。何やら独身の軍人に学校単位で見合いを行っていたようである。
あと気になったのは封書を下から開封しているのが多い。
この二日間の作業で、7千枚の電子化が完了できた。
今回の作業でノウハウは解ったので、実践してみたいものである。こういった古文書の問題は災害に限らず家人の都合で処分されてしまう危機に常に瀕していると言ってよい。かつて、研究者らが古文書を借りたままで返却しなかったり勝手な公開などで、「研究者=泥棒』という認識があるのも事実である。しかし、このように電子化をすることが出来れば、借りずにも現地で作業を行うことも出来るし、そこから研究も進めることも出来る。もし災害で原本が失われても、データを残すことも出来るので、持ち主にとっても有益である。そして作業自体はコツさえつかめば古文書が読めなくても出来るので、多くの人に今回のノウハウも伝えたいと思う。
名残惜しいが、参加者の方々とはこれでお別れ。
更に市街地を散策してみる。どうも昼の弁当が多かったからか腹が空かないので行きたい洋食店・キッチンカロリーに行くには早いと思ったので。市街地も繁華街などを歩き詰め暗くなったのでブックオフで立ち読み。20時半になったので、そろそろお店に行こうかなと店の前に立つと、営業時間が22時までなのに閉まっているではないか。
あきらめて撤収することにする。
21:28福島駅~21:35南福島、21:49ネットカフェ入り
本日終了
奥州街道を歩いて、会場に向かう。正直な所、街道筋に昔の名残が見られるところは少ないが、信夫橋を渡って福島市街地に入ると、昨日までに歩いたところとは違う雰囲気を感じることが出来る。
和菓子屋さんがあり、その近くに江戸時代から続く所であるという旨が書いてあるのを見て、入って和菓子を数品購入。店内に古い写真があり、色々と聞いてみる。お店の人は福島が城下町であることを市民でも知らない人がいるので、かつての町並みなどの資料を集めたり、マッピングをしているということである。昨日まで漠然と歩いていたが、話を聞くと福島城は現在の県庁の所にあり、阿武隈川を堀として反対側には寺を配置して攻撃を防ぐ配置である。やはり知ってる人に話を聞くと理解早い。
言われたとおり、県庁の近くを歩いてみると、土塁の名残と思われる高まりがあったが、構造としてはそれくらいである。あと、大手門跡という表示は見かけた。なんとなく、沼津に状況が似ていると思った。
さて、今日も古文書撮影に入る。昨日までで要領は掴めているので、手は早い。そして文書を読む余裕もあった。多いのが借金と税金滞納の督促である。村名主も勤めていた旧家で事業も営んでいるのにである。『親展」とあるのに未開封のも。
そして中には恋文も。家の娘に当てたもので、朝鮮の基地から送られていて最後に「花の○○子さま」と結ばれていた。何やら独身の軍人に学校単位で見合いを行っていたようである。
あと気になったのは封書を下から開封しているのが多い。
この二日間の作業で、7千枚の電子化が完了できた。
今回の作業でノウハウは解ったので、実践してみたいものである。こういった古文書の問題は災害に限らず家人の都合で処分されてしまう危機に常に瀕していると言ってよい。かつて、研究者らが古文書を借りたままで返却しなかったり勝手な公開などで、「研究者=泥棒』という認識があるのも事実である。しかし、このように電子化をすることが出来れば、借りずにも現地で作業を行うことも出来るし、そこから研究も進めることも出来る。もし災害で原本が失われても、データを残すことも出来るので、持ち主にとっても有益である。そして作業自体はコツさえつかめば古文書が読めなくても出来るので、多くの人に今回のノウハウも伝えたいと思う。
名残惜しいが、参加者の方々とはこれでお別れ。
