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かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
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2014年05月09日

5月8日講演 「神に侍う 武士道と繋いだキリスト教」 参考文献

5月8日、三島市のcucurucuにて「神に侍う 武士道と繋いだキリスト教」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「日本キリスト教史/五野井隆史」

 「明治のキリスト教/高橋昌郎」

 「日本キリスト教宣教史/中村敏 」
 
 「聖書を読んだサムライたち/守部喜雅」

 「神に仕えたサムライたち/沼津市 明治史料館 編」
 

 
 ご参考にしてください。

※次回のcucurucuでは6月12日19時から「会津藩 守り続けた真の侍」 と題し、江戸時代に御三家に継ぐ家格とされた会津藩の成り立ちと、外国からの防衛の最前線に立ち、武士道を最も体現した背景についてお話しします。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2014年05月08日

5月8日講演 「神に侍う 武士道に繋いだキリスト教」 三島 cucurucuにて

 5月8日19時より三島市のcucurucuにて講演致します。

  内容は「神に侍う 武士道に繋いだキリスト教」です。


(日本独自のキリスト教を模索した内村鑑三と新渡戸稲造)


 明治時代、幕府時代の禁教を解かれたキリスト教は、主君を失った武士たちに信仰される様になり、日本の近代化とそれに伴って取り残された人々に多くの影響を与えるようになる。
 今に繋がる経済、社会福祉、教育に影響を与えたキリスト教信者となった士族の活躍についてお話しします。

 「キリスト教史(近代)・明治時代・日本資本主義・教育史・武士道」に関心がある方にオススメ。

 参加費:1000円(ワンドリンク付き)

 時間:19時から

 ※駐車場がありません。公共交通機関(JR三島駅徒歩5分)か近隣の駐車場をお使い下さい。

 開催場所はコチラ・cucurucu'


申し込みはオーナーメール、もしくはcucurucu'さんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)世間士として

2014年05月07日

5月6日講演 「国境最前線 東国三英傑の三国志」について参考文献

6日、沼津市のLot.nにて「国境最前線 東国三英傑の三国志」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。
 

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「日本を変えたしずおかの合戦/小和田哲男ほか」

 「静岡の城/加藤理文」
 
 「東国の戦国合戦/市村高男」
 
 「軍事分析 戦国の城/」

 「戦国の魁 早雲と北条一族/」

 


ご参考にして下さい。


※次回のLot.nでの講座は6月3日18時半~、「ムラの社会 闘う村と百姓たち」と題し、人間社会の集落の発生から、中世の村についてお話しします。  


Posted by かるの at 08:03Comments(0)世間士として

2014年05月06日

本日講演 「国境最前線 東国三英傑の三国志」 沼津市 Lot.nにて

 本日18時半から沼津市のLot.nにて行います。


 内容は「国境最前線 東国三英傑の三国志」です。


(山中城の戦いの再現劇より)


 戦国時代、武田・今川・北条氏が覇権を争った静岡県東部地方。
 目まぐるしく変わる国境線を中心に、それぞれの大名は何を考えていたのか。そして、大勢力に挟まれた地侍たちはどのように生き伸びたのか?
 合従連衡の末の戦国の結末と、後世への影響があったかを語ります。

 会費:1000円(ドリンク付き)

 時間:18時半から

 開催場所はコチラ・沼津市上土町60 岡田ビル1F(元Floyd沼津店 店舗)





 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。

 申し込みはオーナーメール、もしくはLot.nさんへ直接お願いします。
 携帯電話055-919-1060

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:05Comments(0)世間士として

2014年05月05日

長浜散歩 ②



 黒壁から東の大手通り商店街へ向かう。

 大手門通りアーケード

 長浜まつりでの曳山を模したもの。

 土田金物店

 明治43年の建築

 海洋堂フィギュアミュージアム黒壁

 あるとは聞いていたが、商店街にあるとは思わなかった。フィギュア専門ミュージアムは当館が世界初との事。
 ここも黒壁の一つ、29號館としての位置づけ。

 せんねん灸でござる長浜曳山店

 せんねん灸は長浜が創業の地という事。伊吹山麓には灸の看板を掲げる所が多くあったが、その中の一つであろうか。



 この水路もかつての堀であろうか。


 長浜八幡宮

 源義家が石清水八幡宮を勧請して創建。戦国時代に兵火に罹り衰退していたが、長浜城主になった羽柴秀吉によって再興された。曳山まつりはここの祭礼である。

 境内にあった時計台


 八幡宮からは来た道をズラして再び引き返す。


 長浜はやはり戦国もので推しているからか、献血を呼びかけるポスターもゲーム風に。




 ではまたアーケード商店街に入る。


つづく・・・。


  


Posted by かるの at 08:17Comments(0)店主

2014年05月04日

5月17日講演 「督乗丸漂流 国境なき海の男たち」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

  5月17日 15時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。

  内容は「督乗丸漂流 国境なき海の男たち」です。


長期漂流を生き抜いた船頭・重吉の碑



 江戸時代、駿河湾を航行していた尾張と伊豆の船乗りたち。
 彼らは暴風に巻き込まれ、一年半にも及んで太平洋を漂い、遂にはアメリカ大陸にまで到達した。彼らの漂流の苦闘と帰国に便宜を図ったイギリス人・ロシア人船乗りの人道精神の道のりを語ります。

 「江戸時代・海運・危機管理・漂流・異文化交流」に関心がある方におすすめ。

 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:15時から

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)世間士として

2014年05月03日

長浜散歩 ①

 旅の途中で長浜に立ち寄った。前々から歩いてみたい所であった。


 駅名のステンドグラス

 長浜はガラス産業があった所ではないが、観光施設でガラス細工を推しているからであろうか。

 「子供に見せたくない本を入れるポスト」が!

