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2014年12月28日
神が集まる島 神津島探訪 ⑨
先回の続き…。
学生たちの声は聞こえていたが、姿も見えなくなった。山の様子も木々の緑は少なくなり、灰色の岩の方が多い色彩になる。

この8合目付近に在ったのが、「鬼たちの力比べ」という伝説を示した案内板。力自慢の鬼達が天から降りて来て、ここで50メートルある石を投げて力くらべをしたという、伝説が残っている。
それまで、前述の学生たち以外に人を見ていなかったが、降りて来た人が居た。降りて来た人が「まだ上に行くの?」と聞いて来た。十合目から先がとんでもない強風なのだという。
ここまではまだ風は然程では無かったが、上がる度に風を感じ、15分ほど歩くと十合目の標柱が見えてきた。
十合目の標柱を過ぎたとはいえ 台形型の天上山の門に立ったに過ぎず、ここがゴールではない。むしろ天上山の魅力はこれからである。
十合目の標柱を超えると風がとんでもない強さになり、体感では20m以上はあるのではなかろうか。撤退もやや思い浮かんだが、雨は降っていないのと、この先はやや窪みであるので、風も幾分弱まるかと思い先に進む事にする。
まずやって来たのは、オロシャの石塁と呼ばれる文政の石積跡。
江戸末期、外国船籍の船が日本各地に出没するようになったため、幕府は伊豆諸島の島民に鉄砲と槍を備えさせ、更に外国人が島に上陸した時、天上山に引き寄せて戦えるように石積の防塁を約300mにわたって築いたもの。と説明がある。ただ、実際は石材を切り出していた頃の名残だという。
しかし、ここは先程居た所よりも風が強く崖の側なので、写真を一枚撮っただけで早々と引き返す。晴れていればかなりの展望であっただろうなぁ。
次に千代池(せんだいいけ)へ向かう。天上山の頂上台地には、火口跡に雨水が溜まって出来た幾つかの池があり、中でも千代池は一番大きい池である。
池であるからやや窪みであろうと思い、風も弱まるかとの狙い通り風は弱まった。しかし、池と言えども水は無い。今年は雨が少ないのであろうか。

ここには、神津島特産種のイズノシマホシクサが繁殖していると案内板に書いてあるが、水は無いので駄目なのだろう。少し風が落ち着いたのもあって、池の側に在ったベンチに腰掛け、お菓子を口にする。気温は寒くは無いが風が強いので、この先も風に吹かれる事を見越して合羽を防寒具代わりに着込む。
15分ほど千代池で休憩した後、再び先に進む。すると、黒島展望山という高台に行く道があるが、先程の学生たちの声が聞こえて来た。

こんな強風の中、わざわざ高台に行ったのかと。自分は彼らとは逆の方向へと向かう。
この道は大変細く、藪漕ぎまでは行かないものの、足元のシダや背丈ほどある木に覆われて体の幅くらいしか無い道で、視界は拓けず長ソデ長ズボンでなければ気が滅入る道。この道を20分ほど進むと次第に視界が拓け、それまでの緑の景色から一転、一面の灰色の世界。表砂漠に足を踏み入れる。

この表砂漠は花崗岩が風化して出来た白い砂が、風や雨で窪地に溜って出来たのだという。

花崗岩は火山の地底奥深くで造られる。 それがこのように山頂一帯に見えているということは、 この山が火山活動していたのは太古の昔だということを示している。

長い年月の間に少しずつ崩れ、西暦838年に噴火した時などもあって、地底にあったはずの岩が露出して見えているのである。ここが日本であることを忘れそうな、独特の風景。「砂漠」というだけあって、砂はとてもキメ細かく乾いている。

少し砂地を登らなければならない場所があるのだが、 その砂が滑ったり足が砂にめり込んだりと歩きにくかったりする。10分ほど歩くと机と椅子がある広場があり、最高点に行く前にここで昼食にする。

そう言えば、先ほどの学生たち以来、人の姿は見えない。皆、風が強いので撤退してしまったのであろうか。
続いて表砂漠を後ろに見ながら天上山最高地点へ向かう。


この地点だけやや高い峰になっているので、再び上がる度に風が強まってくる。

最高地点へと立つ。

着いたものの、余りの強風で何かに摑まっていないと飛ばされそうな状態。
狭いピークでの強風の中の長逗留は危険と判断し、写真を一枚撮影したら撤退。次の目的地へ。
続く…。
学生たちの声は聞こえていたが、姿も見えなくなった。山の様子も木々の緑は少なくなり、灰色の岩の方が多い色彩になる。

