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2014年09月18日
ホントに歩く東海道ウォーク 茅ヶ崎~大磯 ⑥大磯
大磯のランドマーク?高麗山の麓にある高来神社へ。

神社には良く見られる力石

本殿へ参拝

高麗神社とも呼ばれる。社名は一説に朝鮮半島にあった高句麗からの渡来人に由来するといわれる。
中世の戦乱等により書物が焼失したため起源は明らかでないが、神武天皇の時代の創建とする記録があるという。
江戸時代まで高麗寺という寺が山中にあり、現在の高来神社も高麗神社として寺内にあった。高麗寺は高句麗から渡来した高麗若光を祀った古い寺院と言われるが、室町時代には数度の戦火に見舞われ、廃寺寸前にまで追い込まれる。しかし江戸時代に徳川家が権現信仰のあるこの寺を上野寛永寺の末寺とし東照宮を置いたことから隆盛を取り戻した。しかし明治時代に入るとこのことが仇となり、徳川色を消し去りたい明治政府によってこの寺は廃寺とされ、廃仏毀釈で山内の堂塔は悉く破壊され高麗神社だけが残った。高麗神社は明治時代に高来神社(たかくじんじゃ)と改名し現在に至っている。

参拝した後、神社の人が居たので朱印を受ける。すると、遠くの神社に行っているからか、色々と聞かれる。

高来神社を出て、しばらくすると大磯宿の名残が出てくる。
虚空蔵堂

高来神社がかつて高麗寺だった際、東照宮も配祀されていたため大名行列はここで下馬したという。
水車がある。

調べたら蕎麦屋の様である。
化粧井戸の跡

『曽我物語』の主人公、兄の曽我十郎の恋人である虎女は17歳で大磯の菊鶴という長者にもらいうけられ遊女になった。その虎女が化粧をする際に使用した井戸の跡であるという。
虎女は十郎が仇討ちの本望を遂げ命を落とすまでの2年間及び63歳で生涯を閉じるまでの晩年を大磯の地で暮らした。
鎌倉時代頃の大磯の中心地はこの化粧井戸の辺りであった。
大磯八景の碑

明治40年、当時の大磯町長が大磯町内の名所八か所を選んで絵葉書にした。
その内の「化粧坂の夜雨」の碑
無人販売の枝豆を良く見た。

大磯駅近くのエリザベスサンダーホーム・沢田美喜記念館

沢田美喜は岩崎弥太郎の孫娘として生まれ、外交官の沢田廉三と結婚。敗戦後、エリザベス・サンダースホームを創設し、2000人近くの混血孤児を育て上げた。
記念館はもう閉まっていたため入れなかったが、沢田美喜が収集した隠れキリシタンの遺物があるというので、見てみたいものだ。
大磯駅の向こうに見える洋館。気になる。

大磯駅にてゴール。

解散前に駅近くの喫茶店で休憩。お疲れ様でした。
Posted by かるの at 08:17│Comments(0)
│店主