更に市街地を散策してみる。どうも昼の弁当が多かったからか腹が空かないので行きたい洋食店・キッチンカロリーに行くには早いと思ったので。市街地も繁華街などを歩き詰め暗くなったのでブックオフで立ち読み。20時半になったので、そろそろお店に行こうかなと店の前に立つと、営業時間が22時までなのに閉まっているではないか。
あきらめて撤収することにする。
21:28福島駅~21:35南福島、21:49ネットカフェ入り
本日終了
2012年09月07日
福島文化財保全ボランティア 6日
5:55起床、店のモーニングサービスと昨日購入したパンで食事。6:55チェックアウト。南福島駅まで散策
7:38南福島駅、やはり学生が多い。7:45福島
集合時間まで散策、福島道路原票、福島稲荷神社、福島歴史館、キッチンカロリーなどなど。余り昔からの町並みなどは残ってないようだ。
8:49福島駅にて参加者集合、徒歩にて会場へ。25分着。
参加者は福島県県内から関東圏、遠路大阪からの人、職種は文化財関係から大学院生、新聞記者、図書館関係、公文書保管、企業文書関係、一般のかた。
宮城県で資料保全を行っている方から、資料撮影に関してのレクチャーを受ける。
今回撮影するのは、田村市の旧家で代々襲名している名前が面白い。行李の中に入った旅行鞄に手紙や証券、証書、名刺、はたまた子供の習字手習いなど。埃を払いながら取り出す。
重要なのは、変に分類したりせず、開けて上から順番に撮影していくこと。撮影物は文だけでなく全体を撮影することなどなど。その後、試しながらの撮影に入るが午前中は進まずに終了。
昼食時、物凄い雷雨であった。
午後の部に入って午前に撮ったデータを皆で見て、不具合なのをチェック。客観的に見られてから作業にも慣れてきて、進んできた。
余裕が出来ると撮影する文書の中身も気になってくる。確かに日本の歴史にかかわるほどのものではないが、地方経済に抱える問題や人の動きなど見えてくる。
16:00作業は終了。
17:00懇親会に入る。作業中は話せなかった事など色々と話す。
福島第一原発から三キロの所の旧家から文書や民具を運び出した事、文化財収蔵庫の中の民俗資料などはそれほど放射線量は高くはなかったこと、独自に史料レスキューを立ち上げた事、埋蔵文化財発掘調査報告書の国会図書館への納本が少ないこと、研究者はコスト&納期意識が少ないこと、相次ぐ予算縮減で文化財史料が散逸しつつあること、福島県浜通りの民俗が失われる、などなど。
20:10終了してネットカフェへ。33分福島駅、40分南福島駅、駅の待合室で時間をつぶす。
23:44ネットカフェへ。
本日終了
7:38南福島駅、やはり学生が多い。7:45福島
集合時間まで散策、福島道路原票、福島稲荷神社、福島歴史館、キッチンカロリーなどなど。余り昔からの町並みなどは残ってないようだ。
8:49福島駅にて参加者集合、徒歩にて会場へ。25分着。
参加者は福島県県内から関東圏、遠路大阪からの人、職種は文化財関係から大学院生、新聞記者、図書館関係、公文書保管、企業文書関係、一般のかた。
宮城県で資料保全を行っている方から、資料撮影に関してのレクチャーを受ける。
今回撮影するのは、田村市の旧家で代々襲名している名前が面白い。行李の中に入った旅行鞄に手紙や証券、証書、名刺、はたまた子供の習字手習いなど。埃を払いながら取り出す。
重要なのは、変に分類したりせず、開けて上から順番に撮影していくこと。撮影物は文だけでなく全体を撮影することなどなど。その後、試しながらの撮影に入るが午前中は進まずに終了。
昼食時、物凄い雷雨であった。
午後の部に入って午前に撮ったデータを皆で見て、不具合なのをチェック。客観的に見られてから作業にも慣れてきて、進んできた。
余裕が出来ると撮影する文書の中身も気になってくる。確かに日本の歴史にかかわるほどのものではないが、地方経済に抱える問題や人の動きなど見えてくる。
16:00作業は終了。
17:00懇親会に入る。作業中は話せなかった事など色々と話す。