 以前、彦根にもあったので、滋賀県は多いのだろうか。

 秀吉と三成の像

 長浜城主となった羽柴秀吉が鷹狩の途中で休憩に入った寺にて、後の石田三成である少年が気配りある茶を淹れたという事で召し抱えたという「三献の茶」というエピソードにちなんだ像である。

 長浜城大手門跡





 これは駅から東側であるが、城自体は線路を挟んで西側にある。

 この水路もかつての堀の名残であろうか。


 長浜駅の正面通りにある旧開智学校

 明治4年に滋賀で最初の小学校「滋賀第一小学校」が開校。その時は民家を用いていたが、明治7年に木造3階建、八角塔屋付瓦葺の新たな擬洋風の建築にて建てられ、開智学校と改められた。かつては時を告げる大太鼓が備えられていた。
 その後、幼稚園や女学校となり一時は原型も留めない程であったが、平成12年に復元された。
 現在は一階はレストラン、二階は展示室、三階は会議室として活用されている。
 
 長浜の中心部・黒壁スクウェア一號館

 北国街道と、長浜城から東に延びる大手門通り(美濃谷汲街道)との交差点は、江戸時代に高札が立ち、現在でも「札の辻」と呼ばれている。
 古くから長浜の中心だったこの辻に、明治時代に第百三十銀行長浜支店として建築され、その外壁が黒漆喰の様相から『黒壁銀行』『大手の黒壁』の愛称で親しまれていた。

 昭和63年4月、建物の保存と中心市街地活性化の拠点としての活用を目的に、第3セクター株式会社・黒壁として設立。
 更に「黒壁」はこの一號館の周囲の古建築を、次々と美術館、ガラスショップ、工房、ギャラリー、カフェ、レストランへと再生してその数10館、「黒壁まちづくり」に参画する館を合わせると計30の古建築の再生に携わり、年間約300万人の観光客が訪れる観光スポットとなったのである。

 黒壁の角から北国街道を望む。右側は一號館



では、大手門通りの方へ歩いてみる。

続く…。

  


Posted by かるの at 08:16Comments(0)店主

2014年05月02日

4月30日講演「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 後編」参考文献

 4月30日、沼津市の高嶋酒造にて「オホーツクの霧の海 愛憎の海峡 後編」についてお話させて頂きました。

 お越し下さった皆さん、ありがとうございました。

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 「北方四島・千島列島紀行/NHK取材班編」

 「日露領土紛争の根源/長瀬隆」

 「尼港事件の背景を探る/佐藤誠治」

 「8月17日、ソ連軍上陸す―最果ての要衝・占守島攻防記/大野芳 」

 


 なお、占守島の戦いに関しては「終わらざる夏(浅田次郎著)」という小説が発刊されました。

 ご参考にして下さい。

※次回の高嶋酒造での講演は5月28日18時半から「督乗丸漂流 国境なき海の男たち」と題し、江戸時代後期に起きた漂流事件についてです。  


Posted by かるの at 08:18Comments(0)世間士として

2014年05月01日

橿森神社・岐阜市

  ある時は信仰の場であり、ある時には教育の場であり、ある時には経済の場である。
 神社にはその土地の歴史が詰まっている・・・。
 ここでは私が尋ねた神社を紹介します。




 橿森神社は岐阜県岐阜市若宮町1丁目8番地に座する神社である。



 創建は第十二代景行天皇の御代。

 祭神は市隼雄命(いちはやおのみこと)。
 市隼雄命は、垂仁天皇の第一皇子である五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)と景行天皇の第六皇女淳熨斗媛命(ぬのしひめのみこと)の間の子。
 同じ岐阜市の伊奈波神社に父・五十瓊敷入彦命、金神社に母・淳熨斗媛命を祭ることから、この三つの神社は関係が深く、親子という位置づけで夫婦和合、子供の守り神として厚く信仰されている。





 例大祭は4月5日
 岐阜まつりとして伊奈波神社、金神社、橿森神社の例祭を行っている。

磐石“駒の爪岩”は、神人が駒に乗り、この地に降り立ったという伝説がある。



 境内社には、岐阜信長神社があり織田信長公を祀っている。

  明治に京都にある建勲神社を勧請したものである。
 末社には稲荷社・秋葉社・ 琴平社




今までの訪ねた神社をマッピングしました。ご参考にして下さい。

より大きな地図で

Posted by かるの at 08:18Comments(0)神社探訪