この8合目付近に在ったのが、「鬼たちの力比べ」という伝説を示した案内板。力自慢の鬼達が天から降りて来て、ここで50メートルある石を投げて力くらべをしたという、伝説が残っている。
それまで、前述の学生たち以外に人を見ていなかったが、降りて来た人が居た。降りて来た人が「まだ上に行くの?」と聞いて来た。十合目から先がとんでもない強風なのだという。
ここまではまだ風は然程では無かったが、上がる度に風を感じ、15分ほど歩くと十合目の標柱が見えてきた。
十合目の標柱を過ぎたとはいえ 台形型の天上山の門に立ったに過ぎず、ここがゴールではない。むしろ天上山の魅力はこれからである。
十合目の標柱を超えると風がとんでもない強さになり、体感では20m以上はあるのではなかろうか。撤退もやや思い浮かんだが、雨は降っていないのと、この先はやや窪みであるので、風も幾分弱まるかと思い先に進む事にする。
まずやって来たのは、オロシャの石塁と呼ばれる文政の石積跡。
江戸末期、外国船籍の船が日本各地に出没するようになったため、幕府は伊豆諸島の島民に鉄砲と槍を備えさせ、更に外国人が島に上陸した時、天上山に引き寄せて戦えるように石積の防塁を約300mにわたって築いたもの。と説明がある。ただ、実際は石材を切り出していた頃の名残だという。
しかし、ここは先程居た所よりも風が強く崖の側なので、写真を一枚撮っただけで早々と引き返す。晴れていればかなりの展望であっただろうなぁ。
次に千代池(せんだいいけ)へ向かう。天上山の頂上台地には、火口跡に雨水が溜まって出来た幾つかの池があり、中でも千代池は一番大きい池である。
池であるからやや窪みであろうと思い、風も弱まるかとの狙い通り風は弱まった。しかし、池と言えども水は無い。今年は雨が少ないのであろうか。

ここには、神津島特産種のイズノシマホシクサが繁殖していると案内板に書いてあるが、水は無いので駄目なのだろう。少し風が落ち着いたのもあって、池の側に在ったベンチに腰掛け、お菓子を口にする。気温は寒くは無いが風が強いので、この先も風に吹かれる事を見越して合羽を防寒具代わりに着込む。
15分ほど千代池で休憩した後、再び先に進む。すると、黒島展望山という高台に行く道があるが、先程の学生たちの声が聞こえて来た。

こんな強風の中、わざわざ高台に行ったのかと。自分は彼らとは逆の方向へと向かう。
この道は大変細く、藪漕ぎまでは行かないものの、足元のシダや背丈ほどある木に覆われて体の幅くらいしか無い道で、視界は拓けず長ソデ長ズボンでなければ気が滅入る道。この道を20分ほど進むと次第に視界が拓け、それまでの緑の景色から一転、一面の灰色の世界。表砂漠に足を踏み入れる。

この表砂漠は花崗岩が風化して出来た白い砂が、風や雨で窪地に溜って出来たのだという。

花崗岩は火山の地底奥深くで造られる。 それがこのように山頂一帯に見えているということは、 この山が火山活動していたのは太古の昔だということを示している。

長い年月の間に少しずつ崩れ、西暦838年に噴火した時などもあって、地底にあったはずの岩が露出して見えているのである。ここが日本であることを忘れそうな、独特の風景。「砂漠」というだけあって、砂はとてもキメ細かく乾いている。

少し砂地を登らなければならない場所があるのだが、 その砂が滑ったり足が砂にめり込んだりと歩きにくかったりする。10分ほど歩くと机と椅子がある広場があり、最高点に行く前にここで昼食にする。

そう言えば、先ほどの学生たち以来、人の姿は見えない。皆、風が強いので撤退してしまったのであろうか。
続いて表砂漠を後ろに見ながら天上山最高地点へ向かう。


この地点だけやや高い峰になっているので、再び上がる度に風が強まってくる。

最高地点へと立つ。

着いたものの、余りの強風で何かに摑まっていないと飛ばされそうな状態。
狭いピークでの強風の中の長逗留は危険と判断し、写真を一枚撮影したら撤退。次の目的地へ。
続く…。
Posted by かるの at 08:17│Comments(0)
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