no">
2015年09月09日
横浜居留地を尋ねて ⑩関内周辺
山下公園から関内駅方面へ。横浜三塔が見えてきた。
神奈川県庁舎。三塔の内のキング

昭和3年10月31日に完成。この時代の公共建築にしては帝冠様式ではないのが、国際港である横浜の顔であった所だろうか。
平成8年に登録有形文化財(建造物)に登録された。
横浜港港湾労働者供養塔

港湾労働は現在の様な機械化される前は、着岸待ちの貨物船で混雑し、港湾労働者は通船で沖合に停泊中の貨物船で人力による長時間・重労働・危険作業の荷役作業を行っており、作業中に不慮の事故で亡くなる人が少なくなかった。港での仕事に生涯を捧げ、その発展に尽くした人々2822柱の御霊を慰めるため、1974年に建立された。
赤レンガ倉庫を傍目に歩く

横浜税関。三塔の内のクイーン。横浜市認定歴史的建造物である。

昭和9年に完成した庁舎は、シンボルと言える緑青色のドームが当初高さ47mで計画されていたが、「日本の表玄関たる国際港横浜の税関の庁舎とするなら、高くすべき」との意見により4m高くされ、高さ51mとなった。。完成当時は横浜で最も高い建物であった。

「象の鼻パーク」であることからか

キングを別の角度から

日本郵船歴史博物館

元々は日本郵船横浜支店として昭和11年8月に竣工。
山下公園に係留されている氷川丸も日本郵船である。

パルテノン神殿を彷彿とさせる華麗な外観。大オーダーと呼ばれる、2階部分まで貫くコリント式の円柱が16本並んだ姿は実に壮観。
全景を撮れないのが残念。
旧富士銀行 横浜支店

昭和4年、安田銀行横浜支店として建てられた。安田銀行は大正末から昭和初期にかけて、ほぼ同じスタイルで各地に支店を建てているが、これはそのなかでも最大規模かつ、希少な現存例。
平成17年からは東京芸術大学大学院映像研究科のキャンパスとして活用されている。
横浜市認定歴史的建造物。
神奈川県立歴史博物館

明治37年、横浜正金銀行本店として建築。
横浜正金銀行は、横浜開港以来、外国人商人が主導していた貿易金融取引を改善するため、明治13年に設立。その後、外国貿易関係業務を専門的に担当する銀行として成長し、世界三大為替銀行の一つに数えられるようになる。
本建築はドイツの近代洋風建築の影響を受け、明治時代の貴重な建造物であることがら、昭和44年には国の重要文化財の指定を受け、更に産業経済の発展に貢献した貿易金融機関の在り方を示す貴重な建造物およびその敷地であることから、国の史跡にも指定されている。
横浜三塔に合わせて、神奈川県立歴史博物館を「エース」として「横浜四塔」とする場合もある。
馬車道通りには「日本初の〇〇」が多すぎてキリが無い。
英国から来たガス灯

明治5年、日本で最初のガス灯が馬車道に灯されたことを記念して、英国シェフィールドパークに在ったガス灯を東京ガスの協力により設置したもの。
損保ジャパン日本興亜馬車道ビル

大正11年に旧川崎銀行横浜支店として竣工。翌年の関東大震災で被災するも、建物は隣接する横浜正金銀行本店と共に残った。
横浜市認定歴史的建造物。
(しかし金融系企業は合併した後の社名をもう少し考えて欲しい・・・)
横浜指路(しろ)教会

横浜指路教会は、明治7年に創建されたプロテスタント系の教会。明治の教会が関東大震災で倒壊し、新たに建てられたのが現在の教会。関東大震災を教訓してか構造は鉄筋コンクリート製である。
横浜は関東大震災や先の大戦による空襲、連合軍による接収などもあり、開港当時の建築が残っているとは言い難いが、近年の建築でも景観を合せている所など、かつての港町を感じさせてくれるのである。
Posted by かるの at 08:17│Comments(0)
│店主