福島第一原発から三キロの所の旧家から文書や民具を運び出した事、文化財収蔵庫の中の民俗資料などはそれほど放射線量は高くはなかったこと、独自に史料レスキューを立ち上げた事、埋蔵文化財発掘調査報告書の国会図書館への納本が少ないこと、研究者はコスト&納期意識が少ないこと、相次ぐ予算縮減で文化財史料が散逸しつつあること、福島県浜通りの民俗が失われる、などなど。
20:10終了してネットカフェへ。33分福島駅、40分南福島駅、駅の待合室で時間をつぶす。
23:44ネットカフェへ。
本日終了
2012年09月06日
福島文化財保全ボランティア 5日
6:11三島発~8:26東京(山手線)~8:36上野8:52(宇都宮線)
上野駅近くに元三島神社、栗橋駅近くのつむぎや、この頃、音楽プレーヤーがバグる、少し寝る~
10:37宇都宮(東北本線)
宝積寺の前に石室、野崎駅の案内に那須与一の墓~
11:32黒磯、黒田原駅は趣がある、白坂と新白河の間に朽ちた貨車があり『売家』の札が、郡山駅の手前に仮設住宅~
12:35郡山、腹が減っているので自販機でホットドッグを買う。発射時間ぎりぎりで焦る、12:43発、二本松駅に白いポスト~
13:30福島、駅周辺を散策、コンビニでフライドポテト購入、植え込みで除洗作業中とある。14:00発、白石にて連結、大河原駅からむすび丸のイラストが。
15:43仙台発、16:00塩釜下車、
駅から塩竈神社までの道には所々に訪ねた人物の和歌が刻んである。16:20塩竈神社着、昔来た時は車だったが、正面から大きな階段を登って参拝、朱印も。松島が見える。古代からの道を下って降りる。
御釜神社は工事中、商店街は地震なのか津波なのかわからないが、仮設の店舗が多い。和菓子購入、ラムレーズン生どらのラムが強い
17:38西塩釜(仙石線)~17:44多賀城下車
多賀城跡に行くつもりだったが、暗くなってしまった。スーパーで弁当を購入し食事。朝食も購入。多賀城は自衛官が多い、スーパーにも迷彩服。
19:51国府多賀城(東北本線)~20:07仙台、34発、21:58福島22:26発~22:30南福島下車
22:59ネットカフェ入り
本日終了
上野駅近くに元三島神社、栗橋駅近くのつむぎや、この頃、音楽プレーヤーがバグる、少し寝る~
10:37宇都宮(東北本線)
宝積寺の前に石室、野崎駅の案内に那須与一の墓~
11:32黒磯、黒田原駅は趣がある、白坂と新白河の間に朽ちた貨車があり『売家』の札が、郡山駅の手前に仮設住宅~
12:35郡山、腹が減っているので自販機でホットドッグを買う。発射時間ぎりぎりで焦る、12:43発、二本松駅に白いポスト~
13:30福島、駅周辺を散策、コンビニでフライドポテト購入、植え込みで除洗作業中とある。14:00発、白石にて連結、大河原駅からむすび丸のイラストが。
15:43仙台発、16:00塩釜下車、
駅から塩竈神社までの道には所々に訪ねた人物の和歌が刻んである。16:20塩竈神社着、昔来た時は車だったが、正面から大きな階段を登って参拝、朱印も。松島が見える。古代からの道を下って降りる。
御釜神社は工事中、商店街は地震なのか津波なのかわからないが、仮設の店舗が多い。和菓子購入、ラムレーズン生どらのラムが強い
17:38西塩釜(仙石線)~17:44多賀城下車
多賀城跡に行くつもりだったが、暗くなってしまった。スーパーで弁当を購入し食事。朝食も購入。多賀城は自衛官が多い、スーパーにも迷彩服。
19:51国府多賀城(東北本線)~20:07仙台、34発、21:58福島22:26発~22:30南福島下車
22:59ネットカフェ入り
本日終了
2012年09月05日
100年のレールを見に行く 完全版 7日①
4:30起床、5:05チェックアウト、5:15近くの吉野家にて食事。5:40出て駅へ向かう。

