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2014年02月01日
白鳥神社・長野県東御市
ある時は信仰の場であり、ある時には教育の場であり、ある時には経済の場である。
神社にはその土地の歴史が詰まっている・・・。
ここでは私が尋ねた神社を紹介します。

白鳥神社は長野県東御市本海野1204に座する、旧社格は郷社に当たる神社である。

祭神は日本武尊、貞元親王、善淵王、海野広道公
東征の途についた日本武尊が、この地に滞在されたと伝わり、日本武尊が伊勢の能褒野で死んだ際に白い鳥が現れたが、海野にもこの白い鳥が舞い降り、里人が遺徳を偲んで祠を建てて祀り、仲哀天皇の二年、勅命により 白鳥大明神と御贈号されたということから白鳥神社と称した。
配祀の貞元親王は、第五十六代清和天皇の第四皇子。眼病を患い祢律の山の湯で養生され、白鳥大明神で祈願され、平癒されたと伝えられている。
善淵王は貞元親王の孫。醍醐天皇より滋野姓を賜わったと伝えられている。
この滋野氏の後裔が海野氏で、海野広道はその初代。当社は海野氏の氏神であった。

海野氏発祥の碑
例祭は4月の第2日曜日

木曽義仲は海野宿の東端・白鳥神社で挙兵しており、海野氏を中心として東信濃の豪族が集結したという。平家物語には源義仲の侍大将として海野幸親・海野幸広親子の名が出てくるが、共に戦死を遂げている。
義仲の嫡男・源義高の身代わりとなった忠勤を源頼朝に賞賛され、側近に取り立てられた幸親の三男・海野幸氏が家督を継いで、海野氏は滅亡を免れる。幸氏は武田信光・小笠原長清・望月重隆と並んで「弓馬四天王」と称されたと伝えられるほどの弓の名手であった。
白鳥神社の御神木


今までの訪ねた神社をマッピングしました。ご参考にして下さい。
より大きな地図で
神社にはその土地の歴史が詰まっている・・・。
ここでは私が尋ねた神社を紹介します。

白鳥神社は長野県東御市本海野1204に座する、旧社格は郷社に当たる神社である。

祭神は日本武尊、貞元親王、善淵王、海野広道公
東征の途についた日本武尊が、この地に滞在されたと伝わり、日本武尊が伊勢の能褒野で死んだ際に白い鳥が現れたが、海野にもこの白い鳥が舞い降り、里人が遺徳を偲んで祠を建てて祀り、仲哀天皇の二年、勅命により 白鳥大明神と御贈号されたということから白鳥神社と称した。
配祀の貞元親王は、第五十六代清和天皇の第四皇子。眼病を患い祢律の山の湯で養生され、白鳥大明神で祈願され、平癒されたと伝えられている。
善淵王は貞元親王の孫。醍醐天皇より滋野姓を賜わったと伝えられている。
この滋野氏の後裔が海野氏で、海野広道はその初代。当社は海野氏の氏神であった。

海野氏発祥の碑
例祭は4月の第2日曜日

木曽義仲は海野宿の東端・白鳥神社で挙兵しており、海野氏を中心として東信濃の豪族が集結したという。平家物語には源義仲の侍大将として海野幸親・海野幸広親子の名が出てくるが、共に戦死を遂げている。
義仲の嫡男・源義高の身代わりとなった忠勤を源頼朝に賞賛され、側近に取り立てられた幸親の三男・海野幸氏が家督を継いで、海野氏は滅亡を免れる。幸氏は武田信光・小笠原長清・望月重隆と並んで「弓馬四天王」と称されたと伝えられるほどの弓の名手であった。
白鳥神社の御神木


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Posted by かるの at 08:18│Comments(0)
│神社探訪