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2009年01月27日
東京散歩 世田谷から桜田門 渋谷円山町を中心に
友人に会いに東京へ。
以前は友人宅のある世田谷から北へと行きましたが、今回は東へと歩く。特に目標も定めずに。
世田谷通りを東へ向かっていると環状7号線に。そこにある道路地図を見ると、神社があるので行ってみる。

駒留八幡宮。朱印をしてもらう。
更に東へ進むと、次第に人の流れが住宅街の主婦からビジネスマンへとなってゆく。

目黒富士のある大橋氷川神社「富士」だけあって、階段がキツい。
今も国道246号線の大きな通りに面しているが、この道標を見ると、「大山道 せたがや通 たまがわ通」とある。

古くから交通の要所であるようだ。「富士塚」が築かれたのも、道しるべとしての機能からか。
朱印をしてもらうのと共に、「カエル守り」というのを見つけ、カエル好きの友人へのお土産とする。
賑わいの三軒茶屋から閑静な住宅街へ来たと思っていたが、突如現れたこの看板

渋谷円山町へ来たようだ。
「連れ込み旅館からラブホテルへと変わったのは、合掌造りの白川郷に近い御母衣ダム建設によって立ち退きを余儀なくされ、東京に出て来た人たちが貰った補償金を出し合い、アメリカ映画で見たようなモーテルを始めたのが始まり。」
という話を聞いた事がある。
その始まりであるホテル白川を見る。

白川郷から出て来たので「白川」を冠している。
歩いてみると、様々な起伏とホテルが入り組んでいて、地理感覚を失わせる迷宮のようだ。
確かに国道246号を始めとする大きな通りに囲まれたこの地域は窪んだ地域になっていて、何か周りとは違う雰囲気だ。
神泉駅は地上駅だが駅部分が地上であり、路線はすぐにトンネルに入る。これが何となく「異界」であるかのような錯覚を覚える。

意外だったのが、呉服屋が多かった事だ。これも元は料亭が数多く集まり、芸者が闊歩していた所だったからか。しかし今ではその名残は少ない。
一本道を出ると、テレビで見ている渋谷の雑踏となった。
そこには人の持つ生々しさが全く無い、乾いた所だ。何か「表裏一体」という言葉が浮かんだ。
以前は友人宅のある世田谷から北へと行きましたが、今回は東へと歩く。特に目標も定めずに。
世田谷通りを東へ向かっていると環状7号線に。そこにある道路地図を見ると、神社があるので行ってみる。

駒留八幡宮。朱印をしてもらう。
更に東へ進むと、次第に人の流れが住宅街の主婦からビジネスマンへとなってゆく。

目黒富士のある大橋氷川神社「富士」だけあって、階段がキツい。
今も国道246号線の大きな通りに面しているが、この道標を見ると、「大山道 せたがや通 たまがわ通」とある。
古くから交通の要所であるようだ。「富士塚」が築かれたのも、道しるべとしての機能からか。
朱印をしてもらうのと共に、「カエル守り」というのを見つけ、カエル好きの友人へのお土産とする。
賑わいの三軒茶屋から閑静な住宅街へ来たと思っていたが、突如現れたこの看板
渋谷円山町へ来たようだ。
「連れ込み旅館からラブホテルへと変わったのは、合掌造りの白川郷に近い御母衣ダム建設によって立ち退きを余儀なくされ、東京に出て来た人たちが貰った補償金を出し合い、アメリカ映画で見たようなモーテルを始めたのが始まり。」
という話を聞いた事がある。
その始まりであるホテル白川を見る。
白川郷から出て来たので「白川」を冠している。
歩いてみると、様々な起伏とホテルが入り組んでいて、地理感覚を失わせる迷宮のようだ。
確かに国道246号を始めとする大きな通りに囲まれたこの地域は窪んだ地域になっていて、何か周りとは違う雰囲気だ。
神泉駅は地上駅だが駅部分が地上であり、路線はすぐにトンネルに入る。これが何となく「異界」であるかのような錯覚を覚える。
意外だったのが、呉服屋が多かった事だ。これも元は料亭が数多く集まり、芸者が闊歩していた所だったからか。しかし今ではその名残は少ない。
一本道を出ると、テレビで見ている渋谷の雑踏となった。
そこには人の持つ生々しさが全く無い、乾いた所だ。何か「表裏一体」という言葉が浮かんだ。
続く…
Posted by かるの at 08:25│Comments(0)
│店主