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かるの
各地で歴史講座を展開中。歴史を知る事で、人生や地域が豊かになる事を目指して。
フリーマガジン「道の駅」にも寄稿中。
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2014年06月01日

花蔵の乱を辿る ②



長慶寺を後にして、花倉地区に。

この案内板は元々火の見櫓が建っていた所に、火の見櫓の撤去に代わって花倉地区の歴史を示す案内板として設置された。
花蔵の乱を辿る ②
火の見櫓の半鐘だけが掛かっている。

遍照光寺
花蔵の乱を辿る ②
 駿河今川氏三代・泰範は鎌倉建長寺にて僧となっていたが、兄の氏家が若くして没したため還俗して、今川氏を継いだ。足利義満に仕え、応永7年(1400)駿河と遠江2ヶ国の守護職に任ぜられた。
 それ以前泰範の父範氏は文和2年頃(1353)駿河の地を治める根拠地として島田の大津庄には大津城を、葉梨庄には花倉城を築いた。この築城に並行して家臣の屋敷を定め、一族の菩提を弔ったり、男子教育の場として氏寺を建立した。花倉には遍照光寺が開創された。
 玄広恵探は平時には遍照光寺の住職であった。

右・今川範氏と左・今川氏家の墓
花蔵の乱を辿る ②

農村風景が良い感じです。
花蔵の乱を辿る ②

上り坂の手前で兵糧の支給、という事で配られた朝比奈ちまき
花蔵の乱を辿る ②
朝比奈氏に伝わるこの朝比奈ちまきは、腹持ちが良く合戦場でも一日腹が空かないという。その製法を現代に再現したもの。

花蔵の乱を辿る ②

中央の高まりが花蔵城のピーク。思っていたよりも高いし城の規模も大きい。
花蔵の乱を辿る ②

振り返って来た道を見ると、この城が葉梨地区を掌握できるような配置である。
花蔵の乱を辿る ②

再び兵糧の配給、という事で、瀬戸の染め飯である。
花蔵の乱を辿る ②

さて、これから本格的に山道に入る。

続く…。





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Posted by かるの at 08:16│Comments(0)店主
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