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2016年02月29日
大磯から平塚散歩 ④
http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/midori/hike.htm" target="_blank">湘南平から下山する。

その途中にあった看板。
高来神社

ここは以前にも訪れている所である。
しかし、改めて設置している案内板など見ると、現在の高麗山の麓にある里宮から山頂の上宮へと神輿を以って神霊を遷す山神輿についてや、室町時代の関東の戦乱である永享の乱や、後北条氏が狼煙台としたり、後北条氏に対して戦争を仕掛けた上杉謙信によって陣が構えられたりした歴史もある事が解説されていた。

高来神社を後にし、平塚方面へ
途中で境内に横穴があった善福寺を望む。
平塚との境にあった「大磯トラック食堂」気になる…

文房具メーカーのパイロットの工場内にある「蒔絵工房NAMIKI」を見学する。

株式会社パイロットコーポレーションの前身「並木製作所」は1918(大正七)年、東京高等商船学校(現東京海洋大)出身の並木良輔、和田正雄両氏が興し、万年筆の製造販売を始めた。
海外の高級品と勝負するため、万年筆に蒔絵を施すことを発案。漆工芸の草分けである六角紫水氏と、弟子で後に人間国宝となり、「漆の神様」と呼ばれた松田権六氏の指導で完成させた。当時、万年筆の軸に使われていたエボナイトという樹脂は日光が当たると劣化してしまうため、漆で保護するという意味合いもあった。
1925(大正十四)年、並木、和田の両氏は、販路開拓の為に蒔絵万年筆を携えて欧米を訪問。好評を得て、帰国後、ロンドンから最初の注文が入る。
その翌年、1926(大正十五)年に松田権六氏を中心に蒔絵万年筆を研究、創作する蒔絵製作集団「國光會(こっこうかい)」を結成。
1930(昭和五)年には英国のダンヒル社と契約し、「ダンヒル・ナミキ万年筆」としてロンドンやパリ、ニューヨークなどで売りに出され、同年のロンドン海軍軍縮会議で調印に使われた。
平塚事業所は敗戦後の1948(昭和二十三)年、旧海軍第二火薬廠跡地の払い下げを受けて開設された。資料館として使われるようになった通称「レンガ棟」は大正後期に建てられており、2001年に平塚事業所にあった筆記具資料館を閉じて地元で惜しまれていたこと、平塚市に「平塚の近代史を伝え残してほしい」と望まれたことから、「蒔絵工房 NAMIKI」として開設し、約100点の漆芸品を中心に展示している。展示されているのは、大正期のもの、寺井直次氏や田口善国氏ら「人間国宝」の作品、「技術の継承」のために職人が構想から三年かけて完成させたものなど。
現在は平塚事業所にいる蒔絵師三人に加え、石川県輪島市などの職人が協力して伝統工芸である蒔絵技術を受け継いでいる。
見てると漆の文字通り「漆黒」の空間に、蒔絵や螺鈿の星々が輝いているかのようである。ただ、正直な所、外国人が好みそうな和柄、という感じで、実際、購入するのは外国人、主にフランスなどが多いそうだ。
下世話な話だが、展示されている品はどれもが二ケタ万円を超える。良い物である事は分かるのだが、持っていても浮いてしまいそうである。
しかし、一般に「伝統」と呼ばれている物も、常に需要と供給が為された上でないと続かない。技術の伝承としては最も良い形と言える。
直近では、朝の連続テレビドラマ「まれ」にて蒔絵職人が取り上げられたところから、見学に来られる方も多いという。
この界隈は工場が多い。

それも元は軍需工場の跡である。それ以前は江戸幕府の直轄地で、中原御林という。徳川家康が鷹狩の際に仮の御殿を築き、見渡されるのを防止するために林を設けたという。

軍需工場があった故、空襲も受けてしまったという一面がある。
続く…
Posted by かるの at 08:02│Comments(0)
│店主