出雲市駅に向かう途中で通り掛かった商店街


神話の場面が描かれたイラストが展示されている。(リンク先にアップしました。)
ナゾな建物

駅の近くにあったヤマタノオロチ神話の像

かなりリアルです。
6:05電鉄出雲市駅着。
続く…。
2012年09月04日
9月26日「人の記憶 地の記憶 地震伝承を読む」高嶋酒造にて
9月26日18時半より講演致します。
内容は「人の記憶 地の記憶 地震伝承を読む」です。

日本列島に住んでいる限り、一生のうちに一度は巨大地震に遭遇すると言われている。
しかし、度重なる学者の警告にも関わらず「地震なんて来なければわからない」という認識が大抵である。それは想定される被害が単なる数字だからではないだろうか。
今回は歴史に刻まれた巨大地震を体験した人の日記や伝承から、巨大地震に遭った人の感情や、土地に刻まれた先人たちの思いを掬って行きます。
会費:700円。
時間:18時30分から
開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて
※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)
※申し込みは高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。
内容は「人の記憶 地の記憶 地震伝承を読む」です。

日本列島に住んでいる限り、一生のうちに一度は巨大地震に遭遇すると言われている。
しかし、度重なる学者の警告にも関わらず「地震なんて来なければわからない」という認識が大抵である。それは想定される被害が単なる数字だからではないだろうか。
今回は歴史に刻まれた巨大地震を体験した人の日記や伝承から、巨大地震に遭った人の感情や、土地に刻まれた先人たちの思いを掬って行きます。
会費:700円。
時間:18時30分から
開催場所はコチラ・沼津市原の高嶋酒造にて
※駐車場がありません。公共交通機関での来場をお願いします。(JR原駅から徒歩5分)
※申し込みは高嶋酒造へメールでお願いします。「info★hakuinmasamune.com」(★を@に換えて下さい。)
ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。
2012年09月03日
100年のレールを見に行く 完全版 6日⑨
浜坂駅は既に無人、乗り換えアナウンスが無い。

18:17発。
居組駅は秘境か?

18:50外は完全に見えなくなる。
19:03鳥取駅

満月が美しい。19:10発、快速である。帰宅する人でか割と込んでいて座れなかった。

20:48米子発
22:07出雲市着下車。

22:18駅近くのラーメン・エトアールにて塩ラーメン。ラーメン屋だがお店の人はおしゃれカフェの人みたい。あっさりとした塩で細いもやしとトロトロのチャーシューが旨い。22:45ラーメン屋発。
23:05ネットカフェ入り
本日終了
2012年09月02日
9月9日「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 後」セミナーカフェ
9月9日14時よりしずおかセミナーカフェにて講演致します。
内容は「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 後編」です。

(尼港事件の跡)
明治維新を経て近代化した日本と、凍らない港を求めて南下するロシアの利害はやがて衝突し、戦火を交える事になる。
千島・樺太の国境の狭間に生きる日本人と、革命の嵐に翻弄されたロシア人の運命は大きな渦に巻き込まれていく事になる。
明治時代から現代に至るまでの日露関係史を追って行きます。
会費:500円(お茶付き)。
開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル2F ネクステージ企画室
ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
内容は「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 後編」です。

(尼港事件の跡)
明治維新を経て近代化した日本と、凍らない港を求めて南下するロシアの利害はやがて衝突し、戦火を交える事になる。
千島・樺太の国境の狭間に生きる日本人と、革命の嵐に翻弄されたロシア人の運命は大きな渦に巻き込まれていく事になる。
明治時代から現代に至るまでの日露関係史を追って行きます。
会費:500円(お茶付き)。
開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル2F ネクステージ企画室
セミナーカフェに関してはコチラ
http://www18.ocn.ne.jp/~aradmin/leaves/leaves.html
http://www18.ocn.ne.jp/~aradmin/leaves/leaves.html
申し込みはコチラから。もしくはオーナーメールで直接お願いします。
http://semicafe.eshizuoka.jp/
http://semicafe.eshizuoka.jp/
ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
2012年09月01日
100年のレールを見に行く 完全版 6日⑧
17:15城崎温泉駅発。
竹野駅には船が置いてある。

北前船の寄港地であったようだ。ここでようやく日本海が現れる。
18:00餘部、


橋はコンクリートになった。

ココでは駅名標識の写真を撮っている人が何人か見られた。
18:14浜坂
浜坂駅にはレンガの給水塔がある。

続く…。